Chat008-天の御国

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天国はどこにあるのか

天国を場所として捉える考え方は,聖書を知らない,もしくはまだ信仰をもって間もない時期にはありがちです。1961年以降,人はロケットで宇宙へ飛ぶことができます。宇宙飛行士でないにせよ私たちが海外との間で航空機を利用するときには,地上1万メートルを飛ぶ時代です。「天に神様はいなかった」とまことしやかに語られることはあるでしょう。

スタウロスのところでお話したかのグループについていうと,1935年ごろまでの彼らの教義の中ではすべての信者(144,000人)は「天国」に行けると信じられていました。

黙示録7:4
わたしは印をおされた者の数を聞いたが,イスラエルの子らのすべての部族のうち,印をおされたものは十四万四千人であった。(144,000人については黙示録14:1,14:3にも記述があります)

しかし1935年までにこのグループの信者人数がこれを上回る事態になると,「新しい地」についての教えが始まったそうです。古い話ですが彼らは「あなたは地上の楽園で永遠に生きられます」という書籍を使って教義を説明していました。この本の表紙をめくったところには,花と緑があふれる土地で家族が幸せそうに過ごしている挿絵があります。本文には「人間はなぜ地上に存在しているのですか」「だれが,またはなぜ天に行きますか」などとして,「場所」に視点をおいた「地上の楽園」に関する記述が繰り返されています。天国に行かなくても心配無用であって,地上にも天国のような楽園が実現するといった信仰に読めます。

この教義を知った当時「聞いたことがない不思議な教えだなぁ。なぜあえて地上と言うのだろう。」などと思ったものです。深い歴史的な背景はのちに知りました。

かくいう私も天国という言葉に魅せられていた時代がありました。そんなころに読んだ次の聖句は必ずしも好印象ではありませんでした。「まるでだましの聖句ではないか」といぶかしがったものです。「天」に行けなくても良いのだと,まるで上述の「地上の楽園」に近いものを感じたからでした。

ルカ17:20~21
神の国はいつ来るのかと,パリサイ人が尋ねたので,イエスは答えて言われた。「神の国は,見られるかたちで来るものではない。また『見よ,ここにある』『あそこにある』などとも言えない。神の国は,実にあなたがたのただ中にあるのだ」。

神の国

本ホームページでは皆川牧師の研究成果や経過などの原稿を公開しています。内容の性質上,ご訪問下さる多くの方はキリスト教に関してプロフェッショナル,教職の先生方や,研究者としてご専門の方,長く信仰をおもちの方が多いのではないかと察します。毎日50人から100人の訪問者がおられ,感謝なことにそれがすでに7年間続いています。

そういった皆様にこうして告白するのは恥ずかしさもあります。平信徒の私が「天国」という言葉はマタイ伝にしか用いられていないという事実を知ったのは信仰を持ってしばらく後でした。解説書などにはマタイが十戒の教えを大切にして「神」という言葉をあえて使わなかったから「天国」としたのだろうと記述されています。

手元にある聖書辞典の天国の解説の部分に次のように書いてあります。

神の国とは,領域(場所)より,王の統治,支配の意味が強い。神の国は,神支配の確立。神への服従,奉仕,愛の生活として,既に始まっている。

私はマタイ伝の「天国」という言葉をもっと早い段階で全て「神の国」と読み替えるべきでした。「天」という場所の意味合いを忘れてしまった後に読む新約聖書の世界は,それまでとずいぶん違う景色を私に見せてくれました。

マタイ6:19~34,25:41~46
人を愛さない者は神の国にふさわしくない。

マタイ5:3~9,25:14~30,31~40
心の貧しい人,義にうえかわく人,平和を作り出す人,神に忠実である人,愛のわざを行う人は神の国を受け継ぐ者である。

ヨハネ1:14
ヨハネが捕らえられた後,イエスはガリラヤに行き,神の国の福音を宣べ伝えて言われた。「時は満ちた,神の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ。」

hiroshi

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