皆川師から直接いただいたメッセージの中で,忘れることができないものがあります。創世記18章のアブラハムがソドムとゴモラを滅ぼさないようにと主に交渉しているところから語られたものです。
創世記18:24 (新改訳聖書)
『 もしや,その町の中に五十人の正しい者がいるかもしれません。ほんとうに滅ぼしてしまわれるのですか。その中にいる五十人の正しい者のために,その町をお赦しにはならないのですか。 』
アブラハムは長い旅路を甥ロトとともに過ごしました。そのロトはアブラハム一族内の家畜に関するいざこざのすえ,アブラハム一族本体とは別れてソドムの町に住むようになりました。アブラハムはそののちも甥のロトを大切にし,軍隊を出してでもロトを略奪者達から救ったこともありました。さらにその後20年ほど過ぎたある日の出来事です。
アブラハムがマムレの樫の木のそばで3人の人に出会います。このうち2人は天使で,1人は主と書いてあります。主はこれから罪深い町ソドムとゴモラを滅ぼすために来たと言われます。主がどのような罪を責めておられるのかここには直接的記載がありませんが,他の記事から読めるのはソドムとゴモラの人々が創造主を敬っていなかったこと,同性愛者たちが大勢いたとのことですから,これらに関連したことなのでしょう。
アブラハムはロトとその家族のことを大切に思っていましたし,当時ソドムの町の有力者になっていたロトを守るために神さまに交渉したのかもしれません。
『 もしや,その町の中に五十人の正しい者がいるかもしれません。ほんとうに滅ぼしてしまわれるのですか。その中にいる五十人の正しい者のために,その町をお赦しにはならないのですか。 』
すると主はお答えになります。『もしソドムで,わたしが五十人の正しい者を町の中に見つけたら,その人たちのためにその町全部を赦そう。』
しかしアブラハムはそれでは納得しません。
『もしや五十人の正しい者に五人不足しているかもしれません。』と。
すると主は『滅ぼすまい。もしそこにわたしが四十五人見つけたら。』とお答えになります。
アブラハムはその後も,40人,30人,20人,10人と人数を絞って繰り返し神さまに交渉をします。そして神さまは『滅ぼすまい。その十人のために。』とお答えになります。
アブラハムは神さまを心から信じていましたが,同時に彼には神さまに熱心に願い求める姿勢がありました。
結果的に,主は天から硫黄の火を降らせ,ソドムとゴモラは滅んでしまいます。火山が噴火し噴石が降ったり,溶岩が低地の町ソドムとゴモラを襲ったのでしょう。
このメッセージの中で,皆川師は,二つのことを指摘されました。
第一に,アブラハムに現れた3人のことです。アブラハムはマムレの樫の木のところで3人の人に出会ったとあり,うち1人は主と呼ばれ,あとの2人は御使いと書かれています。クリスマスのできごとの何百年も前に,主は人の姿をとられてアブラハムとサラの前に現れました。この主と書かれているお方はイエス様だったのかもしれません。そうでなかったにせよ,神さまはときに人として私達の中に降りてきてくださるのです。
第二は,人数の問題です。アブラハムは最初は50人からはじまり,45人,40人,30人,20人,10人と繰り返し赦しの条件を提示しました。これだけ少ない人数の正しい者のために,この町を滅ぼさないで下さいと赦しを乞いました。最終的にはその10人の正しい人すらソドムとゴモラにはいなかったのですけれど。
あの日皆川師は,「アブラハムは,1人の正しい者のために,ソドムとゴモラを滅ぼさないで下さいと神さまにお願いすべきだったのではないか」と言われたのです。そのときに私たちはハッと気づきました。主はたった「一人の正しい人のために,この町を滅ぼすまい」とおっしゃったであろうと。
この創世記18章では,そこまでの記載はありません。それでも事実として,ただ一人の正しい方,イエス様のゆえに主は私たちを罪から赦し,救い,神のことしてくださったのです。
旧約聖書には,新約聖書,特にイエス様の周囲で実際に起きたことの,雛形がちりばめられています。この聖書の箇所には二つの雛形がありました。人となって降りて来られた主,そして一人の正しい方のゆえに救われる人々です。
hiroshi
コメント