俳句短歌2022-10~2022-12

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<2022.12.25>
クリスマス キャロルのごとき 子らの声
縁ありて 庭に棲まふや 蜆蝶
夕ぐれを 散歩にさそう 鐘の音は やさしく今日を 労うがごと(道子)
助けらる ごときが朝の 陽光に 身をまかせをり 妻の歌聞く
いささかの 畑に植へし 大根の かたち小さも 抜けば大根

<2022.12.18>
浅漬けの 塩のかげんや 老いの家
聖書置き 意味調べあふ 炬燵かな
やぶれあり ほころびたりし 我なるも 繕いいとう 老いの日向路(道子)
庭踏めば 敷かれし石の いづこなる 色様々に 混ざり色なす
ミニ鉢に いささ小さき 花咲きて 日にかざしゐる 妻の背を見ゆ

ドゥオモ,キューポラ内側の壁画,Firenze, Italy

<2022.12.11>
冬の朝 息の白さを もう一度
一葉ごと 妻は集めり 柿落葉
気ぜわしく 過ぐる師走の 寒の日を 静めるごとき 白湯の一椀(道子)
さながらに 哲者のごとく 白鷺は 草にも化して 動くことなし
花咲ける 春をし思ふ 寒の夜に 月煌煌と 空にのぼり来

Duomo礼拝堂正面, Firenze, Italy

<2022.12.4>
お隣や 孫の声して 十二月
見るほどに 銀杏落葉の 大樹かな
あまえ癖 なおらぬ我に 夫のいう 私はあなたの 母にはなれぬ(道子)
雪降りて 道とおぼしき 窪の地を キャロルを歌ふ 聖歌隊とほる
大根の 太さほどよく 見目よくて 見事と云へば 君は笑ひぬ

Duomoの外壁入口のドアの上部分(受胎告知), Firenze, Italy

<2022.11.28>
重ね着に まだ迷ひをり 冬初め
山茶花を ひとめ見て入る 書斎かな
どんよりと 一日冷たい 雨の降る 今日はあなたと お喋りしたい(道子)
丈つめて 小さくなれる 山茶花に 去年より大き 花は咲きたり
何事も ござらぬなれど 日に一度 猫の見廻る 庭の日溜まり

Duomo (Cattedrale di S.Maria del Fiore), Firenze, Italy

<2022.11.20>
柿なくて 何の番する カラスかな
播種終へし 日の翌日には 芽を探す
髪白く うすくなりたる 夫の頭を 丸刈りにせり 小春日の庭(道子)
丸刈りの あはれさみしき われが頭に すぐに生へると 妻は云ふかも
珍しき 月隠れると 云ふ朝に 柿の葉散りて 色変はりける

<2022.11.13>
葉が落ちて 隠れし柿の 現はるる
秋蝶の はぐれてひとつ 畝境
影おびて 赤くしずまる月蝕の 又となき空 夫と幾度(道子)
陽光の 穏やかなれる 縁側に 熟柿をひとつ 妻と分け食む
白百合の 野草のごとく 立枯れて 倒れるまでを 庭に置き見つ

京都嵐山

<2022.11.6>
風なくも はらり音せり 冬木立
箸先に からうじてあり 虚抜き菜
北窓を あけて家並の 空とおく 赤城金山 連山と見ゆ(道子)
畑より 道にしわづか 数分を 家路歩むと 定め夕刻
馬鈴薯の 芽を掻き落とす 秋の日に うつらうつらと 高き半月

<2022.10.30>
秋の野や おもはず人の 振り返る
今頃は いづこの軒や ちちろ蟲
ふりそうで 降らぬ曇天 ゆるゆると 眠気をさそう 朝のしずけさ(道子)
如何なるも 為してしまねば 済まぬ気の 妻の思ひに 秋の短し
大利根の 流れは止まず 幾年を 黙すがままに 問ひつありけむ

<2022.10.23>
ことよきは 二人で暮らす 秋の暮れ
陰に干し さはらぬやうに 熟柿かな
三人の 母をもちたる 我が母は 五人の子らの 一人母なる(道子)
東京の 菓子の袋に 柿入れて 渋の抜けるを 待てり木の棚
畑を打ちを はりきらぬに待つ鳥の 蟲みるごとに 降りて啄む

<2022.10.16>
秋すだれ 巻ひて隣家の 窓近し
芋蔓を 仰山引ひて 塚となす
車窓より 見る廃屋に 在りし日の にぎわい尋ね すぐる町並み(道子)
亡き母の 耐へゐし日日を 語りをり 妻には妻の 日日のありしも
涙して 祈りし後の しずかさを 石もて築く ヤコブが荒野

<2022.10.9>
路ひとつ み山ひろがる 初秋かな
ちいさやな 妻の背中に 秋茜
広報に 載る君のうた 楽しみに 姿みえねど すこやかなるを知る(道子)
夜毎なる 思索の末は 野の風の 吹くがままなる 軽き音聞く
ひとときを 妻の持ち来る 歌よめば いいねと応ふ 秋夜さやけし

<2022.10.2>
天の川 たれ渡るとも寄する小波
初秋や 畳なき家の 床みがく
行ったかと 思えばすぐに 帰宅して 歯医者通いも 今日で二カ月(道子)
茄子を摘む 妻の姿は 葉に隠れ 鋏の音は 聞きてかそけし
週末に 目に光線の メス入れて 季節変はれる 街に秋見ゆ

コメント

  1. 皆川誠 より:

    今回の写真はイタリヤのサンタ マリヤ デル フォーレ大聖堂ですね。人類の遺産というにふさわしい見事な教会です。1296年の施工といいますから726年の歴史をもちます。期せずして、このコーナーに京都嵐山の竹林小径の写真と並ぶことになりました。嵐山の竹林は源氏物語に登場しているところから平安時代からの、イタリヤの大聖堂に並ぶ古い歴史をもち、写真からは竹林を抜ける風の音が聞こえるようです。イタリヤの大聖堂と日本の竹林と、西洋と東洋の精神的なかたちが、それぞれに形つくられ表現されているようにも見えます。大聖堂の写真はこれから続いて掲載されるとのことで、楽しみにしています。大聖堂の内部や望楼、洗礼堂や付属美術館など興味はつきません。

  2. 皆川誠 より:

    サンタマリア・デル・フォーレ大聖堂の写真が続いて掲載され、その壮大な聖堂を想像しながら楽しませていただいています。入口の門の上の受胎告知のモザイク画は、この聖堂に入る人が、まず天使ガブリエルの受胎告知を聞くところから主イエス・キリストの御生涯に入ることを意味するのでしょう。サンタマリア・デル・フォーレ大聖堂は長さ153メートル、幅38メートルといいますから、その大きさはそこに立ってみないと実感できないわけですが、大きさのわりには見える柱の少ない聖堂ですので、奥行きと広がりが威圧的ではなく、より大きく優しく人を包むようです。サンタマリア・デル・フォーレ大聖堂は外観の素晴らしさが人々を魅了しますが、それにくらべて内部には、ミケランジェロのピエタ像などの重要な像が美術館に移されていますので、創建当時からの内部とはちがった空間になっているのでしょうね。それでも、信仰者としては大聖堂のつくりだす聖なる空間の意味するものが、より魂に親しく語り掛けてくれるようです。

    • hiroshi より:

      今回もコメントをありがとうございました。一度の旅程で500枚以上の写真を撮影しましたがそれらを全て掲載するわけにもいきません。印象に残ったものを少しずつ取り上げていきます。
      この大聖堂は外観のインパクトが強烈なために内部の様子がむしろ質素に見えるのですが,それであってもキューポラの内側の壁画や,モザイク絵,彫刻など美しいものがたくさんあります。そのサイズもとにかく大きいです。そんな中,今回は祭壇の写真をクローズアップしてみました。イエス様の象が掘られている十字架と燭台。この部分については改めて自分の信仰を問われているような不思議な空間でした。
      hiroshi