研究ノート「肉の欲によらず」

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ヨハネ1:13 

οἳ οὐκ ἐξ αἱμάτων οὐδὲ ἐκ θελήματος σαρκὸς οὐδὲ ἐκ θελήματος ἀνδρὸς ἀλλ᾽ ἐκ θεοῦ ἐγεννήθησαν.

新共同訳聖書

この人々は、血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれたのである。

【中心聖句】 ヨハネ1:13

【聖書引照】 ヨハネ1:13 ロマ9:10 ロマ9:11 -12 ロマ9:13 ロマ9:14 ロマ9:15  ロマ9:16

「肉の欲によらず」

Ⅰ 肉の欲

ヨハネ1:13 

οἳ οὐκ ἐξ αἱμάτων οὐδὲ ἐκ θελήματος σαρκὸς οὐδὲ ἐκ θελήματος ἀνδρὸς ἀλλ᾽ ἐκ θεοῦ ἐγεννήθησαν.

新共同訳聖書

この人々は、血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれたのである。

ロマ9:10 

οὐ μόνον δέ, ἀλλὰ καὶ ῥεβέκκα ἐξ ἑνὸς κοίτην ἔχουσα, ἰσαὰκ τοῦ πατρὸς ἡμῶν·

新共同訳聖書

それだけではなく、リベカが、一人の人、つまりわたしたちの父イサクによって身ごもった場合にも、同じことが言えます。

人が神の子とされるのは「肉の欲」によらない。「肉の欲 θελήματος σαρκὸς」は「血のつながりへの期待」である。そのことは、アブラハムの祝福をめぐってイサクとリベカ、その子エサウとヤコブの間にあった「肉の欲」による確執から教えられる。

神はアブラハムから生まれる子が祝福を受け継ぐと約束された。(創世記12:1~3; 15:1~6; 17:1~14) アブラハムの子イサクの妻リベカはエサウとヤコブの双子を身籠った。するとリベカの胎の中でエサウとヤコブはいずれが祝福を受け継ぐ子となるかで「争った」。(創世記25:22) 双子が成長すると「争い」は激しくなり、イサクはエサウを愛し、リベカはヤコブを愛した。そしてヤコブは一椀の羹と交換にエサウから「長子の権」を奪うのである。(創世記26:29~33; 27:1~40)

Ⅱ アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神

ロマ9:11 -12

μήπω γὰρ γεννηθέντων μηδὲ πραξάντων τι ἀγαθὸν ἢ φαῦλον, ἵνα ἡ κατ᾽ ἐκλογὴν πρόθεσις τοῦ θεοῦ μένῃ, οὐκ ἐξ ἔργων ἀλλ᾽ ἐκ τοῦ καλοῦντος, ἐρρέθη αὐτῇ ὅτι ὁ μείζων δουλεύσει τῶ ἐλάσσονι·

新共同訳聖書

その子供たちがまだ生まれもせず、善いことも悪いこともしていないのに、「兄は弟に仕えるであろう」とリベカに告げられました。それは、自由な選びによる神の計画が人の行いにはよらず、お召しになる方によって進められるためでした。

ロマ9:13 

καθὼς γέγραπται, τὸν ἰακὼβ ἠγάπησα, τὸν δὲ ἠσαῦ ἐμίσησα.

新共同訳聖書

わたしはヤコブを愛し、/エサウを憎んだ」と書いてあるとおりです。

「祝福を継ぐアブラハムの子」は「肉の欲」によらず、神の自由な選びによるのである。腹のなかでエサウとヤコブが争うことに戸惑うリベカが主のみこころを求めると、主は「二つの国民があなたの胎内に宿っており/二つの民があなたの腹の内で分かれ争っている。一つの民が他の民より強くなり/兄が弟に仕えるようになる。」

(創世記25:23 新共同訳聖書)と仰せられる。祝福は神の「自由な選び」による神の業である。

Ⅲ 憐れもうと思う者を憐れみ、慈しもうと思う者を慈しむ

ロマ9:14 

τί οὗν ἐροῦμεν; μὴ ἀδικία παρὰ τῶ θεῶ; μὴ γένοιτο·

新共同訳聖書

では、どういうことになるのか。神に不義があるのか。決してそうではない。

ロマ9:15 

τῶ μωϊσεῖ γὰρ λέγει, ἐλεήσω ὃν ἂν ἐλεῶ, καὶ οἰκτιρήσω ὃν ἂν οἰκτίρω.

新共同訳聖書

神はモーセに、/「わたしは自分が憐れもうと思う者を憐れみ、/慈しもうと思う者を慈しむ」と言っておられます。

ロマ9:16 

ἄρα οὗν οὐ τοῦ θέλοντος οὐδὲ τοῦ τρέχοντος, ἀλλὰ τοῦ ἐλεῶντος θεοῦ.

新共同訳聖書

従って、これは、人の意志や努力ではなく、神の憐れみによるものです。

「神の子となる権」は「肉の欲(人の意志や努力)」によらず、「神の自由な選び」による。神は「自分が憐れもうと思う者を憐れみ、/慈しもうと思う者を慈しむ」。(ロマ9:15,16 新共同訳聖書) 人が神に来るのは「肉の欲(人の意志や努力)」によらず、「憐れまん」とする神の圧倒的で拒むことのできない「慈しみ」によるのである。

(聖書研究ノート 00098-43-1-13-2 「肉の欲によらず」 ヨハネ1:13) 

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