聖書研究ノート「来たらんとする光」

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ヨハネ1:9 

 ἦν τὸ φῶς τὸ ἀληθινόν, ὃ φωτίζει πάντα ἄνθρωπον, ἐρχόμενον εἰς τὸν κόσμον.

聖書協会共同訳聖書

まことの光があった。その光は世に来て、すべての人を照らすのである。 

【中心聖句】 ヨハネ1:9

【聖書引照】 ヨハネ1:9 イザヤ21:11~12  Ps.130:6 イザヤ2:5

「来たらんとする光」

Ⅰ 来たらんとする光

ヨハネ1:9 

 ἦν τὸ φῶς τὸ ἀληθινόν, ὃ φωτίζει πάντα ἄνθρωπον, ἐρχόμενον εἰς τὸν κόσμον.

聖書協会共同訳聖書

まことの光があった。その光は世に来て、すべての人を照らすのである。 

「世に来て ἐρχόμενον」は ἔρχομαι の現在分詞であり、「まさにその時、世に来ようとしていた」ことをあらす。

永井直治訳「すべての人を照らす光、眞なる者は世に來りつつありき」

「光」は創造のはじめから神と共にあり、すべてを照らす真の光であった。その「光は、また、「来たらんとする光」であった。

「昼」は「夜」に継ぎ、「夜」は「昼」に継ぐ。創造の日から止むことのない昼と夜の営みは、魂の「光」と「闇」との互いを行き来する霊的世界に人を導くのである。

人は常に「来たらんとする光」の前に立つ。「来たらんとする光」は「神の創造的いのちの光」であり、常に新しくする力である。

Ⅱ 朝を待つ夜回り

イザヤ21:11~12

מַשָּׂ֖א דּוּמָ֑ה אֵלַי֙ קֹרֵ֣א מִשֵּׂעִ֔יר שֹׁמֵר֙ מַה־מִלַּ֔יְלָה שֹׁמֵ֖ר מַה־מִלֵּֽיל
אָמַ֣ר שֹׁמֵ֔ר אָתָ֥ה בֹ֖קֶר וְגַם־לָ֑יְלָה אִם־תִּבְעָי֥וּן בְּעָ֖יוּ שֻׁ֥בוּ אֵתָֽיוּ

聖書協会共同訳聖書

ドマについての託宣。/セイルから私を呼ぶ者がいる。/「見張りの人よ、今は夜の何時か。/見張りの人よ、今は夜の何時か。」 見張りは言った。/「朝は来る、だが、まだ夜だ。/尋ねたければ尋ねよ。/もう一度来るがよい。」

ユダヤの町は高い城壁でかこまれ、人々は城壁の内に住んだ。夜は門が閉ざされ外部から入ることはできなかった。城壁の上には「夜回り」の兵が夜通しの見張りに立った。夜回りは辛い仕事だった。「見張りの人よ、今は夜の何時か。/見張りの人よ、今は夜の何時か。」という声が聞こえる。夜回りは「朝は来る、だが、まだ夜だ。/尋ねたければ尋ねよ。/もう一度来るがよい。」と告げるのである。(イザヤ21:11~12)

魂は夜の暗闇の中で、夜回りに「今は夜の何時か」と尋ねる。「朝はかならず来る、しかし、まだ夜だ」という声を聞くのである。

Ⅲ 待ち望む

Ps.130:6 

נַפְשִׁ֥י לַֽאדֹנָ֑י מִשֹּׁמְרִ֥ים לַ֝בֹּ֗קֶר שֹׁמְרִ֥ים לַבֹּֽקֶר

聖書協会共同訳聖書

私の魂はわが主を待ち望みます/夜回りが朝を、夜回りが朝を待つにも増して。

詩篇127:1 

שִׁ֗יר הַֽמַּ֫עֲל֥וֹת בְּשׁ֣וּב יְ֭הוָה אֶת־שִׁיבַ֣ת צִיּ֑וֹן הָ֝יִ֗ינוּ כְּחֹלְמִֽים שִׁ֥יר הַֽמַּֽעֲל֗וֹת לִשְׁלֹ֫מֹ֥ה אִם־יְהוָ֤ה׀ לֹא־יִבְנֶ֬ה בַ֗יִת שָׁ֤וְא׀ עָמְל֣וּ בוֹנָ֣יו בּ֑וֹ אִם־יְהוָ֥ה לֹֽא־יִשְׁמָר־עִ֝֗יר שָׁ֤וְא׀ שָׁקַ֬ד שׁוֹמֵֽר

聖書協会共同訳聖書

もし、主が家を建てるのでなければ/それを建てる人々は空しく労苦することになる。/もし、主が町を守るのでなければ/守る人は空しく見張ることになる。

魂は「夜回りが朝を、夜回りが朝を待つにも増して」待ち望む。(Ps.130:6) だが、主が町を守るのでなければ夜通しの夜回りは空しい。魂が尋ねるのは夜の闇をにも目をこらし、射しこむ朝の光となり給う主である。時を見張る者が待ち望むのは時を告げられる神である。

Ⅳ 主の光の中を歩め

イザヤ2:5 

בֵּ֖ית יַעֲקֹ֑ב לְכ֥וּ וְנֵלְכָ֖ה בְּא֥וֹר יְהוָֽה

聖書協会共同訳聖書

ヤコブの家よ、さあ、主の光の中を歩もう。

イザヤはヤコブの家に「さあ、主の光の中を歩もう」と語る。(イザヤ2:5) 

「世を照らす真の光」は「私」を照らす光である。「私の内なる世」を照らす。人は「内なる世」によってすべての人間に連なる。世への無関心は自らの世を消す。一日に夜と昼があるように、見えない夜も神のみ旨であり、光の朝を待ち望むのもみ旨である。一つの夜が過ぎて一つの昼があり、その昼は新たな夜を迎える。しかし、主にある者はどの夜にも、今まさに「来たらんとする光」があることを知る。時を新しくする力を信じて「今は夜の何時か」と尋ねるのである。

(聖書研究ノート 00062-45-1-9-3 「来たらんとする光」 ヨハネ1:9) 

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