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「豚」と聞いて、「豚は聖書の食べ物なの?」と思われる方もおられるでしょう。 

確かに聖書では豚は食べ物ではなく、食べてはならない食べ物とされているのです。しかし、食べてはならない食べ物として聖書の食べ物の中に入れて置く必要はあると考えて、取り上げてみます。 

レビ記11章には動物のうちで、食べてよい動物と食べることができない動物が詳しく記されています。 

「動物のうちで、ひづめが分かれ、そのひづめが完全に割れているもの、また、反芻するものはすべて、食べてもよい。しかし、反芻するもの、あるいはひづめが分かれているもののうちでも、次のものは、食べてはならない。すなわち、らくだ。これは反芻するが、そのひづめが分かれていないので、あなたがたには汚れたものである」 レビ記11:3~4 新改訳聖書 

この教えに従って、らくだ、岩たぬき、野うさぎ、豚は汚れたものとして食べることも、その死体に触れてもいけないと定められたのです。 

レビ記11章にはそれ以外鳥にも、鳥や水の中に棲む生き物、地に群生する生き物の多くが「汚れたものときよいもの、食べてよいものと食べてはならないものが区別されたのです。 

ユダヤ教徒やイスラム教徒は、この教えを現代も厳しく守って、豚肉は絶対に食べてはいけないものとされているのです。こうした「食のタブー」は信仰的な理由によるもので、豚肉そのものが汚れているわけではありません。キリスト教では旧約聖書の律法が主イエスの十字架と復活によって完成されたという立場から、すべての「食のタブー」かとりはらわれているという立場です。 

豚と豚飼い

豚肉はローマ人に好まれ、ローマ兵の駐屯するユダヤの各地で豚は飼育されていました。主イエスがガリラヤ湖の向こう岸ゲラサ人の地に行かれたとき、墓場に住む汚れた霊に憑かれた人から汚れた霊を追い出されたとき、汚れた霊は自分たちを丘に飼われている豚の群れにはいらせてくれと頼みます。主イエスがそれを許されると豚の群れは海に向かって駆け出し、海になだれ落ちておぼれ死んでしまいました。(マルコ5:1~3) 

ここで豚を飼うのはユダヤではなく異邦人の地であり、豚飼いはユダヤ人ではなく異邦人です。 

主の話された「放蕩息子」の物語では、父親の財産の分け前を遠い国で放蕩して使いつくした弟息子は食べるものにも困り、豚飼いになります。ユダヤ人が絶対に食べない豚の世話をする豚飼いにまで身を落としたのです。そればかりか、弟息子はこともあろうにその豚の食べるいなごまめを食べて腹を満たしたいと思うほどに追いつめられます。それでも彼に食べ物をくれる人はいなかったのです。そのことからも、弟息子の放蕩のはてがいかに悲惨なものであったからが分かります。 

このように、聖書の中に「豚の料理」を読むことは決してできません。 

「食のタブー」から自由な私たちから見れば、肉はもちろん、豚から抽出したエキスも、豚を調理した道具やそれを容れた冷蔵庫も「ハラール 禁止」とされる立場は理解するのが困難なことですが、そうした信仰的な告白を尊重することはとても大切なことと思います。 

厳しい「食のタブー」ですが、それを食べなければ死んでしまうような場面では食べても良いというきまりもあるといいます。 

「こういうわけで、あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現すためにしなさい」 Ⅰコリント10:31 新改訳聖書 

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