たまご

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「たまご」は日本人の大好きな食材です。「たまご」といえば、小学校の運動会で食べた茹で卵や遠足のお弁当に入っていた卵焼きなど、特別な行事と一緒に思い返されます。

日本人に好まれる「たまご」ですが、外国人旅行者が日本の「厚焼き玉子」に喜ぶところを見ると、「あれ?」と思ってしまいます。実は「厚焼き玉子とか目玉焼き」は日本特有の卵料理だったのです。「厚焼き玉子」が造られたのはかなり古く、江戸時代には「厚焼き玉子用の鍋」があったそうです。というわけで、「厚焼き玉子や目玉焼き」は日本の味なのですね。

しかし、イスラエルでも「たまご」は好まれる食材で、以前は日本と消費量を競ったことがあるほどだそうです。有名な中東の朝ごはん「シャクシュカ」は人参、玉ねぎ、にんにくをペーコンと炒めてトマトケチャップで味付け、そこに卵を落として蓋をし、弱火で仕上げた「たまご料理」です。

でも、たまご好きのイスラエル人もさすがに「生たまご」は食べないところを見ると、たまご好きは日本人のなかでほうに軍配(?)が上がるようです。

聖書と鶏のたまご

古代イスラエルで、現代のような「鶏のたまご」が食べられたかは聖書からみることができません。

十字架の直前にペテロが三度主イエスを否定したとき、「にわとり」が鳴いて刻を告げたことは有名です。(ルカ22:60)ここでは「時を告げる鳥」として鶏が飼われていたことがわかります。

聖書学者はイスラエルでは鶏ははじめ「闘鶏」として飼われた「ペルシャ鳥」ではないかと考えています。(「新聖書大辞典」より) 

聖書の「たまご」はうずら等野鳥のたまごのことです。人々は食用にするために岩場にある鳥の巣からたまごを集めたのです。(「うすら」については聖書の食べ物019「うずら」をご覧ください)

聖書のたまご

申命記22:6には野鳥のたまごをとるときに注意すべきことが語られています。

「道端の木の上または地面に鳥の巣を見つけ、その中に雛か卵があって、母鳥がその雛か卵を抱いているときは、母鳥をその母鳥の産んだものと共に取ってはならない。」 申命記22:6 新共同訳聖書

たまごをとる時、巣に雛がいたり、母鳥がたまごを抱いていたら、母鳥も雛もたまごも獲ることは禁止されたのです。

たまごを抱いている母鳥を獲ってしまえば、雛もたまごも死んでしまいます。それだけではなく、孵化されつつあるたまごを獲ることも禁止されています。野鳥のたまごを獲って食べることは許されても、「いのちへの慈しみ」を忘れてはならないと教えられたのでしょう。

「たまご」は、当然何のたまごでも食べられるものではありません。

イザヤ書には「蝮のたまご」を食べることについて警告があります。

「彼らはまむしの卵をかえし、くもの巣を織る。その卵を食べる者は死に、卵をつぶすと、毒蛇がとび出す。」 イザヤ59:5 新改訳聖書

蝮のたまごを食べる者は死ぬ、その卵をつぶせば蝮の子が飛び出すというのです。孵化途中の蝮のたまごを食べるという「ありえないこと」の喩えでしょうか。それとも密かに「蛇のたまご」を食べる習慣があったのでしょうか。

ユダヤ教の教えによれば、「聖別され穴を開けた鳥のたまご」は食べることができるとされているそうです。

現代は、養鶏場で狭いゲージのなかでたまごが「生産」されています。増加する人間の食を守るために、やむを得ない飼育法だと思います。美味しいたまご料理をいただきながら、聖書の教える「いのちへの慈しみ」を忘れてはいけないのだと思います。

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