ヨハネによる福音書1章11節

ヨハネによる福音書
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Ⅰ 日本語訳聖書 Jn.1:11

【明治元訳】 
Jn.1:11 かれ己の國に來しに其民これを接ざりき

【大正文語訳】 
Jn.1:11 かれは己の國にきたりしに、己の民は之を受けざりき。

【口語訳】 
Jn.1:11 彼は自分のところにきたのに、自分の民は彼を受けいれなかった。

Ⅱ 英語訳聖書  Jn.1:11

New King James Version 
1:11 He came to His own, and His own did not receive Him.

American Standard Version
1:11 He came unto his own, and they that were his own received him not.

Bible in Basic English
1:11 He came to the things which were his and his people did not take him to their hearts.

Today’s English Version
1:11 He came to his own country, but his own people did not receive him.

Darby’s English Translation
1:11 He came to his own, and his own received him not;

Douay Rheims
1:11 He came unto his own, and his own received him not.

Noah Webster Bible
1:11 He came to his own, and his own received him not.

Weymouth New Testament
1:11 He came to the things that were His own, and His own people gave Him no welcome.

World English Bible
1:11 He came to his own, and those who were his own didn’t receive him.

Young’s Literal Translation
1:11 to his own things he came, and his own people did not receive him;

Ⅲ ギリシャ語聖書 Jn.1:11

Stephens 1550 Textus Receptus
εις τα ιδια ηλθεν και οι ιδιοι αυτον ου παρελαβον

Scrivener 1894 Textus Receptus
εις τα ιδια ηλθεν και οι ιδιοι αυτον ου παρελαβον

Byzantine Majority
εις τα ιδια ηλθεν και οι ιδιοι αυτον ου παρελαβον

Alexandrian
εις τα ιδια ηλθεν και οι ιδιοι αυτον ου παρελαβον

Hort and Westcott
εις τα ιδια ηλθεν και οι ιδιοι αυτον ου παρελαβον

Ⅳ ギリシャ語聖書 Interlinear

ヨハネ1:11 

εἰς τὰ ἴδια ἦλθεν, καὶ οἱ ἴδιοι αὐτὸν οὐ παρέλαβον.

口語訳聖書

彼は自分のところにきたのに、自分の民は彼を受けいれなかった。

εἰς   τὰ ἴδια          ἦλθεν,   καὶ   οἱ ἴδιοι         αὐτὸν   οὐ παρέλαβον.
To   his own thing  he came,  and  his own people  him     received not.

Ⅴ ギリシャ語聖書 品詞色分け

Jn.1:11

εἰς τὰ ἴδια ἦλθεν, καὶ οἱ ἴδιοι αὐτὸν οὐ παρέλαβον.

Ⅵ ラテン語聖書 Jn.1:11

Latin Vulgate

Jn.1:11 

In propria venit, et sui eum non receperunt.
He went to his own, and his own did not accept him.

Ⅶ 私訳(詳訳)Jn.1:11

私訳 「言〔ロゴス〕は、自分の民のところへ<中へ>来たが、〔彼の〕民は言〔ロゴス〕を受け入れなかった<共にしなかった、引き受けなかった」

Ⅷ 聖書引照 Jn.1:11

Jn.1:11 彼は自分のところにきたのに、自分の民は彼を受けいれなかった。

[彼は自分のところにきたのに]  マタ15:24  使徒3:25,26; 13:26,46  ロマ9:1,5; 15:8  ガラ4:4
[自分の民は彼を受けいれなかった]  ヨハ3:32  イザ53:2,3  ルカ19:14; 20:13-15  使徒7:51,52

Ⅸ 新約聖書ギリシャ語語句研究

ヨハネ1:11 

εἰς τὰ ἴδια ἦλθεν, καὶ οἱ ἴδιοι αὐτὸν οὐ παρέλαβον.

口語訳聖書

彼は自分のところにきたのに、自分の民は彼を受けいれなかった。

[〔言は〕自分の民の]  ἴδια ἴδιος  イディオス  idios {id‘-ee-os}  G2398 (ap-an-p 形容詞・対中複  

1)自らの、自分自身の 3)自分に属する、私有の、自分の所有の、私の、私的な、個人的な 3)特有の、固有の、専有の、本来の、独特の 4)各自に、個々に、別々に、個人的に 5)ひそかに

マタ9:1; 22:5;  ルカ6:41; 10:34;  ヨハ1:11; 4:44; 5:43; 7:18; 8:44; 10:3,12; 13:1; 15:19; 16:32; 19:27; etc.

[ところへ]  εἰς  εἰς エイス  eis {ice}  (pa 前置詞・対) G1519 

1)~の中へ 2)~へ 3)~まで 4)~のために 5)~に対して 6)~に向かって 7)~を目標にして 8)の間に

[来たが]  ἦλθεν ἔρχομαι エルこマイ  erchomai {er‘-khom-ahee}  G2064 (viaa–3s 動詞・直アオ能3単) 

1)来る、やってくる、~しにやってくる 2)近づく、臨む、達する 3)着く、到着する 4)現れる 5)上がる、下る

[しかし]  καί  καί カイ kai {kahee}  G2532 (ch 接続詞・完)

1)~と、~も、そして 2)~さえ、でさえも 3)しかし 4)しかも、それは 5)それでは、それだのに 6)そうすれば、すなわち 7)のみならず、もまた

[自分の民は]  ἴδιοι ἴδιος  イディオス  idios {id‘-ee-os}  G2398 (ap-nm-p 形容詞・主男複)

1)自らの、自分自身の 3)自分に属する、私有の、自分の所有の、私の、私的な、個人的な 3)特有の、固有の、専有の、本来の、独特の 4)各自に、個々に、別々に、個人的に 5)ひそかに

マタ9:1; 22:5;  ルカ6:41; 10:34;  ヨハ1:11; 4:44; 5:43; 7:18; 8:44; 10:3,12; 13:1; 15:19; 16:32; 19:27; etc.

[彼を]  αὐτὸν  αὐτός  アウトス autos {ow-tos‘}  G846 (npam3s 代名詞・対男3)

1)彼、彼女、それ(三人称の代名詞) 2)自身で、自分から、自分として(強調用法) 3)同じ同一の 4)まさに、ちょうど

[受け入れ]  παρέλαβον παραλαμβάνω  パラらムバノー  paralambanō {par-al-am-ban‘-o}  G3880 (viaa–3p 動詞・直アオ能3複)

< παρά  傍らに + λαμβάνω  掴む

1)受け入れる、引き継ぐ、受け継ぐ、継承する、引き受ける、受け取る、受ける 2)相続する、わがものにする 3)配偶者を受け入れる、みとめる、共に連れて行く 4)連れ出す、連れて行く 5)取り去る、取り上げる

マタ1:20,24; 17:1; 26:37;  マル4:36; 5:40; 7:4;  ルカ9:10;  ヨハ1:11;  Ⅰコリ11:23; 15:1,3;  ガラ1:9,12; ピリ4:9; コロ2:4; 4:17;  Ⅰテサ2:13; 4:1;  Ⅱテサ3:6;  ヘブ12:28; etc.

[なかった]  οὐ  οὐ  ウー ou {oo}  G3756 (qn 不変化詞・否定)  

1)否 2)~ない 3)~でない

Ⅹ 細き聲 聖書研究ノート

ヨハネ1:11 

εἰς τὰ ἴδια ἦλθεν, καὶ οἱ ἴδιοι αὐτὸν οὐ παρέλαβον.

口語訳聖書

彼は自分のところにきたのに、自分の民は彼を受けいれなかった。

 <言は、自分の民のところへ来たが εἰς τὰ ἴδια ἦλθεν>

「自分の民 ἴδιος イディオス」は「自分自身に固有の」の意味であり、「ことば λόγοςに固有の民」である。「ことばλόγος」は「ことばλόγοςによって創られた民」のところに来られた。

 <民は受け入れなかった καὶ οἱ ἴδιοι αὐτὸν οὐ παρέλαβον>

「ことばλόγος」は「ことば λόγοςによって創られた民」のところに来られたが、「ことば λόγοςによって創られた民」は「ことば λόγος」を受け入れなかった。「受け入れるπαραλαμβάνω」は「παρά 傍らに+λαμβάνω掴む」から成るギリシャ語で、「ことばλόγοςによって創られた民」が自らを存在にいたらしめた「ことばλόγος」を掴み取ることをしなかったことをあらわず。それは存在の根源を自ら失う行為を意味している。

Ⅺ 心のデボーション  

「かれは己の國にきたりしに、己の民は之を受けざりき」 ヨハネ1:11 大正文語訳聖書

「彼は自分のところにきたのに、自分の民は彼を受けいれなかった。」 口語訳聖書

 「これを接(うく)」

「自分の民は彼を受けいれなかった」(口語訳聖書)を明治元訳聖書は「其民これを接(うけ)ざりき」として、「受ける」を用いず「接(うけ)ざりき」とする。信仰は「己に來し方(神・御言葉」に接するに始まる。接近は神から来る。

(心のデボーション2741)

† 心のデボーション  

「かれは己の國にきたりしに、己の民は之を受けざりき」 ヨハネ1:11 大正文語訳聖書

「彼は自分のところにきたのに、自分の民は彼を受けいれなかった。」 口語訳聖書

 「存在の根源」

「受け入れる παραλαμβάνω  パラらムバノー」は「παρά  傍らに + λαμβάνω  掴む」から成るギリシャ語で、「ことば λόγοςによって創られた民」が自らを存在にいたらしめた「ことば λόγος」を掴み取ることをしなかったことをあらわず。信仰は自らの存在の根源を神の言葉に見出すことである。人は神のことばから離れて存在の根源を見出すことはできない。信仰は存在の根源を「掴み取る」ことである。

(心のデボーション2750)

Ⅻ 聖書ノート その1

 「時満ちて」

ヨハネ1:11 

εἰς τὰ ἴδια ἦλθεν, καὶ οἱ ἴδιοι αὐτὸν οὐ παρέλαβον.

口語訳聖書

彼は自分のところにきたのに、自分の民は彼を受けいれなかった。

関連聖書 ガラテヤ4:4 ロマ15:8 使徒13:26 マタイ15:24 使徒3:26 使徒13:46 ロマ9:5

Ⅰ 時満ちて

ヨハネ1:11 

εἰς τὰ ἴδια ἦλθεν, καὶ οἱ ἴδιοι αὐτὸν οὐ παρέλαβον.

口語訳聖書

彼は自分のところにきたのに、自分の民は彼を受けいれなかった。

ガラテヤ4:4

ὅτε δὲ ἦλθεν τὸ πλήρωμα τοῦ χρόνου, ἐξαπέστειλεν ὁ θεὸς τὸν υἱὸν αὐτοῦ, γενόμενον ἐκ γυναικός, γενόμενον ὑπὸ νόμον,

口語訳聖書

しかし、時の満ちるに及んで、神は御子を女から生れさせ、律法の下に生れさせて、おつかわしになった。 

ロマ15:8 

λέγω γὰρ χριστὸν διάκονον γεγενῆσθαι περιτομῆς ὑπὲρ ἀληθείας θεοῦ, εἰς τὸ βεβαιῶσαι τὰς ἐπαγγελίας τῶν πατέρων,

口語訳聖書

わたしは言う、キリストは神の真実を明らかにするために、割礼のある者の僕となられた。それは父祖たちの受けた約束を保証すると共に、

使徒13:26 

ἄνδρες ἀδελφοί, υἱοὶ γένους ἀβραὰμ καὶ οἱ ἐν ὑμῖν φοβούμενοι τὸν θεόν, ἡμῖν ὁ λόγος τῆς σωτηρίας ταύτης ἐξαπεστάλη.

口語訳聖書

兄弟たち、アブラハム(᾽Αβραάμ)の子孫のかたがた、ならびに皆さんの中の神を敬う人たちよ。この救の言葉はわたしたちに送られたのである。

「時満ちて」、「ロゴス λόγος(ことば)」、すなわち神の御子イエス・キリストは「自分の民のところへ来た」(ガラテヤ4:4 新共同訳聖書)。御子イエス・キリストは「アブラハムの子孫」の中に(使徒13:26)、「割礼ある者たちに仕える者となられた」(ロマ15:8 新共同訳聖書)。それは「先祖たちに対する約束を確証され」、「神の真実を現すため」(ロマ15:8 新共同訳聖書)であった。

Ⅱ イスラエルの失われた羊

マタイ15:24

ὁ δὲ ἀποκριθεὶς εἶπεν, οὐκ ἀπεστάλην εἰ μὴ εἰς τὰ πρόβατα τὰ ἀπολωλότα οἴκου ἰσραήλ.

口語訳聖書

するとイエスは答えて言われた、「わたしは、イスラエルの家の失われた羊以外の者には、つかわされて「ロゴス λόγος(ことば)」が遣わされたのは「イスラエルの家の失われた羊のところ」であった。(マタイ15:24 新共同訳聖書) 「失われた羊 τὰ πρόβατα τὰ ἀπολωλότα」は、「ἀπόλλυμι(ἀπό完全に+ὄλλυμι滅ぼす)」の意。「失われた羊」はマタイ18:10-14 の「迷い出た羊」のことである。群れから迷い出た羊は自分では草を探すことができず、やがて野獣の餌食になるばかりの「完全に滅びる」しかない。イエスはイスラエルの「失われた羊」のために遣わされた。

Ⅲ 祝福のために

使徒3:26 

ὑμῖν πρῶτον ἀναστήσας ὁ θεὸς τὸν παῖδα αὐτοῦ ἀπέστειλεν αὐτὸν εὐλογοῦντα ὑμᾶς ἐν τῶ ἀποστρέφειν ἕκαστον ἀπὸ τῶν πονηριῶν ὑμῶν.

口語訳聖書

神がまずあなたがたのために、その僕を立てて、おつかわしになったのは、あなたがたひとりびとりを、悪から立ちかえらせて、祝福にあずからせるためなのである」。

神が「時満ちて」、御子イエス・キリストをイスラエルの家の失われた羊のもとに遣わされたのは、「一人一人を悪から離れさせ、その祝福にあずからせるため」(使徒3:26 新共同訳聖書)であった。

Ⅳ 拒絶

使徒13:46 

παρρησιασάμενοί τε ὁ παῦλος καὶ ὁ βαρναβᾶς εἶπαν, ὑμῖν ἦν ἀναγκαῖον πρῶτον λαληθῆναι τὸν λόγον τοῦ θεοῦ· ἐπειδὴ ἀπωθεῖσθε αὐτὸν καὶ οὐκ ἀξίους κρίνετε ἑαυτοὺς τῆς αἰωνίου ζωῆς, ἰδοὺ στρεφόμεθα εἰς τὰ ἔθνη.

口語訳聖書

パウロとバルナバとは大胆に語った、「神の言は、まず、あなたがたに語り伝えられなければならなかった。しかし、あなたがたはそれを退け、自分自身を永遠の命にふさわしからぬ者にしてしまったから、さあ、わたしたちはこれから方向をかえて、異邦人たちの方に行くのだ。

ロマ9:5

δι᾽ οὖ ἐλάβομεν χάριν καὶ ἀποστολὴν εἰς ὑπακοὴν πίστεως ἐν πᾶσιν τοῖς ἔθνεσιν ὑπὲρ τοῦ ὀνόματος αὐτοῦ,

口語訳聖書

また父祖たちも彼らのものであり、肉によればキリストもまた彼らから出られたのである。万物の上にいます神は、永遠にほむべきかな、アァメン。 

しかし、イスラエルの失われた羊は、神の遣わされた「ロゴスλόγος(ことば)」を拒絶した。それによって民は「自分自身を永遠の命を得るに値しない者」にした。(使徒13:46) これによって「ロゴスλόγος」は「世の失われた羊」に遣わされ、神の時は満ちた。

聖書ノート その2

 「民は受け入れなかった」

ヨハネ1:11 

εἰς τὰ ἴδια ἦλθεν, καὶ οἱ ἴδιοι αὐτὸν οὐ παρέλαβον.

口語訳聖書

彼は自分のところにきたのに、自分の民は彼を受けいれなかった。

関連聖書 ルカ20:13~15 使徒7:51~52 マタイ12:31 イザヤ53:2 ルカ19:14

Ⅰ ぶどう園のたとえ

ヨハネ1:11 

εἰς τὰ ἴδια ἦλθεν, καὶ οἱ ἴδιοι αὐτὸν οὐ παρέλαβον.

新共同訳聖書

言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった。

ルカ20:13-15 

εἶπεν δὲ ὁ κύριος τοῦ ἀμπελῶνος, τί ποιήσω; πέμψω τὸν υἱόν μου τὸν ἀγαπητόν· ἴσως τοῦτον ἐντραπήσονται.ἰδόντες δὲ αὐτὸν οἱ γεωργοὶ διελογίζοντο πρὸς ἀλλήλους λέγοντες, οὖτός ἐστιν ὁ κληρονόμος· ἀποκτείνωμεν αὐτόν, ἵνα ἡμῶν γένηται ἡ κληρονομία.καὶ ἐκβαλόντες αὐτὸν ἔξω τοῦ ἀμπελῶνος ἀπέκτειναν. τί οὗν ποιήσει αὐτοῖς ὁ κύριος τοῦ ἀμπελῶνος;

口語訳聖書

ぶどう園の主人は言った、『どうしようか。そうだ、わたしの愛子をつかわそう。これなら、たぶん敬ってくれるだろう』。 ところが、農夫たちは彼を見ると、『あれはあと取りだ。あれを殺してしまおう。そうしたら、その財産はわれわれのものになるのだ』と互に話し合い、 彼をぶどう園の外に追い出して殺した。そのさい、ぶどう園の主人は、彼らをどうするだろうか。 

「時満ちて」、「ロゴスλόγος(ことば)」、すなわち神の御子イエス・キリストは「自分の民のところへ来た」(ガラテヤ4:4 新共同訳聖書)。しかし、神の民は神の「ロゴスλόγος(ことば)」を受け入れなかった。主イエス・キリストは「ぶどう園の譬え」を話されている。主人がぶどう園を農夫たちに貸して長い旅に出たが、戻ってくると貸したぶどう園を返すように促すが、農夫たちは派遣された僕らを袋叩きにして追い返した。遂に主人は自分の息子を遣わすが農夫たちはこれを捕らえて殺してしまった。(ルカ20:9-18) 「ぶどう園の主人は不忠な農夫たちをどうするだろうか?」とイエスは民に尋ねている。

Ⅱ 聖霊に逆らう

使徒7:51-52 

σκληροτράχηλοι καὶ ἀπερίτμητοι καρδίαις καὶ τοῖς ὠσίν, ὑμεῖς ἀεὶ τῶ πνεύματι τῶ ἁγίῳ ἀντιπίπτετε, ὡς οἱ πατέρες ὑμῶν καὶ ὑμεῖς.τίνα τῶν προφητῶν οὐκ ἐδίωξαν οἱ πατέρες ὑμῶν; καὶ ἀπέκτειναν τοὺς προκαταγγείλαντας περὶ τῆς ἐλεύσεως τοῦ δικαίου οὖ νῦν ὑμεῖς προδόται καὶ φονεῖς ἐγένεσθε,

口語訳聖書

ああ、強情で、心にも耳にも割礼のない人たちよ。あなたがたは、いつも聖霊に逆らっている。それは、あなたがたの先祖たちと同じである。 いったい、あなたがたの先祖が迫害しなかった預言者が、ひとりでもいたか。彼らは正しいかたの来ることを予告した人たちを殺し、今やあなたがたは、その正しいかたを裏切る者、また殺す者となった。 

心をかたくなにして「ロゴスλόγος(ことば)」を受け入れない者は、「心と耳に割礼を受けていない人たち(聞く耳をもたない人)」で、「聖霊に逆らう」のである。(使徒7:51 Ⅱコリント13:8) 

マタイ12:31  

Διὰ τοῦτο λέγω ὑμῖν, πᾶσα ἁμαρτία καὶ βλασφημία ἀφεθήσεται τοῖς ἀνθρώποις, ἡ δὲ τοῦ πνεύματος βλασφημία οὐκ ἀφεθήσεται.

口語訳聖書

だから、あなたがたに言っておく。人には、その犯すすべての罪も神を汚す言葉も、ゆるされる。しかし、聖霊を汚す言葉は、ゆるされることはない。

Ⅲ 受難の僕

イザヤ53:2-3 

וַיַּ֨עַל כַּיּוֹנֵ֜ק לְפָנָ֗יו וְכַשֹּׁ֙רֶשׁ֙ מֵאֶ֣רֶץ צִיָּ֔ה לֹא־תֹ֥אַר ל֖וֹ וְלֹ֣א הָדָ֑ר וְנִרְאֵ֥הוּ וְלֹֽא־מַרְאֶ֖ה וְנֶחְמְדֵֽהוּ
נִבְזֶה֙ וַחֲדַ֣ל אִישִׁ֔ים אִ֥ישׁ מַכְאֹב֖וֹת וִיד֣וּעַ חֹ֑לִי וּכְמַסְתֵּ֤ר פָּנִים֙ מִמֶּ֔נּוּ נִבְזֶ֖ה וְלֹ֥א חֲשַׁבְנֻֽהוּ

口語訳聖書

彼は主の前に若木のように、かわいた土から出る根のように育った。彼にはわれわれの見るべき姿がなく、威厳もなく、われわれの慕うべき美しさもない。彼は侮られて人に捨てられ、悲しみの人で、病を知っていた。また顔をおおって忌みきらわれる者のように、彼は侮られた。われわれも彼を尊ばなかった。

ルカ19:14 

οἱ δὲ πολῖται αὐτοῦ ἐμίσουν αὐτόν, καὶ ἀπέστειλαν πρεσβείαν ὀπίσω αὐτοῦ λέγοντες, οὐ θέλομεν τοῦτον βασιλεῦσαι ἐφ᾽ ἡμᾶς.

口語訳聖書

ところが、本国の住民は彼を憎んでいたので、あとから使者をおくって、『この人が王になるのをわれわれは望んでいない』と言わせた。

預言者イザヤは、遣わされた「ロゴスλόγος(イエス・キリスト)」が、「見るべき面影はなく/輝かしい風格も、好ましい容姿もない。彼は軽蔑され、人々に見捨てられ/多くの痛みを負い、病を知っている。彼はわたしたちに顔を隠し/わたしたちは彼を軽蔑し、無視していた。」と十字架の受難を預言した。神の民は、神の遣わされた御子を「私たちの王にはなってもらいたくありません」(ルカ19:14  新共同訳聖書)と「ロゴスλόγος(イエス・キリスト)」を拒んだのである。

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