ヨハネによる福音書1章9節

ヨハネによる福音書
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Ⅰ 日本語訳聖書 Jn.1:9

【明治元訳】
Jn.1:9 夫(それ)すべての人を照す眞(まこと)の光は世に來れり

【大正文語訳】
Jn.1:9 もろもろの人をてらす眞の光ありて、世にきたれり。

【口語訳】
Jn.1:9 すべての人を照すまことの光があって、世にきた。

Ⅱ 英語訳聖書  Jn.1:9

King James Version
1:9 [That] was the true Light, which lighteth every man that cometh into the world.

New King James Version
1:9 That was the true Light which gives light to every man coming into the world.

American Standard Version
1:9 There was the true light, even the light which lighteth every man, coming into the world.

Bible in Basic English
1:9 The true light, which gives light to every man, was then coming into the world.

Today’s English Version
1:9 This was the real light-the light that comes into the world and shines on all people.

Darby’s English Translation
1:9 The true light was that which, coming into the world, lightens every man.

Douay Rheims
1:9 That was the true light, which enlighteneth every man that cometh into this world.

Noah Webster Bible
1:9 That was the true Light, which lighteth every man that cometh into the world.

Weymouth New Testament
1:9 The true Light was that which illumines every man by its coming into the world.

World English Bible
1:9 The true light that enlightens everyone was coming into the world.

Young’s Literal Translation
1:9 He was the true Light, which doth enlighten every man, coming to the world;

Ⅲ ギリシャ語聖書 Jn.1:9

Stephens 1550 Textus Receptus
ην το φως το αληθινον ο φωτιζει παντα ανθρωπον ερχομενον εις τον κοσμον

Scrivener 1894 Textus Receptus
ην το φως το αληθινον ο φωτιζει παντα ανθρωπον ερχομενον εις τον κοσμον

Byzantine Majority
ην το φως το αληθινον ο φωτιζει παντα ανθρωπον ερχομενον εις τον κοσμον

Alexandrian
ην το φως το αληθινον ο φωτιζει παντα ανθρωπον ερχομενον εις τον κοσμον

Hort and Westcott
ην το φως το αληθινον ο φωτιζει παντα ανθρωπον ερχομενον εις τον κοσμον

Ⅳ ギリシャ語聖書 Interlinear

ヨハネ1:9

ἦν τὸ φῶς τὸ ἀληθινόν, ὃ φωτίζει πάντα ἄνθρωπον, ἐρχόμενον εἰς τὸν κόσμον.

口語訳聖書

すべての人を照すまことの光があって、世にきた。

ἦν       τὸ   φῶς   τὸ ἀληθινόν,   ὃ    φωτίζει     πάντα  ἄνθρωπον,
It was   the  kight      true,   which  enlightens  every   man.

ἐρχόμενον   εἰς   τὸν    κόσμον.
coming     into   the    world

Ⅴ ギリシャ語聖書 品詞色分け

Jn.1:9

ἦν τὸ φῶς τὸ ἀληθινόν, ὃ φωτίζει πάντα ἄνθρωπον, ἐρχόμενον εἰς τὸν κόσμον.

Ⅵ ラテン語聖書 Jn.1:9

Latin Vulgate
Jn.1:9

Erat lux vera, quæ illuminat omnem hominem venientem in hunc mundum.
The true Light, which illuminates every man, was coming into this world.

Ⅶ 私訳(詳訳)Jn.1:9

私訳 「まことの<真実の、真理にかなった、本当の>光がおられた。すべて<例外なくすべて>の人を照らす、光が〔まさにこの時〕この世に来ようとしていた。

Ⅷ 聖書引照 Jn.1:9

Jn.1:9 すべての人を照すまことの光があって、世にきた。

[Jn.1:9 すべての人を照すまことの光があって、世にきた。]  ヨハ1:4; 4:23; 6:32; 14:6; 15:1;Ⅰヨハ1:8; 2:8; 5:20
[世にきた]  マタ6:23; ヨハ1:7; 7:12; 12:46; イザ8:20; 49:6; Ⅰテサ5:4~7

Ⅸ 新約聖書ギリシャ語語句研究

ヨハネ1:9

ἦν τὸ φῶς τὸ ἀληθινόν, ὃ φωτίζει πάντα ἄνθρωπον, ἐρχόμενον εἰς τὸν κόσμον.

口語訳聖書

すべての人を照すまことの光があって、世にきた。

[まことの]  ἀληθινόν ἀληθινός  アれーてィノㇲ alētheinos {al-ay‘-thi-nos} (a–nn-s形容詞・主中単)

<ἀληθής

①真の、真実の、真理にかなった、本当の、現実の、真正(本物)の、真なる  ヨハ17:3; Ⅰテサ1:9; Ⅰヨハ5:20ヘブ 8:2;9:24;、②誠実な、正直な、頼りになる ヘブ10:22; 黙示6:10; 19:9 ③完全な、欠点のない ルカ16:11; ヨハ1:9; 4:37;

[光が]  φῶς  φῶς  ふォース phōs {foce}  G5457 (n-nn-s 名詞・主中単)

①光、発光体 ②あかり、火、灯火 ③昼の光、日の出、光、発光体、天体 ④眼の光、心、理性、理解力

マタ4:16; 5:14,16; 6:23; 17:2;  ルカ2:32; 8:16; 11:35; 16:8 etc.

[あった]  ἦν εἰμί エイミ  eimi {i-mee‘}  G1510 (viia–3s/viia–3s+ 動詞・直未完能3単)

①ある、いる、~である、~です、~だ ②行われる、おこる、生ずる、現れる、来る ③いる、滞在する、とどまる ④存在する ⑤生きている

[その〔光は〕]    ὅς  ホス  hos {hos} (aprnn-s 関代・主中単)

①この~ ②これ 3)ところの、そして

[世]  κόσμον κόσμος  コスモス  kosmos {kos‘-mos }  G2889 (n-am-s 名詞・対男単)

①秩序ある世界、整然としていること、折り目正しさ、慎み深い、まっとうな ②政治 ③飾り、美しさ、名誉、栄光 ④宇宙、天空、星 ⑤世界、この世

マタ4:8; 5:14; 18:7; 24:21; 25:34;  ルカ11:50; 12:30;  ヨハ1:9,10,29; 3:16,17,19; 4:42; 6:14,33,51; 7:4,7; 8:12,23,26;

[に]  εἰς  εἰς エイス  eis {ice}  G1519 (pa 前置詞・対)

①~の中へ ②~へ ③~まで ④~のために ⑤~に対して ⑥~に向かって ⑦~を目標にして ⑧の間に

[来て]  ἐρχόμενον ἔρχομαι エルこマイ  erchomai {er‘-khom-ahee}  G2064 (vppnam-s/+vppnnn-s 分詞・現能欠対男単/主中)

①来る、やってくる、~しにやってくる ②近づく、臨む、達する ③着く、到着する ④現れる ⑤上がる、下る

[すべての]  πάντα πᾶς パース pas {pas}  G3956 (a–am-s 形容詞・対)

①どれでも、何であれ、何でも、あらゆる、みな  ②~全部の、あらんかぎりの、1つも欠けが無い、ひとり残らず ③全体の、全部の、すべて ④混じりものがなく、純粋な

πᾶσαι  パーサイ 「πᾶς どれでも、全体の」の複数形

[人を]  ἄνθρωπον ἄνθρωπος  アンとローポス anthrōpos {anth‘-ro-pos}  G444 (n-am-s 名詞・対男)

< ἄνήρ  人 +ὤψ  顔

①人間、人、人類 ②男、夫 ③ある人、或る者、この人

[照らすのである]   φωτίζει Φωτίζω ふォーティゾー phōtizō {fo-tid‘-zo}   G5461 (vipa–3s 動詞・直現能3単)

①ひかる 光を与える、光を発する、輝く、輝る ②照らす、光を投げかける、明るくする ③明るみに出す、明らかにする、知識を与える

Ⅹ 細き聲 聖書研究ノート

ヨハネ1:9

ἦν τὸ φῶς τὸ ἀληθινόν, ὃ φωτίζει πάντα ἄνθρωπον, ἐρχόμενον εἰς τὸν κόσμον.

口語訳聖書

すべての人を照すまことの光があって、世にきた。

 <すべての人を照す ὃ φωτίζει πάντα ἄνθρωπον>

この来たらんとする「光」は「すべての人を照らす光」であった。「すべての人 πᾶς」は「例外なく一人残らず」である。イエスは、国を選ばず、人種によらず、すべての人間を照らす「まことの光」である。

 <まことの光があってὃ φωτίζει πάντα ἄνθρωπον,>

「まことの光 τὸ φῶς τὸ ἀληθινόν」は「真の、真実の、真理にかなった、本当の、現実の、真正(本物)の、真なる光」である。「物事の真理を明らかにする(照らす)光」である。

「あった ν」はεἰμίの直説法・未完了・能動態で、動作、行為が過去において進行しつつある状態をあらわす。創造のはじめにまことの光は神の内にあって闇の中に輝き、創造された天と地を照らしつづけていた。

 <世にきたἐρχόμενον εἰς τὸν κόσμον>

「世に来てἐρχόμενον」は ἔρχομαι の現在分詞であり、「世を照らす神の光」がまさにその時、世に来ようとしていたことをあらす。この「すべての人を照らす真の光であるイエスが、まさにこの時、世にこられようとしていることを示す。

永井直治訳「すべての人を照らす光、眞なる者は世に來りつつありき」

Ⅺ 心のデボーション

「もろもろの人をてらす眞の光ありて、世にきたれり。」 ヨハネ1:9 大正文語訳聖書

「すべての人を照すまことの光があって、世にきた。」 口語訳聖書

 「七味唐辛子」

「一味 いちみ」という言葉は悪事をたくらむ仲間の意味に用いられる。しかし、元々は、仏教では河が海に入ると「一つの味」に混ざるように、男女・貴賤のない世の中を意味したそうである。良い意味をもつ言葉も時を経ると悪しき意味に傾くのだろうか。「一味唐辛子」のように一つの味の世の中よりも、「七味唐辛子」の方が良いように思える。

(心のデボーション2368)

† 心のデボーション

「もろもろの人をてらす眞の光ありて、世にきたれり。」 ヨハネ1:9 大正文語訳聖書

「すべての人を照すまことの光があって、世にきた。」 口語訳聖書

 「こぼれ出た光」

イエスは「あなたがたは世の光です」と教えられた。(マタイ5:14) ユダヤの町は小高い丘の上に建てられた。それぞれの家は、夜は土皿の油を灯してあかりとした。丘の上の家の隙間から微かな光がこぼれてそこに家があることが知れた。「世の光」とはこの微かなこぼれ出た光である。自分を照らす光が外にこぼれでて世を照らすのである。

(心のデボーション2701)

Ⅻ 聖書ノート その1

 「アれーてィノㇲ まことの光」

ヨハネ1:9

ἦν τὸ φῶς τὸ ἀληθινόν, ὃ φωτίζει πάντα ἄνθρωπον, ἐρχόμενον εἰς τὸν κόσμον.

口語訳聖書

すべての人を照すまことの光があって、世にきた。

関連聖書 Ⅰヨハネ2:8 黙示3:7 黙示3:14 黙示6:10 黙示21:5 ヨハネ15:1 ヨハネ6:32 ヨハネ17:3 Ⅰヨハネ5:20 ヨハネ4:23 Ⅰテサロニケ1:9,10 Ⅰヨハネ5:20 Ⅰヨハネ1:8

Ⅰ 用語 「まことの光」

 「まことの光があった  ἦν τὸ φῶς τὸ ἀληθινόν」。

ἀληθινός  アれーてィノㇲ alētheinos {al-ay‘-thi-nos}

<ἀληθής

①真の、真実の、真理にかなった、本当の、現実の、真正(本物)の、真なる  ヨハ17:3; Ⅰテサ1:9; Ⅰヨハ5:20ヘブ 8:2;9:24;、②誠実な、正直な、頼りになる ヘブ10:22; 黙示6:10; 19:9 ③完全な、欠点のない ルカ16:11; ヨハ1:9; 4:37;

はじめにことばがあり、ことばは神と共にあり、ことばは神であった。(ヨハネ1:1) ことばにいのちがあり、いのちは人の光であった。(ヨハネ1:4 )はじめに人を照らす「まことの光 τὸ φῶς τὸ ἀληθινόν」が世にこようとしていた。(ヨハネ1:9)

Ⅱ 新しい戒め

ヨハネ1:9

ἦν τὸ φῶς τὸ ἀληθινόν, ὃ φωτίζει πάντα ἄνθρωπον, ἐρχόμενον εἰς τὸν κόσμον.

口語訳聖書

すべての人を照すまことの光があって、世にきた。

Ⅰヨハネ2:8

πάλιν ἐντολὴν καινὴν γράφω ὑμῖν, ὅ ἐστιν ἀληθὲς ἐν αὐτῶ καὶ ἐν ὑμῖν, ὅτι ἡ σκοτία παράγεται καὶ τὸ φῶς τὸ ἀληθινὸν ἤδη φαίνει.

口語訳聖書

しかも、新しい戒めを、あなたがたに書きおくるのである。そして、それは、彼にとってもあなたがたにとっても、真理なのである。なぜなら、やみは過ぎ去り、まことの光がすでに輝いているからである。

黙示3:7

καὶ τῶ ἀγγέλῳ τῆς ἐν φιλαδελφείᾳ ἐκκλησίας γράψον· τάδε λέγει ὁ ἅγιος, ὁ ἀληθινός, ὁ ἔχων τὴν κλεῖν δαυίδ, ὁ ἀνοίγων καὶ οὐδεὶς κλείσει, καὶ κλείων καὶ οὐδεὶς ἀνοίγει·

口語訳聖書

ヒラデルヒヤにある教会の御使に、こう書きおくりなさい。『聖なる者、まことなる者、ダビデのかぎを持つ者、開けばだれにも閉じられることがなく、閉じればだれにも開かれることのない者が、次のように言われる。

黙示3:14

καὶ τῶ ἀγγέλῳ τῆς ἐν λαοδικείᾳ ἐκκλησίας γράψον· τάδε λέγει ὁ ἀμήν, ὁ μάρτυς ὁ πιστὸς καὶ ἀληθινός, ἡ ἀρχὴ τῆς κτίσεως τοῦ θεοῦ·

聖書協会共同訳聖書

ラオディキアにある教会の天使に、こう書き送れ。『アーメンである方、忠実で真実な証人、神に造られたものの源である方が、こう言われる。

黙示6:10

καὶ ἔκραξαν φωνῇ μεγάλῃ λέγοντες, ἕως πότε, ὁ δεσπότης ὁ ἅγιος καὶ ἀληθινός, οὐ κρίνεις καὶ ἐκδικεῖς τὸ αἷμα ἡμῶν ἐκ τῶν κατοικούντων ἐπὶ τῆς γῆς;

口語訳聖書

彼らは大声で叫んで言った、「聖なる、まことなる主よ。いつまであなたは、さばくことをなさらず、また地に住む者に対して、わたしたちの血の報復をなさらないのですか」。

黙示21:5

καὶ εἶπεν ὁ καθήμενος ἐπὶ τῶ θρόνῳ, ἰδοὺ καινὰ ποιῶ πάντα. καὶ λέγει, γράψον, ὅτι οὖτοι οἱ λόγοι πιστοὶ καὶ ἀληθινοί εἰσιν.

口語訳聖書

すると、御座にいますかたが言われた、「見よ、わたしはすべてのものを新たにする」。また言われた、「書きしるせ。これらの言葉は、信ずべきであり、まことである」。

「まことの光 τὸ φῶς τὸ ἀληθινὸν」が輝き人を照らすと、闇は過ぎ去り、「新しい戒め」(Ⅰヨハネ2:8)がもたらされる。ヨハネ黙示録では御使いは「聖なる方、真実な方(ὁ ἀληθινός)/ダビデの鍵を持つ方/この方が開けると、誰も閉じることがなく/閉じると、誰も開けることがない方のことば」を地にある教会に伝える。(黙示3:1) 「アーメンである方、忠実で真実な証人、神に造られたものの源である方」が照らすのは人間の真実(ἀληθινὸν)であり、ばんぶつを新しくする真実の(ἀληθινοί)新しい戒めのことばである。

Ⅲ いのち

ヨハネ15:1

ἐγώ εἰμι ἡ ἄμπελος ἡ ἀληθινή, καὶ ὁ πατήρ μου ὁ γεωργός ἐστιν.

口語訳聖書

わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。

ヨハネ6:32

εἶπεν οὗν αὐτοῖς ὁ ἰησοῦς, ἀμὴν ἀμὴν λέγω ὑμῖν, οὐ μωϊσῆς δέδωκεν ὑμῖν τὸν ἄρτον ἐκ τοῦ οὐρανοῦ, ἀλλ᾽ ὁ πατήρ μου δίδωσιν ὑμῖν τὸν ἄρτον ἐκ τοῦ οὐρανοῦ τὸν ἀληθινόν·

口語訳聖書

そこでイエスは彼らに言われた、「よくよく言っておく。天からのパンをあなたがたに与えたのは、モーセではない。天からのまことのパンをあなたがたに与えるのは、わたしの父なのである。

ヨハネ14:6

λέγει αὐτῶ [ὁ] ἰησοῦς, ἐγώ εἰμι ἡ ὁδὸς καὶ ἡ ἀλήθεια καὶ ἡ ζωή· οὐδεὶς ἔρχεται πρὸς τὸν πατέρα εἰ μὴ δι᾽ ἐμοῦ.

口語訳聖書

イエスは彼に言われた、「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。

ヨハネ17:3

αὕτη δέ ἐστιν ἡ αἰώνιος ζωή, ἵνα γινώσκωσιν σὲ τὸν μόνον ἀληθινὸν θεὸν καὶ ὃν ἀπέστειλας ἰησοῦν χριστόν.

口語訳聖書

永遠の命とは、唯一の、まことの神でいますあなたと、また、あなたがつかわされたイエス・キリストとを知ることであります。

イエスは「私はまことの(ἀληθινή)ぶどうの木、私の父は農夫である。あなたがたはその枝である」と語られ、「私の父が天からのまことのパン(τοῦ οὐρανοῦ τὸν ἀληθινόν)となられた。(ヨハネ6:32) 「まことの光 τὸ φῶς τὸ ἀληθινὸν」により、人は神のいのちとつながり、いのちの糧を与えられ、永遠の神のいのちを生きる者となる。(ヨハネ6:33) 「永遠のいのちとは唯一のまことの神(τὸν μόνον ἀληθινὸν θεὸν)であられるあなたと、あなたのお遣わしになったイエス・キリストを知ることです。」(ヨハネ17:3) イエス・キリストは「道であり、真理(ἡ ἀλήθεια)であり、命である」 この方によらずに父なる真実の(ἀληθινὸν)神に行くことはできない。

Ⅳ 霊と真実をもって

Ⅰヨハネ5:20

οἴδαμεν δὲ ὅτι ὁ υἱὸς τοῦ θεοῦ ἥκει, καὶ δέδωκεν ἡμῖν διάνοιαν ἵνα γινώσκωμεν τὸν ἀληθινόν· καὶ ἐσμὲν ἐν τῶ ἀληθινῶ, ἐν τῶ υἱῶ αὐτοῦ ἰησοῦ χριστῶ. οὖτός ἐστιν ὁ ἀληθινὸς θεὸς καὶ ζωὴ αἰώνιος.

口語訳聖書

さらに、神の子がきて、真実なかたを知る知力をわたしたちに授けて下さったことも、知っている。そして、わたしたちは、真実なかたにおり、御子イエス・キリストにおるのである。このかたは真実な神であり、永遠のいのちである。

ヨハネ4:23

ἀλλὰ ἔρχεται ὥρα, καὶ νῦν ἐστιν, ὅτε οἱ ἀληθινοὶ προσκυνηταὶ προσκυνήσουσιν τῶ πατρὶ ἐν πνεύματι καὶ ἀληθείᾳ· καὶ γὰρ ὁ πατὴρ τοιούτους ζητεῖ τοὺς προσκυνοῦντας αὐτόν.

口語訳聖書

しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊とまこととをもって父を礼拝する時が来る。そうだ、今きている。父は、このような礼拝をする者たちを求めておられるからである。

Ⅰテサロニケ1:9,10

9 αὐτοὶ γὰρ περὶ ἡμῶν ἀπαγγέλλουσιν ὁποίαν εἴσοδον ἔσχομεν πρὸς ὑμᾶς, καὶ πῶς ἐπεστρέψατε πρὸς τὸν θεὸν ἀπὸ τῶν εἰδώλων δουλεύειν θεῶ ζῶντι καὶ ἀληθινῶ,

10 καὶ ἀναμένειν τὸν υἱὸν αὐτοῦ ἐκ τῶν οὐρανῶν, ὃν ἤγειρεν ἐκ [τῶν] νεκρῶν, ἰησοῦν τὸν ῥυόμενον ἡμᾶς ἐκ τῆς ὀργῆς τῆς ἐρχομένης.

口語訳聖書

わたしたちが、どんなにしてあなたがたの所にはいって行ったか、また、あなたがたが、どんなにして偶像を捨てて神に立ち帰り、生けるまことの神に仕えるようになり、そして、死人の中からよみがえった神の御子、すなわち、わたしたちをきたるべき怒りから救い出して下さるイエスが、天から下ってこられるのを待つようになったかを、彼ら自身が言いひろめているのである。

Ⅰヨハネ5:20

οἴδαμεν δὲ ὅτι ὁ υἱὸς τοῦ θεοῦ ἥκει, καὶ δέδωκεν ἡμῖν διάνοιαν ἵνα γινώσκωμεν τὸν ἀληθινόν· καὶ ἐσμὲν ἐν τῶ ἀληθινῶ, ἐν τῶ υἱῶ αὐτοῦ ἰησοῦ χριστῶ. οὖτός ἐστιν ὁ ἀληθινὸς θεὸς καὶ ζωὴ αἰώνιος.

口語訳聖書

さらに、神の子がきて、真実なかたを知る知力をわたしたちに授けて下さったことも、知っている。そして、わたしたちは、真実なかたにおり、御子イエス・キリストにおるのである。このかたは真実な神であり、永遠のいのちである。

「まことの光 τὸ φῶς τὸ ἀληθινὸν」であるイエス・キリストは人に「真実な方(ὁ ἀληθινὸς θεὸς)を知る力」を与えられる。それによって人は、真実な方の内にあり(ἐσμὲν ἐν τῶ ἀληθινῶ)、御子イエス・キリストの内にあり(ἐν τῶ υἱῶ αὐτοῦ ἰησοῦ χριστῶ)、生けるまことの神(θεῶ ζῶντι καὶ ἀληθινῶ)に仕え、霊と真実をもって(ἐν πνεύματι καὶ ἀληθείᾳ)神を礼拝するのである。(ヨハネ4:23)

 Ⅴ 真実

Ⅰヨハネ1:8

ἐὰν εἴπωμεν ὅτι ἁμαρτίαν οὐκ ἔχομεν, ἑαυτοὺς πλανῶμεν καὶ ἡ ἀλήθεια οὐκ ἔστιν ἐν ἡμῖν.

口語訳聖書

もし、罪がないと言うなら、それは自分を欺くことであって、真理はわたしたちのうちにない。

もし、人が自らに「自分に罪がない」というなら、彼は自分を欺いており、真実(ἡ ἀλήθεια)は彼にない。

聖書ノート その2

 「闇を照らす」

ヨハネ1:9

ἦν τὸ φῶς τὸ ἀληθινόν, ὃ φωτίζει πάντα ἄνθρωπον, ἐρχόμενον εἰς τὸν κόσμον.

口語訳聖書

すべての人を照すまことの光があって、世にきた。

関連聖書 ヨハネ7:12 マタイ6:22~23 Ⅰテサロニケ5:7 ヨハネ1:5 Ⅰペテロ2:9 ヨハネ12:46 Ⅰテサロニケ5:4 Ⅰテサロニ5:5 Ⅰヨハネ1:5~7 イザヤ8:20

Ⅰ すべての人を

ヨハネ1:9

ἦν τὸ φῶς τὸ ἀληθινόν, ὃ φωτίζει πάντα ἄνθρωπον, ἐρχόμενον εἰς τὸν κόσμον.

口語訳聖書

すべての人を照すまことの光があって、世にきた。

「まことの光 τὸ φῶς τὸ ἀληθινόν」があり、世に来ようとしていた。来たらんとする「まことの光 τὸ φῶς τὸ ἀληθινόν」は「全ての人 πάντα ἄνθρωπον」をてらすのである。

「すべての人 πᾶς」は「例外なく一人残らず」である。「まことの光 τὸ φῶς τὸ ἀληθινόν」は、国を選ばず、人種によらず、宗教を問わず、地のすべての人を照らす「まことの光」である。

 Ⅱ 夜の暗闇の子

ヨハネ7:12

καὶ γογγυσμὸς περὶ αὐτοῦ ἦν πολὺς ἐν τοῖς ὄχλοις· οἱ μὲν ἔλεγον ὅτι ἀγαθός ἐστιν, ἄλλοι [δὲ] ἔλεγον, οὔ, ἀλλὰ πλανᾷ τὸν ὄχλον.

口語訳聖書

群衆の中に、イエスについていろいろとうわさが立った。ある人々は、「あれはよい人だ」と言い、他の人々は、「いや、あれは群衆を惑わしている」と言った。

マタイ6:22-23

῾Ο λύχνος τοῦ σώματός ἐστιν ὁ ὀφθαλμός. ἐὰν οὖν ἦ ὁ ὀφθαλμός σου ἁπλοῦς, ὅλον τὸ σῶμά σου φωτεινὸν ἔσται ἐὰν δὲ ὁ ὀφθαλμός σου πονηρὸς ἦ, ὅλον τὸ σῶμά σου σκοτεινὸν ἔσται. εἰ οὖν τὸ φῶς τὸ ἐν σοὶ σκότος ἐστίν, τὸ σκότος πόσον.

目はからだのあかりである。だから、あなたの目が澄んでおれば、全身も明るいだろう。 しかし、あなたの目が悪ければ、全身も暗いだろう。だから、もしあなたの内なる光が暗ければ、その暗さは、どんなであろう。

大正文語訳聖書

されど、汝の目あしくば、全身くらからん。もし汝の内の光、闇ならば、その闇いかばかりぞや。マタイ6:23

Ⅰテサロニケ5:7

οἱ γὰρ καθεύδοντες νυκτὸς καθεύδουσιν, καὶ οἱ μεθυσκόμενοι νυκτὸς μεθύουσιν·

口語訳聖書

眠る者は夜眠り、酔う者は夜酔うのである。

すべての人を照らす「まことの光 τὸ φῶς τὸ ἀληθινόν」は世に来た。しかし、人々は「まことの光 τὸ φῶς τὸ ἀληθινόν」に戸惑い、直ちに受け入れることはできなかった。(ヨハネ7:12) 「あなたの中にある光 τὸ φῶς τὸ ἐν σοὶ」、すなわち「内の光」(マタイ6:23 大正文語訳聖書)が暗いので全身が暗いからである。(マタイ6:22~23) 人は「夜の暗闇の子」(Ⅰテサロニケ5:5)であり、「内の光」は目を閉ざして眠る。(Ⅰテサロニケ5:7)

Ⅲ 闇にとどまらず

ヨハネ1:5

καὶ τὸ φῶς ἐν τῇ σκοτίᾳ φαίνει, καὶ ἡ σκοτία αὐτὸ οὐ κατέλαβεν.

口語訳聖書

光はやみの中に輝いている。そして、やみはこれに勝たなかった。

Ⅰペテロ2:9

ὑμεῖς δὲ γένος ἐκλεκτόν, βασίλειον ἱεράτευμα, ἔθνος ἅγιον, λαὸς εἰς περιποίησιν, ὅπως τὰς ἀρετὰς ἐξαγγείλητε τοῦ ἐκ σκότους ὑμᾶς καλέσαντος εἰς τὸ θαυμαστὸν αὐτοῦ φῶς·

口語訳聖書

しかし、あなたがたは、選ばれた種族、祭司の国、聖なる国民、神につける民である。それによって、暗やみから驚くべきみ光に招き入れて下さったかたのみわざを、あなたがたが語り伝えるためである。

ヨハネ12:46

ἐγὼ φῶς εἰς τὸν κόσμον ἐλήλυθα, ἵνα πᾶς ὁ πιστεύων εἰς ἐμὲ ἐν τῇ σκοτίᾳ μὴ μείνῃ.

口語訳聖書

わたしは光としてこの世にきた。それは、わたしを信じる者が、やみのうちにとどまらないようになるためである。

Ⅰテサロニケ5:4

ὑμεῖς δέ, ἀδελφοί, οὐκ ἐστὲ ἐν σκότει, ἵνα ἡ ἡμέρα ὑμᾶς ὡς κλέπτης καταλάβῃ,

口語訳聖書

しかし兄弟たちよ。あなたがたは暗やみの中にいないのだから、その日が、盗人のようにあなたがたを不意に襲うことはないであろう。

Ⅰテサロニ5:5

πάντες γὰρ ὑμεῖς υἱοὶ φωτός ἐστε καὶ υἱοὶ ἡμέρας. οὐκ ἐσμὲν νυκτὸς οὐδὲ σκότους·

口語訳聖書

あなたがたはみな光の子であり、昼の子なのである。わたしたちは、夜の者でもやみの者でもない。

Ⅰヨハネ1:5-7

καὶ ἔστιν αὕτη ἡ ἀγγελία ἣν ἀκηκόαμεν ἀπ᾽ αὐτοῦ καὶ ἀναγγέλλομεν ὑμῖν, ὅτι ὁ θεὸς φῶς ἐστιν καὶ σκοτία ἐν αὐτῶ οὐκ ἔστιν οὐδεμία. ἐὰν εἴπωμεν ὅτι κοινωνίαν ἔχομεν μετ᾽ αὐτοῦ καὶ ἐν τῶ σκότει περιπατῶμεν, ψευδόμεθα καὶ οὐ ποιοῦμεν τὴν ἀλήθειαν· ἐὰν δὲ ἐν τῶ φωτὶ περιπατῶμεν ὡς αὐτός ἐστιν ἐν τῶ φωτί, κοινωνίαν ἔχομεν μετ᾽ ἀλλήλων καὶ τὸ αἷμα ἰησοῦ τοῦ υἱοῦ αὐτοῦ καθαρίζει ἡμᾶς ἀπὸ πάσης ἁμαρτίας.

わたしたちがイエスから聞いて、あなたがたに伝えるおとずれは、こうである。神は光であって、神には少しの暗いところもない。神と交わりをしていると言いながら、もし、やみの中を歩いているなら、わたしたちは偽っているのであって、真理を行っているのではない。しかし、神が光の中にいますように、わたしたちも光の中を歩くならば、わたしたちは互に交わりをもち、そして、御子イエスの血が、すべての罪からわたしたちをきよめるのである。

すべての人を照らす「まことの光 τὸ φῶς τὸ ἀληθινόν」は世に来て闇を照らしている。闇は光を退けることはできなかった。神は信じる者を「闇の中から驚くべき光の中へと招き入れて」くださる。(Ⅰペテロ2:9) 信じる者は「誰も(πᾶς ὁ πιστεύων 例外なく一人残らず)闇の中にとどまること」がない。(ヨハネ12:46) 信じる者は「光の子」であり、「夜にも闇にも属さない」。(Ⅰテサロニ5:5) 「光の中を歩むなら、互いに交わりを持ち、御子イエスの血によってあらゆる罪から清められる」(Ⅰヨハネ1:5~7 聖書協会共同訳聖書)

Ⅳ 教えと証しの書

イザヤ8:20

לְתוֹרָ֖ה וְלִתְעוּדָ֑ה אִם־לֹ֤א יֹֽאמְרוּ֙ כַּדָּבָ֣ר הַזֶּ֔ה אֲשֶׁ֥ר אֵֽין־ל֖וֹ שָֽׁחַר

口語訳聖書

ただ教とあかしとに求めよ。まことに彼らはこの言葉によって語るが、そこには夜明けがない。

「まことの光 τὸ φῶς τὸ ἀληθινόν」に生きる者は「教えと証しの書」、すなわち「神の生けることば(ヨハネ1:1~5)にこそ尋ねよ。さもなければ「夜明けは訪れない」(イザヤ8:20  聖書協会共同訳聖書)

聖書ノート その3

 「来たらんとする光」

ヨハネ1:9

ἦν τὸ φῶς τὸ ἀληθινόν, ὃ φωτίζει πάντα ἄνθρωπον, ἐρχόμενον εἰς τὸν κόσμον.

口語訳聖書

すべての人を照すまことの光があって、世にきた。

関連聖書 イザヤ21:11~12  Ps.130:6 イザヤ2:5

Ⅰ 来たらんとする光

ヨハネ1:9

ἦν τὸ φῶς τὸ ἀληθινόν, ὃ φωτίζει πάντα ἄνθρωπον, ἐρχόμενον εἰς τὸν κόσμον.

口語訳聖書

すべての人を照すまことの光があって、世にきた。

「世に来てἐρχόμενον」は ἔρχομαι の現在分詞であり、「まさにその時、世に来ようとしていた」ことをあらす。

永井直治訳「すべての人を照らす光、眞なる者は世に來りつつありき」

「光」は創造のはじめから神と共にあり、すべてを照らす真の光であった。その「光は、また、「来たらんとする光」であった。

「昼」は「夜」に継ぎ、「夜」は「昼」に継ぐ。創造の日から止むことのない昼と夜の営みは、魂の「光」と「闇」との互いを行き来する霊的世界に人を導くのである。

人は常に「来たらんとする光」の前に立つ。「来たらんとする光」は「神の創造的いのちの光」であり、常に新しくする力である。

Ⅱ 朝を待つ夜回り

イザヤ21:11-12

מַשָּׂ֖א דּוּמָ֑ה אֵלַי֙ קֹרֵ֣א מִשֵּׂעִ֔יר שֹׁמֵר֙ מַה־מִלַּ֔יְלָה שֹׁמֵ֖ר מַה־מִלֵּֽיל
אָמַ֣ר שֹׁמֵ֔ר אָתָ֥ה בֹ֖קֶר וְגַם־לָ֑יְלָה אִם־תִּבְעָי֥וּן בְּעָ֖יוּ שֻׁ֥בוּ אֵתָֽיוּ

ドマについての託宣。セイルからわたしに呼ばわる者がある、「夜回りよ、今は夜のなんどきですか、夜回りよ、今は夜のなんどきですか」。夜回りは言う、「朝がきます、夜もまたきます。もしあなたがたが聞こうと思うならば聞きなさい、また来なさい」。

ユダヤの町は高い城壁でかこまれ、人々は城壁の内に住んだ。夜は門が閉ざされ外部から入ることはできなかった。城壁の上には「夜回り」の兵が夜通しの見張りに立った。夜回りは辛い仕事だった。「見張りの人よ、今は夜の何時か。/見張りの人よ、今は夜の何時か。」という声が聞こえる。夜回りは「朝は来る、だが、まだ夜だ。/尋ねたければ尋ねよ。/もう一度来るがよい。」と告げるのである。(イザヤ21:11-12)

魂は夜の暗闇の中で、夜回りに「今は夜の何時か」と尋ねる。「朝はかならず来る、しかし、まだ夜だ」という声を聞くのである。

Ⅲ 待ち望む

詩篇130:6

נַפְשִׁ֥י לַֽאדֹנָ֑י מִשֹּׁמְרִ֥ים לַ֝בֹּ֗קֶר שֹׁמְרִ֥ים לַבֹּֽקֶר

わが魂は夜回りが暁を待つにまさり、夜回りが暁を待つにまさって主を待ち望みます。

詩篇127:1

שִׁ֗יר הַֽמַּ֫עֲל֥וֹת בְּשׁ֣וּב יְ֭הוָה אֶת־שִׁיבַ֣ת צִיּ֑וֹן הָ֝יִ֗ינוּ כְּחֹלְמִֽים שִׁ֥יר הַֽמַּֽעֲל֗וֹת לִשְׁלֹ֫מֹ֥ה אִם־יְהוָ֤ה׀ לֹא־יִבְנֶ֬ה בַ֗יִת שָׁ֤וְא׀ עָמְל֣וּ בוֹנָ֣יו בּ֑וֹ אִם־יְהוָ֥ה לֹֽא־יִשְׁמָר־עִ֝֗יר שָׁ֤וְא׀ שָׁקַ֬ד שׁוֹמֵֽר

口語訳聖書

主が家を建てられるのでなければ、建てる者の勤労はむなしい。主が町を守られるのでなければ、守る者のさめているのはむなしい。

魂は「夜回りが朝を、夜回りが朝を待つにも増して」待ち望む。(Ps.130:6) だが、主が町を守るのでなければ夜通しの夜回りは空しい。魂が尋ねるのは夜の闇をにも目をこらし、射しこむ朝の光となり給う主である。時を見張る者が待ち望むのは時を告げられる神である。

Ⅳ 主の光の中を歩め

イザヤ2:5

בֵּ֖ית יַעֲקֹ֑ב לְכ֥וּ וְנֵלְכָ֖ה בְּא֥וֹר יְהוָֽה

口語訳聖書

ヤコブの家よ、さあ、われわれは主の光に歩もう。

イザヤはヤコブの家に「さあ、主の光の中を歩もう」と語る。(イザヤ2:5)

「世を照らす真の光」は「私」を照らす光である。「私の内なる世」を照らす。人は「内なる世」によってすべての人間に連なる。世への無関心は自らの世を消す。一日に夜と昼があるように、見えない夜も神のみ旨であり、光の朝を待ち望むのもみ旨である。一つの夜が過ぎて一つの昼があり、その昼は新たな夜を迎える。しかし、主にある者はどの夜にも、今まさに「来たらんとする光」があることを知る。時を新しくする力を信じて「今は夜の何時か」と尋ねるのである。

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