ヨハネによる福音書1章7節

ヨハネによる福音書
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Ⅰ 日本語訳聖書 Jn.1:7

【明治元訳】
Jn.1:7 その來りしは證の爲なり即ち光に就て證を作(なし)すべての人をして己に因て信ぜしめんが爲なり

【大正文語訳】
Jn.1:7 この人は證のために來れり、光に就きて證をなし、また凡ての人の彼によりて信ぜん爲なり。

【口語訳】
Joh 1:7 この人はあかしのためにきた。光についてあかしをし、彼によってすべての人が信じるためである。

Ⅱ 英語訳聖書  Jn.1:7

King James Version
1:7 The same came for a witness, to bear witness of the Light, that all [men] through him might believe.

New King James Version
1:7 This man came for a witness, to bear witness of the Light, that all through him might believe.

American Standard Version
1:7 The same came for witness, that he might bear witness of the light, that all might believe through him.

Bible in Basic English
1:7 He came for witness, to give witness about the light, so that all men might have faith through him.

Today’s English Version
1:7 who came to tell people about the light, so that all should hear the message and believe.

Darby’s English Translation
1:7 He came for witness, that he might witness concerning the light, that all might believe through him.

Douay Rheims
1:7 This man came for a witness, to give testimony of the light, that all men might believe through him.

Noah Webster Bible
1:7 The same came for a witness, to bear testimony of the Light, that all men through him might believe.

Weymouth New Testament
1:7 He came as a witness, in order that he might give testimony concerning the Light–so that all might believe through him.

World English Bible
1:7 The same came as a witness, that he might testify about the light, that all might believe through him.

Young’s Literal Translation
1:7 this one came for testimony, that he might testify about the Light, that all might believe through him;

Ⅲ ギリシャ語聖書 Jn.1:7

Stephens 1550 Textus Receptus
ουτος ηλθεν εις μαρτυριαν ινα μαρτυρηση περι του φωτος ινα παντες πιστευσωσιν δι αυτου

Scrivener 1894 Textus Receptus
ουτος ηλθεν εις μαρτυριαν ινα μαρτυρηση περι του φωτος ινα παντες πιστευσωσιν δι αυτου

Byzantine Majority
ουτος ηλθεν εις μαρτυριαν ινα μαρτυρηση περι του φωτος ινα παντες πιστευσωσιν δι αυτου

Alexandrian
ουτος ηλθεν εις μαρτυριαν ινα μαρτυρηση περι του φωτος ινα παντες πιστευσωσιν δι αυτου

Hort and Westcott
ουτος ηλθεν εις μαρτυριαν ινα μαρτυρηση περι του φωτος ινα παντες πιστευσωσιν δι αυτου

Ⅳ ギリシャ語聖書 Interlinear

ヨハネ1:7

οὖτος ἦλθεν εἰς μαρτυρίαν, ἵνα μαρτυρήσῃ περὶ τοῦ φωτός, ἵνα πάντες πιστεύσωσιν δι᾽ αὐτοῦ.

口語訳聖書

この人はあかしのためにきた。光についてあかしをし、彼によってすべての人が信じるためである。

οὖτος      ἦλθεν   εἰς   μαρτυρίαν,   ἵνα   μαρτυρήσῃ         περὶ        τοῦ  φωτός,
this man   came   for    witness,    that   he might witness  concerning  the  light,

ἵνα     πάντες   πιστεύσωσιν    δι᾽      αὐτοῦ.
that   all men  might believe   through  him.

Ⅴ ギリシャ語聖書 品詞色分け

Jn.1:7

οὖτος ἦλθεν εἰς μαρτυρίαν, ἵνα μαρτυρήσῃ περὶ τοῦ φωτός, ἵνα πάντες πιστεύσωσιν δι᾽ αὐτοῦ.

Ⅵ ラテン語聖書 Jn.1:7

Latin Vulgate
Jn.1:7

Hic venit in testimonium ut testimonium perhiberet de lumine, ut omnes crederent per illum.
He arrived as a witness to offer testimony about the Light, so that all would believe through him.

Ⅶ 私訳(詳訳)Jn.1:7

Jn.1:7 「この人〔ヨハネ〕はあかし<証言、立証>のために来た。光についてあかしをするため、人がみな<すべての人が、あらゆる人が>彼〔ヨハネ〕によって<~を通して、通り抜けて、~の中に、~の故に>光を信じる<信を置く、信頼する、信任する、確信する、信仰をもつ>ためであった。

Ⅷ 聖書引照 Jn.1:7

Jn.1:7 この人はあかしのためにきた。光についてあかしをし、彼によってすべての人が信じるためである。

[この人はあかしのためにきた]  ヨハ1:15,19,26,27,32~34,36; 3:26-6; 5:33-5; 使徒19:4
[光についてあかしをし、彼によってすべての人が信じるためである]  ヨハ1:9,12; 3:26; 15:4; エペ3:9; ガラ3:26;Ⅰテモ2:4; テト2:11; Ⅱペテ3:9

Ⅸ 新約聖書ギリシャ語語句研究

ヨハネ1:7

οὖτος ἦλθεν εἰς μαρτυρίαν, ἵνα μαρτυρήσῃ περὶ τοῦ φωτός, ἵνα πάντες πιστεύσωσιν δι᾽ αὐτοῦ.

口語訳聖書

この人はあかしのためにきた。光についてあかしをし、彼によってすべての人が信じるためである。

【この人は】οὖτος  οὗτος フートス houtos {hoo‘-tos}  G3779 (apdnm-s 指示代名詞・主男単)

1)その、この、これ 2)この者、この男・女 2)そんな、こんな 3)すなわち、だから 4)そこで、それ故

【あかしの】μαρτυρίαν μαρτυρία マルトゆリア marturia {mar-too-ree‘-ah}  G3141 (n-af-s名詞・対女単)

1)証言 2)証し 3)立証 4)証しすること

ヨハネ1:7

【ために】εἰς  εἰς エイス  eis {ice}  G1519 (pa 前置詞・対)

1)~の中へ 2)~へ 3)~まで 4)~のために 5)~に対して 6)~に向かって 7)~を目標にして 8)の間に

【光】φωτός  φῶς  ふォース phōs {foce}  G5457 (n-gn-s 名詞・属中単)

1)光、発光体 2)あかり、火、灯火 3)昼の光、日の出、光、発光体、天体 4)眼の光、心、理性、理解力

マタ4:16; 5:14,16; 6:23; 17:2;  ルカ2:32; 8:16; 11:35; 16:8 etc.

【について】περὶ  περί ペリ peri {per-ee‘}  G4012 (pg 前置詞・属)

1)~のこと、~について、~に関して、~に言及して、のことで、において 2)の周りに、周囲に 3)~のために、~をめぐって、~の故に 4)大体、約

【あかしをし】μαρτυρήσῃ  μαρτυρέω   マルトユレオー martureō {mar-too-reh‘-o}  G3140 (vsaa–3s 動)仮アオ能3単)

1)証言する 2)証人になる 3)立証する 4)あかしする 5)認める 6)保証する 7)褒める、賞賛する

マタ23:31

【ために】ἵνα ἵνα ヒナ hina {hin‘-ah}  G2443 (cs 接続詞・従)

1)そこに(へ) 2)~するために 3)~する事を 4)~ので 5)という事は 6)~であるところの 7)~するように 8)すなわち

【すべての人が】πάντες  πᾶς パース pas {pas}  G3956 (ap-nm-p 形容詞・主)

1)どれでも、何であれ、何でも、あらゆる、みな  2)~全部の、あらんかぎりの、1つも欠けが無い、ひとり残らず 3)全体の、全部の、すべて 4)混じりものがなく、純粋な

πᾶσαι  パーサイ 「πᾶς どれでも、全体の」の複数形

【彼に】αὐτοῦ  αὐτός  アウトス autos {ow-tos‘}  G846 (npgm3s 代名詞・属男3)

1)彼、彼女、それ(三人称の代名詞) 2)自身で、自分から、自分として(強調用法) 3)同じ同一の 4)まさに、ちょうど

【よって】δι᾽ διά ディア dia {dee-ah‘}  G1223 (pg 前置詞・属)

1)~を通って、通り抜けて 2)~を通じて、~中ずっと、~の中に、~の中へと 3)~の故に 3)~のために、~の故に 4)~の間で 5)~を経て、~によって、~の後に

【信じる】πιστεύσωσιν πιστεύω  ピステウオー  pisteuō {pist-yoo‘-o}  G4100 (vsaa–3p 動詞・仮アオ能3複)

1)信じる 2)信用する、信を置く、信頼する、信任する 3)確信する  4)信仰をもつ 5)託する

マタ9:28; 13:4,5,7,8; 15:14,27; 24:29;  マル4:4,5,7,8; 13.25; etc.

【なるために】ἵνα ἵνα ヒナ hina {hin‘-ah}  G2443 (cs 接続詞・従)

1)そこに(へ) 2)~するために 3)~する事を 4)~ので 5)という事は 6)~であるところの 7)~するように 8)すなわち

【来た】ἦλθεν ἔρχομαι エルこマイ  erchomai {er‘-khom-ahee}  G2064 (viaa–3s 動詞・直アオ能3単)

1)来る、やってくる、~しにやってくる 2)近づく、臨む、達する 3)着く、到着する 4)現れる 5)上がる、下る

Ⅹ 細き聲 聖書研究ノート

ヨハネ1:7

οὖτος ἦλθεν εἰς μαρτυρίαν, ἵνα μαρτυρήσῃ περὶ τοῦ φωτός, ἵνα πάντες πιστεύσωσιν δι᾽ αὐτοῦ.

口語訳聖書

この人はあかしのためにきた。光についてあかしをし、彼によってすべての人が信じるためである。

 <この人はあかしのために οὖτος εἰς μαρτυρίαν>

「証し μαρτυρία マルトゆリア」は法廷における証言、立証を意味する。バプテスマのヨハネは人を照らす神の光について証拠をもって立証し、証言するためにきた。

 <光についてあかしをしἵνα μαρτυρήσῃ περὶ τοῦ φωτός>

「光について περὶ τοῦ φωτός」は「光について、光をめぐって、光に関して」。ヨハネの証言は闇に輝く光にのみ焦点があてられる。

 <彼によってすべての人が信じるため ἵνα πάντες πιστεύσωσιν δι᾽ αὐτοῦ>

ヨハネの証言は、「すべての人 πάντες」に対するものである。「すべて πᾶς パース」は、例外なく「生きとし生ける人間」のすべてに向けられる証言である。

 <来た ἦλθεν>

ἦλθεν は ἔρχομαι の直説法アオリスト能動態で、過去のある時点にある動作が行われた事実を表す。バプテスマのヨハネはイエス・キリストについて歴史的な証言をするために来た。

Ⅺ 心のデボーション

「この人は證のために來れり、光に就きて證をなし、また凡ての人の彼によりて信ぜん爲なり。」 ヨハネ1:7 大正文語訳聖書

「この人はあかしのためにきた。光についてあかしをし、彼によってすべての人が信じるためである。」 口語訳聖書

 「よきおとずれ」

「この人」はバプテスマのヨハネである。バプテスマのヨハネが派遣されることによってイエスの宣教は始まる。神の福音が到達する前に、福音の先触れがある。「よきおとずれ」は到達する前に、すでに始まっている。

(心のデボーション2135)

Ⅻ 聖書ノート その1

 「証し」

ヨハネ1:7

οὖτος ἦλθεν εἰς μαρτυρίαν, ἵνα μαρτυρήσῃ περὶ τοῦ φωτός, ἵνα πάντες πιστεύσωσιν δι᾽ αὐτοῦ.

口語訳聖書

この人はあかしのためにきた。光についてあかしをし、彼によってすべての人が信じるためである。

関連聖書 創世記31:52 申命記31:19 レビ記24:3 ヨハネ5:36

バプテスマのヨハネは「証し」のために来た。光について「証し」し、彼の「証し」によってすべての人がイエスをメシアと信じるためであった。

Ⅰ 用語 旧約聖書

釉薬聖書には「証し」を意味する2つのヘブル語がある。

1)עֵ֚ד

創世記31:52

עֵ֚ד הַגַּ֣ל הַזֶּ֔ה וְעֵדָ֖ה הַמַּצֵּבָ֑ה אִם־אָ֗נִי לֹֽא־אֶֽעֱבֹ֤ר אֵלֶ֨יךָ֙ אֶת־הַגַּ֣ל הַזֶּ֔ה וְאִם־אַ֠תָּה לֹא־תַעֲבֹ֨ר אֵלַ֜י אֶת־הַגַּ֥ל הַזֶּ֛ה וְאֶת־הַמַּצֵּבָ֥ה הַזֹּ֖את לְרָעָֽה

口語訳聖書

この石塚を越えてわたしがあなたに害を加えず、またこの石塚とこの柱を越えてあなたがわたしに害を加えないように、どうかこの石塚があかしとなり、この柱があかしとなるように。

ヤコブはラバンと和解の約束(契約)を立てると、その「証しעֵ֚ד」として石塚を建てた。互いに敵意をもってこの「石塚」を越えない(平和を保つ)ための証拠とした。そして、神が、この契約の証人となって互いを裁かれるようにと誓った。(創世記31:44-53)

申命記31:19

וְעַתָּ֗ה כִּתְב֤וּ לָכֶם֙ אֶת־הַשִּׁירָ֣ה הַזֹּ֔את וְלַמְּדָ֥הּ אֶת־בְּנֵי־יִשְׂרָאֵ֖ל שִׂימָ֣הּ בְּפִיהֶ֑ם לְמַ֨עַן תִּהְיֶה־לִּ֜י הַשִּׁירָ֥ה הַזֹּ֛את לְעֵ֖ד בִּבְנֵ֥י יִשְׂרָאֵֽל

それであなたがたは今、この歌を書きしるし、イスラエルの人々に教えてその口に唱えさせ、この歌をイスラエルの人々に対するわたしのあかしとならせなさい。

口語訳聖書

モーセはカナンを目の前にして世を去る時、イスラエルのために「歌」を残し、「証しעֵ֚ד」とした。モーセの歌(創世記32:1~43)はイスラエルが神を忘れるとき、神との契約に立ち返り、わざわいと苦難から彼らを守るための戒めであった。

2)עֵדֻ֜ת

レビ記24:3

מִחוּץ֩ לְפָרֹ֨כֶת הָעֵדֻ֜ת בְּאֹ֣הֶל מוֹעֵ֗ד יַעֲרֹךְ֩ אֹת֨וֹ אַהֲרֹ֜ן מֵעֶ֧רֶב עַד־בֹּ֛קֶר לִפְנֵ֥י יְהוָ֖ה תָּמִ֑יד חֻקַּ֥ת עוֹלָ֖ם לְדֹרֹֽתֵיכֶֽם

口語訳聖書

すなわち、アロンは会見の幕屋のうちのあかしの垂幕の外で、夕から朝まで絶えず、そのともしびを主の前に整えなければならない。これはあなたがたが代々ながく守るべき定めである。

会見の幕屋の至聖所には「証し עֵדֻ֜ת の箱」が置かれた。祭司は夕暮れから夜明けまで、常に灯火を整えなければならなかった。「証しの箱」は「契約の箱」で十戒(証しの板)が収められていた。「証しעֵדֻ֜ת」は神と民との「契約」をあらわす。

Ⅱ 用語 新約聖書 μαρτυρίαν

ヨハネ5:36

ἐγὼ δὲ ἔχω τὴν μαρτυρίαν μείζω τοῦ ἰωάννου· τὰ γὰρ ἔργα ἃ δέδωκέν μοι ὁ πατὴρ ἵνα τελειώσω αὐτά, αὐτὰ τὰ ἔργα ἃ ποιῶ, μαρτυρεῖ περὶ ἐμοῦ ὅτι ὁ πατήρ με ἀπέσταλκεν·

口語訳聖書

しかし、わたしには、ヨハネのあかしよりも、もっと力あるあかしがある。父がわたしに成就させようとしてお与えになったわざ、すなわち、今わたしがしているこのわざが、父のわたしをつかわされたことをあかししている。

Ⅰヨハネ5:9

εἰ τὴν μαρτυρίαν τῶν ἀνθρώπων λαμβάνομεν, ἡ μαρτυρία τοῦ θεοῦ μείζων ἐστίν, ὅτι αὕτη ἐστὶν ἡ μαρτυρία τοῦ θεοῦ, ὅτι μεμαρτύρηκεν περὶ τοῦ υἱοῦ αὐτοῦ.

口語訳聖書

わたしたちは人間のあかしを受けいれるが、しかし、神のあかしはさらにまさっている。神のあかしというのは、すなわち、御子について立てられたあかしである。

ギリシャ語「証し」はμαρτυρίανである。「μαρτυρίαν」は「証明、立証、証言」で、真理について「立証」し(ヨハネ5:33)、福音について証しする。神は御子について「証しμαρτυρίαν」される。(Ⅰヨハネ5:9) その「証しμαρτυρίαν」を受けた者は神の真実を確認する。(ヨハネ3:33)

聖書ノート その2

 「ヨハネの証し」

ヨハネ1:7

οὖτος ἦλθεν εἰς μαρτυρίαν, ἵνα μαρτυρήσῃ περὶ τοῦ φωτός, ἵνα πάντες πιστεύσωσιν δι᾽ αὐτοῦ.

口語訳聖書

この人はあかしのためにきた。光についてあかしをし、彼によってすべての人が信じるためである。

関連聖書 ヨハネ1:7  ヨハネ1:19~22 ヨハネ1:30 ヨハネ1:33 マタイ3:16 ヨハネ1:34 ヨハネ1:36

バプテスマのヨハネは「証し」のために来た。ヨハネの「証し」は、すべてを知ったうえでのものではなかった。ヨハネ自身が「証し」を求めるかたちで始まり、その目で神の御言葉を見たことを「証し」したのである。

Ⅰ 私はメシアではない

ヨハネ1:19-23

19 καὶ αὕτη ἐστὶν ἡ μαρτυρία τοῦ ἰωάννου, ὅτε ἀπέστειλαν [πρὸς αὐτὸν] οἱ ἰουδαῖοι ἐξ ἱεροσολύμων ἱερεῖς καὶ λευίτας ἵνα ἐρωτήσωσιν αὐτόν, σὺ τίς εἶ;
20 καὶ ὡμολόγησεν καὶ οὐκ ἠρνήσατο, καὶ ὡμολόγησεν ὅτι ἐγὼ οὐκ εἰμὶ ὁ χριστός.
21 καὶ ἠρώτησαν αὐτόν, τί οὗν; σύ ἠλίας εἶ; καὶ λέγει, οὐκ εἰμί. ὁ προφήτης εἶ σύ; καὶ ἀπεκρίθη, οὔ.
22 εἶπαν οὗν αὐτῶ, τίς εἶ; ἵνα ἀπόκρισιν δῶμεν τοῖς πέμψασιν ἡμᾶς· τί λέγεις περὶ σεαυτοῦ;
23 ἔφη, ἐγὼ φωνὴ βοῶντος ἐν τῇ ἐρήμῳ, εὐθύνατε τὴν ὁδὸν κυρίου, καθὼς εἶπεν ἠσαΐας ὁ προφήτης.

口語訳聖書

さて、ユダヤ人たちが、エルサレムから祭司たちやレビ人たちをヨハネのもとにつかわして、「あなたはどなたですか」と問わせたが、その時ヨハネが立てたあかしは、こうであった。すなわち、彼は告白して否まず、「わたしはキリストではない」と告白した。そこで、彼らは問うた、「それでは、どなたなのですか、あなたはエリヤですか」。彼は「いや、そうではない」と言った。「では、あの預言者ですか」。彼は「いいえ」と答えた。そこで、彼らは言った、「あなたはどなたですか。わたしたちをつかわした人々に、答を持って行けるようにしていただきたい。あなた自身をだれだと考えるのですか」。彼は言った、「わたしは、預言者イザヤが言ったように、『主の道をまっすぐにせよと荒野で呼ばわる者の声』である」。

バプテスマのヨハネは、エルサレムから派遣された祭司とレビ人たちの「あなたは何者なのか」という問いに、「私はメシアではないし、預言者エリヤでもない。預言者イザヤが預言した、『主の道をまっすぐにせよ』と荒れ野で叫ぶ者の声である」と答える。ヨハネはまず自分について、明白に「私はメシアではない」と証しをたてたのである。

Ⅱ 二つのしるし

ヨハネ1:30

οὖτός ἐστιν ὑπὲρ οὖ ἐγὼ εἶπον, ὀπίσω μου ἔρχεται ἀνὴρ ὃς ἔμπροσθέν μου γέγονεν, ὅτι πρῶτός μου ἦν.

聖書協会共同訳聖書

『私の後から一人の人が来られる。その方は私にまさっている。私よりも先におられたからである』と私が言ったのは、この方のことである。

ヨハネ1:33

κἀγὼ οὐκ ᾔδειν αὐτόν, ἀλλ᾽ ὁ πέμψας με βαπτίζειν ἐν ὕδατι ἐκεῖνός μοι εἶπεν, ἐφ᾽ ὃν ἂν ἴδῃς τὸ πνεῦμα καταβαῖνον καὶ μένον ἐπ᾽ αὐτόν, οὖτός ἐστιν ὁ βαπτίζων ἐν πνεύματι ἁγίῳ.

口語訳聖書

『わたしのあとに来るかたは、わたしよりもすぐれたかたである。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この人のことである。

ヨハネに「証し」として与えられたしるしは自分の後から来られる「一人の人」であり、その人は「聖霊によって洗礼(バプテスマ)を授ける」という「二つのしるし」であった。

Ⅲ ヨハネはその人を知らなかった

ヨハネ1:33

κἀγὼ οὐκ ᾔδειν αὐτόν, ἀλλ᾽ ὁ πέμψας με βαπτίζειν ἐν ὕδατι ἐκεῖνός μοι εἶπεν, ἐφ᾽ ὃν ἂν ἴδῃς τὸ πνεῦμα καταβαῖνον καὶ μένον ἐπ᾽ αὐτόν, οὖτός ἐστιν ὁ βαπτίζων ἐν πνεύματι ἁγίῳ.

口語訳聖書

わたしはこの人を知らなかった。しかし、水でバプテスマを授けるようにと、わたしをおつかわしになったそのかたが、わたしに言われた、『ある人の上に、御霊が下ってとどまるのを見たら、その人こそは、御霊によってバプテスマを授けるかたである』。

「私はこの方を知らなかった。κἀγὼ οὐκ ᾔδειν αὐτόν」とヨハネは言う。ヨハネはイエスの誕生の出来事と成長について「知らない」はずはない。イエスがヨハネからバプテスマを受けようとして人々の列につかれたとき、ヨハネは「私こそ、あなたからバプテスマを受けるはずです」と拒もうとしているのである。(マタイ4:13~16) その時ですら、ヨハネはイエスが「私の後から一人の人」であるとは知らなかったのである。それにもかかわらず、ヨハネは「神の霊が降って、その人にとどまるのを見る」までは、証しの確信はヨハネに与えられなかったのである。

Ⅳ 目撃

マタイ3:16

βαπτισθεὶς δὲ ὁ ἰησοῦς εὐθὺς ἀνέβη ἀπὸ τοῦ ὕδατος· καὶ ἰδοὺ ἠνεῴχθησαν [αὐτῶ] οἱ οὐρανοί, καὶ εἶδεν [τὸ] πνεῦμα [τοῦ] θεοῦ καταβαῖνον ὡσεὶ περιστερὰν [καὶ] ἐρχόμενον ἐπ᾽ αὐτόν·

口語訳聖書

イエスはバプテスマを受けるとすぐ、水から上がられた。すると、見よ、天が開け、神の御霊がはとのように自分の上に下ってくるのを、ごらんになった。

ヨハネ1:34

κἀγὼ ἑώρακα, καὶ μεμαρτύρηκα ὅτι οὖτός ἐστιν ὁ υἱὸς τοῦ θεοῦ.

口語訳聖書

わたしはそれを見たので、このかたこそ神の子であると、あかしをしたのである」。

イエスがバプテスマについて、「今はそうさせてもらいたい」と言われたことから、ヨハネはイエスにバプテスマを施した。すると、天が開け、神の霊が鳩のようにイエスに下り、天から「これは私の愛する子、わたしはこれを喜ぶ」という声あった。(マタイ3:16~17) ヨハネはそれを目撃し、自分の耳で聞いた。

Ⅰヨハネ1:1には「いのちの言葉」について、「初めからあったもの、わたしたちが聞いたもの、目で見たもの、よく見て手でさわったもの、すなわち、いのちの言について」と語られている。(Ⅰヨハネ1:1) バプテスマのヨハネも、「目で見て、耳で聞き、よく見て手で触った」イエスを証したのである。

Ⅴ 神の子羊

ヨハネ1:36

καὶ ἐμβλέψας τῶ ἰησοῦ περιπατοῦντι λέγει, ἴδε ὁ ἀμνὸς τοῦ θεοῦ.

口語訳聖書

イエスが歩いておられるのに目をとめて言った、「見よ、神の小羊」。

イエスに「霊が降って、とどまるのを見た」ヨハネは、その翌日、イエスが歩いておられるのを二人の弟子とともに見ると、直ちに「見よ、神の小羊だ。」と言った。すると、ヨハネの二人の弟子たちはイエスに従った。二人の弟子の一人はペテロの兄弟アンデレで、アンデレは兄弟のペテロに「私はメシアを見つけた」と言ってペテロをイエスの所に連れて行った。こうして、バプテスマのヨハネの「証し」からヨハネの弟子たちの多くがヨハネを去って、主イエスの弟子となったのである。(ヨハネ1:33-42)

聖書ノート その3

「ヨハネの使命」

ヨハネ1:7

οὖτος ἦλθεν εἰς μαρτυρίαν, ἵνα μαρτυρήσῃ περὶ τοῦ φωτός, ἵνα πάντες πιστεύσωσιν δι᾽ αὐτοῦ.

口語訳聖書

この人はあかしのためにきた。光についてあかしをし、彼によってすべての人が信じるためである。

関連聖書 ヨハネ1:7  ヨハネ1:8 Ⅰテモテ6:16 ヨハネ1:12 ガラテヤ3:26

Ⅰ ヨハネの使命

ヨハネ1:7

ἵνα μαρτυρήσῃ περὶ τοῦ φωτός,

口語訳聖書

この人はあかしのためにきた。光についてあかしをし、彼によってすべての人が信じるためである。

ヨハネ1:8

οὐκ ἦν ἐκεῖνος τὸ φῶς, ἀλλ᾽ ἵνα μαρτυρήσῃ περὶ τοῦ φωτός.

口語訳聖書

彼は光ではなく、ただ、光についてあかしをするためにきたのである。

Ⅰテモテ6:16

ὁ μόνος ἔχων ἀθανασίαν, φῶς οἰκῶν ἀπρόσιτον, ὃν εἶδεν οὐδεὶς ἀνθρώπων οὐδὲ ἰδεῖν δύναται· ᾧ τιμὴ καὶ κράτος αἰώνιον· ἀμήν.

口語訳聖書

神はただひとり不死を保ち、近づきがたい光の中に住み、人間の中でだれも見た者がなく、見ることもできないかたである。ほまれと永遠の支配とが、神にあるように、アァメン。

バプテスマのヨハネは「光」ではなかった。彼は「光について証しをするために来た。」のである。ヨハネ1:4「言の内に成ったものは、命であった。この命は人の光であった」は「光」と「いのち」が同義語であることを示している。ヨハネは「いのち」ではなく、「いのち」について証しをするために来たのである。パウロは「近寄り難い光の中に住まわれる方」を「唯一の不死の存在」としている。(Ⅰテモテ6:16) 「光」は「死のない方」すなわち「いのち」である。このいのちは「光」すなわち時と空間を定め、「今ここ」にある人間のいのちを定めるのである。人間は「近寄り難い光」、すなわち「光」全体を見ることはできない。しかし、近寄り難い光」によって自らの「今ここ」のいのちを知るのである。ヨハネはこの「光」について証しするために来たのである。

Ⅱ 神の子

ヨハネ1:12

ὅσοι δὲ ἔλαβον αὐτόν, ἔδωκεν αὐτοῖς ἐξουσίαν τέκνα θεοῦ γενέσθαι, τοῖς πιστεύουσιν εἰς τὸ ὄνομα αὐτοῦ,

口語訳聖書

しかし、彼を受けいれた者、すなわち、その名を信じた人々には、彼は神の子となる力を与えたのである。

ガラテヤ3:26

πάντες γὰρ υἱοὶ θεοῦ ἐστε διὰ τῆς πίστεως ἐν χριστῶ ἰησοῦ.

口語訳聖書

あなたがたはみな、キリスト・イエスにある信仰によって、神の子なのである。

バプテスマのヨハネが証した「光」は「言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には、神の子となる権能を与えた」のである。人は「キリスト・イエスにあって神の子」である。

聖書ノート その4

 「ことば・光・いのち」

ヨハネ1:7

οὖτος ἦλθεν εἰς μαρτυρίαν, ἵνα μαρτυρήσῃ περὶ τοῦ φωτός, ἵνα πάντες πιστεύσωσιν δι᾽ αὐτοῦ.

口語訳聖書

この人はあかしのためにきた。光についてあかしをし、彼によってすべての人が信じるためである。

関連聖書 ヨハネ1:5 ヨハネ1:5 ヨハネ1:7

Ⅰ ことば・光・いのち

ヨハネ1:1-8のキーワードは「ことば・光・いのち」である。この三つは相互に深く関連し、それぞれに固有の特性を失うことなく互いを補い、同義語として読み変えるが可能である。

「ことば」は「光・いのち」であり、「光」は「いのち・ことば」であり、「いのち」は「ことば・光」である。

Ⅱ 「光」は「いのち」

ヨハネ1:4

ἐν αὐτῶ ζωὴ ἦν, καὶ ἡ ζωὴ ἦν τὸ φῶς τῶν ἀνθρώπων·

この言に命があった。そしてこの命は人の光であった。ヨハネ1:5

καὶ τὸ φῶς ἐν τῇ σκοτίᾳ φαίνει, καὶ ἡ σκοτία αὐτὸ οὐ κατέλαβεν.

聖書協会共同訳聖書

光は闇の中で輝いている。闇は光に勝たなかった。

ヨハネ1:4,5の「光」を「いのち」を同義語として置き換えてみる。(口語訳聖書使用)

ヨハネ1:4

口語訳聖書

この言にいのちがあった。そしてこのいのちは人の「いのち」であった。

ヨハネ1:5

口語訳聖書

「いのち」はやみの中に輝いている。そして、やみはこれ〔いのち〕に勝たなかった。

 Ⅲ 「いのち」を信じるため

ヨハネ1:7

οὖτος ἦλθεν εἰς μαρτυρίαν, ἵνα μαρτυρήσῃ περὶ τοῦ φωτός, ἵνα πάντες πιστεύσωσιν δι᾽ αὐτοῦ.

聖書協会共同訳聖書

この人は証しのために来た。光について証しをするため、また、すべての人が彼によって信じる者となるためである。

ヨハネ1:7におけるバプテスマのヨハネの働きも、同様にして読み変えることができる。(口語訳聖書使用)

ヨハネ1:7

口語訳聖書

この人はあかしのためにきた。「いのち」についてあかしをし、彼によってすべての人が〔いのちを〕信じるためである。

聖書ノート その5

 「人は何によって信じるか」

ヨハネ1:7

οὖτος ἦλθεν εἰς μαρτυρίαν, ἵνα μαρτυρήσῃ περὶ τοῦ φωτός, ἵνα πάντες πιστεύσωσιν δι᾽ αὐτοῦ.

口語訳聖書

この人はあかしのためにきた。光についてあかしをし、彼によってすべての人が信じるためである。

関連聖書 ヨハネ1:7 ヨハネ5:40  Jn.5:34 ヨハネ5:36 ヨハネ5:37 ヨハネ5:38 ヨハネ5:24

Ⅰ ヨハネの証し

ヨハネ1:7

ἵνα πάντες πιστεύσωσιν δι᾽ αὐτοῦ.

口語訳聖書

この人はあかしのためにきた。光についてあかしをし、彼によってすべての人が信じるためである。

ヨハネ5:40

καὶ οὐ θέλετε ἐλθεῖν πρός με ἵνα ζωὴν ἔχητε.

しかも、あなたがたは、命を得るためにわたしのもとにこようともしない。

バプテスマのヨハネはすべての人が彼の証しによってメシアを信じるために来た。しかし、人々はヨハネの証しによってもイエスを信じなかった。

Ⅱ イエスの証し

ヨハネ5:34

ἐγὼ δὲ οὐ παρὰ ἀνθρώπου τὴν μαρτυρίαν λαμβάνω, ἀλλὰ ταῦτα λέγω ἵνα ὑμεῖς σωθῆτε.

口語訳聖書

わたしは人からあかしを受けないが、このことを言うのは、あなたがたが救われるためである。

バプテスマのヨハネはイエスを証しするために神が遣わされた預言者であった。しかし、神の御子イエスは「人間による証し」を必要とされず、人はバプテスマのヨハネによらずにイエスを信じるのである。では、人は何によって信じるのだろうか? イエスはその問いにお答えになる。

1) イエスの業によって

ヨハネ5:36

ἐγὼ δὲ ἔχω τὴν μαρτυρίαν μείζω τοῦ ἰωάννου· τὰ γὰρ ἔργα ἃ δέδωκέν μοι ὁ πατὴρ ἵνα τελειώσω αὐτά, αὐτὰ τὰ ἔργα ἃ ποιῶ, μαρτυρεῖ περὶ ἐμοῦ ὅτι ὁ πατήρ με ἀπέσταλκεν·

口語訳聖書

しかし、わたしには、ヨハネのあかしよりも、もっと力あるあかしがある。父がわたしに成就させようとしてお与えになったわざ、すなわち、今わたしがしているこのわざが、父のわたしをつかわされたことをあかししている。

イエスが行われた業そのものによって、人はイエスを神の子と信じる。

2)父なる神の証しによって

ヨハネ5:37

καὶ ὁ πέμψας με πατὴρ ἐκεῖνος μεμαρτύρηκεν περὶ ἐμοῦ. οὔτε φωνὴν αὐτοῦ πώποτε ἀκηκόατε οὔτε εἶδος αὐτοῦ ἑωράκατε,

口語訳聖書

また、わたしをつかわされた父も、ご自分でわたしについてあかしをされた。あなたがたは、まだそのみ声を聞いたこともなく、そのみ姿を見たこともない。

父なる神もイエスを証しされている。しかし、その証しが「自分の内にとどまる」のは、人がイエスを信じることによる。

3)御言葉によって

ヨハネ5:38

καὶ τὸν λόγον αὐτοῦ οὐκ ἔχετε ἐν ὑμῖν μένοντα, ὅτι ὃν ἀπέστειλεν ἐκεῖνος τούτῳ ὑμεῖς οὐ πιστεύετε.

口語訳聖書

また、神がつかわされた者を信じないから、神の御言はあなたがたのうちにとどまっていない。

ヨハネ5:47

εἰ δὲ τοῖς ἐκείνου γράμμασιν οὐ πιστεύετε, πῶς τοῖς ἐμοῖς ῥήμασιν πιστεύσετε;

口語訳聖書

しかし、モーセの書いたものを信じないならば、どうしてわたしの言葉を信じるだろうか」。

人は神の御言葉によってイエスを神の子と信じ、御言葉は信じる者の「内にとどまる」のである。

ヨハネ5:24

ἀμὴν ἀμὴν λέγω ὑμῖν ὅτι ὁ τὸν λόγον μου ἀκούων καὶ πιστεύων τῶ πέμψαντί με ἔχει ζωὴν αἰώνιον, καὶ εἰς κρίσιν οὐκ ἔρχεται ἀλλὰ μεταβέβηκεν ἐκ τοῦ θανάτου εἰς τὴν ζωήν.

口語訳聖書

よくよくあなたがたに言っておく。わたしの言葉を聞いて、わたしをつかわされたかたを信じる者は、永遠の命を受け、またさばかれることがなく、死から命に移っているのである。

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