ヨハネによる福音書1章4節

ヨハネによる福音書
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Ⅰ 日本語訳聖書 Jn.1:4

【明治元訳】
Jn.1:4 之に生(いのち)あり此生(いのち)は人の光なり

【大正文語訳】
Jn.1:4 之に生命あり、この生命は人の光なりき

【口語訳】
Jn.1:4 この言に命があった。そしてこの命は人の光であった。

Ⅱ 英語訳聖書 Jn.1:4

King James Version
1:4 In him was life; and the life was the light of men.

New King James Version
1:4 In Him was life, and the life was the light of men.

American Standard Version
1:4 In him was life; and the life was the light of men.

Bible in Basic English
1:4 What came into existence in him was life, and the life was the light of men.

Today’s English Version
1:4 The Word was the source of life, and this life brought light to people.

Darby’s English Translation
1:4 In him was life, and the life was the light of men.

Douay Rheims
1:4 In him was life, and the life was the light of men.

Noah Webster Bible
1:4 In him was life; and the life was the light of men.

Weymouth New Testament
1:4 In Him was Life, and that Life was the Light of men.

World English Bible
1:4 In him was life, and the life was the light of men.

Young’s Literal Translation
1:4 In him was life, and the life was the light of men,

Ⅲ ギリシャ語聖書 Jn.1:4

Stephens 1550 Textus Receptus
εν αυτω ζωη ην και η ζωη ην το φως των ανθρωπων

Scrivener 1894 Textus Receptus
εν αυτω ζωη ην και η ζωη ην το φως των ανθρωπων

Byzantine Majority
εν αυτω ζωη ην και η ζωη ην το φως των ανθρωπων

Alexandrian
εν αυτω ζωη ην και η ζωη ην το φως των ανθρωπων

Hort and Westcott
εν αυτω ζωη ην και η ζωη ην το φως των ανθρωπων

Ⅳ ギリシャ語聖書 Interlinear

ヨハネ1:4

ἐν αὐτῶ ζωὴ ἦν, καὶ ἡ ζωὴ ἦν τὸ φῶς τῶν ἀνθρώπων·

口語訳聖書

この言に命があった。そしてこの命は人の光であった。

ἐν αὐτῶ ζωὴ ἦν, καὶ ἡ ζωὴ ἦν τὸ φῶς τῶν ἀνθρώπων·

In him life was, and the life was the light of men;

Ⅴ ギリシャ語聖書 品詞色分け

Jn.1:4

ἐν αὐτῶ ζωὴ ἦν, καὶ ἡ ζωὴ ἦν τὸ φῶς τῶν ἀνθρώπων·

Ⅵ ラテン語聖書 Jn.1:4

Latin Vulgate
Jn.1:4

in ipso vita erat, et vita erat lux hominum:

Life was in Him, and Life was the light of men.

Ⅶ 私訳(詳訳)Jn.1:4

【私訳】「彼<みことば>の内にいのちがあった。そして、このいのちは人のひかりであった」

Ⅷ 聖書引照 Jn.1:4

ヨハネ1:4

ἐν αὐτῶ ζωὴ ἦν, καὶ ἡ ζωὴ ἦν τὸ φῶς τῶν ἀνθρώπων·

口語訳聖書

この言に命があった。そしてこの命は人の光であった。

[この言に命があった] ヨハ5:21,26; 11:25; 14:6; Ⅰコリ15:45; コロ3:4; Ⅰヨハ1:2; 5:11; 黙示22:1
[そしてこの命は人の光であった] ヨハ1:8,9; 8:12; 9:5; 12:35,46; 詩篇84:11; イザ35:4,5; 42:6,7,16; マラ4:2; マタ4:16; ルカ1:78,79; 2:32; 使徒26:23; エペ5:14; Ⅰヨハ1:5-7; 黙示22:16

Ⅸ 新約聖書ギリシャ語語句研究

ヨハネ1:4

ἐν αὐτῶ ζωὴ ἦν, καὶ ἡ ζωὴ ἦν τὸ φῶς τῶν ἀνθρώπων·

口語訳聖書

この言に命があった。そしてこの命は人の光であった。

【この言に】ἐν αὐτῶ

ἐν ἐν エン en {en}   G1722 (pd 前置詞・与)

1)~の中に、~の間に 2)~の上に 3)ところに、のそばに 4)で 3)よって 5)に

αὐτῶ  αὐτός アウトス autos {ow-tos‘} G846 (npdm3s 代名詞・与男3)

1)彼、彼女、それ(三人称の代名詞) 2)自身で、自分から、自分として(強調用法) 3)同じ同一の 4)まさに、ちょうど

【命があった】ζωὴ ἦν

ζωὴ  ζωή ゾーエー  zōē {dzo-ay‘}  G2222 (n-nf-s 名詞・主女)

1)生命、生存、生命力 2)生きて活気ある状態、生きていくこと 3)生活、生存、生き方 4)永遠の命「ζωή ゾーエー」は本来「元気に幸せに活き活きと生きること」の意味がある。(山浦玄嗣『イエスの言葉』)

マタ7:14; 18:8,9; 19:16,17; 19:29; 25:49; マル9:43,45; 10:17;,30; ルカ10:25;12:15; 18:18,30; etc.

ἦν εἰμί エイミ eimi {i-mee‘}  G1510 (viia–3s 動詞・直未完能3単)

1)ある、いる、~である、~です、~だ 2)行われる、おこる、生ずる、現れる、来る 3)いる、滞在する、とどまる 4)存在する 5)生きている

【そして】καὶ  καί カイ kai {kahee}  G2532 (cc 接続詞・等位)

1)~と、~も、そして 2)~さえ、でさえも 3)しかし 4)しかも、それは 5)それでは、それだのに 6)そうすれば、すなわち 7)のみならず、もまた

【この命は】ἡ ζωὴ

ζωὴ  ζωή ゾーエー  zōē {dzo-ay‘}  G2222 (n-nf-s 名詞・主女)

1)生命、生存、生命力 2)生きて活気ある状態、生きていくこと 3)生活、生存、生き方 4)永遠の命

「ζωή ゾーエー」は本来「元気に幸せに活き活きと生きること」の意味がある。(山浦玄嗣『イエスの言葉』)

マタ7:14; 18:8,9; 19:16,17; 19:29; 25:49; マル9:43,45; 10:17;,30; ルカ10:25;12:15; 18:18,30; etc.

【ひとの】τῶν ἀνθρώπων·

ἀνθρώπων·  ἄνθρωπος アンとローポス anthrōpos {anth‘-ro-pos}  G444 (n-gm-p 名詞・属男)

< ἄνήρ 人 +ὤψ  顔

1)人間、人、人類 2)男、夫 3)ある人、或る者、この人

【光で】τὸ φῶς

φῶς  φῶς ふォース phōs {foce}  G5457 (n-nn-s 名詞・主中単)

1)光、発光体 2)あかり、火、灯火 3)昼の光、日の出、光、発光体、天体 4)眼の光、心、理性、理解力

マタ4:16; 5:14,16; 6:23; 17:2; ルカ2:32; 8:16; 11:35; 16:8 etc.

【あった】ἦν εἰμί エイミ eimi {i-mee‘}  G1510 (viia–3s 動詞・直未完能3単)

1)ある、いる、~である、~です、~だ 2)行われる、おこる、生ずる、現れる、来る 3)いる、滞在する、とどまる 4)存在する 5)生きている

Ⅹ 細き聲 聖書研究ノート

ヨハネ1:4

ἐν αὐτῶ ζωὴ ἦν, καὶ ἡ ζωὴ ἦν τὸ φῶς τῶν ἀνθρώπων·

口語訳聖書

この言に命があった。そしてこの命は人の光であった。

 <この言に命があったἐν αὐτῶ ζωὴ ἦν>

之に生命あり、 大正文語訳
之がうちに生命ありて、 ラゲ訳
この言に命があった。 口語訳
この方にいのちがあった。 新改訳
言の内に命があった。 新共同訳
言の内に成ったものは、命であった。 聖書協会共同訳
みことばに生命があり バルバロ訳
み言葉の内に命があった。 フランシスコ会訳
彼の中に生命有り、 日本正教会訳
この方は命をもち、 塚本虎二訳
彼に生(いのち)ありき、 永井直治訳

「ことばλόγος」の「内 ἐν」に、「いのちζωὴ」が「あったἦν」。「ことばλόγος」は「初めに神と共に」あり(οὖτος ἦν ἐν ἀρχῇ πρὸς τὸν θεόνヨハネ1:2)、「ことばλόγος」の内に「いのちζωὴ」があった(成った)。

 <そしてこの命は人の光であったἡ ζωὴ ἦν τὸ φῶς τῶν ἀνθρώπων>

「ことば λόγος」の内にあった「いのち ζωὴ」は。「人の光 τὸ φῶς τῶν ἀνθρώπων」(「人間を照らす光」 新共同訳聖書)であった。

新共同訳聖書はἐν αὐτῶ ζωὴ ἦνを「言の内に命があった」と訳し、聖書協会共同訳聖書は「言の内に成ったものは、命であった」と訳す。αὐτός は、初めに神と共にあったλόγοςであり、λόγος は神であった。(ἐν ἀρχῇ ἦν ὁ λόγος, καὶ ὁ λόγος ἦν πρὸς τὸν θεόν, καὶ θεὸς ἦν ὁ λόγος. ヨハネ1:1)

Ⅺ 心のデボーション

「之に生命あり、この生命は人の光なりき」 ヨハネ1:4 大正文語訳聖書

「言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。」 新共同訳聖書

 「いのちの起源」

聖書は「いのちの起源」を神に見ている。天地創造の以前から、いのちは神の内にあり、生ける神と共にあった(成った)。人のいのちの尊厳は起源である神からくる。地のあらゆるいのちは神とともにある。

(†心のデボーション02190)

† 心のデボーション

「之に生命あり、この生命は人の光なりき」 ヨハネ1:4 大正文語訳聖書

「言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。」 新共同訳聖書

 「命」

漢字の「命」という漢字は「令」に「口」を添えたもので、礼を尽くしてひざまずき、神に聴く人の姿を示す象形文字である。神に聴くことが、人をいのちある者とする。

(†心のデボーション02195)

Ⅻ 聖書ノート その1

「主の内に成りしもの」

ヨハネ1:4

ἐν αὐτῶ ζωὴ ἦν, καὶ ἡ ζωὴ ἦν τὸ φῶς τῶν ἀνθρώπων·

この言に命があった。そしてこの命は人の光であった。口語訳聖書

関連聖書 黙示録22:1~2 Ⅰヨハネ1:2 Ⅰヨハネ5:11 コロサイ3:4 Ⅰコリント15:45

Ⅰ 神の内に成ったもの

黙示録22:1-2

口語訳聖書

御使はまた、水晶のよう に輝いているいのちの水の川をわたしに見せてくれた。この川は、神と小羊との御座から出て、都の大通りの中央を流れている。川の両側にはいのちの木があって、十二種の実を結び、その実は毎月みのり、その木の葉は諸国民をいやす。

黙示録は、「神と小羊との御座から出て、都の大通りの中央を流れている、水晶のように輝いているいのちの水の川」を見ている。初めに神の内に、「いのち」があった。この「いのちζωὴ」は生けるいのちであり、すべてを生成する水の流れとして神の内にあった(成った)。

Ⅱ このいのちが現れ

Ⅰヨハネ1:2

聖書協会共同訳聖書

この命は現れました。御父と共にあったが、私たちに現れたこの永遠の命を、私たちは見て、あなたがたに証しし、告げ知らせるのです。

Ⅰヨハネ5:11

聖書協会共同訳聖書

この証しとは、神が私たちに永遠の命を与えてくださったということです。そして、この命は御子の内にあります。

神の内にあり、神と共にあった(成った)いのちは世に現れた。「現れる φανερόω」は「明らかに(あらわに)する、知らせる、知られる」の意味である。神の内にあった「いのち ζωὴ」は今や世に現われ、あらわらになった。「神の内にあった(成った)永遠の命 ζωὴν αἰώνιον」は、今や、世に現われた。(「この命は現れました。御父と共にあったが、私たちに現れたこの永遠の命を、私たちは見て、あなたがたに証しし、告げ知らせるのです。」Ⅰヨハネ1:2 聖書協会共同訳聖書)

使徒たちは、現れた「神の内にあった(成った)永遠の命ζωὴν αἰώνιον」を見た。そして、それを証しして伝える者となった。「いのちのことば λόγος」は耳で聞き、目で見、じっと見て、手で触るいのちとなった。(Ⅰヨハネ1:1)

Ⅲ あなたがたにも

コロサイ3:4

新改訳聖書

私たちのいのちであるキリストが現れると、そのときあなたがたも、キリストとともに、栄光のうちに現れます。

「神の内にあった(成った)永遠の命 ζωὴν αἰώνιον」は「御霊と水と血」によって証しさ(Ⅰヨハネ5:8)、「御子を信じるすべての者に現わされ、すべての人は使徒たちのように、「この証を自分の心の中に持つ」(Ⅰヨハネ5:10 新改訳聖書)のである。

Ⅰコリント15:45

新共同訳聖書

「最初の人アダムは命のある生き物となった」と書いてありますが、最後のアダムは命を与える霊となったのです

聖書ノート その2

「人を照らす光」

ヨハネ1:4

ἐν αὐτῶ ζωὴ ἦν, καὶ ἡ ζωὴ ἦν τὸ φῶς τῶν ἀνθρώπων·

この言に命があった。そしてこの命は人の光であった。口語訳聖書

関連聖書 ヨハネ1:4 ヨハネ5:2 ヨハネ5:20 ヨハネ5:21 ヨハネ14:6 ヨハネ11:25

Ⅰ 人を照らす光

「ことばλόγος」に「いのちζωὴ」があり、「いのちを照らす人の光」であった。(ヨハネ1:4  ἐν αὐτῶ ζωὴ ἦν, καὶ ἡ ζωὴ ἦν τὸ φῶς τῶν ἀνθρώπων)

Ⅱ 父なる神の内にあるいのち

「いのちを照らす人の光ἐν αὐτῶ ζωὴ ἦν, καὶ ἡ ζωὴ ἦν τὸ φῶς τῶν ἀνθρώπων」(ヨハネ1:4)は、はじめから神の内にあり、神はご自分の内に「いのちζωὴ」を持っておられた。

ヨハネ5:26

ὥσπερ γὰρ ὁ πατὴρ ἔχει ζωὴν ἐν ἑαυτῶ, οὕτως καὶ τῶ υἱῶ ἔδωκεν ζωὴν ἔχειν ἐν ἑαυτῶ·

口語訳聖書

それは、父がご自分のうちに生命をお持ちになっていると同様に、子にもまた、自分のうちに生命を持つことをお許しになったからである。

Ⅲ 神は御子も、ご自分の内にいのちを持つようにされた。

ヨハネ5:20

ὁ γὰρ πατὴρ φιλεῖ τὸν υἱὸν καὶ πάντα δείκνυσιν αὐτῶ ἃ αὐτὸς ποιεῖ, καὶ μείζονα τούτων δείξει αὐτῶ ἔργα, ἵνα ὑμεῖς θαυμάζητε.

口語訳聖書

なぜなら、父は子を愛して、みずからなさることは、すべて子にお示しになるからである。そして、それよりもなお大きなわざを、お示しになるであろう。あなたがたが、それによって不思議に思うためである。

ヨハネ5:21

ὥσπερ γὰρ ὁ πατὴρ ἐγείρει τοὺς νεκροὺς καὶ ζῳοποιεῖ, οὕτως καὶ ὁ υἱὸς οὓς θέλει ζῳοποιεῖ.

口語訳聖書

すなわち、父が死人を起して命をお与えになるように、子もまた、そのこころにかなう人々に命を与えるであろう

神は「ご自分のうちにいのちを持っておられὁ πατὴρ ἔχει ζωὴν ἐν ἑαυτῶ」、御子も「ご自分の内にいのちを持つようにされた τῶ υἱῶ ἔδωκεν ζωὴν ἔχειν ἐν ἑαυτῶ·」(ヨハネ5:26)。それは「父が死者を復活させて命をお与えになるように、子も、自分の望む者に命を与える。ὥσπερ γὰρ ὁ πατὴρ ἐγείρει τοὺς νεκροὺς καὶ ζῳοποιεῖ, οὕτως καὶ ὁ υἱὸς οὓς θέλει ζῳοποιεῖ.」(ヨハネ5:21)ためであった。それは、「父は子を愛して、ご自分のなさることをすべて子に示されるからである。ὁ γὰρ πατὴρ φιλεῖ τὸν υἱὸν καὶ πάντα δείκνυσιν αὐτῶ ἃ αὐτὸς ποιεῖ」(ヨハネ5:20)

Ⅳ わたしは道であり、真理であり、命である

ヨハネ14:6

λέγει αὐτῶ [ὁ] ἰησοῦς, ἐγώ εἰμι ἡ ὁδὸς καὶ ἡ ἀλήθεια καὶ ἡ ζωή· οὐδεὶς ἔρχεται πρὸς τὸν πατέρα εἰ μὴ δι᾽ ἐμοῦ.

口語訳聖書

イエスは彼に言われた、「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。

イエス・キリストは「道であり、真理であり、命であるἐγώ εἰμι ἡ ὁδὸς καὶ ἡ ἀλήθεια καὶ ἡ ζωή」。このイエスにより、イエスを通して、人は神のいのちにいたる。

Ⅴ よみがえりのいのち

ヨハネ11:25

εἶπεν αὐτῇ ὁ ἰησοῦς, ἐγώ εἰμι ἡ ἀνάστασις καὶ ἡ ζωή· ὁ πιστεύων εἰς ἐμὲ κἂν ἀποθάνῃ ζήσεται,

口語訳聖書

イエスは彼女に言われた、「わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる。

イエスを通して与えられる「神のうちにあったいのち」とは「よみがえりのいのちἡ ἀνάστασις(再び立ちあがる)」である。イエスを信じる者は、神の光のなかで、死の体から再び立ち上がる。

聖書ノート その3

 「神の光」

ヨハネ1:4

ἐν αὐτῶ ζωὴ ἦν, καὶ ἡ ζωὴ ἦν τὸ φῶς τῶν ἀνθρώπων·

この言に命があった。そしてこの命は人の光であった。口語訳聖書

関連聖書 ヨハネ1:4 詩篇84:11 マラキ3:20 イザヤ35:5 イザヤ42:6 マタイ4:16

Ⅰ 神は光

「この命は人の光であった」(ヨハネ1:4 聖書協会共同訳聖書)。詩篇84:11で「光」は「שֶׁמֶשׁ シェーメシュ 太陽」に譬えられる。「שֶׁמֶשׁ シェーメシュ 太陽」は「מ‏ָגֵן マーゲン 盾」として、全き道を歩む者に「恵みと栄光」を与え、「良きもの」を惜しまない。

詩篇84:11

כִּי שֶׁמֶשׁ ו מ‏ָגֵן יהוה אֱלהִים חֵן ו כּ‏ָבוֹד נתן יהוה לא מנע טוֹב ל הלךְ בּ תּ‏ָמִים

口語訳聖書

主なる神は日です、盾です。主は恵みと誉とを与え、直く歩む者に良い物を拒まれることはありません。

Ⅱ 義の太陽

マラキ3:20

ו זרח ל ירא שֵׁם שֶׁמֶשׁ צ‏ְד‏ָק‏ָה ו מַר‏ְפֵּא בּ כּ‏ָנָף ו יצא ו פּושׁ כּ עֵגֶל מַר‏ְבֵּק

口語訳聖書

しかしわが名を恐れるあなたがたには、義の太陽がのぼり、その翼には、いやす力を備えている。あなたがたは牛舎から出る子牛のように外に出て、とびはねる。

「שֶׁמֶשׁ シェーメシュ 太陽」は「義の太陽 שֶׁמֶשׁ צ‏ְד‏ָק‏ָה」(マラキ3:20)である。「義 צ‏ְד‏ָק‏ָה」は「正義、広義」の意味と共に「救い」を意味する。神は「義の太陽 שֶׁמֶשׁ צ‏ְד‏ָק‏ָה」を地に昇らせ、人の義の「盾 מ‏ָגֵן」とされる。「義の太陽 שֶׁמֶשׁ צ‏ְד‏ָק‏ָה」は翼をもって高く昇り、「その翼には癒しがある」。人はそれを見て「牛舎の子牛のように(喜び)躍り出て跳ね回る」。

イザヤ35:5

א‏ָז פּקח עַיִן עִוֵּר ו אֹזֶן חֵרֵשׁ פּתח

フランシスコ会訳聖書

その時、見えない人の目は開かれ、聞こえない人の耳は開けられる

「義の太陽 שֶׁמֶשׁ צ‏ְד‏ָק‏ָה」が昇るとき、その翼には癒しがあり(マラキ3:20)、「見えない人の目は開かれ、聞こえない人の耳は開けられる」(イザヤ35:5 フランシスコ会訳聖書)。闇に閉ざされた人は光を見、神の言葉の届かない人の耳は聞こえるようになり、神の言葉を聞く。

Ⅲ 国の光

イザヤ42:6

אֲנִי יהוה קרא בּ צֶדֶק ו חזק בּ יָד ו נצר ו נתן ל בּ‏ְרִית עַם ל אוֹר גּוֹי

口語訳聖書

主なるわたしは正義をもってあなたを召した。わたしはあなたの手をとり、あなたを守った。わたしはあなたを民の契約とし、もろもろの国びとの光として与え、

「義の太陽 שֶׁמֶשׁ צ‏ְד‏ָק‏ָה」は人を照らす神の光であった。この「光」は癒しの光であり、闇に閉ざされた人を光の中に導き、神の言葉を聞くことのできなかった人の耳を開き、神の言葉を聞き従うようにされた。それが「神の光の癒し」であった。さらに、イザヤ42:6は神の光に呼び出された人の「手を取り、守り」、「神の民の契約 ל בּ‏ְרִית עַם」とし、「諸国民の光 ל אוֹר גּוֹי」とされた。

マタイ4:16

ὁ λαὸς ὁ καθήμενος ἐν σκότει φῶς εἶδεν μέγα, καὶ τοῖς καθημένοις ἐν χώρᾳ καὶ σκιᾷ θανάτου φῶς ἀνέτειλεν αὐτοῖς.

口語訳聖書

暗黒の中に住んでいる民は大いなる光を見、死の地、死の陰に住んでいる人々に、光がのぼった」。

「暗やみの中にすわっていた民 ὁ καθήμενος ἐν σκότει」は、「異邦人(諸国民)のガリラヤ Γαλιλαία τῶν ἐθνῶν」(マタイ4:15)である。「神の光」はイスラエルのみならず、諸国民の上に昇り、「神の民」の契約とし、義をもって国を照らす光となられた。

ルカ1:78-79

διὰ σπλάγχνα ἐλέους θεοῦ ἡμῶν, ἐν οἷς ἐπισκέψεται ἡμᾶς ἀνατολὴ ἐξ ὕψους, ἐπιφᾶναι τοῖς ἐν σκότει καὶ σκιᾷ θανάτου καθημένοις, τοῦ κατευθῦναι τοὺς πόδας ἡμῶν εἰς ὁδὸν εἰρήνης

口語訳聖書

これはわたしたちの神のあわれみ深いみこころによる。また、そのあわれみによって、日の光が上からわたしたちに臨み、暗黒と死の陰とに住む者を照し、わたしたちの足を平和の道へ導くであろう

神の光が「義の太陽 שֶׁמֶשׁ צ‏ְד‏ָק‏ָה」として地に昇り、暗闇にある人を癒し、神の民として地を照らす光とされたことは「神の深い憐れみ πλάγχνα ἐλέους θεοῦ ἡμῶν」による。その憐れみにより、「暗黒と死の陰にすわる者たちἐπιφᾶναι τοῖς ἐν σκότει καὶ σκιᾷ θανάτου καθημένοις」を照らし、わたしたちの足を「平和の道εἰς ὁδὸν εἰρήνης」に導く。

聖書ノート その4

「世の光」

ヨハネ1:4

ἐν αὐτῶ ζωὴ ἦν, καὶ ἡ ζωὴ ἦν τὸ φῶς τῶν ἀνθρώπων·

この言に命があった。そしてこの命は人の光であった。口語訳聖書

関連聖書 ヨハネ1:4 ヨハネ1;9 ヨハネ12:46 ヨハネ9:5 ヨハネ12:35 ヘブル13:8

Ⅰ すべての人を照らすまことの光が世に来た

ヨハネ1;9

ἦν τὸ φῶς τὸ ἀληθινόν, ὃ φωτίζει πάντα ἄνθρωπον, ἐρχόμενον εἰς τὸν κόσμον.

口語訳聖書

すべての人を照すまことの光があった。そして、「すべての人を照すまことの光」は世にきた。

「世に来た ἦν」は εἰμί の直説法未完了能動態で、過去における動作や行為が継続されていることをあらわす。「すべての人を照すまことの光があって、世に来ていた」と訳せる。「すべての人を照すまことの光」は過去のある時点にこの世に来て、その後、継続的に世を照らし続ける光となったのである。

創造の以前から神にあったいのちは、今や、人を照らす光として、世に来ていた。「光」は、常に「新しく来る光」であり、常に「新しく人を照らす光」であった。

Ⅱ 世の光

ヨハネ12:46

ἐγὼ φῶς εἰς τὸν κόσμον ἐλήλυθα, ἵνα πᾶς ὁ πιστεύων εἰς ἐμὲ ἐν τῇ σκοτίᾳ μὴ μείνῃ.

口語訳聖書

わたしは光としてこの世にきた。それは、わたしを信じる者が、やみのうちにとどまらないようになるためである。

ヨハネ8:12

πάλιν οὗν αὐτοῖς ἐλάλησεν ὁ ἰησοῦς λέγων, ἐγώ εἰμι τὸ φῶς τοῦ κόσμου· ὁ ἀκολουθῶν ἐμοὶ οὐ μὴ περιπατήσῃ ἐν τῇ σκοτίᾳ, ἀλλ᾽ ἕξει τὸ φῶς τῆς ζωῆς.

口語訳聖書

イエスは、また人々に語ってこう言われた、「わたしは世の光である。わたしに従って来る者は、やみのうちを歩くことがなく、命の光をもつであろう」。

イエスは再び言われた。「私は世の光である。私に従う者は闇の中を歩まず、命の光を持つ。「すべての人を照らすまことの光」はイエス・キリストであった。イエスは「光として世に来たἐγὼ φῶς εἰς τὸν κόσμον ἐλήλυθα」。「来たἐλήλυθα」はἔρχομαι の直説法完了能動態で、過去の動作の結果に基づく現在の状態をあらわしている。イエスは「光」として世に来られた。それによって、信じる者は闇の中を歩むことなく、闇にとどまることがない。

 Ⅲ 世にいる間

ヨハネ9:5

ὅταν ἐν τῶ κόσμῳ ὦ, φῶς εἰμι τοῦ κόσμου.

口語訳聖書

わたしは、この世にいる間は、世の光である

ヨハネ12:35

εἶπεν οὗν αὐτοῖς ὁ ἰησοῦς, ἔτι μικρὸν χρόνον τὸ φῶς ἐν ὑμῖν ἐστιν. περιπατεῖτε ὡς τὸ φῶς ἔχετε, ἵνα μὴ σκοτία ὑμᾶς καταλάβῃ· καὶ ὁ περιπατῶν ἐν τῇ σκοτίᾳ οὐκ οἶδεν ποῦ ὑπάγει.

口語訳聖書

そこでイエスは彼らに言われた、「もうしばらくの間、光はあなたがたと一緒にここにある。光がある間に歩いて、やみに追いつかれないようにしなさい。やみの中を歩く者は、自分がどこへ行くのかわかっていない。

イエスが「世の光」として闇の中にいる者を照らされるのは、「今しばらく」の「この世にいる間」である。しかし、それは「光」にある期限を設けるものではない。イエス・キリストは「昨日も今日も変わることなし」(ヘブル13:8)と言われているからである。その故に、信じる者は「光のあるうちに歩きなさい」と言われるのである。

ヘブル13:8

ἰησοῦς χριστὸς ἐχθὲς καὶ σήμερον ὁ αὐτός, καὶ εἰς τοὺς αἰῶνας.

口語訳聖書

イエス・キリストは、きのうも、きょうも、いつまでも変ることがない。

聖書ノート その5

「異邦人の光」

ヨハネ1:4

ἐν αὐτῶ ζωὴ ἦν, καὶ ἡ ζωὴ ἦν τὸ φῶς τῶν ἀνθρώπων·

この言に命があった。そしてこの命は人の光であった。口語訳聖書

関連聖書 使徒26:23 エペソ5:14 黙示録22:16 Ⅰヨハネ1:5-7

Ⅰ 異邦人の光

使徒26:23

εἰ παθητὸς ὁ χριστός, εἰ πρῶτος ἐξ ἀναστάσεως νεκρῶν φῶς μέλλει καταγγέλλειν τῶ τε λαῶ καὶ τοῖς ἔθνεσιν.

口語訳聖書

すなわち、キリストが苦難を受けること、また、死人の中から最初によみがえって、この国民と異邦人とに、光を宣べ伝えるに至ることを、あかししたのです」。

創造以前から神の内にあり、神と共にあった「いのちのことばὁ λόγος」(ヨハネ1:1~3)は、神の民の光であるだけでなく、異邦人の光であった。

Ⅱ 死者の中から

エペソ5:14

πᾶν γὰρ τὸ φανερούμενον φῶς ἐστιν. διὸ λέγει, ἔγειρε, ὁ καθεύδων, καὶ ἀνάστα ἐκ τῶν νεκρῶν, καὶ ἐπιφαύσει σοι ὁ χριστός.

口語訳聖書

明らかにされたものは皆、光となるのである。だから、こう書いてある、/「眠っている者よ、起きなさい。死人のなかから、立ち上がりなさい。そうすれば、キリストがあなたを照すであろう」。

「異邦人ἔθνος」はユダヤ人に対する異教の民を指すことばである。しかし、それは単にユダヤ人以外の諸国の民をさすものではない。神の言葉に遠く、霊的暗黒に生きる人々はみな「異邦人ἔθνος」である。

「いのちのことばὁ λόγος」は神の民に呼びかけるとともに、「眠っている者(霊的暗黒のなかにあって、神のいのちを失っている者)よ、目覚めて立ちあがれ、神のことばを持たない死せる者(異邦人)よ、「死者の中から」立ちあがれ」と呼びかける。「いのちのことばὁ λόγος」はあらゆる暗黒の中に力なく横たわる者の希望の光である。

Ⅲ 諸教会の光

黙示22:16

ἐγὼ ἰησοῦς ἔπεμψα τὸν ἄγγελόν μου μαρτυρῆσαι ὑμῖν ταῦτα ἐπὶ ταῖς ἐκκλησίαις. ἐγώ εἰμι ἡ ῥίζα καὶ τὸ γένος δαυίδ, ὁ ἀστὴρ ὁ λαμπρὸς ὁ πρωϊνός.

口語訳聖書

わたしイエスは、使をつかわして、諸教会のために、これらのことをあなたがたにあかしした。わたしは、ダビデの若枝また子孫であり、輝く明けの明星である」。

「いのちのことばὁ λόγος」はエルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで」(使徒1:8)宣べ伝えられ、全地の諸教会に真理を伝える光となった。

Ⅰヨハネ1:5-7

5 καὶ ἔστιν αὕτη ἡ ἀγγελία ἣν ἀκηκόαμεν ἀπ᾽ αὐτοῦ καὶ ἀναγγέλλομεν ὑμῖν, ὅτι ὁ θεὸς φῶς ἐστιν καὶ σκοτία ἐν αὐτῶ οὐκ ἔστιν οὐδεμία.

6 ἐὰν εἴπωμεν ὅτι κοινωνίαν ἔχομεν μετ᾽ αὐτοῦ καὶ ἐν τῶ σκότει περιπατῶμεν, ψευδόμεθα καὶ οὐ ποιοῦμεν τὴν ἀλήθειαν·

7 ἐὰν δὲ ἐν τῶ φωτὶ περιπατῶμεν ὡς αὐτός ἐστιν ἐν τῶ φωτί, κοινωνίαν ἔχομεν μετ᾽ ἀλλήλων καὶ τὸ αἷμα ἰησοῦ τοῦ υἱοῦ αὐτοῦ καθαρίζει ἡμᾶς ἀπὸ πάσης ἁμαρτίας.

口語訳聖書

5わたしたちがイエスから聞いて、あなたがたに伝えるおとずれは、こうである。神は光であって、神には少しの暗いところもない。

6神と交わりをしていると言いながら、もし、やみの中を歩いているなら、わたしたちは偽っているのであって、真理を行っているのではない。

7しかし、神が光の中にいますように、わたしたちも光の中を歩くならば、わたしたちは互に交わりをもち、そして、御子イエスの血が、すべての罪からわたしたちをきよめるのである。

地の果てにまで伝えられた「いのちのことばὁ λόγος」によって、地の諸教会はその果てにいたるまで、互いに交わりをもち、イエスに血によりすべての罪から人をきよめる業をなす。

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