ヨハネによる福音書1章1節

ヨハネによる福音書
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Ⅰ 日本語訳聖書 Jn.1:1

【明治元訳】
Jn.1:1 太初(はじめ)に道(ことば)あり道(ことば)は神偕にあり道(ことば)は即ち神なり

【大正文語訳】
Jn.1:1 太初に言あり、言は神と偕にあり、言は神なりき。

【口語訳】
Jn.1:1 初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。

Ⅱ 英語訳聖書  Jn.1:1

King James Version
1:1 In the beginning was the Word, and the Word was with God, and the Word was God.

New King James Version
1:1 In the beginning was the Word, and the Word was with God, and the Word was God.

American Standard Version
1:1 In the beginning was the Word, and the Word was with God, and the Word was God.

Bible in Basic English
1:1 From the first he was the Word, and the Word was in relation with God and was God.

Today’s English Version
1:1 In the beginning the Word already existed; the Word was with God, and the Word was God.

Darby’s English Translation
1:1 In the beginning was the Word, and the Word was with God, and the Word was God.

Douay Rheims
1:1 In the beginning was the Word, and the Word was with God, and the Word was God.

Noah Webster Bible
1:1 In the beginning was the Word, and the Word was with God, and the Word was God.

Weymouth New Testament
1:1 In the beginning was the Word, and the Word was with God, and the Word was God.

World English Bible
1:1 In the beginning was the Word, and the Word was with God, and the Word was God.

Young’s Literal Translation
1:1 In the beginning was the Word, and the Word was with God, and the Word was God;

Ⅲ ギリシャ語聖書 Jn.1:1

 Stephens 1550 Textus Receptus
εν αρχη ην ο λογος και ο λογος ην προς τον θεον και θεος ην ο λογος

Scrivener 1894 Textus Receptus
εν αρχη ην ο λογος και ο λογος ην προς τον θεον και θεος ην ο λογος

Byzantine Majority
εν αρχη ην ο λογος και ο λογος ην προς τον θεον και θεος ην ο λογος

Alexandrian
εν αρχη ην ο λογος και ο λογος ην προς τον θεον και θεος ην ο λογος

Hort and Westcott
εν αρχη ην ο λογος και ο λογος ην προς τον θεον και θεος ην ο λογος

Ⅳ ギリシャ語聖書 Interlinear

ヨハネ1:1

ἐν ἀρχῇ ἦν ὁ λόγος, καὶ ὁ λόγος ἦν πρὸς τὸν θεόν, καὶ θεὸς ἦν ὁ λόγος.

口語訳聖書

初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。

ἐν  ἀρχῇ    ἦν   ὁ λόγος,   καὶ   ὁ   λόγος   ἦν   πρὸς   τὸν θεόν,
In[the]beginning   was  the Word,   and   the Word     was   with       God,

καὶ   θεὸς   ἦν    ὁ   λόγος.
and    God   was   the   Word.

Ⅴ ギリシャ語聖書 品詞色分け

ヨハネ1:1

ἐν ἀρχῇ ἦν ὁ λόγοςκαὶ ὁ λόγος ἦν πρὸς τὸν θεόνκαὶ θεὸς ἦν ὁ λόγος.

Ⅵ ラテン語聖書 Jn.1:1

Latin Vulgate
Jn.1:1

In principio erat Verbum, et Verbum erat apud Deum, et Deus erat Verbum.
In the beginning was the Word, and the Word was with God, and God was the Word.

~ The words ‘Deus’ and ‘Verbum’ are both in the nominative case, so the text could be read as ‘God was the Word,’ or as ‘the Word was God.’ However, word order in Latin is not entirely irrelevant, therefore this translation prefers ‘God was the Word,’ over ‘the Word was God.’ The same translation choice is made in the original Rheims New Testament of 1582.

Ⅶ 私訳(詳訳)Jn.1:1

「初めに<天と地の初めの起源、根源として>ことば<対話、理由、ことば>があった。ことば<対話、理由、ことば>は神と共に<神に向かって、面前に>あった。ことば<対話、理由、ことば>は神であった。」

Ⅷ 聖書引照 Jn.1:1

Jn.1:1 初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。

[初めに]  創世1:1; 箴言8:22~31; エペ3:8~12; コロ1:17; ヘブ1:1~3,10; 7:3; 13:8; 黙示1:2,8,11; 2:8; 21:6; 22:13
[言があった]  ヨハ1:14; Ⅰヨハ1:1~2; 1Jo 5:7; 黙示19:11~13
[言は神と共にあった]  ヨハ1:2,18; 16:28; 17:2~5; 箴言8:22~31; Ⅰヨハ1:2
[言は神であった]  ヨハ10:30~33; 20:28; 詩篇45:6; イザ7:14; 9:6; 40:9~11; マタ1:23; ロマ9:5; ピリ2:6; Ⅰテモ3:16; テト2:13; ヘブ1:8~13; Ⅱペテ1:1;Ⅰヨハ5:7,20

Ⅸ 新約聖書ギリシャ語語句研究

ヨハネ1:1

ἐν ἀρχῇ ἦν ὁ λόγος, καὶ ὁ λόγος ἦν πρὸς τὸν θεόν, καὶ θεὸς ἦν ὁ λόγος.

口語訳聖書

初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。

【初めに】 ν ρχ

【初め】 ρχ   ἀρχή   アルケー archē {ar-khay’}   G746  (n-df-s 名詞 与女単)

1)初め、最初、発端、源、起源、根源、原初 2)原因、根拠 3)権威、王権、支配、統治 4)初めの者、先導者、支配者 5)(物の)末端、角

マタ19:4,8; 24:8,21,  マル1:1; 10:6; 13:8; 15:27; ルカ1:1,2; 6:64; 8:44; 15:27; 16:4;  使徒11:15; 26:4; コロ1:18; 2:13;  ヘブ1:10;  Ⅰヨハ1:1; 2:7,14;  黙示21:6; 22:13; etc.

【に】 ν  ἐν エン en {en}   G1722 (pd 前置詞 与)

1)~の中に、~の間に 2)~の上に 3)ところに、のそばに 4)で 3)よって 5)に

【み言葉があった】 ν λόγος

【み言葉が】 λόγος 

λόγος λόγος  ろゴス  logos {log‘-os}  G3056 (n-nm-s 名詞 主男単)

1)言葉、語、言語表現  2)言説、言論、物語、会話、談話、話し合い 3)言表、話、対話、弁舌、説明 4)理性、理解力、理由、根拠 5)計算、勘定、会計、決算、会計報告 6)語、文、句、章、巻 7)評価、秤量  8)神のメッセージ、教理、教義

【あった】ἦν εἰμί エイミ  eimi {i-mee‘} (viia–3s 動詞 直未完能3単)

1)ある、いる、~である、~です、~だ 2)行われる、おこる、生ずる、現れる、来る 3)いる、滞在する、とどまる 4)存在する 5)生きている

【み言葉は神とともにあった】  λόγος ν πρς τν θεόν

【み言葉は】λόγος 

λόγος λόγος  ろゴス  logos {log‘-os}  G3056 (n-nm-s 名詞 主男単)

1)言葉、語、言語表現  2)言説、言論、物語、会話、談話、話し合い 3)言表、話、対話、弁舌、説明 4)理性、理解力、理由、根拠 5)計算、勘定、会計、決算、会計報告 6)語、文、句、章、巻 7)評価、秤量  8)神のメッセージ、教理、教義

【神と】τν θεόν 

θεόν θεός てオス  theos {theh‘-os}  G2316  (n-am-s 名詞 対男単)

1)神 2)神性 3)唯一の神

θεός の語源は次の二語に求められる
1 τεθειχέναι 万物を自らの基の上に置く
2  θέειν 駆ける

【ともに】πρς  πρός プロス pros {pros}  G4314 (pa 前置詞 対)

1)~のところへ、~の方へ、~に向かって 2)~の近くに、~の側に、~に接して 3)~のために 4)~に対して 5)~について 6)~の面前で

【あった】ν εἰμί エイミ  eimi {i-mee‘}  (viia–3s 動詞 直未完能3単)

1)ある、いる、~である、~です、~だ 2)行われる、おこる、生ずる、現れる、来る 3)いる、滞在する、とどまる 4)存在する 5)生きている

【み言葉は神であった】

【み言葉は】ὁ λόγος

λόγος  λόγος  ろゴス  logos {log‘-os}  G3056  (n-nm-s 名詞 主男単)

1)言葉、語、言語表現  2)言説、言論、物語、会話、談話、話し合い 3)言表、話、対話、弁舌、説明 4)理性、理解力、理由、根拠 5)計算、勘定、会計、決算、会計報告 6)語、文、句、章、巻 7)評価、秤量  8)神のメッセージ、教理、教義

【神で】θες  θεός てオス  theos {theh‘-os}  (n-nm-s 名詞 主男単)

1)神 2)神性 3)唯一の神

θεός の語源は次の二語に求められる
1 τεθειχέναι 万物を自らの基の上に置く
2  θέειν 駆ける

【あった】ν εἰμί エイミ  eimi {i-mee‘}  G1510  (viia–3s 動詞 直未完能3単)

1)ある、いる、~である、~です、~だ 2)行われる、おこる、生ずる、現れる、来る 3)いる、滞在する、とどまる 4)存在する 5)生きている

Ⅹ 細き聲 聖書研究ノート

ヨハネ1:1

ἐν ἀρχῇ ἦν ὁ λόγος, καὶ ὁ λόγος ἦν πρὸς τὸν θεόν, καὶ θεὸς ἦν ὁ λόγος.

口語訳聖書

初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。

 <ヨハネ1:1>

ギュツラフ『約翰(ヨハネ)福音之伝』

「ハジマリニ カシコイモノゴザル、コノカシコイモノ ゴクラクトトモニゴザル、コノカシコイモノワゴクラク。ハジマリニ コノカシコイモノ ゴクラクトトモニゴザル。」 (ヨハネ1:1~2)

ヘボン1872年訳

「元始(はじめ)に言霊(ことだま)あり 言霊は神とともにあり 言霊ハ神なり。この言霊ハはじめに神とともにあり。よろづのものこれにてなれり なりしものハこれにあらでひとつとしてなりしものハなし。これに生(いのち)ありし いのちは人のひかりなりし。」 (ヨハネ1:1~4、ヘボン1872年訳『新約聖書約翰(ヨハネ)伝』)

 <初めにことばがあった ἐν ἀρχῇ ἦν ὁ λόγος,>

「初めにἐν ἀρχῇ」は、創世記1:1 「初めに神は天と地を創造された。ἐν ἀρχῇ ἐποίησεν ὁ θεὸς τὸν οὐρανὸν καὶ τὴν γῆνLXX」に対応する。

「ことばὁ λόγος」は天地創造の前から神とともにあった。神は、この「ことばὁ λόγος」によって天と地を創造された。

「御言葉(ὁ λόγος)によって天は造られ/主の口の息吹によって天の万象は造られた。」 詩篇33:6 新共同訳聖書

旧約外典知恵の書は天地創造の前から神と共にあった「ことばὁ λόγος」を「知恵」と呼ぶ。

「先祖の神、憐みの主よ、あなたはみ言葉によって万物を造り、知恵をもって人を形づくられました。」 知恵の書9:1-2 フランシスコ会訳聖書

 <ことばは神と共にあった καὶ ὁ λόγος ἦν πρὸς τὸν θεόν,>

「πρὸς τὸν θεόν神と共に」 πρὸς の対格は、「~に向かって」をあらわし、「ことばὁ λόγος」が常に神に「向いて(共に)」あったことを示す。

「我は有て在る者なり」(出エジプト3:14 明治元訳聖書)

 <ことばは神であったκαὶ θεὸς ἦν ὁ λόγος.>

「ことばὁ λόγος」は、モーセに「我は有て在る者なり」(出エジプト3:14 明治元訳聖書)と御自身を現わされた神と共にあって、「生ける、存在の神 θεὸς」であった。

Ⅺ 心のデボーション

「太初に言あり、言は神と偕にあり、言は神なりき」 ヨハネ1:1  大正文語訳聖書

「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった」 口語訳聖書

 「はじめ」

創世記1:1に「初めに、神が天と地を創造した」と人間のはじめとしての天と地の創造を語り、ヨハネ1:1は「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった」とイエス・キリストによる新しい人間の創造を語る。二つの「はじめ」は一つである。

心のデボーション  

「太初に言あり、言は神と偕にあり、言は神なりき」 ヨハネ1:1  大正文語訳聖書

「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった」 口語訳聖書

 「すべての道の初め」

「主はその道の初めに私を造った/いにしえの御業の始まりとして。」 箴言8:22 聖書協会共同訳聖書

神は「すべての道の初めに、すべての御業の始まりとして、御子イエス・キリストを置かれる。

「万物は言によって成った。言によらずに成ったものは何一つなかった」 ヨハネ1:3 聖書協会共同訳聖書

(心のデボーション1962)

心のデボーション  

「太初に言あり、言は神と偕にあり、言は神なりき」 ヨハネ1:1  大正文語訳聖書

「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった」 口語訳聖書

 「いのちと力の希望」

「この世に先立って、初めに/主は私を造られた。/私は、永遠に至るまで、消え去ることがない。」 ベン=シラの知恵24:9 聖書協会共同訳聖書

「〔私は、美しい愛と畏れ/知識と清い希望の母であり/主に選ばれ、永遠の命を受けた/私の子どもたちに、これを与える。〕」 ベン=シラの知恵24:18 聖書協会共同訳聖書

すべてに先だって、「知恵」が造られ、「知識と希望の母」として主に選ばれ永遠のいのちを受けた者に「いのちと力の希望」を与える。それは永遠に至るまで消え去ることがない。

(心のデボーション1969)

Ⅻ 聖書ノート その1

 「初めに言があった」

「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった」 ヨハネ1:1  口語訳聖書

関連聖書 ヨハネ1:1~2  Ⅰヨハネ1:1~2 Ⅰヨハネ1:1 黙示録19:11~13 ヨハネ5:26 ヨハネ17:2~3

創世記は「はじめに神は天と地とを創造された」(1:1 口語訳聖書)をもって「人間の始まり」としての天と地の創造を語り、ヨハネ福音書は「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった」(1:1 口語訳聖書)をもって、創造の初めに神と共にあった「創造のロゴス」による「新しい人間」を語る。

創世記は、その冒頭に神による人間の始めを語り、ヨハネ福音書は、その冒頭にイエス・キリスによる新しい人間の初めを語るの。神が始められたいのちはイエス・キリストによって組み立てられ、完成する。

Ⅰ 初めからあったもの

天地創造の初めに「神と共にあった「ことばロゴス」は、今や「わたしたちが聞いたもの、目で見たもの、よく見て手でさわったもの」として人の前に現れた。「ロゴス」はすなわち、「いのちの源としてのいのちのことば」である。

「初めからあったもの、わたしたちが聞いたもの、目で見たもの、よく見て手でさわったもの、すなわち、いのちの言について――このいのちが現れたので、この永遠のいのちをわたしたちは見て、そのあかしをし、かつ、あなたがたに告げ知らせるのである。この永遠のいのちは、父と共にいましたが、今やわたしたちに現れたものである」 Ⅰヨハネ1:1~2 口語訳聖書

ことば(ロゴス)

1 初めからあったもの
2 わたしたちが聞いたもの
3 目で見たもの
4 よく見て手でさわったもの

すなわち、「いのちのことば」である。

「ことば ロゴス」は、初めから私と共に在り、今や、「耳で聞き、目で見、つらつら見て手で触ったもの」(Ⅰヨハネ1:1 大正文語訳聖書)となった。すなわち、いのちの言葉なる活ける神イエス・キリスである。

イエス・キリスは「私」の内に在し、「聞く耳をもって聞き、見る目をもって見つめ、つらつら見て手で触れる」(同上・大正文語訳聖書)ことができるようになった。初めから完全なかたちとして内にあるものが、イエスキリストにおいて「私」の内に現わされる。

Ⅱ いのちのことば

天地創造の初めに「神と共にあった言 ロゴス(ヨハネ1:1)は「いのちのことば」(Ⅰヨハネ1:1 新改訳聖書)であった。この「いのち」は「父なる神のうちにあって」、「イエス・キリストのうちにある永遠のいのち」(Ⅰヨハネ1:2 口語訳聖書)であった。

「父がご自分のうちにいのちを持っておられるように、子にも、自分のうちにいのちを持つようにしてくださったからです」 ヨハネ5:26 新改訳聖書

「永遠のいのち」とは、父なる神とイエス・キリストの内に創造の前からあり、神とイエス・キリストによって人間に現わされた「いのち」である。この「いのちのことば」は黙示録19:11~13で「神のことば」と呼ばれる。

「またわたしが見ていると、天が開かれ、見よ、そこに白い馬がいた。それに乗っているかたは、「忠実で真実な者」と呼ばれ、義によってさばき、また、戦うかたである。その目は燃える炎であり、その頭には多くの冠があった。また、彼以外にはだれも知らない名がその身にしるされていた。彼は血染めの衣をまとい、その名は「神の言」と呼ばれた」黙示録19:11~13 口語訳聖書

「神のことば」である「いのちのことば」は、いのちを生み出し、成り立たせ、すべてを成し遂げる。その業は「永遠」である。この「永遠のいのち」は、今や私たちに親しく現わされ、耳で聞き、目で見、つらつら見て手で触れることのできるいのちとなった。

「このいのちが現れたので、この永遠のいのちをわたしたちは見て、そのあかしをし、かつ、あなたがたに告げ知らせるのである。この永遠のいのちは、父と共にいましたが、今やわたしたちに現れたものである」 Ⅰヨハネ1:2  口語訳聖書

Ⅲ 永遠のいのち

「永遠のいのち」は、天地創造の初めに「神と共に」あり(ヨハネ1:1)、「いのちのことば」(Ⅰヨハネ1:1)、すなわちイエス・キリストである。

したがって、「永遠のいのち」とは唯一のまことの神と、神がつかわされたイエス・キリストを知ることである。

「あなたは、子に賜わったすべての者に、永遠の命を授けさせるため、万民を支配する権威を子にお与えになったのですから。 永遠の命とは、唯一の、まことの神でいますあなたと、また、あなたがつかわされたイエス・キリストとを知ることであります。ヨハネ17:2~3 口語訳聖書

イエス・キリストは御父とともにあって、今やわたしたちに現れた

「このいのちが現れたので、この永遠のいのちをわたしたちは見て、そのあかしをし、かつ、あなたがたに告げ知らせるのである。この永遠のいのちは、父と共にいましたが、今やわたしたちに現れたものである」 Ⅰヨハネ1:2  口語訳聖書

聖書ノート その2

 「神と共に」

「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった」 ヨハネ1:1  口語訳聖書

関連聖書 ヨハネ1:1 出エジプト3:14 マタイ1:23

Ⅰ 神と共に

天と地が創造される前から、「ことばロゴス」は「神と共に」あった。

「神と共にπρὸς τὸν θεόν」のギリシャ語πρὸςは対格で、「~に向かって」をあらわす。「ことばὁ λόγος」は常に神に「〔神に〕向いて(共に)」あった。神と「ことば ロゴス」は互いに向き合って存在し、完全な一致の中にいた。

「我は有て在る者なり」(出エジプト3:14 明治元訳聖書)

Ⅱ インマヌエル

マリヤが聖霊によってイエスを身籠ったとき、主の使いが夢にヨセフに現れ、「その名はインマヌエルと呼ばれるであろう」と告げた。

「『見よ、おとめがみごもって男の子を産むであろう。その名はインマヌエルと呼ばれるであろう』。これは、『神われらと共にいます』という意味である。」 マタイ1:23 口語訳聖書)

「神われらと共にいます Μεθ᾽  ἡμῶν ὁ θεός」の「共に」のギリシャ語μετάは、「~の真中に、~の間に、~と共に、連結して、一体となって」の意味である。

神と互いに向き合って存在し、完全な一致の中にあった「ことばロゴス」は、今や、「われらと共に、われの真中に、われらの間に、われらと連結して、われらと一体となる」ために来られた。

人間は、互いに向き合って存在し、完全な一致の中にいた神と「ことばロゴス」の内に招かれ、神に向き合って存在し、神と完全な一致の中に生きる者とされたことにより、すべての創られた人と互いに向き合って存在する者とされるのである。

聖書ノート その3

 「言は神と共にあった」

「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった」 ヨハネ1:1  口語訳聖書

関連聖書 コロサイ1:17 箴言8:22~31 箴言8:30 ヘブル1:1~3 ヘブル1:10~12 Ⅰコリント8:6 コロサイ1:16,17  創世記1:1~5

Ⅰ 天と地の創造のはじめに神と共におられた御子の働き

天と地の創造のはじめに神と共にあったロゴス、すなわち、イエス・キリストは「万物が存在するよりも先に」おられ、万物はロゴス、すなわち、御子イエス・キリストにあって成り立った。

「彼は万物よりも先にあり、万物は彼にあって成り立っている」 コロサイ1:17 口語訳聖書

天と地の創造のはじめに神と共におられた御子の働きについて箴言は詳しく描写している。

箴言8:22~31

8:22主が昔そのわざをなし始められるとき、そのわざの初めとして、わたしを造られた。
8:23いにしえ、地のなかった時、初めに、わたしは立てられた。
8:24まだ海もなく、また大いなる水の泉もなかった時、わたしはすでに生れ、
8:25山もまだ定められず、丘もまだなかった時、わたしはすでに生れた。
8:26すなわち神がまだ地をも野をも、地のちりのもとをも造られなかった時である。
8:27彼が天を造り、海のおもてに、大空を張られたとき、わたしはそこにあった。
8:28彼が上に空を堅く立たせ、淵の泉をつよく定め、
8:29海にその限界をたて、水にその岸を越えないようにし、また地の基を定められたとき、
8:30わたしは、そのかたわらにあって、名匠となり、日々に喜び、常にその前に楽しみ、
8:31その地で楽しみ、また世の人を喜んだ。  口語訳聖書

箴言8:30

「わたしは、そのかたわらにあって、名匠となり」口語訳聖書

「我はその傍にありて創造者となり」 明治元訳聖書

「わたしは神のかたわらで、これを組み立てる者であった」 新改訳聖書

「わたしは建築士のように神の傍らにいた」 フランシスコ会訳聖書

「私は建築技師のように、彼のそばにいた」 バルバロ訳聖書

神が天と地を創造されたとき、御子はそのかたわらにあって、これを組み立てられた。御子は神のかたわらにあって、名匠のごとく、建築士・建築技師のごとく、天と地を組み立てられ、万物は御子にあって成り立った。万物と人は、神によって創造され、御子によって組み立てられ、保たれ、存在し、成り立つ。(ヘブル1:1-3 Ⅰコリント8:6 コロサイ1:16,17 )

Ⅱ 創造のロゴス

「ことば」すなわち「ロゴス」は、天と地を創造した。神の創造された天と地は固定され変化のない天と地ではなかった。神の創造された天と地は一つのいのちのように躍動し、成長する世界であった。神は創造し続ける神であり、創造を成し遂げる神、すなわち「創造のロゴス」である。

創世記1:1-5 口語訳聖書

1:1はじめに神は天と地とを創造された。
1:2地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。
1:3神は「光あれ」と言われた。すると光があった。
1:4神はその光を見て、良しとされた。神はその光とやみとを分けられた。
1:5神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた。夕となり、また朝となった。第一日である。

天と地の創造において、神が「光よあれ」と言われると、「光」があった。神が語られると、ことばは、それと寸分変わらぬ存在となった。「ロゴス」は創造し、働き続ける創造の力である。

Ⅲ 創造の保持と完成

神のかたわらにおられた「いのちのことば」(Ⅰヨハネ1:1 新改訳聖書)、すなわちロゴスである御子によって、「もろもろの世界」は創造された。そして、ロゴスである御子は「その力あることばをもって万物を保っておられる」。(ヘブル1: 3 口語訳聖書)

ヘブル1:1~3 口語訳聖書

1:1神は、むかしは、預言者たちにより、いろいろな時に、いろいろな方法で、先祖たちに語られたが、
1:2この終りの時には、御子によって、わたしたちに語られたのである。神は御子を万物の相続者と定め、また、御子によって、もろもろの世界を造られた。
1:3御子は神の栄光の輝きであり、神の本質の真の姿であって、その力ある言葉をもって万物を保っておられる。そして罪のきよめのわざをなし終えてから、いと高き所にいます大能者の右に、座につかれたのである。

 <新しい創造>

天も地も神の「御手のわざ」である(詩篇102:25 新改訳聖書)、しかし、ヘブル1:11~12 に、被造世界はことごとく「みな滅びる」と記されている。「すべてのものは衣のように古び、外套のように巻かれる。これらのものは、衣のように変る」。(ヘブル1:11~12 口語訳聖書)

変化は天と地の創造の不完全性を意味するものではない。変化こそが神の創造の核である。

ヘブル1:10~12 口語訳聖書

1:11これらのものは滅びてしまうが、あなたは、いつまでもいますかたである。すべてのものは衣のように古び、
1:12それらをあなたは、外套のように巻かれる。これらのものは、衣のように変るが、あなたは、いつも変ることがなく、あなたのよわいは、尽きることがない」とも言われている。(ヘブル1:10~12は詩篇102:25~27の引用である)すべてのものは衣のようにすりきれ変化する。しかし、神は人が古びた衣を変えるように常に世界を変えられる。変化は新しい創造である。

万物も人のいのちも絶えざる変化の中にある。しかし、神は変わることがなく、その年はつきることがない。(ヘブル1:12 口語訳聖書) 神は万物と人間をの変化を成し遂げられる創造の神である。

「イエス・キリストは、きのうも、きょうも、いつまでも変ることがない」 ヘブル13:8 口語訳聖書

天と地を創造された「神のことば」は、今や「生けることば」として、創られたすべてのいのちを新しく創造する。そのいのちは「きのうも、きょうも、いつまでも変ることがない」(ヘブル13:8 口語訳聖書)永遠のいのちである。

聖書ノート その4

 「わたしはアルパであり、オメガである」

「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった」 ヨハネ1:1  口語訳聖書

関連聖書 黙示1:8 黙示2:8 黙示21:5~6 黙示22:13~14

ヨハネ黙示録には、「わたしはアルパであり、オメガである」ということばが4か所ある。神は「初め」を語られ、「終わり」を告げられる。「わたしはアルパであり、オメガである」。

A 黙示1:8

「今いまし、昔いまし、やがてきたるべき者、全能者にして主なる神が仰せになる、「わたしはアルパであり、オメガである ἐγώ εἰμι τὸ ἄλφα καὶ τὸ ὦ, λέγει κύριος ὁ θεός, ὁ ὢν καὶ ὁ ἦν καὶ ὁ ἐρχόμενος, ὁ παντοκράτωρ.」 黙示1:8 口語訳聖書

1 今いまし ὁ ὢν
2 昔いまし ὁ ἦν
3 やがてきたるべき者 ὁ ἐρχόμενος
4 全能者にして主なる神 ὁ παντοκράτωρ

が言われる。「わたしはアルパであり、オメガである」。 ἐγώ εἰμι τὸ ἄλφα καὶ τὸ ὦ

B 黙示2:8

「スミルナにある教会の御使に、こう書きおくりなさい。『初めであり、終りである者、死んだことはあるが生

き返った者が、次のように言われる。』 καὶ τῶ ἀγγέλῳ τῆς ἐν σμύρνῃ ἐκκλησίας γράψον· τάδε λέγει ὁ πρῶτος καὶ ὁ ἔσχατος, ὃς ἐγένετο νεκρὸς καὶ ἔζησεν·」 黙示2:8 口語訳聖書

1 初めであり、終りである者、ὁ πρῶτος καὶ ὁ ἔσχατος
2 死んだことはあるが生き返った者 ὃς ἐγένετο νεκρὸς καὶ ἔζησεν·

C 黙示21:5~6

「すると、御座にいますかたが言われた、「見よ、わたしはすべてのものを新たにする」。また言われた、「書きしるせ。これらの言葉は、信ずべきであり、まことである」。 21:6そして、わたしに仰せられた、「事はすでに成った。わたしは、アルパでありオメガである。初めであり終りである。かわいている者には、いのちの水の泉から価なしに飲ませよう。 καὶ εἶπεν ὁ καθήμενος ἐπὶ τῶ θρόνῳ, ἰδοὺ καινὰ ποιῶ πάντα. καὶ λέγει, γράψον, ὅτι οὖτοι οἱ λόγοι πιστοὶ καὶ ἀληθινοί εἰσιν.6 καὶ εἶπέν μοι, γέγοναν. ἐγώ [εἰμι] τὸ ἄλφα καὶ τὸ ὦ, ἡ ἀρχὴ καὶ τὸ τέλος. ἐγὼ τῶ διψῶντι δώσω ἐκ τῆς πηγῆς τοῦ ὕδατος τῆς ζωῆς δωρεάν.」 黙示21:5~6 口語訳聖書

1 見よ、わたしはすべてのものを新たにする ἰδοὺ καινὰ ποιῶ πάντα
2 事はすでに成った γέγοναν
3 わたしは、アルパでありオメガである。初めであり終りである ἐγώ [εἰμι] τὸ ἄλφα καὶ τὸ ὦ, ἡ ἀρχὴ
4 かわいている者には、いのちの水の泉から価なしに飲ませよう ἐγὼ τῶ διψῶντι δώσω ἐκ τῆς πηγῆς τοῦ ὕδατος τῆς ζωῆς δωρεάν.

D 黙示22:13~14

「わたしはアルパであり、オメガである。最初の者であり、最後の者である。初めであり、終りである。いのちの木にあずかる特権を与えられ、また門をとおって都にはいるために、自分の着物を洗う者たちは、さいわいである。 ἐγὼ τὸ ἄλφα καὶ τὸ ὦ, ὁ πρῶτος καὶ ὁ ἔσχατος, ἡ ἀρχὴ καὶ τὸ τέλος.14 μακάριοι οἱ πλύνοντες τὰς στολὰς αὐτῶν, ἵνα ἔσται ἡ ἐξουσία αὐτῶν ἐπὶ τὸ ξύλον τῆς ζωῆς καὶ τοῖς πυλῶσιν εἰσέλθωσιν εἰς τὴν πόλιν.」 黙示22:13~14 口語訳聖書

1 わたしはアルパであり、オメガである  ἐγὼ τὸ ἄλφα καὶ τὸ ὦ
2 最初の者であり、最後の者である ὁ πρῶτος καὶ ὁ ἔσχατος
3 初めであり、終りである ἡ ἀρχὴ καὶ τὸ τέλος
4 いのちの木にあずかる特権を与えられ、また門をとおって都にはいるために、自分の着物を洗う者たちは、さいわいである μακάριοι οἱ πλύνοντες τὰς στολὰς αὐτῶν, ἵνα ἔσται ἡ ἐξουσία αὐτῶν ἐπὶ τὸ ξύλον τῆς ζωῆς καὶ τοῖς πυλῶσιν εἰσέλθωσιν εἰς τὴν πόλιν.

神は、「今いまし、昔いまし、やがてきたるべき者」(黙示1:8 口語訳聖書)、「初めであり、終りである者」(黙示2:8 口語訳聖)、「最初の者であり、最後の者」(黙示22:13 口語訳聖書)である。

神は万物と人間の「初め アルパ」であり、そして、「終わり オメガ」である。すべての出来事の「初め アルパ」であり「終わり オメガ」である。「終わり オメガ」は消滅ではなく完成である。神が始めとなられたものは、神が終わりとなられるからである。したがって、死は消滅ではなくいのちの完成である。

人の「初め」には「終わり オメガ」が置かれている。「終わり オメガ」とは「初め アルパの完成」にほかならない。すべての物事と人間に、「初め アルパ」があり「終わり オメガ」がある。

渇く者は神に来たれ。「初めであり終わりである神」(黙示2:8 口語訳聖)が、いのちの水を飲ませてくださる。(ヨハネ4:13~14) 神は復活の神、いのちの神である。人はみな神の中に、自らの存在と出来事の「初め アルパ」と「終わり オメガ」を見出すだろう。

聖書ノート その5

 「御子の働き」

「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった」 ヨハネ1:1  口語訳聖書

関連聖書 コロサイ1:17 箴言8:22~31 ヘブル7:2~3 ヘブル1:10 詩篇102:25~28

Ⅰ 万物は「ロゴス ことば」によって成り立つ

御子は万物より先に存在し、万物は御子にあって成り立った。(箴言8:22~31)

「彼は万物よりも先にあり、万物は彼にあって成り立っている  καὶ αὐτός ἐστιν πρὸ πάντων καὶ τὰ πάντα ἐν αὐτῶ συνέστηκεν.」 コロサイ1:17 口語訳聖書

「主よ、あなたは初めに、地の基をおすえになった。もろもろの天も、み手のわざである καί, σὺ κατ᾽ ἀρχάς, κύριε, τὴν γῆν ἐθεμελίωσας, καὶ ἔργα τῶν χειρῶν σού εἰσιν οἱ οὐρανοί·」 ヘブル1:10 口語訳聖書

「神の子」イエス・キリストは万物より先に神のかたわらにあって、万物を組み立て、常に新しくされる力であった。

Ⅱ 御子の働き

「万物を組み立て、常に新しくされる創造の業」について、ヘブル人への手紙は、この御子を「永遠の大祭司メルキゼデク」(ヘブル7:1~3)として示す。

「それに対して、アブラハムは彼にすべての物の十分の一を分け与えたのである。その名の意味は、第一に義の王、次にまたサレムの王、すなわち平和の王である。彼には父がなく、母がなく、系図がなく、生涯の初めもなく、生命の終りもなく、神の子のようであって、いつまでも祭司なのである。」 ヘブル7:2~3 口語訳聖書

イエスキリストは、「父がなく、母がなく、系図がなく、生涯の初めもなく、生命の終りもなき」(ヘブル7:3 口語訳聖書)神の子であり、「平和の王」(ヘブル7:2 口語訳聖書)、「永遠の大祭司」(同左 口語訳聖書)として、神のかたわらにあって、執り成し、平和をもたらしておられるのである。

神の創られた天と地は固定された世界ではなく、常に新しく生成する世界であった。神はその「初め アルパ」と「終わり オメガ」である。常に新しく生成するいのちが「始め アルバ」であり「終わり オメガ」を成し遂げるのは、「永遠のメルキゼデク・大祭司」(ヘブル1:1~3 口語訳聖書)である「ロゴス ことば」の、「執り成しの業」によるのである。

Ⅲ 天と地は堅く立つ

「ロゴス ことば」として、「御子」は、創造のはじめから「執り成す者」として働かれ、その御子の働きによって天と地は堅く立つのである。

詩篇102:25~28

102:25あなたはいにしえ、地の基をすえられました。天もまたあなたのみ手のわざです。
102:26これらは滅びるでしょう。しかしあなたは長らえられます。これらはみな衣のように古びるでしょう。
あなたがこれらを上着のように替えられると、これらは過ぎ去ります。
102:27しかしあなたは変ることなく、あなたのよわいは終ることがありません。
102:28あなたのしもべの子らは安らかに住み、その子孫はあなたの前に堅く立てられるでしょう。

神の創造されたのは、変化する生きた世界であった。すべての世界は変化する。そして、神のかたわらにあって、執り成しをなさる「ロゴス ことば」によって、すべては「新しく」され、万物は「堅く立つ」のである。

聖書ノート その6

 「言は神であった」

「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった」 ヨハネ1:1  口語訳聖書

関連聖書 詩篇33:6 イザヤ9:5 イザヤ7:14 イザヤ40:9~10 テトス2:13 Ⅰヨハネ5:20 ロマ9:5 ヨハネ10:30 ヨハネ20:25,27,28 ピリピ2:6~11 詩篇45:7

神が天と地を創造される前から、「ことばὁ λόγος」は神と共にあり、「ことばὁ λόγος」は「神」であった。

「御言葉(ὁ λόγος)によって天は造られ/主の口の息吹によって天の万象は造られた。」 詩篇33:6 新共同訳聖書

Ⅰ 預言された「ことば ὁ λόγος」

「ことばὁ λόγος」すなわちイエス・キリストは預言者によって預言された。

「ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。権威が彼の肩にある。その名は、「驚くべき指導者、力ある神/永遠の父、平和の君」と唱えられる。」 イザヤ9:5 新共同訳聖書

「それゆえ、わたしの主が御自ら/あなたたちにしるしを与えられる。見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み/その名をインマヌエルと呼ぶ。」 イザヤ7:14 新共同訳聖書

「高い山に登れ/良い知らせをシオンに伝える者よ。力を振るって声をあげよ/良い知らせをエルサレムに伝える者よ。声をあげよ、恐れるな/ユダの町々に告げよ。見よ、あなたたちの神。見よ、主なる神。彼は力を帯びて来られ/御腕をもって統治される。見よ、主のかち得られたものは御もとに従い/主の働きの実りは御前を進む。」 イザヤ40:9~10 新共同訳聖書

神と共にあり、神てあられた「ことばὁ λόγος」は「驚くべき指導者、力ある神/永遠の父、平和の君」(イザヤ9:5 新改訳聖書)として来られ、その名を「インマヌエル᾽Εμμανουήλ(神は我々と共におられる)」と呼ばれると、預言された。(イザヤ7:14 マタイ1:23 新共同訳聖書)

「高い山に登れ。良い知らせをシオンに伝える者よ。力を振るって声をあげよ。」(イザヤ40:9 新共同訳聖書 「見よ、あなたたちの神。見よ、主なる神。彼は力を帯びて来られ/御腕をもって統治される。」(イザヤ40:10 新共同訳聖書)

Ⅱ 「ことばὁ λόγος」は祝福された望みである

預言者によって預言された「来るべきことばὁ λόγος」を待ち望むことは、神の民の「祝福に満ちた希望」(テトス2:13 新共同訳聖書)となった。

「また、祝福に満ちた希望、すなわち偉大なる神であり、わたしたちの救い主であるイエス・キリストの栄光の現れを待ち望むように教えています。」 テトス2:13 新共同訳聖書

「祝福に満ちた希望」とは、神と共にあり、神てあられた「ことばὁ λόγος」、すなわち、「偉大なる神」であり、「わたしたちの救い主」であるイエス・キリストの栄光の現れを待ち望むことである。

「幸いなる希望τὴν μακαρίαν ἐλπίδα」は、「μακάριος(祝福されるべき、羨むべき、幸福な、めぐまれた、うらやむべき、至福)」の「ἐλπίς(望み、希望)」で「霊的希望(メシアへの希望)」をあらわす。

「祝福に満ちた希望」新共同訳聖書 

「幸いなる希望」聖書協会共同訳聖書

「祝福された望み」新改訳聖書

「福なる望」永井直治訳聖書

「祝福に満ちた希望」フランシスコ会訳聖書

「幸福な希望」塚本虎二訳聖書

預言された、「来るべきことばὁ λόγος」は「幸いなる希望τὴν μακαρίαν ἐλπίδα」への「待ち望み、待望」を与える。「希望」は「待望」を生み出す。この「希望」は「祝福に満ちた希望」である。

Ⅲ 真実を知る理解力

「ことば ὁ λόγος」は人に「真実な方を知る力」を与える。

「わたしたちは知っています。神の子が来て、真実な方を知る力を与えてくださいました。わたしたちは真実な方の内に、その御子イエス・キリストの内にいるのです。この方こそ、真実の神、永遠の命です」 Ⅰヨハネ5:20 新共同訳聖書

「ことば ὁ λόγος」は待ち望む人に真実を解き明かし「神を知る力」を与えてくださる。その結果、「わたしたちは、「真実な方の内に」、「御子イエス・キリストの内にいる」ことを知る。この「ことばὁ λόγος」こそが「真実の神、永遠の命」である。

「先祖たちも彼らのものであり、肉によればキリストも彼らから出られたのです。キリストは、万物の上におられる、永遠にほめたたえられる神、アーメン ὧν οἱ πατέρες, καὶ ἐξ ὧν ὁ χριστὸς τὸ κατὰ σάρκα· ὁ ὢν ἐπὶ πάντων θεὸς εὐλογητὸς εἰς τοὺς αἰῶνας, ἀμήν.」 ロマ9:5 新共同訳聖書

「わたしと父とは一つである ἐγὼ καὶ ὁ πατὴρ ἕν ἐσμεν.」 ヨハネ10:30 新共同訳聖書

Ⅳ トマスの告白

「ことばὁ λόγος」は、預言された「祝福に満ちた希望」であり、待ち望む人に真実を解き明かし「神を知る力」となった。「言は神であった」ことが証しされた。この証しは「告白」において、人の内に働く信仰となる。

トマスは復活されたイエスを目撃した弟子たちから告げられても、信ることができなかった。トマスが弟子たちに、「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない。」と言うと、その8日後にイエスが来られ、トマスに、「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」と言われた。トマスはイエスに、「わたしの主、わたしの神よ」と言った。」 ヨハネ20:25,27,28 新共同訳聖書

こうして、トマスはイエスを「わたしの主、わたしの神ὁ κύριός μου καὶ ὁ θεός μου」(ヨハネ20:28 新共同訳聖書)と告白した最初の弟子となった。「初めに言があった。言は神と共にあった。」(ヨハネ1:1 聖書協会共同訳聖書)は、トマスによって、十字架と復活のイエスを、「わたしの主、わたしの神」と告白する信仰に至るのである。

「キリストは/神の形でありながら/神と等しくあることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして/僕の形をとり/人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで/それも十字架の死に至るまで/従順でした。このため、神はキリストを高く上げ/あらゆる名にまさる名を/お与えになりました。それは、イエスの御名によって/天上のもの、地上のもの、地下のものすべてが/膝をかがめすべての舌が/「イエス・キリストは主である」と告白して/父なる神が崇められるためです。」ピリピ2:6~11 聖書協会共同訳聖書

「神よ、あなたの王座は代々とこしえに。/あなたの王権の笏は公平の笏。」 詩篇45:7 聖書協会共同訳聖書

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