目録
A. 聖書
B. ギリシャ語研究
Ⅰ πάντα δι᾽ αὐτοῦ ἐγένετο, すべてのものは、これによってできた。
Ⅱ καὶ χωρὶς αὐτοῦ ἐγένετο οὐδὲ ἕν ὃ γέγονεν. できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。
C. 神学的小論
目録
神学的小論① テーマ「ヨハネ1:3 πάνταの考察」
神学的小論② テーマ「存在と非存在」
神学的小論③ テーマ「ヨハネ1:3の対比平行法」
G.ギリシャ語からのShort message
A. 聖書
ギリシャ語聖書
Jn.1:3 πάντα δι᾽ αὐτοῦ ἐγένετο, καὶ χωρὶς αὐτοῦ ἐγένετο οὐδὲ ἕν ὃ γέγονεν
Latin Vulgate
Jn.1:3 Omnia per ipsum facta sunt: et sine ipso factum est nihil, quod factum est,
明治元訳聖書
Jn.1:3 萬物(よろづのもの)これに由て造らる造れたる者に一として之に由らで造れしは無
大正文語訳聖書
Jn.1:3 萬の物これに由りて成り、成りたる物に一つとして之によらで成りたるはなし。
口語訳聖書
Jn.1:3 すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。
King James Version
1:3 All things were made by him; and without him was not any thing made that was made.
American Standard Version
1:3 All things were made through him; and without him was not anything made that hath been made.
B. ギリシャ語研究
目録
Ⅰ πάντα δι᾽ αὐτοῦ ἐγένετο, すべてのものは、これによってできた。
(1) πάντα δι᾽ αὐτοῦ ἐγένετο,の文法的構造と意味
(2) πάντα δι᾽ αὐτοῦ ἐγένετο,の用法
Ⅱ καὶ χωρὶς αὐτοῦ ἐγένετο οὐδὲ ἕν ὃ γέγονεν. できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。
(1) καὶ χωρὶς αὐτοῦ ἐγένετο οὐδὲ ἕν ὃ γέγονεν.の文法的構造と意味
(2) καὶ χωρὶς αὐτοῦ ἐγένετο οὐδὲ ἕν ὃ γέγονεν.の用法
Ⅰ πάντα δι᾽ αὐτοῦ ἐγένετο, すべてのものは、これによってできた。
(1) πάντα δι᾽ αὐτοῦ ἐγένετο,の文法的構造と意味
πάντα 形容詞πᾶς (パース pas {pas})G3956 「何であれすべて」を意味する中性複数形・主格、対象が包括的であることを強調する。πάνταは「πᾶςどれでも、全体の」の複数形
δι᾽ 前置詞 διά(~を通して)の短縮形。属格と共に用いられ、媒介を示す。
αὐτοῦ: 代名詞αὐτός (アウトス autos {ow-tos‘}) G846 の三人称単数の属格代名詞で、前節の「言(λόγος)」を指す。
ἐγένετο 動詞γίνομαι (ギノマイ ginomai {ghin‘-om-ahee})「生じる、存在する」のアオリスト中受動態三人称単数。ここでは、創造の出来事が一度きりの過去の出来事であることを示しています。
意味
「πάντα δι᾽ αὐτοῦ ἐγένετο,(すべてのものは、彼を通して生じた)」
この句は、すべての被造物が「ことば(λόγος)」を媒介として創造されたことを明確に述べる。
(2) πάντα δι᾽ αὐτοῦ ἐγένετο,の用法
「すべてのもの(πάντα)」は「αὐτοῦこの方(ロゴスλόγος)に「διάよって(を通って、の中に、のために、の故に、によって)」創られた。「ロゴスλόγος(キリスト)」が神の創造の力であり、創造されたものが例外なくキリストによることが強調される。
本節はイエス・キリストが「永遠の創造者」であり、すべての存在と出来事が一つの例外もなく、「ロゴスλόγος(キリスト)」によることを明らかにする。「ロゴス(λόγος)ことば」を通じて創造が行われたことは、三位一体の神が協調して働くことを示す。父なる神、子なる神(言ロゴス)、聖霊がすべての創造と救済に関与する。
コロサイ1:16-20
「万物は、天にあるものも地にあるものも、見えるものも見えないものも、位も主権も、支配も権威も、みな御子にあって造られたからである。これらいっさいのものは、御子によって造られ、御子のために造られたのである。 彼は万物よりも先にあり、万物は彼にあって成り立っている。 そして自らは、そのからだなる教会のかしらである。彼は初めの者であり、死人の中から最初に生れたかたである。それは、ご自身がすべてのことにおいて第一の者となるためである。 神は、御旨によって、御子のうちにすべての満ちみちた徳を宿らせ、 そして、その十字架の血によって平和をつくり、万物、すなわち、地にあるもの、天にあるものを、ことごとく、彼によってご自分と和解させて下さったのである。」
へブル1:3
「御子は神の栄光の輝きであり、神の本質の真の姿であって、その力ある言葉をもって万物を保っておられる。そして罪のきよめのわざをなし終えてから、いと高き所にいます大能者の右に、座につかれたのである.]
Ⅱ καὶ χωρὶς αὐτοῦ ἐγένετο οὐδὲ ἕν ὃ γέγονεν. できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。
(1) καὶ χωρὶς αὐτοῦ ἐγένετο οὐδὲ ἕν ὃ γέγονεν.の文法的構造と意味
καὶ (カイkai {kah-ee})G2532 接続詞で「そして」、前節(ヨハネ1:2)とつながり、文の進行を示す。
χωρὶς(こーリス chōris {kho-rece‘ }) G5565、前置詞(属格支配)で「〜なしに」を意味する。
αὐτοῦ 代名詞αὐτός (アウトス autos {ow-tos‘}) G846 の属格代名詞で、「彼」(ロゴス)」を指す。
ἐγένετο 動詞γίνομαι (ギノマイginomai {ghin‘-om-ahee}) G1096なる、生じる」のアオリスト中動態で「なった、造られた」、完成された出来事を示す。創造における出来事が完全に完了したことを強調する。
οὐδέ(ウーデ oude {oo-deh‘}) G3761 接続詞「また~ない」。
ἕν 数詞εἷς(ヘイス heis {hice}) G1520 「一つ」(中性単数主格)。ここでは「何一つ…ない」という全否定の表現。「οὐδὲ ἕν」で「何一つ…ない」。
ὃ 関係代名詞ὅς (ホス hos {hos})G3739 「〜したもの」。
γέγονε 動詞 γίνομαι(ギノマイ ginomai {ghin‘-om-ahee})G1096 の完了形で、「造られた、存在するようになった」。完了形は出来事の結果が現在まで続いていることを示す。
意味: καὶ χωρὶς αὐτοῦ ἐγένετο οὐδὲ ἕν ὃ γέγονεν.
「すべてのもの(宇宙、存在)はロゴス(言葉)を通して造られた。彼なしには何一つ造られたものはない。」
(2) καὶ χωρὶς αὐτοῦ ἐγένετο οὐδὲ ἕν ὃ γέγονεν.の用法
創造主としてのロゴス
「彼(ロゴス)なしには何一つ造られたものはない」は、ロゴスが創造に不可欠な存在であることを強調する。すべての被造物はロゴスによって存在し、ロゴスに依存し、ロゴスによって成る。被造物はロゴスなしには存在し得ない。
この箇所は創世記1章との深い関連性を持ち、「初めに神が天と地を創造した」創世記1:1に対して、ロゴスの働きを再解釈するものである。
C. 神学的小論(ヨハネ1:3)
目録
神学的小論① テーマ「ヨハネ1:3 πάνταの考察」
神学的小論② テーマ「存在と非存在」
神学的小論③ テーマ「ヨハネ1:3の対比平行法」
神学的小論①
テーマ「ヨハネ1:3 πάνταの考察」
序
ヨハネ1:1「πάντα δι᾽ αὐτοῦ ἐγένετο,すべてのもの」は、「〔神の口から出たことばλόγος〕によってできた〔創造された〕」、「ἐγένετο成ったもの〔存在するにいたった、存在を始めた、生じた、現れた、起こった〕もので、これ(ことばλόγος)によらすに成ったものは、何一つなかった」。(ヨハネ1:3)
ヨハネは天地創造の以前から神と共にあった「永遠のロゴス」を1:2で「この方」と呼び、超越的存在である神は、今や「わたしの耳で聴き、目で見、よく見て手でさわる存在」となられたと告白する。この神学的記述は、単なる事実の客観的叙述ではなく、信仰のプロセスを示すものである。ヨハネは自己の存在との関係に「神とロゴスと聖霊」を見る。「時を超越した至高の神」を、「われ」との関わりの内に、「神のロゴス」を経験する信仰への飛躍である。信仰は、神を「超越的な静止した神」ではなく、「動的な神の働き」を自己の内に崇め、経験するることである。信仰とは「神のことば(ロゴス)」に聴き、生きることがすべてである。
(1) 「πᾶς」ではなく「πάντα」
ヨハネ1:3 「πάντα δι᾽ αὐτοῦ ἐγένετο, καὶ χωρὶς αὐτοῦ ἐγένετο οὐδὲ ἕν ὃ γέγονενすべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった」。
ギリシャ語「πᾶς」は「すべての存在」、「何であれ存在するものすべて」を意味する。これに対してヨハネ1:3本文は、「πᾶςの中性・複数・無冠詞形πάνταが用いられる。
「πᾶς 」は、形と冠詞の有無によって意味が変化する。「πᾶς(単数・無冠詞)」が「存在するものはすべて」を意味するのに対して、「πάντα(複数・無冠詞)」は「存在する一切の個物、個々に数えうる一つ一つすべて」を意味する。
パウロは、「万物は、天にあるものも地にあるものも、見えるものも見えないものも、位も主権も、支配も権威も、みな(πάντα)御子にあって造られたからである」(コロサイ1:16)として、「天と地」「見えるものと見えないもの」「位と王権」「支配と権威」の、世界を構成する多様な存在の一つ一つがロゴスを通して成ったことを明示する。ヨハネは、本節に「πᾶς」をあえて、中性複数主格・無冠詞の「πάντα」とすることで、「存在するものの全体πᾶς」ではなく、「存在するもの全体の一つ一つのものπάντα」が、例外なく「ロゴスを通して成ったのである。
(2) 「οὐδὲ ἕν」
ヨハネ1:3「πάντα δι᾽ αὐτοῦ ἐγένετο, すべてのものは、これによってできた」は、直後の否定文「καὶ χωρὶς αὐτοῦ ἐγένετο οὐδὲ ἕν ὃ γέγονενできたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった」によって、「存在するもの全体の一つ一つのものπάντα」に「οὐδὲ ἕν(ただ一つとしてない)」が付加され、「多様な存在の一つ一つが、何一つ例外なしに、完全に」ロゴスによって成った」ことを強調される。
ヨハネ福音書1:3におけるπᾶσαιの用法は、創造された個々一つ一つの存在からの生きた信仰へと進み、多様に存在するものが矛盾することなく関わりあって、一つの根源的意味を成す「いのち」へと収斂されるのことを示す。ヨハネの神学は、現実に存在する一つ一つの実存の深みから根源を目指すものである。それは、直ちに「存在する私」に目を向け、「存在する私」そのもののにおいてでなければ聴き得ない「ロゴス」による救済へ向かわしめるのである。神は、存在するすべてを個々の固有な在り方を通して全体を知らしめ、また、固有なものの全体を通して個々の固有な在り方を成らしめられたのである。
神学的小論②
テーマ「存在と非存在」
序
「存在と非存在」は古代ギリシャの哲学から現代の量子力学まで、多くの哲学者、思想家、科学者が取り組み、議論してきた存在に関する重要なテーマである。パルメニデスは非存在はあり得ないとして変化を否定し、プラトンは現実世界をイデアの影とし存在の本質はイデアにあるとし、ハイデガーは人間が「死」という非存在に直面し「非存在としての死」を意識することによりはじめて「存在」をとらえることができるとした。量子力学では、観測されるまで粒子の位置や運動量が確定しないとして観測されるまでは「存在する」とも「存在しない」ともいえない一種の「非存在的状態」を前提とする。
「存在と非存在」は「人間の存在とは何か?」という問いに避けることのできない実存的問題であり、聖書から、この問いに対する神学的理解を得ることは信仰の確立に欠かすことのできないものと思われる。
「存在と非存在」は、それぞれの立場により定義されるものであり、定義そのものの理解が重要であることは論をまたない。本稿においては、「存在」とは、あるもの(こと)が「在ること」であり、「実存」と「本質」を含む。「非存在」は「存在」に対して、「存在として未だ現れず、現れを待つもの」と定義する。「存在」と「非存在」の関係は、「存在は非存在を、非存在は存在を呼び出し、二つは互いに働き合って存在を成らしめる有機的関係にあり、神と人間の境界をなすもの」と思考する。
Ⅱ 「創造と存在」
ヨハネは、「存在のすべて」は、「天地創造」の以前に神と共にあった「永遠の神なるロゴス」によって、できた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった」(ヨハネ1:1-3)と告げる。
(1) 「ποιέω(poiéō)」と「γίνομαι(ginomai)」
「創造」をあらわすギリシャ語に「ποιέω(poiéō)」と「γίνομαι(ginomai)」があり、共に「創造する」を意味するが、その用法には本質的な違いがある。
創世記1:1のLXX「ἐν ἀρχῇ ἐποίησεν ὁ θεὸς τὸν οὐρανὸν καὶ τὴν γῆν はじめに神は天と地とを創造された」には「ποιέω(poiéō)」が用いられる。これに対してヨハネ1:3は「πάντα δι᾽ αὐτοῦ ἐγένετο, καὶ χωρὶς αὐτοῦ ἐγένετο οὐδὲ ἕν ὃ γέγονεν すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった」と、「ποιέω」ではなく「γίνομαι」を用いる。ヨハネは1:3で、意図的に創世記の「ποιέω」ではなく「γίνομαι」を用いたと思われる。それは「ποιέω」が基本的に、成し遂げられら行為者の「力・意思・目的」を表すのに対して、「γίνομαι」は「生じる、起こる、〜になる」を意味し、創造の主体よりも、出来事そのものに焦点をあて、「存在するように成った」ということを強調するためである。ヨハネ1:3の「γίνομαι」は「非存在から存在への移行」を表し、そのためにあえてこの語が選ばれたと考る。「世界(存在)」は神の意思と主権によって「ποιέω造られ」、「存在し(ἦν)」、「世界(存在)」は「ロゴス」によって「γίνομαι成った(存在が開かれた)」のである。ヨハネの「γίνομαι」は創世記の「ποιέω」と対立するものでも、従うものでもなく、「ποιέω」の働きそのものをさらに深め、創造の神秘を解き明かすのである。
(2) 神の創られた「存在と非存在」
有機的に働く「存在と非存在」は、神が「存在するもの」だけではなく、「存在しようとするもの」を「存在の内に造られた」という神学的考察を可能にする。「存在と非存在」の有機的関係は、「存在」が「非存在(存在しようとするもの)」によって自動的に呼び出されるのでなく、「存在と非存在」が互いに関連し、全体の調和と統一を失うことなく機能することを示す。「非存在」は「可能体」であって、「在れ」と呼びかける「ロゴス」(創世記1:3)によって「成る」のである。「非存在(存在しようとするもの)」は「存在」の内にあって、ロゴスの「在れ」という言葉に「耳を傾け」、「現れんとして現れ」、神の意思に従うのである。
「存在」は「存在する」のであって、「己が存在」を自覚することない。「存在」が「己が存在」を知るのは「非存在」においてである。
(3) 「いのちと死」
ハイデガーは、人間の存在は本質的に「死」という「非存在」に向かう「死への存在」として、他者との関係に生きるものであり、人生に意味と目的はないと思考した。ハイデガーの「死」は断絶であり、消滅である。
これに対して、聖書は、「祝福としての死」を語る。神は「土のちりで人を造り、命の息をその鼻に吹きいれられた。そこで人は生きた者となった」。(創世記2:7) この「存在」は変化することのない固定化されたものではない。神はアダムとエバに「いのちと死の息」を吹き込まれ、人は「生きるもの」となった。「生きる」とは変化することである。
「死」は「罪」によって世界に入ったのではない。創造のはじめから、人間は「生と死のいのち」として存在した。「死」は断絶でも消滅でもなく、互いに呼応して「いのち」を生み出す連続と関係性の「祝福の死」であった。「生と死」は神に属し、「神と共にある」とは、「いのちと共にある」ことであり、「存在」とは「いのち」である。
神が創造された世界は神と共にあり、生物に限らず、無生物を含め、すべての存在は「いのち」であった。すなわち、神が創られたのは、変化することのない固定された世界ではなく、「生と死」が互いに呼応して「いのち(存在)」を生み出し、新たないのちは他との関係を生み出す、連続性と関係性の「生きた世界」であった。
聖書はしばしば、「死」を「眠り」と呼ぶ。(ヨハネ11:11 Ⅰテサロニケ4:13 Ⅰコリント15:20) 「非存在」とは、「存在」の内にあって、「目覚めを待ついのち」であり、死は消滅ではなく、完成であり、「目覚めをまつ眠り」である。
(4) 「死と罪」
「祝福としての死」は「存在」を成らせるエネルギーであるが、それを阻むのが「罪」である。「罪」とは「存在」に「在れ」と呼びかけるロゴスに代わって、人が「非存在」に「かく在れ」と呼びかける行為である。それは神の「存在と非存在」の有機的な結びを退け、人間がロゴスの位置に立とうする意思に始まる行為を意味する。
「罪の支払う報酬は死である。しかし神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスにおける永遠のいのちである。τὰ γὰρ ὀψώνια τῆς ἁμαρτίας θάνατος, τὸ δὲ χάρισμα τοῦ θεοῦ ζωὴ αἰώνιος ἐν χριστῶ ἰησοῦ τῶ κυρίῳ ἡμῶν.」。(ロマ6:23) 「罪の払う報酬」の「報酬ὀψώνιον」という語は、元来「兵士に与えられる食糧、配給、またそれに代わる金銭的支給」を意味する語であるが、パウロは「罪に支払われる報酬(必ず支給される報い)は死である」とした。人間がロゴスの位置に立って「存在と非存在」に呼び出すならば、その行為に見合う「支払い」が為されずにはすまない。「祝福としての死」から「祝福」が失われ、「存在」から本来のいのちが損なわれ、「死」は「断絶と消滅」の象徴となる。
パウロは「罪の支払う報酬は死である。」に続けて、「しかし神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスにおける永遠のいのちである」と告げる。「主キリスト・イエスにおける永遠のいのち」は「報酬ὀψώνιον」ではなく、「賜物χάρισμα(恩寵の賜物)」である。
「罪」は神にあって、人間に「息」として吹き入れられた「いのち」を拒む。しかし、神の創られた世界は「罪」によって損なわれることはなかった。「いのち」は人間の堕落以前から、「受ける資格のない者に、無償で与える「賜物χάρισμα」として与えられ、その意思は永遠に変わることがないからである。
「神はそのひとり子〔ロゴス〕を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子〔ロゴス〕を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである」。(ヨハネ3:16)
Ⅲ 「創世記1:2と存在・非存在」
神が「天と地」を創造されたとき、「地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた」。(創世記1:2)
原初の世界は「形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり」、「神の霊が水のおもてをおおっていた」。「暗黒(やみחשֶׁךְ(choshek)」は「闇、暗黒、暗闇」であり、LXX「σκότος闇、暗黒」。「淵(わだ)תְּהוֹם (tehôm)」は「海、海の深み、深い水、水の湧き上がる深いところ、「混沌 カオス」を意味する。「覆う」は「רחף (rachaph)」で「震える、羽ばたく、舞いかける、おおう」の意味である。神は「定形(かたち)なき、曠空(むなし)き、暗黒(やみ)」の周りを、母鳥の雛鳥の周りを羽ばたくように舞いかけておられた。
旧約聖書には「罪や裁き」をあらわずヘブル語が、「אֹפֶל (ʾōp̄el)暗黒・重苦しい闇」、「צַלְמָוֶת (ṣalmāweṯ)死の陰
(危機・死・裁きの文脈に用いられる)」等々あるが、創世記1章では、それらは一切用いられず、裁きでも罪でもない「暗黒(やみחשֶׁךְ(choshek)」が用いられる。
したがって、創造のはじめにあった「闇」は「存在と非存在」の区別がまだ生じる前の、ロゴスによって「呼び出され、区別され、名付けられる」、秩序も無秩序もなく、「光」に照らされるのを待つ「神の霊におおわれた、すべてを含む未分化の闇」であった。すべての秩序はこの「神の霊におおわれた闇」から生じた。
神学的小論③
テーマ「ヨハネ1:3の対比平行法」
序
ヨハネ1:3「すべてのものは、これ〔ロゴス〕によってできた」「できたもののうち、一つとしてこれ〔ロゴス〕によらないものはなかった」は、へブル語の「対比平行法」として読むことが可能である。
Ⅰ 「ヘブル語の対比平行法」
ヘブル語の対比平行法(antithetic parallelism)は「A と言い、Aと同じ内容をB で否定的に言い直すことによって、Aを絶対化するという形式」で、ヘブル語詩文・叙述で非常に頻繁な技法である。
旧約聖書におおく見られるが、詩篇1:6はその具体例の一つである。
詩篇1:6 ヘブル語
כִּֽי־יוֹדֵעַ יְהוָה דֶּרֶךְ צַדִּיקִים
וְדֶרֶךְ רְשָׁעִים תֹּאבֵד׃
主は正しい者の道を知られる
しかし、悪しき者の道は滅びる。
A「正しい者の道」は「主が「知っている(守り・認める)」を、B「悪しき者の道」は「滅びる」と言い直すことによって、Aが強調される。
Ⅱ 「ヨハネ1:3の対比平行法」
ヨハネが、ヨハネ1:3にヘブル語の「対比平行法」で語ったとして構文を確認すれば、次のようになる。
A(肯定) πάντα δι’ αὐτοῦ ἐγένετο, すべてのものは、これ〔ロゴス〕によってできた。
B(否定) καὶ χωρὶς αὐτοῦ ἐγένετο οὐδὲ ἕν ὃ γέγονεν. できたもののうち、一つとしてこれ〔ロゴス〕によらないものはなかった。
ヨハネ1:3は同じ内容の重複ではない。Aで「すべてのものは、これ〔ロゴス〕によってできた」と述べ、「出来たものに例外があるかもしれない」という微かな疑念にも、B「できたもののうち、一つとしてこれ〔ロゴス〕によらないものはなかった」と否定文によって例外の可能性を完全に否定し、それによってAの「ロゴス」による創造の完全性を強調するのである。ヨハネはここで、「存在するものはすべてロゴスに依存している」という、より深い形而上学的主張をするのである。
ヨハネ1:3に見られる「対比平行法」は他にヨハネ5:20,23; 8:23; 10:27-28 Ⅰヨハネ2:427などにも見られ、ヨハネの文書の特徴をなしている。
G.ギリシャ語からのShort message
目録
Ⅰ 心のデボーション2075 「あらゆるもの(こと)」
Ⅱ 心のデボーション2079 「宇宙万物を」
Ⅲ 心のデボーション3558 「これに由りて成り」
Ⅳ 心のデボーション5225 「御言葉によって」
Ⅴ 心のデボーション5293 「神の息によって」
Ⅰ 心のデボーション2075
「萬の物これに由りて成り、成りたる物に一つとして之によらで成りたるはなし。」 ヨハネ1:3 大正文語訳聖書
「万物は言によって成った。言によらずに成ったものは何一つなかった。」 聖書協会共同訳聖書
「あらゆるもの(こと)」
「万物 πᾶς パース 何であれ、あらゆるもの、全体」は神によって創造された。天と地の「あらゆるもの」と「あらゆること」はかみによって存在に至るのである。(創世記1:1)
現在の「あらゆる出来事」は創造の神による働きである。その意味は神の内に隠されている。
コロサイ1:14
聖書協会共同訳聖書
天にあるものも地にあるものも/見えるものも見えないものも/王座も主権も/支配も権威も/万物は御子において造られたからです。/万物は御子によって、御子のために造られたのです。
関連ギリシャ語
(κτίζω「創造」G3598)
(ἔργον「業、活動、労働、働き」G2041)
Ⅱ 心のデボーション2079
「萬の物これに由りて成り、成りたる物に一つとして之によらで成りたるはなし。」 ヨハネ1:3 大正文語訳聖書
「すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。」 口語訳聖書
「宇宙万物を」
旧約聖書外典エズラ記(ラテン語)には次のようなことばがある。「私がこれらをあなたの御前で語ったのは、主よ、初めに世をお造りになったのは私たちのためだ、と言われたからです。」(エズラ記(ラテン語)6: 55 聖書協会共同訳聖書) 神は宇宙万物を人のために創られた。
関連ギリシャ語
(κτίζω「創造」G3598)
Ⅲ 心のデボーション3558
「萬の物これに由りて成り、成りたる物に一つとして之によらで成りたるはなし。」 ヨハネ1:3 大正文語訳聖書
「すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。」 口語訳聖書
「これに由りて成り」
「すべてのものは、これによってできたπάντα δι᾽ αὐτοῦ ἐγένετο」を永井直治訳聖書は「すべてのもの、彼によりて刱(はじ)まれり」と訳す。(ヨハネ1:3) 「刱(剏)」は、「井(四角いわくを描いた象形文字)」と、「刄(もとは刀の両脇に﹅印をつけて両刃の刀をあらわす)」を組み合わせた漢字である。 刀で素材にわく型を刻むことを示 す。 最初にわく型を切り込む意から、つくりはじめの意も持つ。
永井直治は神のことばが創造の枠型を刻みはじめ、「刱(はじ)まりたる物に、一つとして彼を離れて刱(はじ)まりしはなし。」と訳す。ギリシャ語γίνομαιは「存在にいたらせる」である。
関連ギリシャ語
(γίνομαι「成る(存在にいたらせる)」G1096)
Ⅳ 心のデボーション5225
「萬の物これに由りて成り、成りたる物に一つとして之によらで成りたるはなし。」 ヨハネ1:3 大正文語訳聖書
「すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。」 口語訳聖書
「御言葉によって」
「万物は言によって成った」。(ヨハネ1:3) 「主が仰せられると、そのようになり」、「命じられると、堅く立つ」。「全地は主を恐れ、世に住むすべての者は主を恐れかしこめ」。(詩篇33:8-9)ものであれ、出来事であれ、すべては神の口から出る「ことば」によって「成り」、「ことば」によって「堅く立つ」。「なるγίνομαι」は「存在するようになる、存在するにいたる、存在を始める、生じる、現れる、おこる、始まる」の意。
関連ギリシャ語
(λόγος「ことば」G3056)
(γίνομαι「成る(存在にいたらせる)」G1096)
Ⅴ 心のデボーション5293
「萬の物これに由りて成り、成りたる物に一つとして之によらで成りたるはなし。」 ヨハネ1:3 大正文語訳聖
「すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。」 口語訳聖書
「神の息によって」
「すべてのもの」は、「〔神の口から出たことば〕によってできた〔創造された〕」。(ヨハネ1:3) 「もろもろの天は主のみことばによって造られ、天の万軍は主の口の息によって造られた」。(詩篇33:6) 「主の口の息」のヘブル語「רוּחַ(H7307)」は「霊、風、息」の意である。人間も神の息「נְשָׁמָה(H5397)」を吹き込まれて「生きもの」となった。(創世2:7)
関連ギリシャ語
(πνεῦμα「息、霊、御霊」G4151)
