G444 ἄνθρωπος 

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ギリシャ語辞典A

G444 ἄνθρωπος  アンとローポス anthrōpos {anth‘-ro-pos}  人間

〔品詞〕名詞
〔語源〕
〔意味〕人間、人
〔使用頻度〕550回

Ⅰ 人

①人

Mat 4:4 イエスは答えて言われた、「『人(ἄνθρωπος)はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである』と書いてある」。
Mat 4:19 イエスは彼らに言われた、「わたしについてきなさい。あなたがたを、人間〔人(ἄνθρωπος)〕をとる漁師にしてあげよう」。
Mat 5:13 あなたがたは、地の塩である。もし塩のききめがなくなったら、何によってその味が取りもどされようか。もはや、なんの役にも立たず、ただ外に捨てられて、人々(ἄνθρωπος)にふみつけられるだけである。
Mat 5:16 そのように、あなたがたの光を人々(ἄνθρωπος)の前に輝かし、そして、人々があなたがたのよいおこないを見て、天にいますあなたがたの父をあがめるようにしなさい。
Mat 5:19 それだから、これらの最も小さいいましめの一つでも破り、またそうするように人(ἄνθρωπος)に教えたりする者は、天国で最も小さい者と呼ばれるであろう。しかし、これをおこないまたそう教える者は、天国で大いなる者と呼ばれるであろう。
Mat 6:1 自分の義を、見られるために人(ἄνθρωπος)の前で行わないように、注意しなさい。もし、そうしないと、天にいますあなたがたの父から報いを受けることがないであろう。
Mat 6:2 だから、施しをする時には、偽善者たちが人(ἄνθρωπος)にほめられるため会堂や町の中でするように、自分の前でラッパを吹きならすな。よく言っておくが、彼らはその報いを受けてしまっている。
Mat 6:5 また祈る時には、偽善者たちのようにするな。彼らは人(ἄνθρωπος)に見せようとして、会堂や大通りのつじに立って祈ることを好む。よく言っておくが、彼らはその報いを受けてしまっている。
Mat 6:14 もしも、あなたがたが、人々(ἄνθρωπος)のあやまちをゆるすならば、あなたがたの天の父も、あなたがたをゆるして下さるであろう。
Mat 6:15 もし人(ἄνθρωπος)をゆるさないならば、あなたがたの父も、あなたがたのあやまちをゆるして下さらないであろう。
Mat 6:16 また断食をする時には、偽善者がするように、陰気な顔つきをするな。彼らは断食をしていることを人(ἄνθρωπος)に見せようとして、自分の顔を見苦しくするのである。よく言っておくが、彼らはその報いを受けてしまっている。
Mat 6:18 それは断食をしていることが人(ἄνθρωπος)に知れないで、隠れた所においでになるあなたの父に知られるためである。すると、隠れた事を見ておられるあなたの父は、報いて下さるであろう。
Mat 7:12 だから、何事でも人々(ἄνθρωπος)からしてほしいと望むことは、人々にもそのとおりにせよ。これが律法であり預言者である。
Mat 8:27 彼らは驚いて言った、「このかたはどういう人(ἄνθρωπος)なのだろう。風も海も従わせるとは」。
Mat 9:8 群衆はそれを見て恐れ、こんな大きな権威を人にお与えになった神をあがめた。
Mat 9:9 さてイエスはそこから進んで行かれ、マタイという人(ἄνθρωπος)が収税所にすわっているのを見て、「わたしに従ってきなさい」と言われた。すると彼は立ちあがって、イエスに従った。
Mat 9:32 彼らが出て行くと、人々は悪霊につかれて口のきけない人(ἄνθρωπος)をイエスのところに連れてきた。
Mat 10:17 人々(ἄνθρωπος)に注意しなさい。彼らはあなたがたを衆議所に引き渡し、会堂でむち打つであろう。
Mat 10:32 だから人(ἄνθρωπος)の前でわたしを受けいれる者を、わたしもまた、天にいますわたしの父の前で受けいれるであろう。
Mat 10:33 しかし、人(ἄνθρωπος)の前でわたしを拒む者を、わたしも天にいますわたしの父の前で拒むであろう。
Mat 10:35 わたしがきたのは、人(ἄνθρωπος)をその父と、娘をその母と、嫁をそのしゅうとめと仲たがいさせるためである。
Mat 10:36 そして家の者が、その人(ἄνθρωπος)の敵となるであろう。
Mat 11:8 では、何を見に出てきたのか。柔らかい着物をまとった人(ἄνθρωπος)か。柔らかい着物をまとった人々(ἄνθρωπος)なら、王の家にいる。
Mat 12:10 すると、そのとき、片手のなえた人(ἄνθρωπος)がいた。人々(ἄνθρωπος)はイエスを訴えようと思って、「安息日に人(ἄνθρωπος)をいやしても、さしつかえないか」と尋ねた。
Mat 12:12 人(ἄνθρωπος)は羊よりも、はるかにすぐれているではないか。だから、安息日に良いことをするのは、正しいことである」。
Mat 12:13 そしてイエスはその人(ἄνθρωπος)に、「手を伸ばしなさい」と言われた。そこで手を伸ばすと、ほかの手のように良くなった。
Mat 12:31 だから、あなたがたに言っておく。人(ἄνθρωπος)には、その犯すすべての罪も神を汚す言葉も、ゆるされる。しかし、聖霊を汚す言葉は、ゆるされることはない。
Mat 12:35 善人(ἄνθρωπος)はよい倉から良い物を取り出し、悪人(ἄνθρωπος)は悪い倉から悪い物を取り出す。
Mat 12:36 あなたがたに言うが、審判の日には、人(ἄνθρωπος)はその語る無益な言葉に対して、言い開きをしなければならないであろう。
Mat 12:43 汚れた霊が人(ἄνθρωπος)から出ると、休み場を求めて水の無い所を歩きまわるが、見つからない。
Mat 12:45 そこでまた出て行って、自分以上に悪い他の七つの霊を一緒に引き連れてきて中にはいり、そこに住み込む。そうすると、その人(ἄνθρωπος)ののちの状態は初めよりももっと悪くなるのである。よこしまな今の時代も、このようになるであろう」。
Mat 13:24 また、ほかの譬を彼らに示して言われた、「天国は、良い種を自分の畑にまいておいた人(ἄνθρωπος)のようなものである。
Mat 13:25 人々(ἄνθρωπος)が眠っている間に敵がきて、麦の中に毒麦をまいて立ち去った。
Mat 13:31 また、ほかの譬を彼らに示して言われた、「天国は、一粒のからし種のようなものである。ある人(ἄνθρωπος)がそれをとって畑にまくと、 
Mat 13:44 天国は、畑に隠してある宝のようなものである。人(ἄνθρωπος)がそれを見つけると隠しておき、喜びのあまり、行って持ち物をみな売りはらい、そしてその畑を買うのである。
Mat 13:45 また天国は、良い真珠を捜している商人(ἄνθρωπος)のようなものである。
Mat 15:9 人間〔人(ἄνθρωπος)〕のいましめを教として教え、無意味にわたしを拝んでいる』」。
Mat 15:11 口にはいるものは人(ἄνθρωπος)を汚すことはない。かえって、口から出るものが人(ἄνθρωπος)を汚すのである」。
Mat 15:18 しかし、口から出て行くものは、心の中から出てくるのであって、それが人(ἄνθρωπος)を汚すのである。
Mat 15:20 これらのものが人を汚すのである。しかし、洗わない手で食事することは、人(ἄνθρωπος)を汚すのではない」。
Mat 16:23 イエスは振り向いて、ペテロに言われた、「サタンよ、引きさがれ。わたしの邪魔をする者だ。あなたは神のことを思わないで、人(ἄνθρωπος)のことを思っている」。
Mat 17:14 さて彼らが群衆のところに帰ると、ひとりの人(ἄνθρωπος)がイエスに近寄ってきて、ひざまずいて、言った、
Mat 18:7 この世は、罪の誘惑があるから、わざわいである。罪の誘惑は必ず来る。しかし、それをきたらせる人(ἄνθρωπος)は、わざわいである。
Mat 18:12 あなたがたはどう思うか。ある人(ἄνθρωπος)に百匹の羊があり、その中の一匹が迷い出たとすれば、九十九匹を山に残しておいて、その迷い出ている羊を捜しに出かけないであろうか。
Mat 19:3 さてパリサイ人(ἄνθρωπος)たちが近づいてきて、イエスを試みようとして言った、「何かの理由で、夫がその妻を出すのは、さしつかえないでしょうか」。
Mat 19:5 そして言われた、それゆえに、人(ἄνθρωπος)は父母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりの者は一体となるべきである』。
Mat 19:6 彼らはもはや、ふたりではなく一体である。だから、神が合わせられたものを、人(ἄνθρωπος)は離してはならない」。
Mat 19:10 弟子たちは言った、「もし妻に対する夫〔人(ἄνθρωπος)〕の立場がそうだとすれば、結婚しない方がましです」。
Mat 19:12 というのは、母の胎内から独身者に生れついているものがあり、また他〔人(ἄνθρωπος)〕から独身者にされたものもあり、また天国のために、みずから進んで独身者となったものもある。この言葉を受けられる者は、受けいれるがよい」。
Mat 19:26 イエスは彼らを見つめて言われた、「人にはそれはできないが、神にはなんでもできない事はない」。
Mat 21:25 ヨハネのバプテスマはどこからきたのであったか。天からであったか、人(ἄνθρωπος)からであったか」。すると、彼らは互に論じて言った、「もし天からだと言えば、では、なぜ彼を信じなかったのか、とイエスは言うだろう。
Mat 21:26 しかし、もし人(ἄνθρωπος)からだと言えば、群衆が恐ろしい。人々がみなヨハネを預言者と思っているのだから」。
Mat 21:28 あなたがたはどう思うか。ある人(ἄνθρωπος)にふたりの子があったが、兄のところに行って言った、『子よ、きょう、ぶどう園へ行って働いてくれ』。
Mat 22:16 そして、彼らの弟子を、ヘロデ党の者たちと共に、イエスのもとにつかわして言わせた、「先生、わたしたちはあなたが真実なかたであって、真理に基いて神の道を教え、また、人(ἄνθρωπος)に分け隔てをしないで、だれをもはばかられないことを知っています。
Mat 23:4 また、重い荷物をくくって人々(ἄνθρωπος)の肩にのせるが、それを動かすために、自分では指一本も貸そうとはしない。
Mat 23:5 そのすることは、すべて人(ἄνθρωπος)に見せるためである。すなわち、彼らは経札を幅広くつくり、その衣のふさを大きくし、
Mat 23:7 広場であいさつされることや、人々(ἄνθρωπος)から先生と呼ばれることを好んでいる。
Mat 23:13 偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである。あなたがたは、天国を閉ざして人々(ἄνθρωπος)をはいらせない。自分もはいらないし、はいろうとする人をはいらせもしない。
Mat 23:28 このようにあなたがたも、外側は人(ἄνθρωπος)に正しく見えるが、内側は偽善と不法とでいっぱいである。
Mat 25:14 また天国は、ある人(ἄνθρωπος)が旅に出るとき、その僕どもを呼んで、自分の財産を預けるようなものである。
Mat 25:24 一タラントを渡された者も進み出て言った、『ご主人様、わたしはあなたが、まかない所から刈り、散らさない所から集める酷な人(ἄνθρωπος)であることを承知していました。
Mat 26:72 そこで彼は再びそれを打ち消して、「そんな人(ἄνθρωπος)は知らない」と誓って言った。
Mat 26:74 彼は「その人(ἄνθρωπος)のことは何も知らない」と言って、激しく誓いはじめた。するとすぐ鶏が鳴いた。
Mat 27:32 彼らが出て行くと、シモンという名のクレネ人に出会ったので、イエスの十字架を無理に負わせた。
Mat 27:57 夕方になってから、アリマタヤの金持で、ヨセフという名の人(ἄνθρωπος)がきた。彼もまたイエスの弟子であった。

Mar 1:17 イエスは彼らに言われた、「わたしについてきなさい。あなたがたを、人間〔人(ἄνθρωπος)〕をとる漁師にしてあげよう」。
Mar 1:23 ちょうどその時、けがれた霊につかれた者〔人(ἄνθρωπος)〕が会堂にいて、叫んで言った、
Mar 2:27 また彼らに言われた、「安息日は人(ἄνθρωπος)のためにあるもので、人(ἄνθρωπος)が安息日のためにあるのではない。
Mar 3:1 イエスがまた会堂にはいられると、そこに片手のなえた人(ἄνθρωπος)がいた。
Mar 3:3 すると、イエスは片手のなえたその人(ἄνθρωπος)に、「立って、中へ出てきなさい」と言い、
Mar 3:5 イエスは怒りを含んで彼らを見まわし、その心のかたくななのを嘆いて、その人(ἄνθρωπος)に「手を伸ばしなさい」と言われた。そこで手を伸ばすと、その手は元どおりになった。
Mar 4:26 また言われた、「神の国は、ある人(ἄνθρωπος)が地に種をまくようなものである。
Mar 5:2 それから、イエスが舟からあがられるとすぐに、けがれた霊につかれた人(ἄνθρωπος)が墓場から出てきて、イエスに出会った。
Mar 5:8 それは、イエスが、「けがれた霊よ、この人(ἄνθρωπος)から出て行け」と言われたからである。
Mar 7:7 人間〔人(ἄνθρωπος)〕のいましめを教として教え、無意味にわたしを拝んでいる』。
Mar 7:8 あなたがたは、神のいましめをさしおいて、人間〔人(ἄνθρωπος)〕の言伝えを固執している」。
Mar 7:11 それだのに、あなたがたは、もし人(ἄνθρωπος)が父または母にむかって、あなたに差上げるはずのこのものはコルバン、すなわち、供え物ですと言えば、それでよいとして、
Mar 7:15 すべて外から人(ἄνθρωπος)の中にはいって、人(ἄνθρωπος)をけがしうるものはない。かえって、人(ἄνθρωπος)の中から出てくるものが、人をけがすのである。
Mar 7:18 すると、言われた、「あなたがたも、そんなに鈍いのか。すべて、外から人の中にはいって来るものは、人を汚し得ないことが、わからないのか。
Mar 7:20 さらに言われた、「人(ἄνθρωπος)から出て来るもの、それが人(ἄνθρωπος)をけがすのである。
Mar 7:21 すなわち内部から、人(ἄνθρωπος)の心の中から、悪い思いが出て来る。不品行、盗み、殺人、
Mar 7:23 これらの悪はすべて内部から出てきて、人(ἄνθρωπος)をけがすのである」。 
Mar 8:24 すると彼は顔を上げて言った、「人(ἄνθρωπος)が見えます。木のように見えます。歩いているようです」。
Mar 8:27 さて、イエスは弟子たちとピリポ・カイザリヤの村々へ出かけられたが、その途中で、弟子たちに尋ねて言われた、「人々(ἄνθρωπος)は、わたしをだれと言っているか」。
Mar 8:31 それから、人(ἄνθρωπος)の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちに捨てられ、また殺され、そして三日の後によみがえるべきことを、彼らに教えはじめ、 
Mar 8:33 イエスは振り返って、弟子たちを見ながら、ペテロをしかって言われた、「サタンよ、引きさがれ。あなたは神のことを思わないで、人(ἄνθρωπος)のことを思っている」。
Mar 8:36 人(ἄνθρωπος)が全世界をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になろうか。
Mar 8:37 また、人はどんな代価を払って、その命を買いもどすことができようか。
Mar 10:7 それゆえに、人(ἄνθρωπος)はその父母を離れ、
Mar 10:9 だから、神が合わせられたものを、人(ἄνθρωπος)は離してはならない」。
Mar 10:27 イエスは彼らを見つめて言われた、「人(ἄνθρωπος)にはできないが、神にはできる。神はなんでもできるからである」。
Mar 11:2 「むこうの村へ行きなさい。そこにはいるとすぐ、まだだれも〔人の(ἄνθρωπος)〕乗ったことのないろばの子が、つないであるのを見るであろう。それを解いて引いてきなさい。
Mar 11:30 ヨハネのバプテスマは天からであったか、人(ἄνθρωπος)からであったか、答えなさい」。
Mar 11:32 しかし、人(ἄνθρωπος)からだと言えば……」。彼らは群衆を恐れていた。人々(ἄνθρωπος)が皆、ヨハネを預言者だとほんとうに思っていたからである。
Mar 12:1 そこでイエスは譬で彼らに語り出された、「ある人(ἄνθρωπος)がぶどう園を造り、垣をめぐらし、また酒ぶねの穴を掘り、やぐらを立て、それを農夫たちに貸して、旅に出かけた。
Mar 12:14 彼らはきてイエスに言った、「先生、わたしたちはあなたが真実なかたで、だれをも、はばかられないことを知っています。あなたは人(ἄνθρωπος)に分け隔てをなさらないで、真理に基いて神の道を教えてくださいます。ところで、カイザルに税金を納めてよいでしょうか、いけないでしょうか。納めるべきでしょうか、納めてはならないのでしょうか」。
Mar 13:34 それはちょうど、旅に立つ人(ἄνθρωπος)が家を出るに当り、その僕たちに、それぞれ仕事を割り当てて責任をもたせ、門番には目をさましておれと、命じるようなものである。
Mar 14:13 そこで、イエスはふたりの弟子を使いに出して言われた、「市内に行くと、水がめを持っている男に出会うであろう。その人(ἄνθρωπος)について行きなさい。
Mar 14:71 しかし、彼は、「あなたがたの話しているその人(ἄνθρωπος)のことは何も知らない」と言い張って、激しく誓いはじめた。
Mar 15:39 イエスにむかって立っていた百卒長は、このようにして息をひきとられたのを見て言った、「まことに、この人(ἄνθρωπος)は神の子であった」。
Luk 1:25 「主は、今わたしを心にかけてくださって、人々(ἄνθρωπος)の間からわたしの恥を取り除くために、こうしてくださいました」と言った。
Luk 2:14 「いと高きところでは、神に栄光があるように、地の上では、み心にかなう人々(ἄνθρωπος)に平和があるように」。
Luk 2:25 その時、エルサレムにシメオンという名の人(ἄνθρωπος)がいた。この人(ἄνθρωπος)は正しい信仰深い人(ἄνθρωπος)で、イスラエルの慰められるのを待ち望んでいた。また聖霊が彼に宿っていた。
Luk 2:25 その時、エルサレムにシメオンという名の人(ἄνθρωπος)がいた。この人(ἄνθρωπος)は正しい信仰深い人で、イスラエルの慰められるのを待ち望んでいた。また聖霊が彼に宿っていた。
Luk 2:52 イエスはますます知恵が加わり、背たけも伸び、そして神と人(ἄνθρωπος)から愛された。
Luk 4:4 イエスは答えて言われた、「『人(ἄνθρωπος)はパンだけで生きるものではない』と書いてある」。
Luk 4:33 すると、汚れた悪霊につかれた人(ἄνθρωπος)が会堂にいて、大声で叫び出した、
Luk 5:10 シモンの仲間であったゼベダイの子ヤコブとヨハネも、同様であった。すると、イエスがシモンに言われた、「恐れることはない。今からあなたは人間〔人(ἄνθρωπος)〕をとる漁師になるのだ」。
Luk 5:20 イエスは彼らの信仰を見て、「人(ἄνθρωπος)よ、あなたの罪はゆるされた」と言われた。
Luk 6:6 また、ほかの安息日に会堂にはいって教えておられたところ、そこに右手のなえた人(ἄνθρωπος)がいた。
Luk 6:26 人(ἄνθρωπος)が皆あなたがたをほめるときは、あなたがたはわざわいだ。彼らの祖先も、にせ預言者たちに対して同じことをしたのである。
Luk 6:31 人々(ἄνθρωπος)にしてほしいと、あなたがたの望むことを、人々にもそのとおりにせよ。
Luk 6:45 善人(ἄνθρωπος)は良い心の倉から良い物を取り出し。悪人(ἄνθρωπος)は悪い倉から悪い物を取り出す。心からあふれ出ることを、口が語るものである。
Luk 6:48 それは、地を深く掘り、岩の上に土台をすえて家を建てる人(ἄνθρωπος)に似ている。洪水が出て激流がその家に押し寄せてきても、それを揺り動かすことはできない。よく建ててあるからである。
Luk 6:49 しかし聞いても行わない人は、土台なしで、土の上に家を建てた人(ἄνθρωπος)に似ている。激流がその家に押し寄せてきたら、たちまち倒れてしまい、その被害は大きいのである」。
Luk 7:25 では、何を見に出てきたのか。柔らかい着物をまとった人(ἄνθρωπος)か。きらびやかに着かざって、ぜいたくに暮している人々なら、宮殿にいる。
Luk 7:31 だから今の時代の人々(ἄνθρωπος)を何に比べようか。彼らは何に似ているか。
Luk 8:29 それは、イエスが汚れた霊に、その人(ἄνθρωπος)から出て行け、とお命じになったからである。というのは、悪霊が何度も彼をひき捕えたので、彼は鎖と足かせとでつながれて看視されていたが、それを断ち切っては悪霊によって荒野へ追いやられていたのである。
Luk 8:33 そこで悪霊どもは、その人(ἄνθρωπος)から出て豚の中へはいり込んだ。するとその群れは、がけから湖へなだれを打って駆け下り、おぼれ死んでしまった。
Luk 8:35 人々はこの出来事を見に出てきた。そして、イエスのところにきて、悪霊を追い出してもらった人(ἄνθρωπος)が着物を着て、正気になってイエスの足もとにすわっているのを見て、恐れた。
Luk 9:25 人(ἄνθρωπος)が全世界をもうけても、自分自身を失いまたは損したら、なんの得になろうか。
Luk 10:30 イエスが答えて言われた、「ある人(ἄνθρωπος)がエルサレムからエリコに下って行く途中、強盗どもが彼を襲い、その着物をはぎ取り、傷を負わせ、半殺しにしたまま、逃げ去った。
Luk 11:24 汚れた霊が人(ἄνθρωπος)から出ると、休み場を求めて水の無い所を歩きまわるが、見つからないので、出てきた元の家に帰ろうと言って、
Luk 11:26 そこでまた出て行って、自分以上に悪い他の七つの霊を引き連れてきて中にはいり、そこに住み込む。そうすると、その人(ἄνθρωπος)の後の状態は初めよりももっと悪くなるのである」。
Luk 11:44 あなたがたは、わざわいである。人目(ἄνθρωπος)につかない墓のようなものである。その上を歩いても人々は気づかないでいる」。
Luk 11:46 そこで言われた、「あなたがた律法学者も、わざわいである。負い切れない重荷を人(ἄνθρωπος)に負わせながら、自分ではその荷に指一本でも触れようとしない。
Luk 12:9 しかし、人(ἄνθρωπος)の前でわたしを拒む者は、神の使たちの前で拒まれるであろう。
Luk 12:14 彼に言われた、「人(ἄνθρωπος)よ、だれがわたしをあなたがたの裁判人または分配人に立てたのか」。
Luk 12:16 そこで一つの譬を語られた、「ある金持〔金持ちの人(ἄνθρωπος)〕の畑が豊作であった。 
Luk 12:36 主人が婚宴から帰ってきて戸をたたくとき、すぐあけてあげようと待っている人(ἄνθρωπος)のようにしていなさい。
Luk 13:4 また、シロアムの塔が倒れたためにおし殺されたあの十八人は、エルサレムの他の全住民〔人(ἄνθρωπος)〕以上に罪の負債があったと思うか。
Luk 13:19 一粒のからし種のようなものである。ある人(ἄνθρωπος)がそれを取って庭にまくと、育って木となり、空の鳥もその枝に宿るようになる」。
Luk 14:2 するとそこに、水腫をわずらっている人(ἄνθρωπος)が、みまえにいた。
Luk 14:16 そこでイエスが言われた、「ある人(ἄνθρωπος)が盛大な晩餐会を催して、大ぜいの人を招いた。
Luk 14:30 『あの人(ἄνθρωπος)は建てかけたが、仕上げができなかった』と言ってあざ笑うようになろう。
Luk 15:11 また言われた、「ある人(ἄνθρωπος)に、ふたりのむすこがあった。
Luk 16:1 イエスはまた、弟子たちに言われた、「ある金持の〔金持ちの人(ἄνθρωπος)〕ところにひとりの家令がいたが、彼は主人の財産を浪費していると、告げ口をする者があった。 
Luk 16:15 そこで彼らにむかって言われた、「あなたがたは、人々(ἄνθρωπος)の前で自分を正しいとする人たちである。しかし、神はあなたがたの心をご存じである。人々の間で尊ばれるものは、神のみまえでは忌みきらわれる。
Luk 16:19 ある金持〔金持ちの人(ἄνθρωπος)〕がいた。彼は紫の衣や細布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮していた。
Luk 18:2 「ある町に、神を恐れず、人(ἄνθρωπος)を人とも思わぬ裁判官がいた。
Luk 18:4 彼はしばらくの間きき入れないでいたが、そののち、心のうちで考えた、『わたしは神をも恐れず、人を人(ἄνθρωπος)とも思わないが、
Luk 18:11 パリサイ人は立って、ひとりでこう祈った、『神よ、わたしはほかの人たち(ἄνθρωπος)のような貪欲な者、不正な者、姦淫をする者ではなく、また、この取税人のような人間でもないことを感謝します。
Luk 18:27 イエスは言われた、「人(ἄνθρωπος)にはできない事も、神にはできる」。
Luk 19:21 あなたはきびしい方で、おあずけにならなかったものを取りたて、おまきにならなかったものを刈る人(ἄνθρωπος)なので、おそろしかったのです』。
Luk 19:22 彼に言った、『悪い僕よ、わたしはあなたの言ったその言葉であなたをさばこう。わたしがきびしくて、あずけなかったものを取りたて、まかなかったものを刈る人間〔人(ἄνθρωπος)〕だと、知っているのか。
Luk 19:30 「向こうの村へ行きなさい。そこにはいったら、まだだれも〔人の(ἄνθρωπος)〕乗ったことのないろばの子がつないであるのを見るであろう。それを解いて、引いてきなさい。
Luk 20:4 ヨハネのバプテスマは、天からであったか、人(ἄνθρωπος)からであったか」。
Luk 20:6 しかし、もし人からだと言えば、民衆はみな、ヨハネを預言者だと信じているから、わたしたちを石で打つだろう」。
Luk 20:9 そこでイエスは次の譬を民衆に語り出された、「ある人(ἄνθρωπος)がぶどう園を造って農夫たちに貸し、長い旅に出た。
Luk 21:26 人々(ἄνθρωπος)は世界に起ろうとする事を思い、恐怖と不安で気絶するであろう。もろもろの天体が揺り動かされるからである。
Luk 22:10 イエスは言われた、「市内にはいったら、水がめを持っている男に出会うであろう。その人(ἄνθρωπος)がはいる家までついて行って、
Luk 22:58 しばらくして、ほかの人(ἄνθρωπος)がペテロを見て言った、「あなたもあの仲間のひとりだ」。するとペテロは言った、「いや、それはちがう」。
Luk 22:60 ペテロは言った、「〔人よ(ἄνθρωπος)〕、あなたの言っていることは、わたしにわからない」。すると、彼がまだ言い終らぬうちに、たちまち、鶏が鳴いた。
Luk 23:4 そこでピラトは祭司長たちと群衆とにむかって言った、「わたしはこの人(ἄνθρωπος)になんの罪もみとめない」。
Luk 23:14 「おまえたちは、この人(ἄνθρωπος)を民衆を惑わすものとしてわたしのところに連れてきたので、おまえたちの面前でしらべたが、訴え出ているような罪は、この人に少しもみとめられなかった。
Luk 23:47 百卒長はこの有様を見て、神をあがめ、「ほんとうに、この人(ἄνθρωπος)は正しい人であった」と言った。
Joh 1:4 この言に命があった。そしてこの命は人(ἄνθρωπος)の光であった。
Joh 1:6 ここにひとりの人(ἄνθρωπος)があって、神からつかわされていた。その名をヨハネと言った。
Joh 1:9 すべての人を照すまことの光があって、世にきた。
Joh 2:10 言った、「どんな人(ἄνθρωπος)でも、初めによいぶどう酒を出して、酔いがまわったころにわるいのを出すものだ。それだのに、あなたはよいぶどう酒を今までとっておかれました」。
Joh 2:25 また人(ἄνθρωπος)についてあかしする者を、必要とされなかったからである。それは、ご自身人の心の中にあることを知っておられたからである。
Joh 3:1 パリサイ人のひとり〔人(ἄνθρωπος)〕で、その名をニコデモというユダヤ人の指導者があった。
Joh 3:4 ニコデモは言った、「人(ἄνθρωπος)は年をとってから生れることが、どうしてできますか。もう一度、母の胎にはいって生れることができましょうか」。
Joh 3:19 そのさばきというのは、光がこの世にきたのに、人々(ἄνθρωπος)はそのおこないが悪いために、光よりもやみの方を愛したことである。
Joh 3:27 ヨハネは答えて言った、「人(ἄνθρωπος)は天から与えられなければ、何ものも受けることはできない。
Joh 4:28 この女は水がめをそのままそこに置いて町に行き、人々(ἄνθρωπος)に言った、
Joh 4:29 「わたしのしたことを何もかも、言いあてた人(ἄνθρωπος)がいます。さあ、見にきてごらんなさい。もしかしたら、この人がキリストかも知れません」。
Joh 5:5 さて、そこに三十八年のあいだ、病気に悩んでいる人(ἄνθρωπος)があった。
Joh 5:9 すると、この人(ἄνθρωπος)はすぐにいやされ、床をとりあげて歩いて行った。その日は安息日であった。
Joh 5:12 彼らは尋ねた、「取りあげて歩けと言った人(ἄνθρωπος)は、だれか」。
Joh 5:15 彼は出て行って、自分をいやしたのはイエスであったと、ユダヤ人たち(ἄνθρωπος)に告げた。
Joh 5:34 わたしは人(ἄνθρωπος)からあかしを受けないが、このことを言うのは、あなたがたが救われるためである。
Joh 5:41 わたしは人(ἄνθρωπος)からの誉を受けることはしない。
Joh 6:10 イエスは「人々(ἄνθρωπος)をすわらせなさい」と言われた。その場所には草が多かった。そこにすわった男の数は五千人ほどであった。
Joh 6:14 人々はイエスのなさったこのしるしを見て、「ほんとうに、この人(ἄνθρωπος)こそ世にきたるべき預言者である」と言った。
Joh 7:22 モーセはあなたがたに割礼を命じたので、(これは、実は、モーセから始まったのではなく、先祖たちから始まったものである)あなたがたは安息日にも人(ἄνθρωπος)に割礼を施している。
Joh 7:23 もし、モーセの律法が破られないように、安息日であっても割礼を受けるのなら、安息日に人(ἄνθρωπος)の全身を丈夫にしてやったからといって、どうして、そんなにおこるのか。
Joh 7:46 下役どもは答えた、「この人(ἄνθρωπος)の語るように語った者は、これまでにありませんでした」。
Joh 7:51 「わたしたちの律法によれば、まずその人の言い分を聞き、その人(ἄνθρωπος)のしたことを知った上でなければ、さばくことをしないのではないか」。
Luk 19:12 それで言われた、「ある身分の高い人(ἄνθρωπος)が、王位を受けて帰ってくるために遠い所へ旅立つことになった。
Joh 9:11 彼は答えた、「イエスというかた〔人(ἄνθρωπος)〕が、どろをつくって、わたしの目に塗り、『シロアムに行って洗え』と言われました。それで、行って洗うと、見えるようになりました」。
Joh 9:16 そこで、あるパリサイ人たちが言った、「その人(ἄνθρωπος)は神からきた人ではない。安息日を守っていないのだから」。しかし、ほかの人々は言った、「罪のある人が、どうしてそのようなしるしを行うことができようか」。そして彼らの間に分争が生じた。
Joh 9:24 そこで彼らは、盲人であった人をもう一度呼んで言った、「神に栄光を帰するがよい。あの人(ἄνθρωπος)が罪人であることは、わたしたちにはわかっている」。
Joh 9:24 そこで彼らは、盲人であった人(ἄνθρωπος)をもう一度呼んで言った、「神に栄光を帰するがよい。あの人が罪人であることは、わたしたちにはわかっている」。
Joh 10:33 ユダヤ人たちは答えた、「あなたを石で殺そうとするのは、よいわざをしたからではなく、神を汚したからである。また、あなたは人間〔人(ἄνθρωπος)〕であるのに、自分を神としているからである」。
Joh 11:47 そこで、祭司長たちとパリサイ人たちとは、議会を召集して言った、「この人(ἄνθρωπος)が多くのしるしを行っているのに、お互は何をしているのだ。
Joh 11:50 ひとりの人(ἄνθρωπος)が人民に代って死んで、全国民が滅びないようになるのがわたしたちにとって得だということを、考えてもいない」。
Joh 12:43 彼らは神のほまれよりも、人(ἄνθρωπος)のほまれを好んだからである。
Joh 16:21 女が子を産む場合には、その時がきたというので、不安を感じる。しかし、子を産んでしまえば、もはやその苦しみをおぼえてはいない。ひとりの人(ἄνθρωπος)がこの世に生れた、という喜びがあるためである。
Joh 17:6 わたしは、あなたが世から選んでわたしに賜わった人々(ἄνθρωπος)に、み名をあらわしました。彼らはあなたのものでありましたが、わたしに下さいました。そして、彼らはあなたの言葉を守りました。 
Joh 18:17 すると、この門番の女がペテロに言った、「あなたも、あの人(ἄνθρωπος)の弟子のひとりではありませんか」。ペテロは「いや、そうではない」と答えた。
Joh 18:29 そこで、ピラトは彼らのところに出てきて言った、「あなたがたは、この人(ἄνθρωπος)に対してどんな訴えを起すのか」。
Joh 19:5 イエスはいばらの冠をかぶり、紫の上着を着たままで外へ出られると、ピラトは彼らに言った、「見よ、この人(ἄνθρωπος)だ」。
Act 4:12 この人(ἄνθρωπος)による以外に救はない。わたしたちを救いうる名は、これを別にしては、天下のだれにも与えられていないからである」。
Act 4:14 かつ、彼らにいやされた者〔人(ἄνθρωπος)〕がそのそばに立っているのを見ては、まったく返す言葉がなかった。
Act 4:16 言った、「あの人(ἄνθρωπος)たちを、どうしたらよかろうか。彼らによって著しいしるしが行われたことは、エルサレムの住民全体に知れわたっているので、否定しようもない。
Act 4:22 そのしるしによっていやされたのは、四十歳あまりの人(ἄνθρωπος)であった。
Act 5:4 売らずに残しておけば、あなたのものであり、売ってしまっても、あなたの自由になったはずではないか。どうして、こんなことをする気になったのか。あなたは人(ἄνθρωπος)を欺いたのではなくて、神を欺いたのだ」。
Act 5:28 言った、「あの名を使って教えてはならないと、きびしく命じておいたではないか。それだのに、なんという事だ。エルサレム中にあなたがたの教を、はんらんさせている。あなたがたは確かに、あの人(ἄνθρωπος)の血の責任をわたしたちに負わせようと、たくらんでいるのだ」。
Act 5:29 これに対して、ペテロをはじめ使徒たちは言った、「人間〔人(ἄνθρωπος)〕に従うよりは、神に従うべきである。
Act 5:35 一同にむかって言った、「イスラエルの諸君、あの人(ἄνθρωπος)たちをどう扱うか、よく気をつけるがよい。
Act 5:38 そこで、この際、諸君に申し上げる。あの人(ἄνθρωπος)たちから手を引いて、そのなすままにしておきなさい。その企てや、しわざが、人間から出たものなら、自滅するだろう。
Act 6:13 それから、偽りの証人たちを立てて言わせた、「この人(ἄνθρωπος)は、この聖所と律法とに逆らう言葉を吐いて、どうしても、やめようとはしません。
Act 9:33 そして、そこで、八年間も床についているアイネヤという人(ἄνθρωπος)に会った。この人は中風であった。
Act 10:26 するとペテロは、彼を引き起して言った、「お立ちなさい。わたしも同じ人間〔人(ἄνθρωπος)〕です」。
Act 10:28 ペテロは彼らに言った、「あなたがたが知っているとおり、ユダヤ人が他国の人(ἄνθρωπος)と交際したり、出入りしたりすることは、禁じられています。ところが、神は、どんな人間〔人(ἄνθρωπος)〕をも清くないとか、汚れているとか言ってはならないと、わたしにお示しになりました。
Act 12:22 集まった人々(ἄνθρωπος)は、「これは神の声だ、人間の声ではない」と叫びつづけた。
Act 14:11 群衆はパウロのしたことを見て、声を張りあげ、ルカオニヤの地方語で、「神々が人間〔人(ἄνθρωπος)〕の姿をとって、わたしたちのところにお下りになったのだ」と叫んだ。
Act 14:15 言った、「皆さん、なぜこんな事をするのか。わたしたちとても、あなたがたと同じような人間〔人(ἄνθρωπος)〕である。そして、あなたがたがこのような愚にもつかぬものを捨てて、天と地と海と、その中のすべてのものをお造りになった生ける神に立ち帰るようにと、福音を説いているものである。
Act 15:17 残っている人々(ἄνθρωπος)も、/わたしの名を唱えているすべての異邦人も、/主を尋ね求めるようになるためである。
Act 16:17 この女が、パウロやわたしたちのあとを追ってきては、「この人(ἄνθρωπος)たちは、いと高き神の僕たちで、あなたがたに救の道を伝えるかただ」と、叫び出すのであった。
Act 16:20 それから、ふたりを長官たちの前に引き出して訴えた、「この人(ἄνθρωπος)たちはユダヤ人でありまして、わたしたちの町をかき乱し、
Act 16:35 夜が明けると、長官たちは警吏らをつかわして、「あの人(ἄνθρωπος)たちを釈放せよ」と言わせた。
Act 16:37 ところが、パウロは警吏らに言った、「彼らは、ローマ人〔ローマの市民(ἄνθρωπος)〕であるわれわれを、裁判にかけもせずに、公衆の前でむち打ったあげく、獄に入れてしまった。しかるに今になって、ひそかに、われわれを出そうとするのか。それは、いけない。彼ら自身がここにきて、われわれを連れ出すべきである」。 
Act 17:26 また、ひとりの人(ἄνθρωπος)から、あらゆる民族を造り出して、地の全面に住まわせ、それぞれに時代を区分し、国土の境界を定めて下さったのである。
Act 17:29 このように、われわれは神の子孫なのであるから、神たる者を、人間〔人(ἄνθρωπος)〕の技巧や空想で金や銀や石などに彫り付けたものと同じと、見なすべきではない。
Act 17:30 神は、このような無知の時代を、これまでは見過ごしにされていたが、今はどこにおる人(ἄνθρωπος)でも、みな悔い改めなければならないことを命じておられる。
Act 18:13 「この人は、律法にそむいて神を拝むように、人々(ἄνθρωπος)をそそのかしています」。
Act 19:16 そして、悪霊につかれている人が、彼らに飛びかかり、みんなを押えつけて負かしたので、彼らは傷を負ったまま裸になって、その家を逃げ出した。
Act 21:28 「イスラエルの人々(ἄνθρωπος)よ、加勢にきてくれ。この人は、いたるところで民と律法とこの場所にそむくことを、みんなに教えている。その上、ギリシヤ人を宮の内に連れ込んで、この神聖な場所を汚したのだ」。
Act 21:39 パウロは答えた、「わたしはタルソ生れのユダヤ人で、キリキヤのれっきとした都市の市民〔ローマ市民(ἄνθρωπος)〕です。お願いですが、民衆に話をさせて下さい」。
Act 22:15 それはあなたが、その見聞きした事につき、すべての人(ἄνθρωπος)に対して、彼の証人になるためである。
Act 22:26 百卒長はこれを聞き、千卒長のところに行って報告し、そして言った、「どうなさいますか。あの人(ἄνθρωπος)はローマの市民(人ἄνθρωπος)なのです」。
Act 23:9 そこで、大騒ぎとなった。パリサイ派のある律法学者たちが立って、強く主張して言った、「われわれは、この人(ἄνθρωπος)には何も悪いことがないと思う。あるいは、霊か天使かが、彼に告げたのかも知れない」。
Act 24:16 わたしはまた、神に対しまた人(ἄνθρωπος)に対して、良心を責められることのないように、常に努めています。 
Act 25:22 そこで、アグリッパがフェストに「わたしも、その人(ἄνθρωπος)の言い分を聞いて見たい」と言ったので、フェストは、「では、あす彼から聞きとるようにしてあげよう」と答えた。
Act 26:31 退場してから、互に語り合って言った、「あの人(ἄνθρωπος)は、死や投獄に当るようなことをしてはいない」。
Act 26:32 そして、アグリッパがフェストに言った、「あの人(ἄνθρωπος)は、カイザルに上訴していなかったら、ゆるされたであろうに」。
Act 28:4 土地の人々は、この生きものがパウロの手からぶら下がっているのを見て、互に言った、「この人(ἄνθρωπος)は、きっと人殺しに違いない。海からはのがれたが、ディケーの神様が彼を生かしてはおかないのだ」。
Rom 1:18 神の怒りは、不義をもって真理をはばもうとする人間〔人(ἄνθρωπος)〕のあらゆる不信心と不義とに対して、天から啓示される。
Rom 1:23 不朽の神の栄光を変えて、朽ちる人間〔人(ἄνθρωπος)〕や鳥や獣や這うものの像に似せたのである。
Rom 2:3 ああ、このような事を行う者どもをさばきながら、しかも自ら同じことを行う人よ。あなたは、神のさばきをのがれうると思うのか。
Rom 2:9 悪を行うすべての人(ἄνθρωπος)には、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、患難と苦悩とが与えられ、
Rom 2:16 そして、これらのことは、わたしの福音によれば、神がキリスト・イエスによって人々(ἄνθρωπος)の隠れた事がらをさばかれるその日に、明らかにされるであろう。
Rom 2:29 かえって、隠れたユダヤ人がユダヤ人であり、また、文字によらず霊による心の割礼こそ割礼であって、そのほまれは人(ἄνθρωπος)からではなく、神から来るのである。
Rom 3:4 断じてそうではない。あらゆる人(ἄνθρωπος)を偽り者としても、神を真実なものとすべきである。それは、/「あなたが言葉を述べるときは、義とせられ、/あなたがさばきを受けるとき、勝利を得るため」/と書いてあるとおりである。
Rom 3:5 しかし、もしわたしたちの不義が、神の義を明らかにするとしたら、なんと言うべきか。怒りを下す神は、不義であると言うのか(これは人間的〔人(ἄνθρωπος)〕な言い方ではある)。
Rom 3:28 わたしたちは、こう思う。人(ἄνθρωπος)が義とされるのは、律法の行いによるのではなく、信仰によるのである。
Rom 4:6 ダビデもまた、行いがなくても神に義と認められた人(ἄνθρωπος)の幸福について、次のように言っている、
Rom 5:12 このようなわけで、ひとりの人(ἄνθρωπος)によって、罪がこの世にはいり、また罪によって死がはいってきたように、こうして、すべての人が罪を犯したので、死が全人類にはいり込んだのである。
Rom 5:12 このようなわけで、ひとりの人(ἄνθρωπος)によって、罪がこの世にはいり、また罪によって死がはいってきたように、こうして、すべての人(ἄνθρωπος)が罪を犯したので、死が全人類にはいり込んだのである。
Rom 5:15 しかし、恵みの賜物は罪過の場合とは異なっている。すなわち、もしひとりの罪過のために多くの人(ἄνθρωπος)が死んだとすれば、まして、神の恵みと、ひとりの人(ἄνθρωπος)イエス・キリストの恵みによる賜物とは、さらに豊かに多くの人々に満ちあふれたはずではないか。
Rom 5:18 このようなわけで、ひとりの罪過によってすべての人(ἄνθρωπος)が罪に定められたように、ひとりの義なる行為によって、いのちを得させる義がすべての人(ἄνθρωπος)に及ぶのである。
Rom 6:6 わたしたちは、この事を知っている。わたしたちの内の古き人(ἄνθρωπος)はキリストと共に十字架につけられた。それは、この罪のからだが滅び、わたしたちがもはや、罪の奴隷となることがないためである。
Rom 7:1 それとも、兄弟たちよ。あなたがたは知らないのか。わたしは律法を知っている人々(ἄνθρωπος)に語るのであるが、律法は人(ἄνθρωπος)をその生きている期間だけ支配するものである。
Rom 7:22 すなわち、わたしは、内なる人(ἄνθρωπος)としては神の律法を喜んでいるが、
Rom 7:24 わたしは、なんというみじめな人間〔人(ἄνθρωπος)〕なのだろう。だれが、この死のからだから、わたしを救ってくれるだろうか。
Rom 9:20 ああ人(ἄνθρωπος)よ。あなたは、神に言い逆らうとは、いったい、何者なのか。造られたものが造った者に向かって、「なぜ、わたしをこのように造ったのか」と言うことがあろうか。
Rom 10:5 モーセは、律法による義を行う人(ἄνθρωπος)は、その義によって生きる、と書いている。
Rom 12:17 だれに対しても悪をもって悪に報いず、すべての人(ἄνθρωπος)に対して善を図りなさい。 
Rom 12:18 あなたがたは、できる限りすべての人(ἄνθρωπος)と平和に過ごしなさい。
Rom 14:18 こうしてキリストに仕える者は、神に喜ばれ、かつ、人にも受けいれられるのである。
1Co 1:25 神の愚かさは人(ἄνθρωπος)よりも賢く、神の弱さは人(ἄνθρωπος)よりも強いからである。
1Co 2:5 それは、あなたがたの信仰が人(ἄνθρωπος)の知恵によらないで、神の力によるものとなるためであった。
1Co 2:9 しかし、聖書に書いてあるとおり、/「目がまだ見ず、耳がまだ聞かず、/人(ἄνθρωπος)の心に思い浮びもしなかったことを、/神は、ご自分を愛する者たちのために備えられた」/のである。
1Co 2:11 いったい、人間〔人(ἄνθρωπος)〕の思いは、その内にある人間〔人(ἄνθρωπος)〕の霊以外に、だれが知っていようか。それと同じように神の思いも、神の御霊以外には、知るものはない。
1Co 2:14 生れながらの人(ἄνθρωπος)は、神の御霊の賜物を受けいれない。それは彼には愚かなものだからである。また、御霊によって判断されるべきであるから、彼はそれを理解することができない。
1Co 3:3 あなたがたはまだ、肉の人だからである。あなたがたの間に、ねたみや争いがあるのは、あなたがたが肉の人であって、普通の人間〔人(ἄνθρωπος)〕のように歩いているためではないか。
1Co 3:21 だから、だれも人間を誇ってはいけない。すべては、あなたがたのものなのである。
1Co 4:1 このようなわけだから、人(ἄνθρωπος)はわたしたちを、キリストに仕える者、神の奥義を管理している者と見るがよい。
1Co 4:9 わたしはこう考える。神はわたしたち使徒を死刑囚のように、最後に出場する者として引き出し、こうしてわたしたちは、全世界に、天使にも人々(ἄνθρωπος)にも見せ物にされたのだ。
1Co 6:18 不品行を避けなさい。人(ἄνθρωπος)の犯すすべての罪は、からだの外にある。しかし不品行をする者は、自分のからだに対して罪を犯すのである。
1Co 7:7 わたしとしては、みんなの者がわたし自身のようになってほしい。しかし、ひとりびとり神からそれぞれの賜物をいただいていて、ある人(ἄνθρωπος)はこうしており、他の人はそうしている。
1Co 7:23 あなたがたは、代価を払って買いとられたのだ。人(ἄνθρωπος)の奴隷となってはいけない。
1Co 7:26 わたしはこう考える。現在迫っている危機のゆえに、人(ἄνθρωπος)は現状にとどまっているがよい。
1Co 9:8 わたしは、人間〔人(ἄνθρωπος)〕の考えでこう言うのではない。律法もまた、そのように言っているではないか。
1Co 11:28 〔人は(ἄνθρωπος)〕、だれでもまず自分を吟味し、それからパンを食べ杯を飲むべきである。
1Co 13:1 たといわたしが、人々(ἄνθρωπος)の言葉や御使たちの言葉を語っても、もし愛がなければ、わたしは、やかましい鐘や騒がしい鐃鉢と同じである。
1Co 14:2 異言を語る者は、人(ἄνθρωπος)にむかって語るのではなく、神にむかって語るのである。それはだれにもわからない。彼はただ、霊によって奥義を語っているだけである。
1Co 14:3 しかし預言をする者は、人(ἄνθρωπος)に語ってその徳を高め、彼を励まし、慰めるのである。
1Co 15:19 もしわたしたちが、この世の生活でキリストにあって単なる望みをいだいているだけだとすれば、わたしたちは、すべての人(ἄνθρωπος)の中で最もあわれむべき存在となる。
1Co 15:21 それは、死がひとりの人(ἄνθρωπος)によってきたのだから、死人の復活もまた、ひとりの人によってこなければならない。
1Co 15:32 もし、わたしが人間〔人(ἄνθρωπος)〕の考えによってエペソで獣と戦ったとすれば、それはなんの役に立つのか。もし死人がよみがえらないのなら、「わたしたちは飲み食いしようではないか。あすもわからぬいのちなのだ」。
1Co 15:39 すべての肉が、同じ肉なのではない。人(ἄνθρωπος)の肉があり、獣の肉があり、鳥の肉があり、魚の肉がある。
1Co 15:45 聖書に「最初の人(ἄνθρωπος)アダムは生きたものとなった」と書いてあるとおりである。しかし最後のアダムは命を与える霊となった。
1Co 15:47 第一の人(ἄνθρωπος)は地から出て土に属し、第二の人(ἄνθρωπος)は天から来る。
2Co 3:2 わたしたちの推薦状は、あなたがたなのである。それは、わたしたちの心にしるされていて、すべての人(ἄνθρωπος)に知られ、かつ読まれている。
2Co 4:2 恥ずべき隠れたことを捨て去り、悪巧みによって歩かず、神の言を曲げず、真理を明らかにし、神のみまえに、すべての人(ἄνθρωπος)の良心に自分を推薦するのである。
2Co 4:16 だから、わたしたちは落胆しない。たといわたしたちの外なる人(ἄνθρωπος)は滅びても、内なる人(ἄνθρωπος)は日ごとに新しくされていく。
2Co 5:11 このようにわたしたちは、主の恐るべきことを知っているので、人々(ἄνθρωπος)に説き勧める。わたしたちのことは、神のみまえには明らかになっている。さらに、あなたがたの良心にも明らかになるようにと望む。
2Co 8:21 わたしたちは、主のみまえばかりではなく、人(ἄνθρωπος)の前でも公正であるように、気を配っているのである。
2Co 12:2 わたしはキリストにあるひとりの人(ἄνθρωπος)を知っている。この人(ἄνθρωπος)は十四年前に第三の天にまで引き上げられた――それが、からだのままであったか、わたしは知らない。からだを離れてであったか、それも知らない。神がご存じである。
2Co 12:3 この人(ἄνθρωπος)が――それが、からだのままであったか、からだを離れてであったか、わたしは知らない。神がご存じである――
2Co 12:4 パラダイスに引き上げられ、そして口に言い表わせない、人間〔人(ἄνθρωπος)〕が語ってはならない言葉を聞いたのを、わたしは知っている。
Gal 1:1 人々(ἄνθρωπος)からでもなく、人によってでもなく、イエス・キリストと彼を死人の中からよみがえらせた父なる神とによって立てられた使徒パウロ、
Gal 1:10 今わたしは、人に喜ばれようとしているのか、それとも、神に喜ばれようとしているのか。あるいは、人(ἄνθρωπος)の歓心を買おうと努めているのか。もし、今もなお人(ἄνθρωπος)の歓心を買おうとしているとすれば、わたしはキリストの僕ではあるまい。
Gal 1:11 兄弟たちよ。あなたがたに、はっきり言っておく。わたしが宣べ伝えた福音は人間〔人(ἄνθρωπος)〕によるものではない。
Gal 1:12 わたしは、それを人間〔人(ἄνθρωπος)〕から受けたのでも教えられたのでもなく、ただイエス・キリストの啓示によったのである。
Gal 2:6 そして、かの「重だった人たち」からは――彼らがどんな人(ἄνθρωπος)であったにしても、それは、わたしには全く問題ではない。神は人を分け隔てなさらないのだから――事実、かの「重だった人(ἄνθρωπος)たち」は、わたしに何も加えることをしなかった。
Gal 2:16 人(ἄνθρωπος)の義とされるのは律法の行いによるのではなく、ただキリスト・イエスを信じる信仰によることを認めて、わたしたちもキリスト・イエスを信じたのである。それは、律法の行いによるのではなく、キリストを信じる信仰によって義とされるためである。なぜなら、律法の行いによっては、だれひとり義とされることがないからである。
Gal 3:15 兄弟たちよ。世のならわしを例にとって言おう。人間〔人(ἄνθρωπος)〕の遺言でさえ、いったん作成されたら、これを無効にしたり、これに付け加えたりすることは、だれにもできない。
Gal 5:3 割礼を受けようとするすべての人たちに、もう一度言っておく。そういう人(ἄνθρωπος)たちは、律法の全部を行う義務がある。
Gal 6:1 兄弟たちよ。もしもある人が罪過に陥っていることがわかったなら、霊の人であるあなたがたは、柔和な心をもって、その人(ἄνθρωπος)を正しなさい。それと同時に、もしか自分自身も誘惑に陥ることがありはしないかと、反省しなさい。
Gal 6:7 まちがってはいけない、神は侮られるようなかたではない。人(ἄνθρωπος)は自分のまいたものを、刈り取ることになる。
Eph 2:15 数々の規定から成っている戒めの律法を廃棄したのである。それは、彼にあって、二つのものをひとりの新しい人(ἄνθρωπος)に造りかえて平和をきたらせ、
Eph 3:5 この奥義は、いまは、御霊によって彼の聖なる使徒たちと預言者たちとに啓示されているが、前の時代には、人(ἄνθρωπος)の子らに対して、そのように知らされてはいなかったのである。

Eph 3:16 どうか父が、その栄光の富にしたがい、御霊により、力をもってあなたがたの内なる人(ἄνθρωπος)を強くして下さるように、
Eph 4:8 そこで、こう言われている、/「彼は高いところに上った時、/とりこを捕えて引き行き、/人々(ἄνθρωπος)に賜物を分け与えた」。
Eph 4:14 こうして、わたしたちはもはや子供ではないので、だまし惑わす策略により、人々(ἄνθρωπος)の悪巧みによって起る様々な教の風に吹きまわされたり、もてあそばれたりすることがなく、
Eph 4:22 すなわち、あなたがたは、以前の生活に属する、情欲に迷って滅び行く古き人(ἄνθρωπος)を脱ぎ捨て、
Eph 4:24 真の義と聖とをそなえた神にかたどって造られた新しき人(ἄνθρωπος)を着るべきである。
Eph 5:31 「それゆえに、人(ἄνθρωπος)は父母を離れてその妻と結ばれ、ふたりの者は一体となるべきである」。
Eph 6:7 人(ἄνθρωπος)にではなく主に仕えるように、快く仕えなさい。
Phi 2:7 かえって、おのれをむなしうして僕のかたちをとり、人間〔人(ἄνθρωπος)〕の姿になられた。その有様は人と異ならず、
Phi 4:5 あなたがたの寛容を、みんなの人(ἄνθρωπος)に示しなさい。主は近い。
Col 1:28 わたしたちはこのキリストを宣べ伝え、知恵をつくしてすべての人(ἄνθρωπος)を訓戒し、また、すべての人を教えている。それは、彼らがキリストにあって全き者として立つようになるためである。
Col 2:8 あなたがたは、むなしいだましごとの哲学で、人(ἄνθρωπος)のとりこにされないように、気をつけなさい。それはキリストに従わず、世のもろもろの霊力に従う人間の言伝えに基くものにすぎない。
Col 2:22 これらは皆、使えば尽きてしまうもの、人間〔人(ἄνθρωπος)〕の規定や教によっているものである。
Col 3:9 互にうそを言ってはならない。あなたがたは、古き人(ἄνθρωπος)をその行いと一緒に脱ぎ捨て、
Col 3:23 何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心から働きなさい。
1Th 2:4 かえって、わたしたちは神の信任を受けて福音を託されたので、人間〔人(ἄνθρωπος)〕に喜ばれるためではなく、わたしたちの心を見分ける神に喜ばれるように、福音を語るのである。
1Th 2:6 また、わたしたちは、キリストの使徒として重んじられることができたのであるが、あなたがたからにもせよ、ほかの人々(ἄνθρωπος)からにもせよ、人間からの栄誉を求めることはしなかった。
1Th 2:13 これらのことを考えて、わたしたちがまた絶えず神に感謝しているのは、あなたがたがわたしたちの説いた神の言を聞いた時に、それを人間の言葉としてではなく、神の言として――事実そのとおりであるが――受けいれてくれたことである。そして、この神の言は、信じるあなたがたのうちに働いているのである。
1Th 4:8 こういうわけであるから、これらの警告を拒む者は、人(ἄνθρωπος)を拒むのではなく、聖霊をあなたがたの心に賜わる神を拒むのである。
2Th 2:3 だれがどんな事をしても、それにだまされてはならない。まず背教のことが起り、不法の者〔人(ἄνθρωπος)〕、すなわち、滅びの子が現れるにちがいない。
1Ti 2:1 そこで、まず第一に勧める。すべての人のために、王たちと上に立っているすべての人々(ἄνθρωπος)のために、願いと、祈と、とりなしと、感謝とをささげなさい。
1Ti 2:4 神は、すべての人(ἄνθρωπος)が救われて、真理を悟るに至ることを望んでおられる。
1Ti 2:5 神は唯一であり、神と人(ἄνθρωπος)との間の仲保者もただひとりであって、それは人(ἄνθρωπος)なるキリスト・イエスである。
1Ti 4:10 わたしたちは、このために労し苦しんでいる。それは、すべての人(ἄνθρωπος)の救主、特に信じる者たちの救主なる生ける神に、望みを置いてきたからである。
1Ti 5:24 ある人の罪は明白であって、すぐ裁判にかけられるが、ほかの人(ἄνθρωπος)の罪は、あとになってわかって来る。
1Ti 6:9 富むことを願い求める者は、誘惑と、わなとに陥り、また、人(ἄνθρωπος)を滅びと破壊とに沈ませる、無分別な恐ろしいさまざまの情欲に陷るのである。
1Ti 6:11 しかし、神の人(ἄνθρωπος)よ。あなたはこれらの事を避けなさい。そして、義と信心と信仰と愛と忍耐と柔和とを追い求めなさい。
1Ti 6:16 神はただひとり不死を保ち、近づきがたい光の中に住み、人間〔人(ἄνθρωπος)〕の中でだれも見た者がなく、見ることもできないかたである。ほまれと永遠の支配とが、神にあるように、アァメン。
2Ti 2:2 そして、あなたが多くの証人の前でわたしから聞いたことを、さらにほかの者たちにも教えることのできるような忠実な人々(ἄνθρωπος)に、ゆだねなさい。
2Ti 3:2 その時、人々(ἄνθρωπος)は自分を愛する者、金を愛する者、大言壮語する者、高慢な者、神をそしる者、親に逆らう者、恩を知らぬ者、神聖を汚す者、
2Ti 3:13 悪人と詐欺師とは人を惑わし人(ἄνθρωπος)に惑わされて、悪から悪へと落ちていく。
2Ti 3:17 それによって、神の人が、あらゆる良いわざに対して十分な準備ができて、完全にととのえられた者になるのである。
Tit 1:14 ユダヤ人の作り話や、真理からそれていった人々(ἄνθρωπος)の定めなどに、気をとられることがないようにさせなさい。
Tit 2:11 すべての人(ἄνθρωπος)を救う神の恵みが現れた。
Tit 3:2 だれをもそしらず、争わず、寛容であって、すべての人(ἄνθρωπος)に対してどこまでも柔和な態度を示すべきことを、思い出させなさい。
Tit 3:8 この言葉は確実である。わたしは、あなたがそれらのことを主張するのを願っている。それは、神を信じている者たちが、努めて良いわざを励むことを心がけるようになるためである。これは良いことであって、人々(ἄνθρωπος)の益となる。
Heb 5:1 大祭司なるものはすべて、人間〔人(ἄνθρωπος)〕の中から選ばれて、罪のために供え物といけにえとをささげるように、人々のために神に仕える役に任じられた者である。
Heb 5:1 大祭司なるものはすべて、人間〔人(ἄνθρωπος)〕の中から選ばれて、罪のために供え物といけにえとをささげるように、人々のために神に仕える役に任じられた者である。
Heb 6:16 いったい、人間〔人(ἄνθρωπος)〕は自分より上のものをさして誓うのであり、そして、その誓いはすべての反対論を封じる保証となるのである。
Heb 7:28 律法は、弱さを身に負う人間〔人(ἄνθρωπος)〕を立てて大祭司とするが、律法の後にきた誓いの御言は、永遠に全うされた御子を立てて、大祭司としたのである。
Heb 8:2 人間〔人(ἄνθρωπος)〕によらず主によって設けられた真の幕屋なる聖所で仕えておられる、ということである。
Heb 9:27 そして、一度だけ死ぬことと、死んだ後さばきを受けることとが、人間〔人(ἄνθρωπος)〕に定まっているように、
Heb 13:6 だから、わたしたちは、はばからずに言おう、/「主はわたしの助け主である。わたしには恐れはない。人(ἄνθρωπος)は、わたしに何ができようか」。
Jam 1:7 そういう人(ἄνθρωπος)は、主から何かをいただけるもののように思うべきではない。 
Jam 2:20 ああ、愚かな人(ἄνθρωπος)よ。行いを伴わない信仰のむなしいことを知りたいのか。
Jam 2:24 これでわかるように、人(ἄνθρωπος)が義とされるのは、行いによるのであって、信仰だけによるのではない。
Jam 3:9 わたしたちは、この舌で父なる主をさんびし、また、その同じ舌で、神にかたどって造られた人間〔人(ἄνθρωπος)〕をのろっている。
Jam 5:17 エリヤは、わたしたちと同じ人間〔人(ἄνθρωπος)〕であったが、雨が降らないようにと祈をささげたところ、三年六か月のあいだ、地上に雨が降らなかった。
1Pe 2:4 主は、人(ἄνθρωπος)には捨てられたが、神にとっては選ばれた尊い生ける石である。
1Pe 2:15 善を行うことによって、愚かな人々(ἄνθρωπος)の無知な発言を封じるのは、神の御旨なのである。 
1Pe 3:4 かくれた内なる人(ἄνθρωπος)、柔和で、しとやかな霊という朽ちることのない飾りを、身につけるべきである。これこそ、神のみまえに、きわめて尊いものである。
1Pe 4:2 それは、肉における残りの生涯を、もはや人間〔人(ἄνθρωπος)〕の欲情によらず、神の御旨によって過ごすためである。
1Pe 4:6 死人にさえ福音が宣べ伝えられたのは、彼らは肉においては人間〔人(ἄνθρωπος)〕としてさばきを受けるが、霊においては神に従って生きるようになるためである。
2Pe 1:21 なぜなら、預言は決して人間〔人(ἄνθρωπος)〕の意志から出たものではなく、人々が聖霊に感じ、神によって語ったものだからである。
2Pe 1:21 なぜなら、預言は決して人間〔人(ἄνθρωπος)〕の意志から出たものではなく、人々が聖霊に感じ、神によって語ったものだからである。
2Pe 2:16 そのために、自分のあやまちに対するとがめを受けた。ものを言わないろばが、人間〔人(ἄνθρωπος)〕の声でものを言い、この預言者の狂気じみたふるまいをはばんだのである。
2Pe 3:7 しかし、今の天と地とは、同じ御言によって保存され、不信仰な人々(ἄνθρωπος)がさばかれ、滅ぼさるべき日に火で焼かれる時まで、そのまま保たれているのである。

1Jo 5:9 わたしたちは人間〔人(ἄνθρωπος)〕のあかしを受けいれるが、しかし、神のあかしはさらにまさっている。神のあかしというのは、すなわち、御子について立てられたあかしである。
Rev 4:7 第一の生き物はししのようであり、第二の生き物は雄牛のようであり、第三の生き物は人(ἄνθρωπος)のような顔をしており、第四の生き物は飛ぶわしのようであった。
Rev 8:11 この星の名は「苦よもぎ」と言い、水の三分の一が「苦よもぎ」のように苦くなった。水が苦くなったので、そのために多くの人(ἄνθρωπος)が死んだ。
Rev 9:4 彼らは、地の草やすべての青草、またすべての木をそこなってはならないが、額に神の印がない人(ἄνθρωπος)たちには害を加えてもよいと、言い渡された。
Rev 9:6 その時には、人々(ἄνθρωπος)は死を求めても与えられず、死にたいと願っても、死は逃げて行くのである。
Rev 9:7 これらのいなごは、出陣の用意のととのえられた馬によく似ており、その頭には金の冠のようなものをつけ、その顔は人間〔人(ἄνθρωπος)〕の顔のようであり、
Rev 9:10 その上、さそりのような尾と針とを持っている。その尾には、五か月のあいだ人間〔人(ἄνθρωπος)〕をそこなう力がある。
Rev 9:15 すると、その時、その日、その月、その年に備えておかれた四人の御使が、人間〔人(ἄνθρωπος)〕の三分の一を殺すために、解き放たれた。
Rev 9:18 この三つの災害、すなわち、彼らの口から出て来る火と煙と硫黄とによって、人間〔人(ἄνθρωπος)〕の三分の一は殺されてしまった。
Rev 9:20 これらの災害で殺されずに残った人々(ἄνθρωπος)は、自分の手で造ったものについて、悔い改めようとせず、また悪霊のたぐいや、金・銀・銅・石・木で造られ、見ることも聞くことも歩くこともできない偶像を礼拝して、やめようともしなかった。
Rom 5:19 すなわち、ひとりの人(ἄνθρωπος)の不従順によって、多くの人(ἄνθρωπος)が罪人とされたと同じように、ひとりの従順によって、多くの人(ἄνθρωπος)が義人とされるのである。
Rev 13:13 また、大いなるしるしを行って、人々(ἄνθρωπος)の前で火を天から地に降らせることさえした。
Rev 13:18 ここに、知恵が必要である。思慮のある者は、獣の数字を解くがよい。その数字とは、人間〔人(ἄνθρωπος)〕をさすものである。そして、その数字は六百六十六である。
Rev 14:4 彼らは、女にふれたことのない者である。彼らは、純潔な者である。そして、小羊の行く所へは、どこへでもついて行く。彼らは、神と小羊とにささげられる初穂として、人間〔人(ἄνθρωπος)〕の中からあがなわれた者である。
Rev 16:2 そして、第一の者が出て行って、その鉢を地に傾けた。すると、獣の刻印を持つ人々(ἄνθρωπος)と、その像を拝む人々とのからだに、ひどい悪性のでき物ができた。
Rev 16:8 第四の者が、その鉢を太陽に傾けた。すると、太陽は火で人々(ἄνθρωπος)を焼くことを許された。
Rev 16:9 人々(ἄνθρωπος)は、激しい炎熱で焼かれたが、これらの災害を支配する神の御名を汚し、悔い改めて神に栄光を帰することをしなかった。
Rev 16:18 すると、いなずまと、もろもろの声と、雷鳴とが起り、また激しい地震があった。それは人間〔人(ἄνθρωπος)〕が地上にあらわれて以来、かつてなかったようなもので、それほどに激しい地震であった。
Rev 16:21 また一タラントの重さほどの大きな雹が、天から人々(ἄνθρωπος)の上に降ってきた。人々は、この雹の災害のゆえに神をのろった。その災害が、非常に大きかったからである。
Rev 18:13 肉桂、香料、香、におい油、乳香、ぶどう酒、オリブ油、麦粉、麦、牛、羊、馬、車、奴隷、そして人身(ἄνθρωπος)などである。
Rev 21:3 また、御座から大きな声が叫ぶのを聞いた、「見よ、神の幕屋が人(ἄνθρωπος)と共にあり、神が人と共に住み、人(ἄνθρωπος)は神の民となり、神自ら人と共にいまして、
Rev 21:17 また城壁を測ると、百四十四キュビトであった。これは人間〔人(ἄνθρωπος)〕の、すなわち、御使の尺度によるのである。

②人の子

マタイ
Mat 8:20 イエスはその人(ἄνθρωπος)に言われた、「きつねには穴があり、空の鳥には巣がある。しかし、人の子(ὁ υἱὸς τοῦ ἀνθρώπου)にはまくらする所がない」。
Mat 9:6 しかし、人の子(ὁ υἱὸς τοῦ ἀνθρώπου)は地上で罪をゆるす権威をもっていることが、あなたがたにわかるために」と言い、中風の者にむかって、「起きよ、床を取りあげて家に帰れ」と言われた。
Mat 10:23 一つの町で迫害されたなら、他の町へ逃げなさい。よく言っておく。あなたがたがイスラエルの町々を回り終らないうちに、人の子(ὁ υἱὸς τοῦ ἀνθρώπου)は来るであろう。
Mat 11:19 また人の子(ὁ υἱὸς τοῦ ἀνθρώπου)がきて、食べたり飲んだりしていると、見よ、あれは食をむさぼる者、大酒を飲む者、また取税人、罪人の仲間だ、と言う。しかし、知恵の正しいことは、その働きが証明する」。
Mat 12:8 人の子(ὁ υἱὸς τοῦ ἀνθρώπου)は安息日の主である」。 
Mat 12:32 また人の子(ὁ υἱὸς τοῦ ἀνθρώπου)に対して言い逆らう者は、ゆるされるであろう。しかし、聖霊に対して言い逆らう者は、この世でも、きたるべき世でも、ゆるされることはない。
Mat 12:40 すなわち、ヨナが三日三晩、大魚の腹の中にいたように、人の子(ὁ υἱὸς τοῦ ἀνθρώπου)も三日三晩、地の中にいるであろう。
Mat 13:37 イエスは答えて言われた、「良い種をまく者は、人の子(ὁ υἱὸς τοῦ ἀνθρώπου)である。
Mat 13:41 人の子(ὁ υἱὸς τοῦ ἀνθρώπου)はその使たちをつかわし、つまずきとなるものと不法を行う者とを、ことごとく御国からとり集めて、
Mat 16:13 イエスがピリポ・カイザリヤの地方に行かれたとき、弟子たちに尋ねて言われた、「人々(ἄνθρωπος)は人の子(ὁ υἱὸς τοῦ ἀνθρώπου)をだれと言っているか」。
Mat 16:27 人の子(ὁ υἱὸς τοῦ ἀνθρώπου)は父の栄光のうちに、御使たちを従えて来るが、その時には、実際のおこないに応じて、それぞれに報いるであろう。
Mat 16:28 よく聞いておくがよい、人の子(ὁ υἱὸς τοῦ ἀνθρώπου)が御国の力をもって来るのを見るまでは、死を味わわない者が、ここに立っている者の中にいる」。
Mat 17:9 一同が山を下って来るとき、イエスは「人の子(ὁ υἱὸς τοῦ ἀνθρώπου)が死人の中からよみがえるまでは、いま見たことをだれにも話してはならない」と、彼らに命じられた。
Mat 17:12 しかし、あなたがたに言っておく。エリヤはすでにきたのだ。しかし人々は彼を認めず、自分かってに彼をあしらった。人の子(ὁ υἱὸς τοῦ ἀνθρώπου)もまた、そのように彼らから苦しみを受けることになろう」。
Mat 17:22 彼らがガリラヤで集まっていた時、イエスは言われた、「人の子(ὁ υἱὸς τοῦ ἀνθρώπου)は人々(ἄνθρωπος)の手にわたされ、
Mat 18:11 〔人の子(ὁ υἱὸς τοῦ ἀνθρώπου)は、滅びる者を救うためにきたのである。〕 
Mat 19:28 イエスは彼らに言われた、「よく聞いておくがよい。世が改まって、人の子(ὁ υἱὸς τοῦ ἀνθρώπου)がその栄光の座につく時には、わたしに従ってきたあなたがたもまた、十二の位に座してイスラエルの十二の部族をさばくであろう。
Mat 20:18 「見よ、わたしたちはエルサレムへ上って行くが、人の子(ὁ υἱὸς τοῦ ἀνθρώπου)は祭司長、律法学者たちの手に渡されるであろう。彼らは彼に死刑を宣告し、
Mat 20:28 それは、人の子(ὁ υἱὸς τοῦ ἀνθρώπου)がきたのも、仕えられるためではなく、仕えるためであり、また多くの人(ἄνθρωπος)のあがないとして、自分の命を与えるためであるのと、ちょうど同じである」。
Mat 24:27 ちょうど、いなずまが東から西にひらめき渡るように、人の子(ὁ υἱὸς τοῦ ἀνθρώπου)も現れるであろう。
Mat 24:30 そのとき、人の子(ὁ υἱὸς τοῦ ἀνθρώπου)のしるしが天に現れるであろう。またそのとき、地のすべての民族は嘆き、そして力と大いなる栄光とをもって、人の子が天の雲に乗って来るのを、人々(ἄνθρωπος)は見るであろう。
Mat 24:33 そのように、すべてこれらのことを見たならば、人の子(ὁ υἱὸς τοῦ ἀνθρώπου)が戸口まで近づいていると知りなさい。
Mat 24:37 人の子(ὁ υἱὸς τοῦ ἀνθρώπου)の現れるのも、ちょうどノアの時のようであろう。
Mat 24:39 そして洪水が襲ってきて、いっさいのものをさらって行くまで、彼らは気がつかなかった。人の子(ὁ υἱὸς τοῦ ἀνθρώπου)の現れるのも、そのようであろう。
Mat 24:44 だから、あなたがたも用意をしていなさい。思いがけない時に人の子(ὁ υἱὸς τοῦ ἀνθρώπου)が来るからである。
Mat 25:31 人の子(ὁ υἱὸς τοῦ ἀνθρώπου)が栄光の中にすべての御使たちを従えて来るとき、彼はその栄光の座につくであろう。
Mat 26:2 「あなたがたが知っているとおり、ふつかの後には過越の祭になるが、人の子(ὁ υἱὸς τοῦ ἀνθρώπου)は十字架につけられるために引き渡される」。 
Mat 26:24 たしかに人の子(ὁ υἱὸς τοῦ ἀνθρώπου)は、自分について書いてあるとおりに去って行く。しかし、人の子(ὁ υἱὸς τοῦ ἀνθρώπου)を裏切るその人は、わざわいである。その人(ἄνθρωπος)は生れなかった方が、彼のためによかったであろう」。
Mat 26:45 それから弟子たちの所に帰ってきて、言われた、「まだ眠っているのか、休んでいるのか。見よ、時が迫った。人の子(ὁ υἱὸς τοῦ ἀνθρώπου)は罪人らの手に渡されるのだ。
Mat 26:64 イエスは彼に言われた、「あなたの言うとおりである。しかし、わたしは言っておく。あなたがたは、間もなく、人の子(ὁ υἱὸς τοῦ ἀνθρώπου)が力ある者の右に座し、天の雲に乗って来るのを見るであろう」。

マルコ
Mar 2:10 しかし、人の子(ὁ υἱὸς τοῦ ἀνθρώπου)は地上で罪をゆるす権威をもっていることが、あなたがたにわかるために」と彼らに言い、中風の者にむかって、
Mar 2:28 それだから、人の子(ὁ υἱὸς τοῦ ἀνθρώπου)は、安息日にもまた主なのである」。
Mar 3:28 よく言い聞かせておくが、人の子(ὁ υἱὸς τοῦ ἀνθρώπου)らには、その犯すすべての罪も神をけがす言葉も、ゆるされる。
Mar 8:31 それから、人の子(ὁ υἱὸς τοῦ ἀνθρώπου)は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちに捨てられ、また殺され、そして三日の後によみがえるべきことを、彼らに教えはじめ、
Mar 8:38 邪悪で罪深いこの時代にあって、わたしとわたしの言葉とを恥じる者に対しては、人の子(ὁ υἱὸς τοῦ ἀνθρώπου)もまた、父の栄光のうちに聖なる御使たちと共に来るときに、その者を恥じるであろう」。
Mar 9:9 一同が山を下って来るとき、イエスは「人の子(ὁ υἱὸς τοῦ ἀνθρώπου)が死人の中からよみがえるまでは、いま見たことをだれにも話してはならない」と、彼らに命じられた。
Mar 9:12 イエスは言われた、「確かに、エリヤが先にきて、万事を元どおりに改める。しかし、人の子(ὁ υἱὸς τοῦ ἀνθρώπου)について、彼が多くの苦しみを受け、かつ恥ずかしめられると、書いてあるのはなぜか。
Mar 9:31 それは、イエスが弟子たちに教えて、「人の子(ὁ υἱὸς τοῦ ἀνθρώπου)は人々の手にわたされ、彼らに殺され、殺されてから三日の後によみがえるであろう」と言っておられたからである。
Mar 10:33 「見よ、わたしたちはエルサレムへ上って行くが、人の子(ὁ υἱὸς τοῦ ἀνθρώπου)は祭司長、律法学者たちの手に引きわたされる。そして彼らは死刑を宣告した上、彼を異邦人に引きわたすであろう。
Mar 10:45 人の子(ὁ υἱὸς τοῦ ἀνθρώπου)がきたのも、仕えられるためではなく、仕えるためであり、また多くの人のあがないとして、自分の命を与えるためである」。
Mar 13:26 そのとき、大いなる力と栄光とをもって、人の子(ὁ υἱὸς τοῦ ἀνθρώπου)が雲に乗って来るのを、人々は見るであろう。
Mar 13:29 そのように、これらの事が起るのを見たならば、人の子(ὁ υἱὸς τοῦ ἀνθρώπου)が戸口まで近づいていると知りなさい。
Mar 14:21 たしかに人の子(ὁ υἱὸς τοῦ ἀνθρώπου)は、自分について書いてあるとおりに去って行く。しかし、人の子(ὁ υἱὸς τοῦ ἀνθρώπου)を裏切るその人は、わざわいである。その人は生れなかった方が、彼のためによかったであろう」。
Mar 14:41 三度目にきて言われた、「まだ眠っているのか、休んでいるのか。もうそれでよかろう。時がきた。見よ、人の子(ὁ υἱὸς τοῦ ἀνθρώπου)は罪人らの手に渡されるのだ。
Mar 14:62 イエスは言われた、「わたしがそれである。あなたがたは人の子(ὁ υἱὸς τοῦ ἀνθρώπου)が力ある者の右に座し、天の雲に乗って来るのを見るであろう」。

ルカ
Luk 5:24 しかし、人の子(ὁ υἱὸς τοῦ ἀνθρώπου)は地上で罪をゆるす権威を持っていることが、あなたがたにわかるために」と彼らに対して言い、中風の者にむかって、「あなたに命じる。起きよ、床を取り上げて家に帰れ」と言われた。
Luk 6:5 また彼らに言われた、「人の子(ὁ υἱὸς τοῦ ἀνθρώπου)は安息日の主である」。
Luk 6:22 人々(ὁ υἱὸς τοῦ ἀνθρώπου)があなたがたを憎むとき、また人の子(ὁ υἱὸς τοῦ ἀνθρώπου)のためにあなたがたを排斥し、ののしり、汚名を着せるときは、あなたがたはさいわいだ。
Luk 7:34 また人の子(ὁ υἱὸς τοῦ ἀνθρώπου)がきて食べたり飲んだりしていると、見よ、あれは食をむさぼる者、大酒を飲む者、また取税人、罪人の仲間だ、と言う。
Luk 9:22 「人の子(ὁ υἱὸς τοῦ ἀνθρώπου)は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちに捨てられ、また殺され、そして三日目によみがえる」。
Luk 9:26 わたしとわたしの言葉とを恥じる者に対しては、人の子(ὁ υἱὸς τοῦ ἀνθρώπου)もまた、自分の栄光と、父と聖なる御使との栄光のうちに現れて来るとき、その者を恥じるであろう。
Luk 9:44 「あなたがたはこの言葉を耳におさめて置きなさい。人の子(ὁ υἱὸς τοῦ ἀνθρώπου)は人々(ἄνθρωπος)の手に渡されようとしている」。
Luk 9:58 イエスはその人(ἄνθρωπος)に言われた、「きつねには穴があり、空の鳥には巣がある。しかし、人の子(ὁ υἱὸς τοῦ ἀνθρώπου)にはまくらする所がない」。
Luk 11:30 というのは、ニネベの人々(ἄνθρωπος)に対してヨナがしるしとなったように、人の子(ὁ υἱὸς τοῦ ἀνθρώπου)もこの時代に対してしるしとなるであろう。
Luk 12:8 そこで、あなたがたに言う。だれでも人(ἄνθρωπος)の前でわたしを受けいれる者を、人の子(ὁ υἱὸς τοῦ ἀνθρώπου)も神の使たちの前で受けいれるであろう。
Luk 12:10 また、人の子(ὁ υἱὸς τοῦ ἀνθρώπου)に言い逆らう者はゆるされるであろうが、聖霊をけがす者は、ゆるされることはない。
Luk 12:40 あなたがたも用意していなさい。思いがけない時に人の子(ὁ υἱὸς τοῦ ἀνθρώπου)が来るからである」。
Luk 17:22 それから弟子たちに言われた、「あなたがたは、人の子(ὁ υἱὸς τοῦ ἀνθρώπου)の日を一日でも見たいと願っても見ることができない時が来るであろう。
Luk 17:24 いなずまが天の端からひかり出て天の端へとひらめき渡るように、人の子(ὁ υἱὸς τοῦ ἀνθρώπου)もその日には同じようであるだろう。
Luk 17:26 そして、ノアの時にあったように、人の子(ὁ υἱὸς τοῦ ἀνθρώπου)の時にも同様なことが起るであろう。
Luk 17:30 人の子(ὁ υἱὸς τοῦ ἀνθρώπου)が現れる日も、ちょうどそれと同様であろう。
Luk 18:8 あなたがたに言っておくが、神はすみやかにさばいてくださるであろう。しかし、人の子(ὁ υἱὸς τοῦ ἀνθρώπου)が来るとき、地上に信仰が見られるであろうか」。
Luk 18:31 イエスは十二弟子を呼び寄せて言われた、「見よ、わたしたちはエルサレムへ上って行くが、人の子(ὁ υἱὸς τοῦ ἀνθρώπου)について預言者たちがしるしたことは、すべて成就するであろう。
Luk 18:32 人の子(ὁ υἱὸς τοῦ ἀνθρώπου)は異邦人に引きわたされ、あざけられ、はずかしめを受け、つばきをかけられ、
Luk 19:10 人の子(ὁ υἱὸς τοῦ ἀνθρώπου)がきたのは、失われたものを尋ね出して救うためである」。
Luk 21:27 そのとき、大いなる力と栄光とをもって、人の子(ὁ υἱὸς τοῦ ἀνθρώπου)が雲に乗って来るのを、人々(ἄνθρωπος)は見るであろう。
Luk 21:36 これらの起ろうとしているすべての事からのがれて、人の子(ὁ υἱὸς τοῦ ἀνθρώπου)の前に立つことができるように、絶えず目をさまして祈っていなさい」。
Luk 22:22 人の子(ὁ υἱὸς τοῦ ἀνθρώπου)は定められたとおりに、去って行く。しかし人の子(ὁ υἱὸς τοῦ ἀνθρώπου)を裏切るその人は、わざわいである」。
Luk 22:48 そこでイエスは言われた、「ユダ、あなたは接吻をもって人の子(ὁ υἱὸς τοῦ ἀνθρώπου)を裏切るのか」。
Luk 22:69 しかし、人の子(ὁ υἱὸς τοῦ ἀνθρώπου)は今からのち、全能の神の右に座するであろう」。
Luk 24:7 すなわち、人の子(ὁ υἱὸς τοῦ ἀνθρώπου)は必ず罪人らの手に渡され、十字架につけられ、そして三日目によみがえる、と仰せられたではないか」。
ヨハネ
Joh 1:51 また言われた、「よくよくあなたがたに言っておく。天が開けて、神の御使たちが人の子(ὁ υἱὸς τοῦ ἀνθρώπου)の上に上り下りするのを、あなたがたは見るであろう」。
Joh 3:13 天から下ってきた者、すなわち人の子(ὁ υἱὸς τοῦ ἀνθρώπου)のほかには、だれも天に上った者はない。
Joh 3:14 そして、ちょうどモーセが荒野でへびを上げたように、人の子(ὁ υἱὸς τοῦ ἀνθρώπου)もまた上げられなければならない。
Joh 5:27 そして子は人の子(ὁ υἱὸς τοῦ ἀνθρώπου)であるから、子にさばきを行う権威をお与えになった。
Joh 6:27 朽ちる食物のためではなく、永遠の命に至る朽ちない食物のために働くがよい。これは人の子があなたがたに与えるものである。父なる神は、人の子(ὁ υἱὸς τοῦ ἀνθρώπου)にそれをゆだねられたのである」。
Joh 6:53 イエスは彼らに言われた、「よくよく言っておく。人の子(ὁ υἱὸς τοῦ ἀνθρώπου)の肉を食べず、また、その血を飲まなければ、あなたがたの内に命はない。
Joh 6:62 それでは、もし人の子(ὁ υἱὸς τοῦ ἀνθρώπου)が前にいた所に上るのを見たら、どうなるのか。
Joh 8:28 そこでイエスは言われた、「あなたがたが人の子(ὁ υἱὸς τοῦ ἀνθρώπου)を上げてしまった後はじめて、わたしがそういう者であること、また、わたしは自分からは何もせず、ただ父が教えて下さったままを話していたことが、わかってくるであろう。 
Joh 9:35 イエスは、その人(ἄνθρωπος)
が外へ追い出されたことを聞かれた。そして彼に会って言われた、「あなたは人の子(ὁ υἱὸς τοῦ ἀνθρώπου)を信じるか」。
Joh 12:23 すると、イエスは答えて言われた、「人の子(ὁ υἱὸς τοῦ ἀνθρώπου)が栄光を受ける時がきた。
Joh 12:34 すると群衆はイエスにむかって言った、「わたしたちは律法によって、キリストはいつまでも生きておいでになるのだ、と聞いていました。それだのに、どうして人の子(ὁ υἱὸς τοῦ ἀνθρώπου)は上げられねばならないと、言われるのですか。その人の子(ὁ υἱὸς τοῦ ἀνθρώπου)とは、だれのことですか」。
Joh 13:31 さて、彼が出て行くと、イエスは言われた、「今や人の子(ὁ υἱὸς τοῦ ἀνθρώπου)は栄光を受けた。神もまた彼によって栄光をお受けになった。

使徒
Act7:56 そこで、彼は「ああ、天が開けて、人の子(ὁ υἱὸς τοῦ ἀνθρώπου)が神の右に立っておいでになるのが見える」と言った。

へブル
Heb 2:6 聖書はある箇所で、こうあかししている、/「人間〔人(ἄνθρωπος)〕が何者だから、/これを御心に留められるのだろうか。人の子(ὁ υἱὸς τοῦ ἀνθρώπου)が何者だから、/これをかえりみられるのだろうか。

黙示
Rev1:13 それらの燭台の間に、足までたれた上着を着、胸に金の帯をしめている人の子(ὁ υἱὸς τοῦ ἀνθρώπου)のような者がいた。
Rev14:14 また見ていると、見よ、白い雲があって、その雲の上に人の子(ὁ υἱὸς τοῦ ἀνθρώπου)のような者が座しており、頭には金の冠をいただき、手には鋭いかまを持っていた。

Ⅱ 者

Mat 8:9 わたしも権威の下にある者(ἄνθρωπος)ですが、わたしの下にも兵卒がいまして、ひとりの者に『行け』と言えば行き、ほかの者に『こい』と言えばきますし、また、僕に『これをせよ』と言えば、してくれるのです」。
Mat 12:11 イエスは彼らに言われた、「あなたがたのうちに、一匹の羊を持っている人〔者(ἄνθρωπος)〕があるとして、もしそれが安息日に穴に落ちこんだなら、手をかけて引き上げてやらないだろうか。
Mat 22:11 王は客を迎えようとしてはいってきたが、そこに礼服をつけていないひとりの人〔者(ἄνθρωπος)〕を見て、
Luk 5:18 その時、ある人々(ἄνθρωπος)が、ひとりの中風をわずらっている人〔者(ἄνθρωπος)〕を床にのせたまま連れてきて、家の中に運び入れ、イエスの前に置こうとした。
Luk 7:8 わたしも権威の下に服している者(ἄνθρωπος)ですが、わたしの下にも兵卒がいまして、ひとりの者に『行け』と言えば行き、ほかの者に『こい』と言えばきますし、また、僕に『これをせよ』と言えば、してくれるのです」。
Luk 18:10 「ふたりの人〔者(ἄνθρωπος)〕が祈るために宮に上った。そのひとりはパリサイ人であり、もうひとりは取税人であった。
Joh 5:7 この病人はイエスに答えた、「主よ、水が動く時に、わたしを池の中に入れてくれる人〔者(ἄνθρωπος)〕がいません。わたしがはいりかけると、ほかの人が先に降りて行くのです」。
Joh 8:40 ところが今、神から聞いた真理をあなたがたに語ってきたこのわたし〔者(ἄνθρωπος)〕を、殺そうとしている。そんなことをアブラハムはしなかった。
Act 4:9 わたしたちが、きょう、取調べを受けているのは、病人に対してした良いわざについてであり、この人〔者(ἄνθρωπος)〕がどうしていやされたかについてであるなら、
Act 15:26 このふたりは、われらの主イエス・キリストの名のために、その命を投げ出した人々〔者(ἄνθρωπος)〕であるが、
Act 19:35 ついに、市の書記役が群衆を押し静めて言った、「エペソの諸君、エペソ市が大女神アルテミスと、天くだったご神体との守護役であることを知らない者(ἄνθρωπος)が、ひとりでもいるだろうか。
Act 22:25 彼らがむちを当てるため、彼を縛りつけていた時、パウロはそばに立っている百卒長に言った、「ローマの市民たる者(ἄνθρωπος)を、裁判にかけもしないで、むち打ってよいのか」。
Rom 2:1 だから、ああ、すべて人をさばく者(ἄνθρωπος)よ。あなたには弁解の余地がない。あなたは、他人をさばくことによって、自分自身を罪に定めている。さばくあなたも、同じことを行っているからである。
Rom 14:20 食物のことで、神のみわざを破壊してはならない。すべての物はきよい。ただ、それを食べて人をつまずかせる者(ἄνθρωπος)には、悪となる。
1Ti 6:5 また知性が腐って、真理にそむき、信心を利得と心得る者(ἄνθρωπος)どもの間に、はてしのないいがみ合いが起るのである。 
2Ti 3:8 ちょうど、ヤンネとヤンブレとがモーセに逆らったように、こうした人々も真理に逆らうのである。彼らは知性の腐った〔者(ἄνθρωπος)〕、信仰の失格者である。
Tit 3:10 異端者(ἄνθρωπος)は、一、二度、訓戒を加えた上で退けなさい。
Heb 7:8 その上、一方では死ぬべき人間が、十分の一を受けているが、他方では「彼は生きている者(ἄνθρωπος)」とあかしされた人が、それを受けている。 
Jud 1:4 そのわけは、不信仰な人々〔者(ἄνθρωπος)〕がしのび込んできて、わたしたちの神の恵みを放縦な生活に変え、唯一の君であり、わたしたちの主であるイエス・キリストを否定しているからである。彼らは、このようなさばきを受けることに、昔から予告されているのである。

Ⅲ 誰

Mat 7:9 あなたがたのうちで〔誰が(ἄνθρωπος)〕、自分の子がパンを求めるのに、石を与える者があろうか。
Luk 15:4 「あなたがたのうちに〔誰が(ἄνθρωπος)〕、百匹の羊を持っている者がいたとする。その一匹がいなくなったら、九十九匹を野原に残しておいて、いなくなった一匹を見つけるまでは捜し歩かないであろうか。
Act 4:17 ただ、これ以上このことが民衆の間にひろまらないように、今後はこの名によって、いっさいだれ(ἄνθρωπος)にも語ってはいけないと、おどしてやろうではないか」。
Jam 3:8 ところが、舌を制しうる人は、ひとりも〔誰も(ἄνθρωπος)〕いない。それは、制しにくい悪であって、死の毒に満ちている。

Ⅳ その他

Luk 23:6 ピラトはこれを聞いて、この人はガリラヤ人かと尋ね、
Joh 4:50 イエスは彼に言われた、「お帰りなさい。あなたのむすこは助かるのだ」。彼は自分に言われたイエスの言葉を信じて帰って行った。
Joh 8:17 あなたがたの律法には、ふたりによる証言は真実だと、書いてある。
Joh 9:1 イエスが道をとおっておられるとき、生れつきの盲人を見られた。
Joh 18:14 カヤパは前に、ひとりの人が民のために死ぬのはよいことだと、ユダヤ人に助言した者であった。
Act 4:13 人々はペテロとヨハネとの大胆な話しぶりを見、また同時に、ふたりが無学な、ただの人たちであることを知って、不思議に思った。そして彼らがイエスと共にいた者であることを認め、
Act 5:34 ところが、国民全体に尊敬されていた律法学者ガマリエルというパリサイ人が、議会で立って、使徒たちをしばらくのあいだ外に出すように要求してから、
1Co 3:4 すなわち、ある人は「わたしはパウロに」と言い、ほかの人は「わたしはアポロに」と言っているようでは、あなたがたは普通の人間ではないか。
1Co 7:1 さて、あなたがたが書いてよこした事について答えると、男子は婦人にふれないがよい。
1Th 2:15 ユダヤ人たちは主イエスと預言者たちとを殺し、わたしたちを迫害し、神を喜ばせず、すべての人に逆らい、
2Th 3:2 また、どうか、わたしたちが不都合な悪人から救われるように。事実、すべての人が信仰を持っているわけではない。
Jam 1:19 愛する兄弟たちよ。このことを知っておきなさい。人はすべて、聞くに早く、語るにおそく、怒るにおそくあるべきである。
Rev 11:13 この時、大地震が起って、都の十分の一は倒れ、その地震で七千人が死に、生き残った人々は驚き恐れて、天の神に栄光を帰した。

Ⅴ 欠訳

Mat 13:28 主人は言った、『それは敵のしわざだ』。すると僕たちが言った『では行って、それを抜き集めましょうか』。
Mat 13:52 そこで、イエスは彼らに言われた、「それだから、天国のことを学んだ学者は、新しいものと古いものとを、その倉から取り出す一家の主人のようなものである」。
Mat 16:26 たとい人が全世界をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になろうか。また、人はどんな代価を払って、その命を買いもどすことができようか。
Mat 18:23 それだから、天国は王が僕たちと決算をするようなものだ。
Mat 20:1 天国は、ある家の主人が、自分のぶどう園に労働者を雇うために、夜が明けると同時に、出かけて行くようなものである。
Mat 21:33 もう一つの譬を聞きなさい。ある所に、ひとりの家の主人がいたが、ぶどう園を造り、かきをめぐらし、その中に酒ぶねの穴を掘り、やぐらを立て、それを農夫たちに貸して、旅に出かけた。
Mat 22:2 「天国は、ひとりの王がその王子のために、婚宴を催すようなものである。
Joh 9:30 そこで彼が答えて言った、「わたしの目をあけて下さったのに、そのかたがどこからきたか、ご存じないとは、不思議千万です。
Act 25:16 そこでわたしは、彼らに答えた、『訴えられた者が、訴えた者の前に立って、告訴に対し弁明する機会を与えられない前に、その人を見放してしまうのは、ローマ人の慣例にはないことである』。
1Co 2:11 いったい、人間の思いは、その内にある人間の霊以外に、だれが知っていようか。それと同じように神の思いも、神の御霊以外には、知るものはない。
Rev 9:5 彼らは、人間を殺すことはしないで、五か月のあいだ苦しめることだけが許された。彼らの与える苦痛は、人がさそりにさされる時のような苦痛であった。