説教001

「だれがわたしにさわったのか」

聖書
マタイ9:18-26
マルコ5:21-34
ルカ8:41-56

テキスト(マタイ9:18-26 マルコ5:21-34 ルカ8:41-56)には、「会堂管理者ヤイロの娘」と「12年の間長血をわずらう女」の病を主イエスがお癒しになられたことが一つに織り込まれています。大切な出来事として、マタイ、マルコ、ルカの三福音書に記されています。注意深く読みますと、それぞれの福音書には他にない事柄が記されていることがわかります。テキスト全体を読みますと、意外な事実が浮き上がることが少なくなく、聖書を学ぶ楽しさを教えてもくれます。

今回は、「だれがわたしにさわったのか」と題して、二つのうち、「12年の間長血をわずらう女」について取り上げます。「会堂管理者ヤイロの娘」は、別の機会にとりあげたいと考えています。

Ⅰ 主にお会いするまで

マタイ、マルコ、ルカ福音書はともに、「12年の間長血をわずらう女」の出来事を「会堂管理者ヤイロの娘」の物語の途中におきた出来事としています。「12年の間長血をわずらう女」は脇役で、主役はあくまでも「会堂管理者ヤイロの娘」なのです。人生には常に主役に生まれついたような人がいて、その人に隠れてほとんど目立たない多くの脇役がいるようです。主イエスが脇役にすぎない「12年の間長血をわずらう女」にどう関わられたか、興味深いところです。そこから、主イエスには、主役も脇役もなく、出会いは、常にその人とのユニークなものであることを学ばせていただこうと思います。

群衆集まる

会堂司ヤイロが病める娘のことで主イエスを訪れたのは、イエスと弟子たちが舟でガリラヤ湖の対岸ガダラ人の地を訪れ、悪霊につかれて、墓場で鎖に繋がれ、ひどく凶暴な二人の男から悪霊を追い出され、悪霊が二千匹の豚の群れに入り、崖から海に飛び込んで死に、驚いたガダラ人たちがイエスにこの地から去るように要請したために、再び舟で戻りますと、「群衆は喜び迎え、みんながイエスを待ちうけていた」のです。(マタイ8:23-34 マルコ5:21) 

群衆は「約束のメシア」の来臨を待ち望んでおり、異教徒のガダラ人の地で「悪霊を追い出されたイエス」を「すわ、このとき」と、喜んで迎え、ユダヤ人のガリラヤで「メシアとしての力ある業」を目撃したいと集まったのです。ユダヤ人の群衆の期待は膨らんでいました。「会堂管理者ヤイロの娘」と「12年の間長血をわずらう女」の2つの病の癒しは、そのような群衆の現前であらわされた神の業だったのです。

会堂管理者ヤイロの娘

イエスがガリラヤに戻られ、人々の病を癒され、「取税人や罪人」の家にも入られ福音を語られると、それを咎める者たちも現れ、イエスはこのような人々にも神の言葉を語られて」いると、(マタイ9:1-17)そこに「ひとりの会堂司がきて、イエスを拝した」(マタイ9:18)のです。

「会堂管理者ヤイロ」がイエスに会うために道を急いだのは、群衆の宗教的な関心からではなく、それとは別の差し迫った理由があったからです。娘の病が悪化し、危機的状況にあったからです。

「会堂管理者」は「ἄρχων」というギリシャ語で、「君主、裁判官、最高法院の議員、会堂監督人、会堂司」など指導者的立場にある人を指しますが、この場合ヤイロは「会堂管理者」でした。「会堂συναγωγή」はユダヤ人の礼拝の場で、律法と預言の書が朗唱され、祈りがささげられました。「会堂管理者」は会堂の管理、維持に携わり、自ら神の言葉を唱えることもする信仰の指導者でした。
ヤイロは会堂で人々の現実的な問題に、神の御言葉を伝える人でしたが、娘の病が急を要する重篤なものになるのを見て、会堂を出て、イエスのところに走ったのです。

会堂管理者ヤイロの問題は、やがて語らせていただくことになりますので、今はこの辺にして、そこに現れたもう一人の病める人「12年の間長血をわずらう女」に進みましょう。

Ⅱ 12年の間長血をわずらう女

群衆の中には、少なからぬ病をかかえる人々がいました。悪霊に憑かれたガダラ人を癒されたイエス・キリストに、何とかして病を癒してほしいと、必死の思いでやってきたのです。「12年の間長血をわずらう女」はその一人でした。

「長血」という病

「長血」はギリシャ語「αἱμορροέω ハイモルロエオー」で、この病気は「αἷμα血+ῥέω 流れる」からくる言葉で「血漏を病む、血を失う、出血に苦しむ」病とされます。フランシスコ会訳聖書は「出血病」、自身が医師である山浦玄嗣さんは「ケセン語訳聖書」に「血のとまらぬ血患い」と訳します。大辞林 第三版にば「子宮から不規則な出血が長期間続くこと。赤帯下(しやくたいげ)」とありま。これらのことから「αἱμορροέω ハイモルロエオー」がとのような症状をもつ病であるかはうかがえるものの、現代のどの病であるかを特定することはできません。

モーセの律法は、女性の「子宮からの出血」を「穢れ」と定め、「漏出を病む人」の触れるものは穢れを洗い落とし、神殿で罪のために犠牲をささげなければなりませんでした。(レビ記12:1-33) 「血の流出を病む人」は、「穢れた者」として礼拝に参加することも、人々の集まるところにも出ることは許されませんでした。

「病」は、その原因も経過も、身体的、心的の、両面の苦悩を持つものです。「病」が癒されるということは、単に肉体的回復だけではなく、その心的、社会的癒し、いわば、「存在そのもの癒し」、「心身的、全人格的回復」に至るものでなければなりません。このことは、現代医学も認めるところです。しかし、そのためには医学的処置だけではなく、いのちの根源たる神に「病」を明らかにしていただくということが本当に必要なのだと思います。

「12年の間長血をわずらう女」

マルコは、この女が「多くの医者にかかって、さんざん苦しめられ、その持ち物をみな費してしまったが、なんのかいもないばかりか、かえってますます悪くなる一方であった」と語り、主の弟子になる前は医師だったルカは、「十二年間も長血をわずらっていて、医者のために自分の身代をみな使い果してしまったが、だれにもなおしてもらえなかった」とマルコの言葉を認め、たとえ「医師の一人である自分」にも、この人の病を治すことはできない」と認めているかのようです。

当時の医療の中には、「長血」には、ダチョウの卵の灰を夏には亜麻布に、冬には木綿の布で包んで運んで持ち運ぶ、又は雌ろばの糞の中にある大麦一粒と身につけるといった、殆ど根拠のない「治療」も行われたといいます。(ウイリアム・バークレー「マルコ福音書」)

「12年」

女は発病以来、12年間、多くの医者に「自分の身代をみな使い果し」、「穢れた者」として所属社会や集団を失い、週ごとの礼拝からも締め出され、悪化していく病状に一人で耐えなければなりませんでした。「ヤイロの娘」は長血を患う女が発病したその年に、会堂管理者の家に生まれたのです。多くの人々の祝福をうけ、家族に見守られて成長したが、12歳になって、ヤイロの娘も病に倒れ、手厚い看護をうけていたのです。病は思わしくなく、悪化の一途をたどると、心配のあまりに、立場をこえてイエス・キリストの元に駆け付ける父親もいたのです。

ここに、12年間長血に苦しんだ女の「12年間」と、12歳まで裕福で平和な家族のもとに育ち、死の病にとりつかれた少女の「12年間」があります。時を同じくする「12年」ですか、女と少女は何と対照的な12年を過ごしたことでしょうか! 

しかし、身を病む者にとって、その期間、自分を取り巻く環境、社会的立場などによって苦悩の重い、軽いがあるのではありません。今、自分を苦しめる病がある、そのことが重要なのです。病には、それを負う人の、他と比較することのできない、それぞれの固有な苦悩があり、それぞれの生きるべき固有のいのちがあることをおしえます。

Ⅲ イエスの御許へ

ひとり悩む女は、誰にも言わずに、ある決意を胸にイエス・キリストの通られる街道に出ます。そこにはすでに大勢の群衆がイエスを取り囲んでいました。

遮る群衆

「群衆」こそが、彼女がもっとも恐れるものでした。と言いますのも、その病ゆえに「穢れた者」とされる彼女は、人々に触れてはならず、近づくときには「穢れた者です」と告げなければならなかったからです。群衆のだれかが、彼女を見つけて、彼女を指さして「穢れた者がここにいる!」と叫べば、ただちに群衆は彼女を遠ざけ、近づくことを決して許さないでしょう。怒れる群衆は彼女に危害を与えるかもしれないのです。

血の流失を抱えながら、人に触れることも、知られることもなく、群衆の真ん中におられるイエスに近づくなどということがどうして可能でしょうか? 女は途方に暮れて、群衆の背後に立ち竦んでおりました。

会堂管理者ヤイロ

そのとき、イエスをとりまく群衆の輪に変化が起こりました。彼らのよく知る会堂管理者ヤイロが娘のことで駆けつけたのです。群衆はそれと知るとイエスを取り巻く輪をといて、ヤイロに道を開けました。ヤイロの緊急の訴えを聞かれた主イエスは直ちに立って、ヤイロの家に向かわれます。群衆の輪が崩れ、ヤイロの家の方向にむけて道を開け、ある者たちはイエスを先導するかのように、先を走りだしたのです。

女走る

群衆の後ろに立ち竦んでいた女が動いたのはその時でした。崩れた群衆の中を縫うようにして、女は背後からイエスに近づいたのです。もしかすると、群衆のだれかに触れてしまったかもしれませんが、女はもうそれを考えてはいませんでした。イエス・キリストに近づくために、女に与えられた「ほんの一瞬」のチャンスでした。それを逃せばもう時はない、そういう思いが女に決死の一歩を踏み出させたのです。一歩とはいえ、とてつもなく大胆な一歩でした。

会堂管理者ヤイロがいなければ女はイエスに近づけなかったでしょう。信仰の出会いには、それとは直接関係のない偶然がいくつも重なっていて、その一つが欠けても、主イエスには出会えなかったといようなうことがよく起こります。それは、主が「しるしと不思議をなす力により、さらにまた、御霊の力によって、それを成し遂げてくださった」からなのです。(ロマ15:19)「不思議をなすお方」があなたの背を押されるとき、自分にもわからない信仰の第一歩が踏み出されるのです。

Ⅳ 衣のすそに触る

女は一言も発しませんでした。声を上げれば群衆が「長血の女」と知って、彼女がイエスに近づかせまいとするからです。女は一つのことをなすためだけにイエスに近づきました。「せめて、み衣にでもさわれば、なおしていただけるだろうと、思って」、「うしろから、み衣にさわった」(マルコ5:27-28)のです。すると、「その長血がたちまち止まり」、女は「血の元がすぐにかわき、病気が治ったことを、その身に感じた」のです。 (マルコ5:27 ルカ8:44)

衣のふさ

イスラエル人は「主のもろもろの戒めを思い起して、それを行い、あなたがたが自分の心と、目の欲に従って、みだらな行いをしないため」に「代々その衣服のすその四すみにふさをつけ、そのふさを青ひもで、すその四すみにつける」ことが定められていました。女は「せめて、み衣にでもさわれば、なおしていただけるだろう」とイエスのうしろから「衣のふさ」に触れたのです。しかし、この行為は「迷信」でした。

当時の人々はイエスに「触ろうとして」やってきました。(マルコ3:10)そうすれば病が癒えると信じたからです。主の復活後、使徒ペテロが福音を伝えると人々は「病人を大通りに運び出し、寝台や寝床の上に置いて、ペテロが通るとき、彼の影なりと、そのうちのだれかにかかるようにした」ことさえあります。(使徒5:15)しかし、これもまた「迷信」にすぎません。やがて、教会にも多くの「聖遺物」が信仰の対象になりました。しかし、それらは「迷信」であり、「イエスの衣のふさ」に神秘的な力があるわけではありません。

女におこったこと

女の手がイエスの衣のふさに触れたとき、一瞬で身に変化が生じたことを知りました。血の流出が止まり、「血の源がかれて、ひどい痛みが直ったことを、からだに感じた」(マルコ5:29新改訳聖書)のです。何が起こったのか、女にはわかりませんでした。ただ12年間、忘れていた身体の感覚が戻ったのです。この経験が、次の瞬間も続くのか、このままもう血の流出はないのか、女にはわかりませんでした。しかし、言うことのできない喜びが身体の内から湧き上がるのが感じられ、たとえようのない幸せな感情に身は包まれました。

彼女は、たとえこれが一時的な一瞬の経験であるとしても、この上ない幸福感を味わっただけで充分でした。女このままイエスからそっと離れようと思いました。主イエスと一瞬でも結ばれ、その御力を身にうけたのですから、これから何があろうと、この思いと共に生きていけると感じたからです。

信仰は、はっきりわかる変化、力の現実的な体験です。しかし、この経験はすべての人に共通したものではありません。「長血をわずらう女」が病を癒されたからといって、すべての人が病を癒されることによって信仰に入るのではありません。主イエスとの出会いはあくまでも個別的な経験としておこります。また、信仰の経験はそのようなものでなければなりません。それはその人にしかわからない固有の形をもって始まるのです。

Ⅴ たちどまられるイエス

ヤイロの娘の死

何も知らない群衆はイエスの背を押すようにして、会堂管理者ヤイロの家に向かおうとしていました。娘の病状は切迫しています。急がねばなりませんでした

実はこのとき、群衆は知りませんでしたが、「12年間長血をわずらう女」がイエスの衣の房に触れて12年間に及ぶ病が癒されたとき、時を同じくして、ヤイロの娘は病で息を引き取り、12年間の生涯を閉じていたのです。ヤイロの娘の死が確認されるとヤイロの僕はイエスのところに行ったヤイロに娘の訃報をしらせるべく、急ぎ家を出ていました。娘の死の報に人々がかけつけ、家の者たちと葬儀の準備がはじまっていたのです。

「わたしの着物にさわったのはだれか」

時は迫っていました。その中で、イエスは「自分の内から力が出て行ったことに気づかれて」、足をとめ、「群衆の中で振り向き、「わたしの着物にさわったのはだれか」と言われます。(マルコ5:30)

これには弟子たちもいぶかり、「ごらんのとおり、群衆があなたに押し迫っていますのに、だれがさわったかと、おっしゃるのですか」と言わざるを得ませんでした。しかし、イエスはそれにはお答えにならず、「さわった者を見つけようとして、見まわしておられ」ます。(マルコ5:32)

誰にも知られずに、静かに立ち去ろうとしていた女は、イエスの言葉を聞いて、立ち止まり、身動きもできませんでした。イエスは何のために、自分をさがされるのでしょうか? 長血の流出は止まり、身をつつむ喜びは続いています。このうえ、何が始まるというのでしょうか?

一歩も動かず、弟子たちの非難するような言葉に耳を傾けもしないで、あたりを見回しておられるイエスに、女は恐れすら感じました。それほど、自分を探されるイエスの厳しい横顔にただならぬ気配を感じたのです。

女の身におきたこと

女がイエスの衣の房に触れたとき主イエスご自身の内から「力」が出て行きました。「力」は女の身体に入り、病を癒しました。女は「病気がなおったことを、その身に感じ」ました。これほど確かなことはありません。しかし、彼女の身におきたことは、それ以上のことだったのです。女は身におきたことについて、主イエスのかたられることを聞かねばなりません。信仰の決定的な歩みはイエス・キリストにあります。

信仰は、女がしたように、「自分は救われた」と自己判断して、すませることのできるものでも、すませるべきものでもありません。

女は背後からイエスに近づきました。これもまた、正式な近づき方ではありません。人は責任をもって主イエスに近づくべきです。背後からではなく、顔と顔をあわせてイエスに近づくべきでした。しかし、そのようにしてイエスに近づくことのできる人はいるでしょうか? いいえ、ひとりもいません。むしろ、イエスが私に近づいてくださることによって、人はイエスと出会うのです。

女の戸惑い

群衆もイエスの弟子も、立ち止まって動かれないイエスに戸惑い、いら立ちを隠しません。しかし、イエスに誰よりも強くヤイロの家に行って欲しいと願ったのは長血を癒された女ではなかったでしょうか。

「どうぞ、これ以上、自分のことにはかかわらず、一刻も早く、会堂司ヤイロの娘のところに急いでください。自分はあなたが、立ち止まってまで探される値打ちのある女ではありません」。女は病の苦しみを誰よりも知っていました。今このとき、死の苦しみにある12歳の少女を思うと、イエスの足を止めている自分が心苦しくも思うのです。しかし、イエスはその場から一歩も動こうとされません。「わたしの着物にさわったのはだれか」といわれるイエスのことばが、女の心に鋭く刺さります。

Ⅵ 力がわたしから出て行った

力がわたしから出て行った

イエスは立ち止まられて、「だれかがわたしにさわった。力がわたしから出て行ったのを感じたのだ」と言われます。(ルカ9:46)これが立ち止まられた理由でした。イエスから「力」が出てゆき仕事をしたのです。創世1:3には、「神は「光あれ」と言われた。すると光があった」とあります。神が「光あれ」と言われると、「光がある」。人間の場合は、私がいくら「光あれ」と言っても、言葉そのものが光を生じさせません。人間の言葉そのものに実質的な力はありません。しかし、神の口からでる言葉は即「力」です。神の口から出た「ことば」は「言われたことば」と全く同じ結果を生じさせずにはおきません。イエスは女に一言も語っておられません。しかし、「力が出て行った」という表現は、「ことばがわたしから出て行った」と同じです。イエスから出た「力」は「癒されよ」というみことばでありました。「ことば」がイエスから出て、女の病を癒しました。しかし、女は「みことば」を知りません。ただ「力」が身体を通り抜け、12年の血の流失が止まり、出血の元が乾いたのです。そのこと自体が大いなる経験です。女の苦悩は解決されました。しかし、イエスの「みことば」が女に成し遂げたことは、それだけではなかったのです。私たちも、イエスがなされたことの全体を知るまでは、イエスから立ち去ってはなりません。

私は中学2年の春に、気まぐれに日曜学校に行きました。人生の深い悩みなどなく、ただ行けば貰える聖句のカードが気に入ったという、中学生としてはいささか幼い理由からでした。しかし、イエスは、その時から今日まで、「力がわたしから出て行った」と、たった一人の「力」の意味も知らない異教の国の子どもにすぎない私の前に、ずっと立たれておられます。何という驚きでしょうか! 戸惑わすにはおられません。 女は「立ち止まられるイエス」に戸惑います。イエスに関わる人はみな、この戸惑いを経験するのではないでしょうか? この戸惑いはイエスから出た「力」による自分という存在を改めて知るまで続きます。それを教えて下さるのはイエスであり、そのためにイエスは私の前に立たれるのです。主が私の前に立ち給う限り、どうして主から私が立ち去ることができるでしょうか? 

最大の奇跡

「12年の間長血をわずらう女」の物語のなかで、最も重要なことは、病の劇的な癒しにあるのではなく、この、イエスが女の前に「立ち止まられた」ことにあります。最大の奇跡は、神が失われた一人の貧しい女に、「力がわたしから出て行った」と全身を向けて、女の前に立ち止まられたという事実です。そして、そのことは、聖書を読む者が例外なく、女と同じ位置にあることを知らされることによって、さらなる驚きに変わります。本当に私たちの悩みは小さな取るに足りないかもしれません。しかし、「悩み」は人をイエスに連れてゆきます。そして、主イエスはそのとるに足りない悩みに対して、「天と地を創造された御力」をかたむけて、悩みの根源にふれ、いのちを全く新しくしようとされれ、それが完成するまで、人の前から立ち去ろうとはなさいません。

神が私以外の多くのふさわしい人々をさしおいて、私しかいないかのように、私の前にたたれ、「力がわたしから出て行った」と告げられるとき、私たちの驚愕はいかばかりでしょうか。そのことに気づくのが信仰の大きな始まりなのだと言えましょう。

Ⅶ 告白

「長血を癒された女」は、遂に「隠しきれないのを知って、震えながら進み出て、みまえにひれ伏し、イエスにさわった訳と、さわるとたちまちなおったこととを、みんなの前で話した」。(ルカ8:46) 女は「隠しきれない」と知って、「恐れおののきながら」「震えながら」(マルコ5:33 ルカ8:46)進み出て、イエスの前にひれ伏し、「イエスにさわった訳と、さわるとたちまちなおったこととを」「真実を余すところなくイエスに打ち明けた」のです。(マルコ5:33 新改訳聖書)

女は12年間の病と苦悩と、イエスの衣のふさに触れたこと、その時「力」が身に臨み、血の流出が止まり、癒されたことなど、起きたことのことごとくを、隠すことなく、群衆の前でイエスに打ち明けました。これは女の告白でした。それは神の前でなされた真摯な信仰の告白でありました。しかし、この告白も、彼女が経験したことの一部であって、すべてではありませんでした。人がイエスに捧げるのは、どれほどの信仰から出たとしても「貧しい告白」なのです。

しかし、イエスは黙って、女の告白をお聞きになります。それだけではなく、「娘よ、しっかりしなさい」と声をかけられるのです。(マタイ9:22) 「しっかりしなさいθαρσέω」というギリシャ語は「恐れないで、自信をもって、大胆に、思い切った行動をとりなさい」という意味です。

「貧しい告白」を恥じてはなりません。むしろ、私たちは、貧しきままに、大胆に、思い切って、恐れずに告白すべきです。主は、私たちの不十分な告白を十分な告白としてお聞きくださるからです。

Ⅷ 「娘よ、あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい」(ルカ8:48)

女の告白に対して、イエスは「娘よ、あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい」と語られます。(マタイ9:22 マルコ5:34 ルカ8:48)イエスの「力」が「長血を患う女」に臨み、彼女に成し遂げられたことが、この短いみことばにあります。群衆に囲まれ、ヤイロの家に急がなければならない、路上でのことです。時間をかけて教えることはできません。しかし、このごく短いイエスのみことばに、女が知るべきことのすべてが凝縮されています。「みことば」は、うっかり読めば何でもないことのように感じられることがあります。しかし、短くても深い真理の全体がかたられているのです。読む人は注意深く、魂の深みにみことばを聴くということが大切です。

「娘よ、あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい」。(マタイ9:22 マルコ5:34 ルカ8:48)

ここには「救い」と「安心」という2つの大切な言葉があり、イエスが「長血を患う女」になされたことの全体を説明します。

A.「救い」

イエスは女に「あなたの信仰があなたを癒した」と言われたのではなく、「あなたの信仰があなたを救ったのです。」と言われます。イエスの「力」が女の内で成し遂げたことは、「救い」であり、「癒し」はそれにともなって女に与えられた「しるし」にすぎません。「癒し」は「救い」を象徴する神の御業です。「癒し」は「救い」から生まれるのであって、「癒し」から「救い」が生まれるのではありません。

では、「救い」とは何でしょうか? 「救い」を意味するギリシャ語「σῴζω」は「死の危機からの解放、救済」をあらわします。黙示録が語るように、イエス・キリストは十字架と復活により、「死人の中から最初に生れた者」であり、「その血によってわたしたちを罪から解放し、 わたしたちを、その父なる神のために、御国の民とし、祭司として下さった」のです。(黙示録1:5-6) これが「救い」です。

罪からの救い

イエスは女に「娘よ、あなたの信仰があなたを〔罪から〕救った」といわれます。しかし、この言葉は、「病」を「罪」といわれるのではありません。「病」は「罪」でも「罰」でもありません。そのことは、「生まれつきの盲人」について、弟子たちと交わされたイエスのことばからも明らかです。

「生まれつきの盲人」について弟子たちが、「だれが罪を犯したためですか。本人ですか、それともその両親ですか」と尋ねるとイエスは「本人が罪を犯したのでもなく、また、その両親が犯したのでもない。ただ神のみわざが、彼の上に現れるためである」とお答えになっています。(ヨハネ9:1-7) 

生まれつき目が不自由であったこの人の病は、本人が罪を犯したのでも、また、その両親が犯したのでもありません。ただ神のみわざが、彼の上に現れるためでありました。女の病も同じです。病そのものが罪でも、罪の結果でもありません。

しかし、「12年続く長血」は女を「罪」として神殿に出入りすることを許しませんでした。律法は女を「汚れた者」としたのです。その意味で、彼女は「死の苦しみ」の中におかれていました。

律法は聖なる神の定めとして人間に与えられました。「聖」は常に「罪」の贖いを求めます。しかし、人間はどのように律法を守ったとしても、それによっては聖なるものとされることはありません。人間は罪人であり、罪は死によってしか贖われないのです。イエス・キリストは、律法に対して「神の身代わりの子羊」として、十字架にかけられ、その血をもって律法のもとめる「贖い」となられました。そして、十字架から三日目に死から復活されます。イエスの「よみがえりのいのち」は、「罪を贖われた者の新しいいのち」なのです。

復活のいのち

女に「娘よ、あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい」と告げられるイエスはまだ十字架にかけられていません。しかし、イエスはこれからおこる十字架と復活を、すでに起きたこととして、女の身に、それが実現したと語られたのです。

「長血を患う女」の身に臨んだイエスの「力」は、「十字架と復活の力」そのものであり、働きでありました。

イエスは女を「死の悩み」の中に閉じ込めた律法から完全に解放し、何者にも縛られず、大胆に神を礼拝する者とされました。女は「復活のいのち」を先取りし、「死よりよみがえり」、そのしるしとして「病」を癒されたのです。

B. 「安心して」

イエスは「娘よ、あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい」と言われます。(マタイ9:22 マルコ5:34 ルカ8:48)二つ目の言葉は「安心して行きなさい」です。

「安心してεἰρήνη」と訳されたギリシャ語は「平和」を意味します。この言葉は非常に重要な言葉です。「神との平和」を示すために聖書にしばしば用いられるからです。神は「愛と平和の神」です。(Ⅱコリント13:11) 聖書において「平和εἰρήνη」は「対立する二つのものを一つにすること」を意味します。

エペソ2章は「平和εἰρήνη」について深い教えを伝えます。そこでは、「異邦人と神の民」の「対立する二つを一つにする」として説明されます。異邦人とは「キリストを知らず、イスラエルの国籍がなく、約束されたいろいろの契約に縁がなく、この世の中で希望もなく神もない者」でしたが、イエスは「数々の規定から成っている戒めの律法を廃棄」され、「二つのものをひとりの新しい人に造りかえて平和をきたらせ、十字架によって、二つのものを一つのからだとして神と和解させ、敵意を十字架にかけて滅ぼしてしまった」のです。「わたしたち両方の者が一つの御霊の中にあって、父のみもとに近づくことができる」のです。(エペソ2:1-22)

あらゆる人は、神から離れた「異邦人」、すなわち「神の国なく、約束されたいろいろの契約に縁がなく、この世の中で希望もなく神もない者」です。しかし、イエスは「律法」を廃棄し、「自らの内に分裂する神なき者」を「ひとりの新しい人」に造りかえ、「一つのからだとして、平和をきたらせ、神と和解させられた」のです。これが、「愛と平和の神」と「イエスの十字架と復活」の福音です。

病に悩み、神との交わりからも隔てられていた女は、今や「使徒たちや預言者たちという土台の上に建てられ、キリスト・イエスご自身が隅のかしら石である建物全体に組み合わされ、主にある聖なる宮に成長し、主にあって共に建てられて、霊なる神のすまい」とされたのです。(エペソ2:21-22)

イエスは女に、「救い」と「平和」の二つの言葉によって、「娘よ。「愛と平和の神」があなたと共にある。「愛と平和の神」と共に行きなさい。あなたの「12年もの間、長血に病んだ身体」は「霊なる神のすまい」となる。「自分のからだは、神から受けて自分の内に宿っている聖霊の宮であって、あなたは、もはや自分自身のものではない。あなたは、代価を払って買いとられたのだ。それだから、自分のからだをもって、神の栄光をあらわしなさい」と告げられたのです。 (Ⅰコリント6:19-20)

Ⅸ 終わりに

マタイは「長血の女の癒し」の最後に「するとこの女はその時に、いやされた」と記します。

「娘よ、しっかりしなさい。あなたの信仰があなたを救ったのです」。するとこの女はその時に、いやされた」。(マタイ9:22)

「その時」とは、女がイエスから、すべてをつげる「みことば」を聴いた、その時を指します。女がイエスの衣に触れた時、すでに病は癒されていました。しかし、イエスの「みことば」を聴き、その御業のすべてを聴いたとき、女は本当に癒された。「存在」の全的変化を経験し、「存在」の意味を知ることになったのです。

信仰の歩みは「みことば」に聴くことにあります。そして「聴くこと」はイエスに聴くことであり、イエスに聴くことは聖霊によるのです。

(その後、この「女」が、どのように生きたかを聖書は語りません。伝説によりますと、彼女の名前は「ヴェロニカ」で、その後ヴェロニカはイエスに癒された証しを多くの人々にしてまわり、奇跡の証人として初代教会に大きな影響を与えます。ヴェロニカはイエスが十字架を背負ってゴルゴダの丘に向かわれる途中、布でイエスの顔を拭い、イエスの顔の残されたその布は「ヴェロニカの布」として知られるようになったといいます。しかし、この美しい話はあくまでも伝説で、聖書の物語からありうることとして生まれたものでありましょう。)