心のデボーション6451
「この故に我らこの事を聞きし日より、汝等のために絶えず祈りかつ求むるは、汝ら靈のもろもろの知慧と穎悟とをもて神の御意を具に知り、」 コロサイ1:9 大正文語訳聖書
「そういうわけで、これらの事を耳にして以来、わたしたちも絶えずあなたがたのために祈り求めているのは、あなたがたがあらゆる霊的な知恵と理解力とをもって、神の御旨を深く知り、」 口語訳聖書
「聖霊の導き」
パスカルは直観によって物事を判断する人と、原理による人をあげ、直観の人は推理することに欠け、原理の人は一目で見ることに欠けると指摘する。(パスカル「パンセ」1-3前田陽一・由木康訳 中央公論社1973)どちらが良いのでも悪いのでもない。人には反対の判断をする他者がいて、面白いということだろう。人は他者とは違う方法で、御言葉から神の御旨を理解する。他者はあなたとは違った方法で理解してるのだ。共に「聖霊の。導き」である。
関連ギリシャ語
(γινώσκω「わきまえる」G1097)
心のデボーション6452
「これ天にいます汝らの父の子とならん爲なり。天の父は、その日を惡しき者のうへにも善き者のうへにも昇らせ、雨を正しき者にも正しからぬ者にも降らせ給ふなり」 マタイ5:45 大正文語訳聖書
「こうして、天にいますあなたがたの父の子となるためである。天の父は、悪い者の上にも良い者の上にも、太陽をのぼらせ、正しい者にも正しくない者にも、雨を降らして下さるからである。」 口語訳聖書
「えこひいき」
神が正しい人にも正しくない人にも「恵みの雨」を降らせるというのは不公平だと思う人は、自分を「正しい人」の側に置いているに違いない。神の前には「正しい人」は一人もいなく、みな「正しくない人」である。したがって、凡ての人は神の「えこひいき」を喜ぶべきだ。しかし、神のように人を「えこひいき」できるかと言えば、それは無理である。「正しくない人のえこひいき」は、人を傷つけるだけだからである。
関連ギリシャ語
(χάρις「恵み」G5485)
心のデボーション6453
「時は滿てり、神の國は近づけり、汝ら悔改めて福音を信ぜよ」 マルコ1:15 大正文語訳聖書
「時は満ちた、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ」 口語訳聖書
「時計」
人はみな腕時計とは別に「自分の時計」をもっている。それは早くも遅くもなる時計である。人生に対しても「もうこんな時間か」とも「まだこんな時間なのだ」とも教える。この時計は、明日にむかって進むだけでなく、昨日に向かって進むこともする。時間が経つにつれ若くなってゆくのだ。「失った時」を取り戻すことさえできる。
関連ギリシャ語
時
(καινός「時」G2537)
(χρόνος「時」G5550)
心のデボーション6454
「耳ある者は聽くべし。」 マタイ11:15 大正文語訳聖書
「耳のある者は聞くがよい。」 口語訳聖書
「聴く」
本当に「聴こう」とすると、「しゃべる」よりはるかにエネルギーを必要とする。聖書でも「聴く」は「聴いて受け入れ、信頼する」である。そこで、一言も聞きのがすまいとすると、かえってダメかもしれない。力を抜いて、何も考えずに「聴く」と、ことばがすっと入ることもある。そして、ことばはことばをさそい、泉のように沸き上がる。「聴く」ことは「響き」でもある。
関連ギリシャ語
聴く
(ἀκούω「聴く」G191)
(προσέχω「傾聴する」G4337)
心のデボーション6455
「視よ、我は父の約し給へるものを汝らに贈る。汝ら上より能力を著せらるるまでは都に留れ」 ルカ24:49 大正文語訳聖書
「見よ、わたしの父が約束されたものを、あなたがたに贈る。だから、上から力を授けられるまでは、あなたがたは都にとどまっていなさい」 口語訳聖書
「イエス・キリストを着る」
イエスが復活された後、弟子たちは「上から力を授けられるまでは、都にとどまっていなさい」と命じられた。「上から力を授けられるἐνδύω」は「いと高き所から力を着せられるまでは」の意。ロマ13:14では「主イエス・キリストを着なさい」とある。活動を始める前に、「イエス・キリストを着て」、身なりを整えなさい。
関連ギリシャ語
(ἐνδύω「力を授けられる」G1746)
心のデボーション6456
「わがたましひよヱホバを讃まつれ そのすべての恩惠をわするるなかれ」 詩篇103:2 明治元訳聖書
「わがたましいよ、主をほめよ。そのすべてのめぐみを心にとめよ。」 口語訳聖書
「ほぞを噛む」
いくら後悔しても今さらどうにもならないことを「ほぞを噛む思い」という。「ほぞ」は「へそ」のことで、いくら努力しても自分で噛めるものではない。とりかえしのつかないことをしたあとで、無駄と知りつつも、したくなる行為である。噛むほどに、くやしい思いはつのるが、それにも意味はある。とりかえしのつかないものの中にも、「よきもの」があるからだ。「ほぞを固める」ことができるかもしれない。
関連ギリシャ語
(πειρασμός「試み」G3986)
(μεταμέλλομαι「後悔」G3338)
心のデボーション6458
「バプテスマのヨハネ出で、荒野にて罪の赦を得さする悔改のバプテスマを宣傳ふ。」 マルコ1:4 大正文語訳聖書
「バプテスマのヨハネが荒野に現れて、罪のゆるしを得させる悔改めのバプテスマを宣べ伝えていた。」 口語訳聖書
「荒野に叫ぶ者の声」
バプテスマのヨハネは「荒野に叫ぶ者の声」であった。「荒野ἔρημος」は「人の住まない荒涼たる所」で「神の知識に欠けた土地」すなわち「異邦人の地」をも意味した。たとえ、そこが聖地であっても「神の知識に欠けた土地」というのは存在する。ヨハネの声は、そのような土地に響く。
関連ギリシャ語
荒野
(ἔρημος「荒野」G2048)
(ἐρημία「荒野」G2047)
心のデボーション6459
「聖なる物を犬に與ふな。また眞珠を豚の前に投ぐな。恐らくは足にて蹈みつけ、向き返りて汝らを噛みやぶらん」 マタイ7:6 大正文語訳聖書
「聖なるものを犬にやるな。また真珠を豚に投げてやるな。恐らく彼らはそれらを足で踏みつけ、向きなおってあなたがたにかみついてくるであろう。」 口語訳聖書
「聖なるもの」
イエスは「子供たちのパンを取って子犬にやってはいけない」と言われて「子犬でも主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです」と答えた異邦の女に、「聖なるもの」をお与えになった。(マタイ15:25-28)神聖なものを犬(恥知らずの者)に与えてはならない。しかし、「聖なるもの」は何と「恥しらずの者」に与えられることか。
関連ギリシャ語
(ἅγιος「聖なるもの」G40)
心のデボーション6460
「視よ、わが使を汝の顏の前につかはす。 かれは汝の前になんじの道をそなへん」 と録されたるは此の人なり。」 ルカ7:27 大正文語訳聖書
「見よ、わたしは使をあなたの先につかわし、あなたの前に、道を整えさせるであろう』と書いてあるのは、この人のことである。」 口語訳聖書
「あなたの前に」
「道」は「あなたの前に、整えらている」。(ルカ7:27) 「あなたの前にἔμπροσθεν」は「あなたの見える所に」の意味である。「道」は主イエスに、誤りなく導く道である。「κατασκευάζω整える」は「必要なものを完全に整える、徹底的に備える」の意。イエスに至る道は完全に、徹底的に整えられた。
関連ギリシャ語
(ἔμπροσθεν「あなたの前に」G1715)
(κατασκευάζω「整える」G2680)

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