心のデボーション6391
「汝らはキリストに在りて、諸般のこと即ち凡ての言と凡ての悟とに富みたればなり。」 Ⅰコリント1:5 大正文語訳聖書
「あなたがたはキリストにあって、すべてのことに、すなわち、すべての言葉にもすべての知識にも恵まれ、」 口語訳聖書
「全き知識」
「すべての言葉にもすべての知識にも恵まれ」なさい。「すべての知識πάσῃ γνώσει」は「全き知識」である。パウロの「全き」は「キリストにあって神を知ることの完全」である。それは「すべてのことば(ロゴスλόγος)」すなわち「神のいのち(ζωὴ)」を知ることである。それは「イエス・キリストの恵みの賜物χάρισμα」
関連ギリシャ語
「πάσῃ γνώσει全き知識」G1107)
「χάρισμα「賜物」G5486)
心のデボーション6392
「公平の權衡と天秤とはヱホバのものなり 嚢にある法馬もことごとく彼の造りしものなり」 箴言16:11 明治元訳聖書
「正しいはかりと天びんとは主のものである、袋にあるふんどうもすべて彼の造られたものである。」 口語訳聖書
「はかり直し」
不正な商人は皮袋に「二つの異なる重り石」をもっていて、適当に使い分けることで人を欺く。人はみな心に「二つの異なる重り石」があって、他人には厳しく自分には甘くはかる。そこで、私たちは「主の造られた重り石」を受け取らなければならない。重すぎるものは軽く、軽すぎるものは重く、いずれにしても、それがテーマである。人生は、時々、はかり直されることによって前進する。
関連ギリシャ語
(μετρέω「量る・量り与える」G3354)
心のデボーション6393
「助主すなはちわが名によりて父の遣したまふ聖靈は、汝らに萬の事ををしへ、又すべて我が汝らに言ひしことを思ひ出さしむべし。」 ヨハネ14:26 大正文語訳聖書
「しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってつかわされる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、またわたしが話しておいたことを、ことごとく思い起させるであろう。」 口語訳聖書
「過去の記憶」
孔子は論語に「温故而知新(古きを温(たず)ねて新しきを知る)」という。「温」は「温め直す・熟成させる」の意味である。「過去の記憶」は「温め直す」ことで未来を創造する。聖書の「記憶ἀνάμνησις」には「過去の出来事」を「今に呼び起こす」という意味がある。私が記憶を呼び出すというよりも、「記憶」が私を呼び起こすのである。それにはヨハネ14:26の「聖霊による ὑπομιμνῄσκω(思い起こさせる働き)」が不可欠である。
関連ギリシャ語
聴く
(ἀκούω「聴く」G191)
(προσέχω「傾聴する」G4337)
(ἀνάμνησις「記憶」G364)
(ὑπομιμνῄσκω「思い起こす」G5279)
心のデボーション6394
「愛には虚僞あらざれ、惡はにくみ、善はしたしみ」 ロマ12:9 大正文語訳聖
「愛には偽りがあってはならない。悪は憎み退け、善には親しみ結び、」 口語訳聖書
「ストーカー」
ストーカーは、なんでもないことから愛を確信し、常軌を逸した行動にでる。はっきり拒否しても、それは誰かが自分達の愛を邪魔しているのであって、本心ではないなどと、自分に都合の良い物語をつくってしまう。その愛は哀しいまでに真摯なものだが、「偽りの愛」であることに変わりない。彼らが愛しているのは、自分であり、しかもその自分に空虚感があり、それを埋めるために愛を求めてるのである。本当の愛と出会ってほしい。
関連ギリシャ語
(ἀψευδὴς「偽り」G893)
心のデボーション6395
「又もろもろの心勞を神に委ねよ、神なんぢらの爲に慮ぱかり給へばなり。」 Ⅰペテロ5:7 大正文語訳聖書
「神はあなたがたをかえりみていて下さるのであるから、自分の思いわずらいを、いっさい神にゆだねるがよい。」 口語訳聖書
「満足する心」
モンテーニュは「現在に満足する心は未来を思い煩うことを憎む」という。(モンテーニュ「エセー」p29原二郎訳 筑摩書房昭和43年) 「現在に満足する心」は「自分の今の思いわずらいを、いっさい神にゆだねる」ことから来る。小さな思い煩いを一つ一つ潰してゆくことだ。
関連ギリシャ語
(μεριμνάω「思い煩い」G3308)
心のデボーション6396
「我等この幕屋にありて重荷を負へる如くに歎く、之を脱がんとにあらで、此の上に著んことを欲すればなり。これ死ぬべき者の生命に呑まれん爲なり」 Ⅱコリント5:4 大正文語訳聖書
「この幕屋の中にいるわたしたちは、重荷を負って苦しみもだえている。それを脱ごうと願うからではなく、その上に着ようと願うからであり、それによって、死ぬべきものがいのちにのまれてしまうためである。」 口語訳聖書
「重ね着」
パウロは「肉体の悩み」を「地上の幕屋」と呼び、「この幕屋の中にいるわたしたちは、重荷を負って苦しみもだえている」が、「それを脱ごうと願う」のではなく、「その上に着ようと願う」。「それによって、死ぬべきものがいのちにのまれてしまうためである」と語る。「地上の幕屋」に「天上の幕屋」を重ね着する。
関連ギリシャ語
(ἐκδύω「まとう」G1562)
心のデボーション6397
「僞善者よ、まづ己が目より梁木をとり除け、さらば明かに見えて、兄弟の目より塵を取りのぞき得ん」 マタイ7:5 大正文語訳聖書
「偽善者よ、まず自分の目から梁を取りのけるがよい。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からちりを取りのけることができるだろう。」 口語訳聖書
「偽善者」
「偽善者ὑποκριτής(俳優、偽善者、擬信者」の目は「丸太」で塞がれている。その行為は演技にすぎないが、彼にはそうは見えていない。彼に見えるのは幻の「観客と喝采をあびる自分」である。
関連ギリシャ語
偽善
(ὑπόκρισις「偽善」G5272)
(ὑποκριτής「偽善者」G5273)
心のデボーション6398
「すべての操守べき物よりもまさりて汝の心を守れ そは生命の流これより出ればなり」 箴言4:23 明治元訳聖書
「油断することなく、あなたの心を守れ、命の泉は、これから流れ出るからである。」 口語訳聖書
「炭屋と洗濯屋」
イソップ寓話で炭屋が洗濯屋と同居を申し込んだところ、洗濯屋がこれを断ったというお話がある。白を黒とする者と黒を白とする者は一緒にはなれない。だが、しばしば二人は惹かれ合う。何故だろうか?
関連ギリシャ語
(πηγή「泉」G4077)
心のデボーション6399
「僞善者よ、まづ己が目より梁木をとり除け、さらば明かに見えて、兄弟の目より塵を取りのぞき得ん」 マタイ7:5 大正文語訳聖書
「偽善者よ、まず自分の目から梁を取りのけるがよい。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からちりを取りのけることができるだろう。」 口語訳聖書
「はっきり見える」
自分の目から「丸太」を取り除くには痛みを伴う。「はっきり見える」ことの痛みである。その痛みを知るまでは、兄弟の目に手を伸ばすべきではない。兄弟も又、同じ痛みを経ることになるのだから。「丸太」には、取り除かれる者に痛みが発生するのは当然だが、取り除く側にも痛みはある。痛みをともなわない行為は偽物である。
関連ギリシャ語
(βλέπω「見る」G991)
心のデボーション6400
「平和の繋のうちに勉めて御靈の賜ふ一致を守れ。」 エペソ4:3 大正文語訳聖書
「平和のきずなで結ばれて、聖霊による一致を守り続けるように努めなさい。」 口語訳聖書
「聖霊による一致」
「聖霊による一致」とは「平和のきずなで結ばれ、一つであること」である。「相反するもの」が「一致する」のは、人間の業ではできない。それは聖霊の働きによるのである。人は「勉めて御霊の賜ふ一致」を守らなければならない。
関連ギリシャ語
(προσκολλάω「一体となる」G4347)
(ἑνότης「一致」G1775)

コメント