心のデボーション6381
「第三の封印を解き給ひたれば、第三の活物の『來れ』と言ふを聞けり。われ見しに、視よ、黒き馬あり、之に乘るもの手に權衝を持てり。」 黙示6:5 大正文語訳聖書
「また、第三の封印を解いた時、第三の生き物が「きたれ」と言うのを、わたしは聞いた。そこで見ていると、見よ、黒い馬が出てきた。そして、それに乗っている者は、はかりを手に持っていた。」 口語訳聖書
「メランコリー」
「憂鬱melancholy」はギリシャ語で「黒」を意味する「μέλαν(melan)」から来ている。「憂鬱」が「黒」という色と関わるのかというと、古代ギリシャの医学(ヒポクラテス派)やガレノス医学においては、人間の身体と精神は四体液(four humours)のバランスによって決まるとされ、そのうち「黒胆汁μέλαινα χολή(melaina cholē)が過重になると憂鬱・悲哀・沈思・恐れなどの精神状態を引き起こすとされたところから来ている。「μέλαν(対応ヘブル語はשָׁחֹר(shāḥor)物理的な黒」は「黒」の意味に「暗さ」の意味を合わせもつ。「憂鬱」は「暗い心」である。黙示録の「黒い馬(ἵππος μέλας)」は「飢饉や経済的困窮」を象徴する。これもまた「憂鬱」なことだ。
関連ギリシャ語
(μέλαν「黒」G3189)
心のデボーション6382
「誰か先に我に與へしところありて我をして之に酬いしめんとする者あらん 普天の下にある者はことごとく我有なり」 ヨブ41:19 明治元訳聖書
「その口からは、たいまつが燃えいで、/火花をいだす。」 口語訳聖書
「苦しみの意味」
瞬時に、それまでの生活を失うというような出来事に襲われると人は、心に深い傷を負う。ヨブも、その状況「にさらされた。そして、その意味を問うことによって、さらに深く傷つく。答はないのだ。ただ、意味を問うヨブと、「すべては、わたしのものだ」と云われる神との会話があるのみである。人の心では神の意味深さに届くことはできない。その魂の深みで、人は意味を問うことから解放されるのかもしれない。ギリシャ語「ὠδίν」は「死の苦しみ」と共に「産みの苦しみ」の意味がある。
関連ギリシャ語
(ὠδίν「苦しみ」G5604)
心のデボーション6383
「善惡を辨へ知り、キリストの日に至るまで潔よくして躓くことなく、」 ピリピ1:10 大正文語訳聖書
「それによって、あなたがたが、何が重要であるかを判別することができ、キリストの日に備えて、純真で責められるところのないものとなり、」 口語訳聖書
「愛において混ぜ物なき者」
「あなたがたの愛が、いよいよ増し加わり、 それによって、あなたがたが、何が重要であるかを判別することができ、キリストの日に備えて、純真で責められるところのないものとなり」。(ピリピ1:8-9) 「純粋εἰλικρινής」は「混ぜ物がない」の意。「あながたの愛」が「深い知識において、するどい感覚において」「いよいよ増し加わり」、「何が重要であるかを判別すること」において、「混ぜ物のない」純粋で「責められることがないように」。
関連ギリシャ語
(εἰλικρινεῖς 「純真」G1505)
心のデボーション6384
「カイン其弟アベルに語りぬ彼等野にをりける時カイン其弟アベルに起かかりて之を殺せり」 創世4:8 明治元訳聖書
「カインは弟アベルに言った、「さあ、野原へ行こう」。彼らが野にいたとき、カインは弟アベルに立ちかかって、これを殺した。」 口語訳聖書
「和解」
カインは土を耕し、弟アベルは羊を飼う者となった。善良で思慮深いアベルにくらべて、カインは利己的で衝動を抑えることができず、人類最初の殺人者になってしまう。この兄弟の不幸は、出来の良い弟と出来の悪い兄の関係にあるのではなく、二人が和解できず、その対立関係を解消できなかったところにある。ひとりの人の内には、アベルとカインの兄弟がいる。問題はどちらかを選ぶことではなく、いかに和解するかである。
関連ギリシャ語
(καταλλαγή「和解」G2643)
心のデボーション6385
「神は死にたる者の神にあらず、生ける者の神なり。それ神の前には皆生けるなり」 ルカ20:38 大正文語訳聖書
「神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神である。人はみな神に生きるものだからである」 口語訳聖書
「生きている者」
神は「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」である。アブラハム、イサク、ヤコブはすでに死んだ。しかし、神にあって彼らは「生きている」。神は「死んだ者の神」ではなく、「生きている者(ζώντων)の神」である。
「生きている者(ζώντων)」とは「神との関係に生きる者」であり、人はみな「神に生きる」。
関連ギリシャ語
「ζάω「生きている」G2198」
心のデボーション6386
「汝らは世の光なり。山の上にある町は隱るることなし。」 マタイ5:14 大正文語訳聖書
「あなたがたは、世の光である。山の上にある町は隠れることができない」 口語訳聖書
「白い光」
ローソクを意味するcandleはラテン語ラテン語candedus「白い、輝く、純粋な」に由来し、candleそのものに「白い光」という意味はないが、その炎は「白い光」を象徴する用語とされる。そもそも、ローソクの光は物理学的にも「白色光」に分類され、「白い」のである。「白」は「汚れなき、混じりけのない、いのちの光」である。聖書の「世の光」は灯火の「白い光」かもしれない。
関連ギリシャ語
(λαμπάς「ともしび」G2985)
(φῶς「光」G5457)
心のデボーション6387
「女おそれ戰き、己が身になりし事を知り、來りて御前に平伏し、ありしままを告ぐ。」 マルコ5:33 大正語訳聖書
「その女は自分の身に起ったことを知って、恐れおののきながら進み出て、みまえにひれ伏して、すべてありのままを申し上げた」 口語訳聖書
「真実」
女はイエスに「真実を余すところなく打ち明け」る。それは、長年の病から解放されることよりも重要な意味をもってた。「真実」とは、自分をありのままに置くことである。病は癒されたのだから、そっとその場を立ち去ってもよかった。しかし、女は衣の下に隠しつづけた「いまわしきもの」を明らかにする。それが、健やかに生きることだと思ったからである。
関連ギリシャ語
(ἀλήθεια「真実」G225)
心のデボーション6388
「勤めて怠らず、心を熱くし、主につかへ、」 ロマ12:11 大正文語訳聖書
「熱心で、うむことなく、霊に燃え、主に仕え、」 口語訳聖書
「霊に燃え」
パウロは「主にある兄弟たち」に心をこめてことばを送る。「霊に燃えζέω」は「煮え立ち、沸騰し」の意。心静かな人の内で「霊」は「熱く、沸騰する」。「ζέω」は「冷たくもなく、熱くもない」(黙示3:15)の反対である。
関連ギリシャ語
(ζέω「燃える」G2204)
心のデボーション6389
「視よ、おのが目に梁木のあるに、いかで兄弟にむかひて、汝の目より塵をとり除かせよと言ひ得んや。」 マタイ7:4 大正文語訳聖書
「自分の目には梁があるのに、どうして兄弟にむかって、あなたの目からちりを取らせてください、と言えようか。」 口語訳聖書
「人の難より我が一難」
「人の難より我が一難」ともいう。他人の受けた難は気にもとめないが、我がこととなると、些細な難を大騒ぎする。現代ではこれも見過ごしにはできない。
関連ギリシャ語
(οὐαί「災い」G3759)
心のデボーション6390
「イエスその思を知りて言ひ給ふ『何ゆゑ心に惡しき事をおもふか。」 マタイ9:4 大正文語訳聖書
「イエスは彼らの考えを見抜いて、「なぜ、あなたがたは心の中で悪いことを考えているのか。」 口語訳聖書
「心の中の罪」
「考えているἐνθυμέομαι」は「熟考する、思いめぐらす」の意である。もし、「心の中で悪いことを考えるだけなら、罪ではない」と思うなら、「心」はすでに失われている。「心」はすでに「罪」を繰り返し熟考し、「罪」を「魂の中」に入れるからである。
関連ギリシャ語
(ψυχή「魂、いのち」G5590)
(ἐνθυμέομαι「考える」G1760)
(ἁμαρτία「罪」G266)

コメント