心のデボーション614

デボーション1
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心のデボーション6131

「されど若しキリステアンたるをもて苦難を受けなば、之を恥づることなく、反つて此の名によりて神を崇めよ。」 Ⅰペテロ4:16  大正文語訳聖書

「しかし、クリスチャンとして苦しみを受けるのであれば、恥じることはない。かえって、この名によって神をあがめなさい。」 口語訳聖書

 「キリスト者」

アンテオケの人々はキリスト教徒をはじめて「Χριστιανόςキリスト者(クリスチャン)」と呼んだ。(使徒11:26) 「ΧριστιανόςG5546」は「キリストに組する者、キリストの徒輩」の意である。ペテロは大祭司カヤパの中庭で女中から「この人はナザレ人イエスと一緒だったοὖτος ἦν μετὰ ἰησοῦ τοῦ ναζωραίου.」と言われて、三度これを否定した。(マタイ26:69-75) 「ナザレ人イエスと一緒ἦν μετὰ ἰησοῦ」の者こそが「Χριστιανόςキリスト者」である。ペテロはその時、「キリスト者」であることを拒んだのである。しかし、「Χριστιανόςキリスト者」という名を恥じてはならない。たとえ、その名の故に「苦しみを受けるのであれば、恥じることはない。かえって、この名によって神をあがめなさい」。(Ⅰペテロ4:16) 「Χριστιανόςキリスト者」とは、キリストにあって「神の傍らにいる者μετ᾽ αὐτοῦ」であり、「キリストの傍らにいる者μετὰ ἰησοῦ」である。

(心のデボーション6131)

心のデボーション6132

「それダビデは、その代にて神の御旨を行ひ、終に眠りて先祖たちと共に置かれ、かつ朽腐に歸したり。」 使徒13:36  大正文語訳聖書

「事実、ダビデは、その時代の人々に神のみ旨にしたがって仕えたが、やがて眠りにつき、先祖たちの中に加えられて、ついに朽ち果ててしまった。」 口語訳聖書

 「下の僕」

ダビデは、その時代の中で神に仕えた。「仕えるὑπηρετέω(G5256)」は「下のこぎ手をつとめる」の意味である。ダビデは、時代の中で「神のみこころ」という船の「下の僕」として船をこいだ。よく神に仕える人は、よく人に仕える人である。僕として、時の海に乗り出す。「下のこぎ手」は、常に船首の先に港を見ている。

(心のデボーション6132)

心のデボーション6133

「もし己の罪を言ひあらはさば、神は眞實にして正しければ、我らの罪を赦し、凡ての不義より我らを潔め給はん。」 Ⅰヨハネ1:9  大正文語訳聖書

「もし、わたしたちが自分の罪を告白するならば、神は真実で正しいかたであるから、その罪をゆるし、すべての不義からわたしたちをきよめて下さる。」 口語訳聖書

 「もし、わたしたちが自分の罪を告白するならば」

「もし、わたしたちが自分の罪を告白するならばἐὰν ὁμολογῶμεν τὰς ἁμαρτίας ἡμῶν,」。(Ⅰヨハネ1:9) ギリシャ語「ἐὰνもし~ならば」は条件をあらわずἐὰνである。「悔い改め」というい条件を満たすならば」神は「その罪をゆるし、すべての不義からわたしたちをきよめて下さる」。しかし、この「悔い改め」も神の御霊によるのである。

(心のデボーション6133)

心のデボーション6134

「されど我は汝らに告ぐ、惡しき者に抵抗ふな。人もし汝の右の頬をうたば、左をも向けよ。」 マタイ5:39

「しかし、わたしはあなたがたに言う。悪人に手向かうな。もし、だれかがあなたの右の頬を打つなら、ほかの頬をも向けてやりなさい。」 口語訳聖書

 「手のとどくところ」

当然のことだが、「右の頬を打たれたら、左の頬をも向けなさい」というとき、あなたは相手が右の頬を打てるだけの近さにいるのでなければなならない。そして、相手の手がとどくあたりに左の頬を向けるのでなければならない。ところが、私たちは手が飛んできそうな気配に、いち早く右の頬を安全なところまで引いておいて、相手の手のとどかないのを確かめてから左の頬を向けたりするのである。

(ἀνθίστημι「反対する、逆らう」別稿「聖書ギリシャ語辞典」G436参照)

(心のデボーション6134)

心のデボーション6135

「キリスト・イエスの僕、召されて使徒となり、神の福音のために選び別たれたるパウロ」 ロマ1:1  大正文語訳聖書

「キリスト・イエスの僕、神の福音のために選び別たれ、召されて使徒となったパウロから」 口語訳聖書

 「為すべき仕事」

神はパウロを「神の福音のために選び別たれ、使徒と召された」。(ロマ1:1) 聖霊は「彼らに授けておいた仕事に当らせるために、「〔パウロたちを〕聖別した」。(使徒13:2) 神の召しには、人それぞれに、「為すべき仕事

ἔργον(業、活動、労働、働き)」が定められている。

(ἔργον「業、活動、労働、働き」別稿「聖書ギリシャ語辞典」G2041参照)

心のデボーション6136

「彼らは呟くもの、不滿をならす者にして、おのが慾に隨ひて歩み、口に誇をかたり、利のために人に諂ふなり。」 ユダ1:16  大正文語訳聖書

「彼らは不平をならべ、不満を鳴らす者であり、自分の欲のままに生活し、その口は大言を吐き、利のために人にへつらう者である。」 口語訳聖書

 「不平を鳴らす」

「神を信じない者」は何事にも「つぶやきγογγύζω(ぶつぶつ文句を言い」、「不満を鳴らすμεμψίμοιρος(不平を鳴らす、自分の運命に不平を言う)」。この罪は、神を信じる者の心にも染みついている。「自分の欲のままに生活し、その口は大言を吐き、利のために人にへつらう者」だからである。

(γογγύζω「つぐやき」別稿「聖書ギリシャ語辞典」G1111参照)
(μεμψίμοιρος「不満を鳴らす」別稿「聖書ギリシャ語辞典」G3202参照)

(心のデボーション6136)

心のデボーション6137

「風は己が好むところに吹く、汝その聲を聞けども、何處より來り何處へ往くを知らず。すべて靈によりて生るる者も斯くのごとし」 ヨハネ3:8  大正文語訳聖書

「風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞くが、それがどこからきて、どこへ行くかは知らない。霊から生れる者もみな、それと同じである」 口語訳聖書

 「風の音」

私が座るテーブルから外を見ると、一本の樹が見える。毎朝、私はこの樹を見る。風があると、樹は揺れる。その揺れぐわいで、風の向きや強さがわかる。「御霊πνεῦμα」は「風」と呼ばれる。御霊によって生まれるには、御霊が働きかけるものに、じっと目を据え、耳を澄ませなければならない。野で風を感じるように、置かれたところで神の働きを感じとる。

(πνεῦμα「聖霊、風」別稿「聖書ギリシャ語辞典」G4151参照)

(心のデボーション6137)

心のデボーション6138

「もろもろのくにの偶像はしろかねと金にして人の手のわざなり」 詩篇135:15  明治元訳聖書

「もろもろの国民の偶像はしろがねと、こがねで、人の手のわざである。」 口語訳聖書

 「偶像」

「偶像εἴδωλον」はすべて「人の手のわざ」であって、「口があっても語ることができない。目があっても見ることができない。耳があっても聞くことができない。またその口には息がない」。「これを造る者と、これに信頼する者とはみな、これと等しい者になる」。(詩篇135:15-18) 現代の偶像は「金や銀」でつくられず、「目も耳も口」もあって、生きている。いわば、「偶像」としての人間が崇拝される。そして「これを造る者と、これに信頼する者とはみな、これと等しい者になる」。ああ、偶像崇拝から生まれた、夥しい数の「小さな偶像たち」よ! 

(τύπος「偶像」別稿「聖書ギリシャ語辞典」G5179参照)
(εἴδωλον「偶像」G1497参照)
(εἰδωλολατρεία「偶像礼拝」別稿「聖書ギリシャ語辞典」G1495参照)

(心のデボーション6138)

心のデボーション6139

「まづ神の國と神の義とを求めよ、さらば凡てこれらの物は汝らに加へらるべし」 マタイ6:33 大正文語訳書

「まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。」 口語訳聖書

 「気の重いこと」

真っ先に(πρῶτον)なすべきことに限って後にまわされる傾向がある。「気の重いこと」がそれである。取りかかってみれば、為すべきことの意味が重い気分を吹き払ってくれる。 第一のものが置かれるべき所にあるなら、暮らしはおのずと整う。「まずπρῶτον」は「真っ先に、何より先に、第一に」の意である。

(πρῶτον「なにを置いても真っ先に」別稿「聖書ギリシャ語辞典」参照G4412)

(心のデボーション6139)

心のデボーション6140

「此の故に我らイエスによりて常に讃美の供物を神に献ぐべし、乃ちその御名を頌むる口唇の果なり。」 へブル13:15  大正文語訳聖書

「だから、わたしたちはイエスによって、さんびのいけにえ、すなわち、彼の御名をたたえるくちびるの実を、たえず神にささげようではないか。」 口語訳聖書

 「神の喜びたもう供え物」

「賛美αἴνεσις」は「神が喜び給う供え物」である。アベルは「その群れのういごと肥えたものとを持ってきた。主はアベルとその供え物とを顧みられた。(創世4:4)カインも「地の産物を持ってきて、主に供え物とした」。しかし、アベルの口には「主への賛美」があったが、カインにはそれがなかった。(創世4:2-5)賛美もなく神に供え物を捧げる者は、それが受け入れられないと「怒る」。

(αἴνεσις「賛美」別稿「聖書ギリシャ語辞典」G133参照)

(心のデボーション6140)

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