心のデボーション608

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心のデボーション6071

「これ仇のこゑと惡きものの暴虐とのゆゑなり そはかれら不義をわれに負せ いきどほりて我におひせまるなり」 詩篇55:3 明治元訳聖書

「敵の声と、悪しき者のしえたげとによって/気が狂いそうです。彼らはわたしに悩みを臨ませ、怒ってわたしを苦しめるからです。」 口語訳聖書

 「恨み」 

「彼らはわたしに悩みを臨ませ、怒ってわたしを苦しめる」。新改訳聖書は「彼らは私にわざわいを投げかけ、激しい怒りをもって私に恨みをいだいています」。(詩篇55:3) 「恨み」は「怒りをもった憎しみ」である。日本語で「恨み」は「うら(心)を見る」で、裏切った者の本当の心を知ろうとして耐える苦しみをあらわす。詩篇の作者は「はとのように翼」があれば「飛び去って安きを得るのに」と思い、「あらしとはやてを避けて、私ののがれ場に急ぎたい」と祈る。(詩篇55:4-8)
(心のデボーション6072)

心のデボーション6072

「また我が名のために、かくのごとき一人の幼兒を受くる者は、我を受くるなり。」 マタイ18:5  大正文語訳聖書

「また、だれでも、このようなひとりの幼な子を、わたしの名のゆえに受けいれる者は、わたしを受けいれるのである。」 口語訳聖書

 「子どもとの対話」

子どもは求めても得られないことがわかると、泣くこともしなくなる。そして、自分を無視するものにいら立ち、怒る。子どもは求めてもいないのに、先回りして与えられることにもいら立つ。無視されていることに変わりないからである。子どもの求めを知るには、子どもに謙虚に学ぶしかない。子どもという人格との対話が、私を高め、たましいの深みに導く。そこで私は神を受け入れるのである。

(心のデボーション6073)

心のデボーション6073

「汝らは即ち我らの書にして我らの心に録され、又すべての人に知られ、かつ讀まるるなり。」 Ⅱコリント3:2  大正文語訳聖書

「わたしたちの推薦状は、あなたがたなのである。それは、わたしたちの心にしるされていて、すべての人に知られ、かつ読まれている。」 口語訳聖書

 「推薦状」

パウロは自らが伝える福音が真実であることを証しする「推薦状ἐπιστολή」は、パウロの福音によって救われた人々そのものであると言う。それはパウロの心に刻まれ、「すべての人に読まれている」。あなたがたは「わたしたちから送られたキリストの手紙であって、墨によらず生ける神の霊によって書かれ、石の板にではなく人の心の板に書かれたものである」。(Ⅱコリント3:2) 宣教者には、いかなる「推薦状」もいらない。ただ、その宣べ伝える福音によって導かれた人々の存在そのものが福音を証しするのである。

(心のデボーション6074)

心のデボーション6074

「怒をやめ忿恚をすてよ 心をなやむるなかれ これ惡をおこなふ方にうつらん」 詩篇37:8  明治元訳聖書

「怒りをやめ、憤りを捨てよ。心を悩ますな、これはただ悪を行うに至るのみだ。」 口語訳聖書

 「歪んだ期待」

いつも他人に不可能なことを期待したり、要求したりすることがある。そして、それが満たされないと怒る。しかも、本人には自分が過大なことを期待しているという自覚がないことが多い。こういう人は自分にも満足していないものだ。その心の空白を他人に埋めてもらおうとする。内なる怒りを捨てるには、まず自分を受け入れ、自分を生きることが必要である。他人との生き生きとした人間的なかかわりを失っていることが「怒り」の原因である。

(心のデボーション6075)

心のデボーション6075

「世に生存ふる日の間つねにこれを己の許に置て誦み斯してその神ヱホバを畏るることを學びこの律法の一切の言と是等の法度を守りて行ふべし」 申命17:19  明治元訳聖書

「世に生きながらえる日の間、常にそれを自分のもとに置いて読み、こうしてその神、主を恐れることを学び、この律法のすべての言葉と、これらの定めとを守って行わなければならない。」 口語訳聖書

 「乙覧」

「乙覧」という言葉の「乙」は「乙夜」のことで、昔、中国では日没から夜明けまでを5段階に分け、その2番目の時をさす。天子は日夜まつり事で忙しく、乙夜になってはじめて読書ができたということから、天子の読書を「乙覧」という。忙しい人ほどよく読書するのはこのことか。

(心のデボーション6071)

心のデボーション6076

「父その榮光の富にしたがひて、御靈により力をもて汝らの内なる人を強くし、」 エペソ3:16 大正文語訳聖書

「どうか父が、その栄光の富にしたがい、御霊により、力をもってあなたがたの内なる人を強くして下さるように、」 口語訳聖

 「内なる人を強くし」

「内なる人τὸν ἔσω ἄνθρωπον」、「内なるἔσω」は「真ん中」を意味し、「内なる人」は「存在と人格の中心」、すなわち「心」をあらわす。「強くし」は「κραταιόω」で、この語は「精神的、霊的に強くされる」の意に用いられる。「存在と人格の中心」は御霊により、力により、精神的・霊的に強くされ、神の栄光をあらわす。

(心のデボーション6076)

心のデボーション6077

「即ち謙遜の限をつくし、涙を流し、ユダヤ人の計略によりて迫り來し艱難に耐へて主につかへ、」 使徒20:19  大正文語訳聖書

「すなわち、謙遜の限りをつくし、涙を流し、ユダヤ人の陰謀によってわたしの身に及んだ数々の試練の中にあって、主に仕えてきた。」 口語訳聖書

 「共に歩く」

「わたしの身に及んだ」、新改訳聖書「わが身にふりかかる」。パウロには悪意ある人々が引きおこすさまざまの試練が「降りかかった」。「ふりかかるσυμβαίνω」は「共に」「歩む」である。パウロにとっては、やっかいなことと「共に歩む」ことが、主と「共に歩む」ことでもあった。「一緒に歩こう」といってくれるなら、相手が「試練」であっても、おことわりなどしないことだ。「試練」は私と手を結びながら、反対の手には「宝物」を持っていることも少なくない。

(心のデボーション6077)

心のデボーション6078

「ヱホバ彼に言たまひけるは然らず凡そカインを殺す者は七倍の罰を受んとヱホバ、カインに遇ふ者の彼を撃ざるため印誌を彼に與へたまへり」 創世4:15  明治元訳聖書

「主はカインに言われた、「いや、そうではない。だれでもカインを殺す者は七倍の復讐を受けるでしょう」。そして主はカインを見付ける者が、だれも彼を打ち殺すことのないように、彼に一つのしるしをつけられた。」 口語訳聖書

 「カインのしるし」

イソップ寓話に、ある人殺しが追っ手を逃れてナイル川のほとりに来ると、そこで狼に出会い、樹に逃れるとそこに大蛇がおり、水に身を投げると鰐がいて喰われてしまった、というお話がある。(「イソップ寓話集」 45山本光雄訳 岩波書店1942/2より) 追われる者には地も水も安全ではないというのがこの教訓である。カインはアベルを殺害後「神の御顏から隠れ、地上をさまよい歩くさすらい人」となった。そのカインに神は「カインを見付ける者が、だれも彼を打ち殺すことのないように、彼に一つのしるしをつけられた」。(創世記4:15) カインに与えられた「しるし」とはどのようなものだったのか?

(心のデボーション6078)

心のデボーション6079

「さらば何を食ひ、何を飮み、何を著んとて思ひ煩ふな」 マタイ6:31 大正文語訳聖書

「だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。」 口語訳聖書

 「深い憂い」

「怒りの後、早く食すべからず。食後、怒るべからず。憂いて食すべからず。食して憂うべからず」(貝原益軒『養生訓 巻第三 428』) 思い悩みながら食し、食して思い悩むのは、健康によいはずもない。激しい怒りや深い憂いに襲われると、胃や腸はまったく動かなくなる。

(心のデボーション6079)

心のデボーション6080

「兄弟よ、我なんぢの愛によりて大なる勸喜と慰安とを得たり。聖徒の心は汝によりて安んぜられたればなり。」 ピレモン1:7  大正文語訳聖書

「兄弟よ。わたしは、あなたの愛によって多くの喜びと慰めとを与えられた。聖徒たちの心が、あなたによって力づけられたからである。」 口語訳聖書

 「信徒の愛」

「聖徒たちの心が、あなたによって力づけられた」。(ピレモン1:7) 「力づけられたἀναπαύω」は「休養させる、静かに待つ」の意である。信徒の愛によって与えられた「喜びと慰め」は聖徒に「静かに待つ心」をもたらした。聖徒を力づけるものは信徒の愛である。

(心のデボーション6080)

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