心のデボーション6061
「或人よき良心を棄てて信仰の破船をなせり。」 Ⅰテモテ1:19 大正文語訳聖書
「ある人々は、正しい良心を捨てたため、信仰の破船に会った。」 口語訳聖書
「信仰の破船」
たとえ信仰を持っていても、「正しい良心」がなければ、その人は信仰の破船(ναυαγέω)を免れない。 破綻した信仰に頼ることはできない。福音は「清い心と正しい良心と偽りのない信仰とから出てくる愛を目標としている」のである。(Ⅰテモテ1:5)
(心のデボーション6061)
心のデボーション6062
「いつはる者はあらそひを起し つけぐちする者は朋友を離れしむ」 箴言16:28 明治元訳聖書
「偽る者は争いを起し、つげ口する者は親しい友を離れさせる。」 口語訳聖書
「争いを放つ」
「争いを巻き起こす」は「争いを放つ」ということばが用いられている。かつて、サムソンは三百匹のジャッカルを捕らえ、尾にたいまつを結び、火をつけてペリシテ人の麦畑に放ったことがある。(士師15:4-5) 争いが「放たれた」のである。陰口はひそやかに語られるものだが、サムソンのジャッカルのように、あっという間に麦畑を争いの火の海にすることもある。「ねじれた心」が「争いを放つ」。
(心のデボーション6062)
心のデボーション6063
「彼は即ち山を作りなし風を作り出し人の思想の如何なるをその人に示しまた晨光をかへて黑暗となし地の高處を踏む者なり その名を萬軍の神ヱホバといふ」 アモス4:13 明治元訳聖書
「見よ、彼は山を造り、風を創造し、人にその思いのいかなるかを示し、また、あけぼのを変えて暗やみとなし、地の高い所を踏まれる者、その名を万軍の神、主と言う。」 口語訳聖書
「人の思い」
「山を造り、風を創造し〔人を創造された〕」神は、人を知り、「人の思想(思い)の如何なるか」を示し給う御方である。されば「スラエルよ汝の神に會ふ準備をせよ」。(アモス4:12-13) 神は「人の思い」に応え給う。
(心のデボーション6063)
心のデボーション6064
「心の安穩なるは身のいのちなり 娼嫉は骨の腐なり」 箴言14:30 明治元訳聖書
「穏やかな心は身の命である、しかし興奮は骨を腐らせる。」 口語訳聖書
「息切れ」
水泳の千葉すずさんは、どれくらい泳げますかと質問されるのがいちばん困る。彼女はどんなに泳いでも息切れうことがなく、「たぶん一生泳いでいられると思うから」である。息が上がる人というのは力んでいるともいう。力を抜くと「水が自分を避けてくれて、まるで水のないところで泳いでいる感じ」がするという。力を抜けばいつまでも泳げる。
(心のデボーション6064)
心のデボーション6065
「我なんぢの指のわざなる天を觀なんぢの設けたまへる月と星とをみるに」 詩篇8:2 明治元訳聖書
「わたしは、あなたの指のわざなる天を見、あなたが設けられた月と星とを見て思います」 詩篇8:3 口語訳聖書
「神の御配剤」
神の「指の業なる天」を見、神の「設けられた月と星とを見て」、神の創り給う「人」を思う。「設けられる**」は「設ける、据え付ける」の意。神は「ただ少しく人を神よりも低く造って、栄えと誉とをこうむらせこれにみ手のわざを治めさせ、よろずの物をその足の下におかれた」のである。(詩篇8:5-6) 神の御配剤は常に美しい。
(心のデボーション6065)
心のデボーション6066
「詩と讃美と靈の歌とをもて語り合ひ、また主に向ひて心より且うたひ、かつ讃美せよ」 エペソ5:19 大正文語訳聖書
「詩とさんびと霊の歌とをもって語り合い、主にむかって心からさんびの歌をうたいなさい。」 口語訳聖書
「詩とさんびと霊の歌とをもって」
ギリシャ神話の「記憶の女神ムネモシュネ(Μνημοσύνη)」はゼウスとの間に9人のムーサ(Muse「叙事詩、音楽、歴史、悲劇、喜劇、舞踏、恋愛詩、聖歌、天文学」)を生んだ。ムーサは人の苦しみを忘れさせたという。学問を究める者はムネモシュネと9人のムーサに祈念した。「記憶の女神ムネモシュネ」に祈念し、真実を記憶にとどめることは神聖な知識への接近を意味し、それは人間の限界にせまる苦悩を伴い、9人のムーサの「詩、音楽、歴史、舞踊、天文学」は「記憶の痛み」を美に変えたのである。限界をこえる知に関わる者は「痛みを癒す詩(ことば)」なしにその業を全うすることはできまい。
(心のデボーション6066)
心のデボーション6067
「汝らの金銀は錆びたり。この錆なんぢらに對ひて證をなし、かつ火のごとく汝らの肉を蝕はん。汝等この末の世に在りてなほ財を蓄へたり。」 ヤコブ5:3 大正文語訳聖書
「金銀はさびている。そして、そのさびの毒は、あなたがたの罪を責め、あなたがたの肉を火のように食いつくすであろう。あなたがたは、終りの時にいるのに、なお宝をたくわえている。」 口語訳聖書
「なつかしい遊び」
聖路加国際病院の細谷先生が小児科医になりたてのころ、新生児室の婦長さんが赤ちゃんのほほえみについて、「先生、かわいいでしょう。神さまがくすぐってるんですよ」と教えてくれたそうだ。赤ちゃんは神さまと遊ぶことができる。やがて、赤ちゃんは、その「ほほえみ」を私たちに向けてくれる。神さまが私たちをくすぐられるのだ。遠い昔のなつかしい神さまとの遊びである。
(心のデボーション6067)
心のデボーション6068
「さらば悔改に相應しき果を結べ」 マタイ3:8 大正文語訳聖書
「だから、悔改めにふさわしい実を結べ。」 口語訳聖書
「後悔に手遅れなし」
英語の諺Repentance comes too late.を「後悔先に立たず」と訳してよいだろうか? そう訳せば「気がついたときには手遅れ」の意味になる。Repentance は「悔い改め」の意であり、聖書のμετάνοια(悔い改め)の訳語とされるところから、この諺を再考すれば、むしろRepentance never comes too late.「後悔に手遅れなし」のほうがRepentanceの意味にそう諺になろう。悔い改めに「手遅れ」はなく、「遅すぎる」こともない。
(心のデボーション6068)
心のデボーション6069
「さらば何を食ひ、何を飮み、何を著んとて思ひ煩ふな」 マタイ6:31 大正文語訳聖書
「だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。」 口語訳聖書
「ピュリダンのロバ」
お腹のすいたロバの前に干し草の山が二つあった。ロバは右を食べようとすると左が気になり、左に決めようとすると右にゆきたくなり、二つの干し草の山の間を迷っているうちに、とうとう餓死してしまった。一方を選ぶことは他方を捨てることである。捨てることができないと選ぶことはできない。
(「ピュリダンのロバ」14世紀のフランスのスコラ哲学者ピュリダンの寓話)
(心のデボーション6069)
心のデボーション6070
「わが子よ、汝キリスト・イエスにある恩惠によりて強かれ。」 Ⅱテモテ2:1 大正文語訳聖書
「そこで、わたしの子よ。あなたはキリスト・イエスにある恵みによって、強くなりなさい。」 口語訳聖書
「キリスト・イエスの恵みによる力」
「あなたはキリスト・イエスにある恵みによって、強くなりなさい」。(Ⅱテモテ2:1) 「強くなりなさいἐνδυναμόω」は「ἐν-中に、~の中で」+「δύναμις力、能力」+「-όω動詞化語尾」で「力を中に入れる」の意。「〔神の〕力の中に入りなさい」。「キリスト・イエスにある恵み」からくる「力」とは「神の御旨に対して何事でもなしうる力」である。「わたしを強くして下さるかたによって、何事でもすることができる」。(ピリピ4:13)
(心のデボーション6070)
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