心のデボーション5921
「神を愛する者、すなはち御旨によりて召されたる者の爲には、凡てのこと相働きて益となるを我らは知る」 ロマ8:28 大正文語訳聖書
「神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。」 口語訳聖書
「盗みとる」
作家の住井すゑさんは「昔から、苦労は金を出して買ってでもしろというんです。けれども、苦労は売ってくれないものです。私は、苦労は盗みとってこなければいけないと思う」と書いている。(住井すゑ「いのちに始まる」大和書房1997/4より) 盗みとりたいと思うほどの苦労とは何だろうか?
(心のデボーション5921)
心のデボーション5922
「愛を追求むる者は人の過失をおほふ 人の事を言ひふるる者は朋友をあひ離れしむ」 箴言17:9 明治元訳聖書
「愛を追い求める人は人のあやまちをゆるす、人のことを言いふらす者は友を離れさせる。」 口語訳聖書
「親しい友」
「同じことをくり返し言う」は、文語訳では「人のことを言いふらす」、新共同訳は「前言を翻す」と訳される。友を失いたければ、相手を隠すことも、おおうことも、秘めることもしなければよい。黙っていることができない人は愛を知らない。あやまちを隠し、おおい、秘めてくれるのが友である。まずは「あざける者の座につかない」(詩篇1:1)ことである。しかし、それが親しい友の間では実に難しい。
(心のデボーション5922)
心のデボーション5923
「痴なること子の心の中に繋がる 懲治の鞭これを逐いだす」 箴言22:15 明治元訳聖書
「愚かなことが子供の心の中につながれている、懲らしめのむちは、これを遠く追いだす。」 口語訳聖書
「脛かじり」
いつまでも親に頼るのを「脛かじり」をいう。「脛」は「働き」を意味し、親の働きを齧り取るので、親は「脛から火をとられる」ことになる。「火をとる」は「火打石」のことで、親は「火打石もないほど貧しくなる」。今は「年金齧り」といえばよくわかる。
(心のデボーション5923)
心のデボーション5924
「聞く所によれば、汝等のうちに妄に歩みて何の業をもなさず、徒事にたづさはる者ありと。」 Ⅰテサロニケ3:11 大正文語訳聖書
「ところが、聞くところによると、あなたがたのうちのある者は怠惰な生活を送り、働かないで、ただいたずらに動きまわっているとのことである。」 口語訳聖書
「怠惰」
「締まりのない歩み方」を口語訳は「いたずらに動きまわっている」と訳す。直訳では「不必要なことに動きまわる」となる。「怠惰」を意味するギリシャ語ἀτάκτωςは「しまりなく、無秩序に」の意味である。何もしないのが怠惰だが、不必要なことに忙しく動きまわるのも怠惰である。しかし、私は何もすることなく締まりなく過ごすのが嫌いではない。これはとは違うと自分では考えている。それが怠惰か、それとも創造的怠惰かは外からではわからないものだ。
(心のデボーション5924)
心のデボーション5925
「それは 「なんぢの爲に御使たちに命じて守らしめ給はん」」 ルカ4:10 大正文語訳聖書
「『神はあなたのために、御使たちに命じてあなたを守らせるであろう』とあり、」 口語訳聖書
「サタンの誘惑」
サタンは「神はあなたのために、御使たちに命じてあなたを守らせるであろう」という御言葉から「もしあなたが神の子であるなら、ここから下へ飛びおりてごらんなさい」とイエスを試みる。「あなたを守らせる」というギリシャ語は「διαφυλάσσω」で「注意深く守る」の意である。サタンは神のことばを歪曲して、もっともらしく解釈して見せる。神はそのような誘惑から神の子を「注意深く守られる」のである。
(心のデボーション5925)
心のデボーション5926
「ねがはくは惡きものの臂ををりたまへあしきものの惡事を一つだにのこらぬまでに探究したまへ」 詩篇10:15 明治元訳聖書
「悪しき者と悪を行う者の腕を折り、その悪を一つも残さないまでに探り出してください。」 口語訳聖書
「悪の腕」
作者は「悪を一つも残さないまでに探り出して」、「〔その〕腕を折ってください」と祈る。(詩篇10:15) 「探り出す」を意味するヘブル語*דּרשׁ*は「調べ上げる」を意味する。どれほど巧妙に隠された悪であっても、尋ね求め、問いただし、調べ上げて、「悪の腕」をへし折って下さいという祈りである。4
(心のデボーション5926)
心のデボーション5927
「ヱホバは心のくだけたるものを醫しその傷をつつみたまふ」 詩篇147:3 明治元訳聖書
「主は心の打ち砕かれた者をいやし、その傷を包まれる。」 口語訳聖書
「包み」
傷には「うみをしぼり出し」「油を塗り」「包帯で包む」のが、当時の医療だった。主は「心の打ち砕かれた者」からうみをしぼり、油を塗って痛みを和らげ、その御手で傷を包まれる。簡単なようで難しいのは「包む」という行為である。包み方が悪ければ、傷は再び開いてしまう。傷を「抱え込み」、おだやかなものに変えていくのが「包み」である。ぬくもりがないとできない。
(心のデボーション5927)
心のデボーション5928
「愚なる者の笑は釜の下に焚る荊棘の聲のごとし是また空なり」 伝道7:6 明治元訳聖書
「愚かな者の笑いはかまの下に燃えるいばらの音のようである。これもまた空である。」 口語訳聖書
「愚か者の笑い」
「愚かな者の笑い」は「窯の下に燃えるいばらの音」だと伝道者はいう。(伝道7:6) 「窯」にくべるのはまきや炭で、赤々と燃え、暖かいが、棘をくべれば一時燃え上がり、すぐに消える。「愚か者の笑い」は一時にぎわせるが、あとは白けるだけで虚しい。
(心のデボーション5928)
心のデボーション5929
「汝らの中でだれが思い煩いて身の長一尺を加え得んや」マタイ6:27 大正文語訳聖書
「あなたがたのうち、だれが思いわずらったからとて、自分の寿命をわずかでも延ばすことができようか。」 口語訳聖書
「偽りのはかり」
箴言11:1に「いつはりの權衝(はかり)はヱホバに惡(にく)まれ 義しき法馬(ふんどう)は彼に欣ばる」とある。(明治元訳聖書)「偽りのはかり」が思い煩いを生む。事柄以上に重くはかることからも、それ以下に軽く見積もることからも「思い煩い」が引き出される。正しく量るべきものの中で最も正確さを必要とするのは「自分の重み」である。
(心のデボーション5929)
心のデボーション5930
「なんぢら信仰の弱き者を容れよ、その思ふところを詰るな。」 ロマ14:1 大正文語訳聖書
「信仰の弱い者を受けいれなさい。ただ、意見を批評するためであってはならない。」 口語訳聖書
「人並」
漢字で「並」の会意は二人の人が全く同じ姿で立つさまをあらわす。相手と同じ姿になって、はじめて「人並」ということになり、二人に差があれば「並みでない」ことになってしまう。「並肩」や「並行」ということばもある。大切にしたいことだが、「並みでないこと」も大切ではないか。
(心のデボーション5930)
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