心のデボーション5901
「人々これらの言を聞きて、心いかりに滿ち切齒しつつステパノに向ふ」 使徒7:54 大正文語訳聖書
「人々はこれを聞いて、心の底から激しく怒り、ステパノにむかって、歯ぎしりをした。」 口語訳聖書
「激怒」
ステパノの説教を聞いた人々は「心の底から激しく怒り、ステパノにむかって、歯ぎしりをした」。(使徒7:54)
「激しい怒りδιαπρίω」は「δια~を通して、完全に、徹底的に」+「πρίω切る、のこぎりで切る」で「鋸で切断する」から「怒る、激怒する」の意をあらわす。神のことばを聴く人は、心を鋸で引き裂かれるような痛みを感じる。その痛みを受けれるなら、神のことばは、その痛みを癒す。しかし、彼らは痛みを否定し、それを「激怒」に代えて、ステパノを殺害してしまう。
(心のデボーション5901)
心のデボーション5902
「願くはわれらにおのが日をかぞふることををしへて智慧のこころを得しめたまへ」 詩篇90:12 明治元訳聖書
「われらにおのが日を数えることを教えて、知恵の心を得させてください。」 口語訳聖書
「自分の日」
人生に限りのあることは誰でも知っている。しかし、自分にあとどれほどの「日」が残されているかを「数える」のは少々つらいものがある。私たちが「数えなければならない日」とは、残された時間の長さではなく、人とのかかわりの中で刻まれる時間である。人とのかかわりを深めることが、生涯に残された日を「正しく数える」勇気を与えてくれる。
(心のデボーション5902)
心のデボーション5903
「愛なき者は、神を知らず、神は愛なればなり。」 Ⅰヨハネ4:8 大正文語訳聖書
「愛さない者は、神を知らない。神は愛である。」 口語訳聖書
「無関心」
「愛の反対は憎悪ではなく、無関心である。(The opposite of love is not hate, it’s indifference.)」。これはホロコーストの生存者で、後にノーベル平和賞を受賞したエリ・ヴィーゼル(Elie Wiesel)の言葉で、ホロコーストの経験から来た言葉ある。「痛みへの無関心」から「愛のない者」が生まれ、彼は「神を知らない」。
(心のデボーション5903)
心のデボーション5904
「天が下の萬の事には期あり 萬の事務には時あり」 伝道3:1 明治元訳聖書
「天が下のすべての事には季節があり、すべてのわざには時がある」 口語訳聖書
「膠着状態」
問題がこじれてしまい、どう押してみても解決の糸口が見えない時がある。そのような時には無理に変化を求めず、問題を解決しようとしないのもひとつの態度である。状況に逆らって介入することをやめ、膠着した状態を味わい、問題の全体を感じるようにする。そうこうしているうちに、微妙な流れが感じられるようになる。今、何が進行し、神がなさろうとすることが現れてくる。それに従ってみる。
(心のデボーション5904)
心のデボーション5905
「不義のパンを食ひ暴虐の酒を飮めばなり」 箴言4:17 明治元訳聖書
「不正のパンを食らい、暴虐の酒を飲むからである。」 口語訳聖書
「不正のパン」
哲学者クリュシュポスは「徒歩走をする者は早く走ることに全力をつくすべきはもちろんだが、相手を邪魔するために手を出したり、転ばすために足をだしたりしては絶対にいけない」と言ったそうである。(モンテーニュ「エセー」原二郎訳 筑摩書房昭和43年より) 卑怯な手で勝利した者は、生涯にわたってその不正に苦しむことになる。
(心のデボーション5905)
心のデボーション5906
「かくてイエス彼等とともに下り、ナザレに往きて順ひ事へたまふ。其の母これらの事をことごとく心に藏む。」 ルカ2:51 大正文語訳聖書
「それからイエスは両親と一緒にナザレに下って行き、彼らにお仕えになった。母はこれらの事をみな心に留めていた。
「心に留める」
母マリヤは、イエスについて身に起きたこと、成長していく息子イエスに起こることのひとつひとつを「みな心に留めていた」。「心に留めるδιατηρέω」は「注意深く守る、大事に保管する、安全に保つ、しっかり保持する」で「心の記憶にとどめる」の意である。神の御業を「注意深く守り、大事に保管し、安全に保ち、しっかり保持せよ」。
(心のデボーション5906)
心のデボーション5907
「かれらは年老てなほ果をむすび豊かにうるほひ緑の色みちみちて」 詩篇92:14 明治元訳聖書
「彼らは年老いてなお実を結び、いつも生気に満ち、青々として、」 口語訳聖書
「老いて結ぶ実」
高槻絹子さんは百才以上のお年寄りにインタビューして「かくしゃくの秘訣」をさぐっている。その中の一人、Sさんから教えられたのは「何か一つやめるときは、別の一つを用意してからやめること」だったそうである。Sさんは台湾に行ったとき、タバコはいけないといわれてやめることにし、これからはランの研究をしようと決めたという。かくしゃくとした人は百歳を過ぎても「今、自分にできること」をもっている。
(心のデボーション5907)
心のデボーション5908
「わが義をまもりたまふ神よ ねがはくはわが呼るときに答へたまへ わがなやみたる時なんぢ我をくつろがせたまへり ねがはくは我をあはれみ わが祈をききたまへ」 詩篇4:1 明治元訳聖書
「わたしの義を助け守られる神よ、わたしが呼ばわる時、お答えください。あなたはわたしが悩んでいた時、わたしをくつろがせてくださいました。わたしをあわれみ、わたしの祈をお聞きください。」 口語訳聖書
「広いところに」
作者は「わたしが悩んでいた時」に神は「わたしをくつろがせてくださいました」と祈る。(詩篇4:1) 「くつろがせてくださる**רחב **」は「広げる、スペースをつくる」の意。フランシスコ会訳聖書は「悩みの時、広々とした所に連れ出し」と訳す。「悩みに狭くなった心にスペースをあけてください」。(Ⅱコリント6:11)
(心のデボーション5908)
心のデボーション5909
「空の鳥を見よ、播かず、刈らず、倉に收めず、然るに汝らの天の父は、これを養ひたまふ。汝らは之よりもに優るる者ならずや」 マタイ6:26 大正文語訳聖書
「空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれた者ではないか。」 口語訳聖書
「鳥よりも価値あるもの」
鳥が鳥であることを止めないように、人は人であることを止めることはない。共に意志によってではない。人は「空の鳥」より「価値あるもの」だろうか? 人が「空の鳥」「野の獣」と言葉を交わすことができたとき、彼らとの「対話」から、多くを学ばねばなるまい。「空の鳥」を「よく見る ἐμβλέπω エムブれポー」する、「凝視する、観察する、注視する、つらつら見る」、その一点で人は「空の鳥」に「優っている」のかもしれない。
(心のデボーション5909)
心のデボーション5910
「サウロは彼の殺さるるを可しとせり。 その日エルサレムに在る教會に對ひて大なる迫害おこり、使徒たちの他は皆ユダヤ及びサマリヤの地方に散さる。」 使徒8:1 大正文語訳聖書
「サウロは、ステパノを殺すことに賛成していた。その日、エルサレムの教会に対して大迫害が起り、使徒以外の者はことごとく、ユダヤとサマリヤとの地方に散らされて行った。」 口語訳聖書
「御言葉を蒔きちらしながら」
エルサレムではじまった迫害によって、「使徒以外の者はことごとく、ユダヤとサマリヤとの地方に散らされて行った」。(使徒8:1) 「散らされるδιασπείρω」は「δια分散、通過」+「σπείρω種をまく、散布する」からなる語で、文字通り「種を蒔く」ように「散らされる」の意。そして、「散らされて行った人たちは、御言を宣べ伝えながら〔御言葉の種を蒔きながら〕、〔地を〕めぐり歩いた」。のである。(使徒8:4)
(心のデボーション5910)
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