心のデボーション578

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心のデボーション5771

「汝らは再び懼を懷くために僕たる靈を受けしにあらず、子とせられたる者の靈を受けたり、之によりて我らはアバ父と呼ぶなり。」 ロマ8:15  大正文語訳聖書

「あなたがたは再び恐れをいだかせる奴隷の霊を受けたのではなく、子たる身分を授ける霊を受けたのである。その霊によって、わたしたちは「アバ、父よ」と呼ぶのである。」 口語訳聖書

 「御霊によって」

「神の子の身分」を授けられて、私たちは神を「父なる神」と告白するのである。私たちに「子たる身分を授ける」のは聖霊であり、「神の子」であることを証しするのも聖霊である。(ロマ8:15-16) 私たちは御霊によって、「アバ、父」と呼ぶのである。「神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです」。(ロマ8:14)

(心のデボーション5771)

心のデボーション5772

「汝の耳を傾ぶけて智慧ある者の言をきき且なんぢの心をわが知識に用ゐよ」 箴言22:17  明治元訳聖書

「あなたの耳を傾けて知恵ある者の言葉を聞き、かつ、わたしの知識にあなたの心を用いよ。」 口語訳聖書

 「イスカのはし」

「イスカ」はアトリ科の、スズメよりやや大きい小鳥で、上下のくちばしがねじれ、食い違っている。そこで、ものごとが食い違って、思うようにいかないことを「イスカのはし」という。しかし、松林に群生するイスカには、この食い違ったくちばしが松かさの実をえぐり出すのに都合がいいのである。ねじれにも、それなりのワケがある。イスカにとっては、生きるための知恵なのである。

(心のデボーション5772)

心のデボーション5773

「事物の理は遠くして甚だ深し 誰かこれを究むることを得ん」 伝道7:24  明治元訳聖書

「物事の理は遠く、また、はなはだ深い。だれがこれを見いだすことができよう。」 口語訳聖書

 「求め」

伝道者は「知恵をもってすべての事を試み」、「わたしは知者となろう」と言ったがが、「遠く及ばなかった」。(伝道7:23) 「物事の理は遠く、また、はなはだ深く」、だれも「これを見いだすことができない」。伝道者が見出したのは「神は人を正しい者に造られたけれども、人は多くの計略(理屈、複雑な思考)を考え出した」ことであった。(伝道7:29) 人は神から離れ、多くの「複雑な思考、理屈」を見出したが、なお、「物事の理」は遠く、また、はなはだ深い。伝道者の求めは続く。

(心のデボーション5773)

心のデボーション5774

「汝わがあまた土の流離をかぞへたまへり なんぢの革嚢にわが涙をたくはへたまへ こは皆なんぢの冊にしるしあるにあらずや」 詩篇56:8  明治元訳聖書

「あなたはわたしのさすらいを数えられました。わたしの涙をあなたの皮袋にたくわえてください。これは皆あなたの書に/しるされているではありませんか。」 口語訳聖書

 「怒りの皮袋」

昔、人々はあふれる涙を小さな皮袋に受けた。悲しみを器に移し取ったのである。悲しみは「器」の中でゆっくりと変容する。人生には、「涙の革袋」に加えて、「怒りの皮袋」を持ちたいと思う。怒りは、その「器」に守られて、精製される。「どうか私の怒りを、あなたの皮袋にたくわえてください」と祈り、あとはゆっくり変容を待つがよい。

(心のデボーション5774)

心のデボーション5775

「目を覺し、堅く信仰に立ち、雄々しく、かつ剛かれ」 Ⅰコリント16:13  大正文語訳聖書

「目をさましていなさい。信仰に立ちなさい。男らしく、強くあってほしい。」 口語訳聖書

 「目をさましていなさい」

「目をさましていなさい」。(Ⅰコリント16:13) 「目を覚ますγρηγορέω」は「見張る、ゆだんなく警戒する」の意。反対者(ἀντίκειμαι敵対者)は内にも外にも「大勢いる」からである。(Ⅰコリント16:9)

(心のデボーション5775)

心のデボーション5776

「人よ彼さきに善事の何なるを汝に告たり ヱホバの汝に要めたまふ事は唯正義を行ひ憐憫を愛し謙遜りて汝の神とともに歩む事ならずや」 ミカ6:8 明治元訳聖書

「人よ、彼はさきによい事のなんであるかをあなたに告げられた。主のあなたに求められることは、ただ公義をおこない、いつくしみを愛し、へりくだってあなたの神と共に歩むことではないか。」 口語訳聖書

 「よい事のなんであるか」

神は「を告げられる。神が求められるのは、「ただ公義をおこない、いつくしみを愛し、へりくだって神と共に歩むこと」である。何がよいことかわからない状況にあるとき、この御言葉は何をなすべきかを教えてくれる。

(心のデボーション5776)

心のデボーション5777

「イシマエルの子等はハビラよりエジプトの前なるシユルまでの間に居住てアッスリヤまでにおよべりイシマエルは其すべての兄弟等のまへにすめり」 創世25:18  明治元訳聖書

「イシマエルの子らはハビラからエジプトの東、シュルまでの間に住んで、アシュルに及んだ。イシマエルはすべての兄弟の東に住んだ。」 口語訳聖書

 「イシュマエルの子孫」

アブラハムとイシュマエルの間には不幸な確執があった。そこで、イシュマエルの子孫は兄弟たちに、ことごとく敵対するようになった。「敵対して住む」は「彼らの鼻先に住む」という意味である。わざわざ、兄弟たちの面前に住み、目障りなことをして挑発したのである。問題をおこす人はいざこざの起こりやすいところに定住したがる。その気になれば土地は広く住むべきところは他にもある。

(心のデボーション5777)

心のデボーション5878

「ゾロバベルはアビウデの父、アビウデはエリヤキムの父、エリヤキムはアゾルの父」 マタイ1:13  大正文語訳聖書

「ゾロバベルはアビウデの父、アビウデはエリヤキムの父、エリヤキムはアゾルの父、」 口語訳聖書 

 「名もなき人々」 

マタイの「イエスの系図」のうち、1:13のアビウデ以後の人物については旧約聖書に記載がなく、記された名前を知るのみである。メシアの系譜がこのような「名もなき人々」によって保たれたことに驚く。神は約束を忘れ給わない。

(心のデボーション5778)

心のデボーション5779

「されど、汝の目あしくば、全身くらからん。もし汝の内の光、闇ならば、その闇いかばかりぞや」 マタイ6:23 大正文語訳聖書

「しかし、あなたの目が悪ければ、全身も暗いだろう。だから、もしあなたの内なる光が暗ければ、その暗さは、どんなであろう。」 口語訳聖書

 「存在の目」

中心を虚にすればうまく生きられるというのは幻想である。「私」という中心をもたなければ、その現実の中にありながら、それが何であるかを知ることがない。根源を見ようとしないからである。存在の目が視力を失う「暗さ」である。

(心のデボーション5779)

心のデボーション5780

「罪を犯す者百次惡をなして猶長命あれども 我知る神を畏みてその前に畏怖をいだく者には幸福あるべし」 伝道8:12  明治元訳聖書

「罪びとで百度悪をなして、なお長生きするものがあるけれども、神をかしこみ、み前に恐れをいだく者には幸福があることを、わたしは知っている。」 口語訳聖書

 「揺ぎなき確信」

伝道者は「罪びとで百度悪をなして、なお長生きする」のを見ても、平安を失わない。「神をかしこみ、み前に恐れをいだく者には幸福があることを、わたしは知っている」からである。不正を行う者が栄えても、正しく生きることの幸せに揺るぎはない。

(心のデボーション5780)

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