心のデボーション575

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心のデボーション5741

「彼は其父が己のさきに爲たる諸の罪を行ひ其心其父ダビデの心の如く其神ヱホバに完全からざりき」 Ⅰ列王15:3  明治元訳聖書 

「彼はその父が先に行ったもろもろの罪をおこない、その心は父ダビデの心のようにその神、主に対して全く真実ではなかった。」 Ⅰ列王15:3  口語訳聖書

 「アビアの治世」

アビアはダビデ王の子孫で、ユダの第二代目の王レハベアムの子で、3年間、王であった。「彼〔アビア〕はその父〔レハベアム〕が先に行ったもろもろの罪をおこない、その心は父ダビデの心のようにその神、主に対して全く真実ではなかった。」(Ⅰ列王15:3) アビアの治世の間、イスラエル王国とユダ王国の間には戦いが絶えず、国内には偶像崇拝があった。(Ⅰ列王15:1-8  Ⅰ歴代234:20) しかし、「それにもかかわらず、その神、主はダビデのために、エルサレムにおいて彼に一つのともしびを与え、その子を彼のあとに立てて、エルサレムを固められた」のである。(Ⅰ列王15:4)不完全な人間の歴史にも神の約束は誠実に継承され、イエス・キリストにおいて完全に果たされる。

(心のデボーション5741)

心のデボーション5742

「ヱホバ其聖徒の足を守りたまはん惡き者は黑暗にありて默すべし其は人力をもて勝つべからざればなり」 Ⅰサムエル2:9  明治元訳聖書

「主はその聖徒たちの足を守られる、しかし悪いものどもは暗黒のうちに滅びる。人は力をもって勝つことができないからである。」 口語訳聖書 

 「女神のスリッパ」

花木センターで「女神のスリッパ」と呼ばれるランを見た。学名はパフィオペディルムで「ペディルム」はスリッパのこと。「妖精のスリッパ」という人もいる。よく見ると、なるほど袋状の唇弁が、やわらかくあたたかそうなスリッパだ。ハンナは「主は聖徒たちの足を守られます」と祈る。主が聖徒の足をつつまれるのはこんなスリッパかもしれない。つつましいかたちである。

(心のデボーション5742)

心のデボーション5743

「全能者われに大なる事を爲したまへばなり。 その御名は聖なり、」 ルカ1:49  大正文語訳聖書

「力あるかたが、わたしに大きな事をしてくださったからです」 ルカ1:49  口語訳聖書

 「主の御名によって」

「その御名はきよく、そのあわれみは、代々限りなく及ぶ、力あるかた」が「わたしに大きな事をしてくださった」。その祝福は「主をかしこみ恐れる者に及ぶ」。(ルカ1:49-50) 「大きな事μέγας」は主の御名による「この上なく大きな、この上なく重要な」の意。

(心のデボーション5743)

心のデボーション5744

「遂に哂笑をもて汝の口に充し歡喜を汝の唇に置たまはん」 ヨブ8:11  明治元訳聖書

「彼は笑いをもってあなたの口を満たし、/喜びの声をもってあなたのくちびるを満たされる。」 口語訳聖書

 「ユーモア」

ユーモアの語源はラテン語のフモール(humor)だそうである。フモールは体を流れる四つの体液のことで、その混じり具合がよければ、人は機嫌がよくなり、健康であると考えられた。機嫌が悪いのは、心の混じり具合がよくないのかもしれない。死の床で「何かいい残すことは」と問われて、「ご臨終です」と答えた人もいる。ユーモアは神が人に与えた霊的な祝福の一つだと思う。

(心のデボーション5744)

心のデボーション5745

「そは義なるアベルの血より殿と祭の壇の間にて爾曹が殺しバラキアの子ザカリアの血に至るまで地に流したる義人の血は凡て爾曹に報來らんが爲なり」 マタイ23:35  大正文語訳聖書

「こうして義人アベルの血から、聖所と祭壇との間であなたがたが殺したバラキヤの子ザカリヤの血に至るまで、地上に流された義人の血の報いが、ことごとくあなたがたに及ぶであろう。」 マタイ23:35  口語訳聖書

 「義人の血の報い」

「地上に流された義人の血」には「報い」がある。(マタイ23:35) 「義人のいのち」を奪う権威などあってはならない。しかし、権力は巨大になればなるほど、それを支える人間はいのちを奪う側に立ち、痛みを感じることもなくなる。いかなる理由からでも、神の造られた者のいのちを奪う権利は人間にはない。

(心のデボーション5745)

心のデボーション5746

「人は二人の主に兼ね事ふること能はず、或はこれを憎み彼を愛し、或はこれに親しみ彼を輕しむべければなり。汝ら神と富とに兼ね事ふること能はず。」 マタイ6:24  大正文語訳聖書

「だれも、ふたりの主人に兼ね仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛し、あるいは、一方に親しんで他方をうとんじるからである。あなたがたは、神と富とに兼ね仕えることはできない。」 口語訳聖書

 「だから、どうなのさ」

あることが気になり出すと、次々に疑わしくなって、すべてがだめになるに違いないと思ってしまう。それを「だから、どうなのさ」といわれては身もフタもない。しかし、この種の予想が当たるのはめったにないのも事実である。「だから、どうなのさ」とつぶやいてみるのも悪くないかもしれない。失敗したら、そのつど、少しだけ落ち込めばいい。明日の分まで悩むことはない。

(心のデボーション5746)

心のデボーション5747

「二人は一人に愈る其はその勞苦のために善報を得ればなり」 伝道4:9  明治元訳聖書

「ふたりはひとりにまさる。彼らはその労苦によって良い報いを得るからである。」 口語訳聖書

 「ふたりはひとりにまさる」

「ふたりはひとりにまさる」。(伝道4:9) 伝道者はその理由を3つあげる。「彼らが倒れる時には、そのひとりがその友を助け起す」「ふたりが一緒に寝れば暖かい」「そのひとりを攻め撃ったなら、ふたりで、それに当る」の3つである。「三つよりの綱はたやすくは切れない」は「この3つが撚り合わされば」の意味か。(伝道4:9-12)

(心のデボーション5747)

心のデボーション5748

「サムエルいひけるはヱホバはその言にしたがふ事を善したまふごとく燔祭と犠牲を善したまふや夫れ順ふ事は犠牲にまさり聽く事は牡羔の脂にまさるなり」 Ⅰサムエル15:22  明治元訳聖書

「サムエルは言った、/「主はそのみ言葉に聞き従う事を喜ばれるように、/燔祭や犠牲を喜ばれるであろうか。見よ、従うことは犠牲にまさり、/聞くことは雄羊の脂肪にまさる。」 口語訳聖書

 「聴く耳と見る目」

「聞くことは雄羊の脂肪にまさる」。(Ⅰサムエル15:22)神は「耳を傾けて聞かれる」。(アモス3:16) 人は神のようには「耳を傾ける」ことができない。しかし、「聴く耳」と「見る目」とは二つともに主が造り給うのである。(箴言20:12)

(心のデボーション5748)

心のデボーション5749

「されど、汝の目あしくば、全身くらからん。もし汝の内の光、闇ならば、その闇いかばかりぞや」 マタイ6:23 大正文語訳聖書

「しかし、あなたの目が悪ければ、全身も暗いだろう。だから、もしあなたの内なる光が暗ければ、その暗さは、どんなであろう。」 口語訳聖書

 「濁り」

春先の雪が消える頃、川は茶色の濁った水が流れる。濁った川に潜れば、一寸先も見えない。濁りの原因は目に見えないほどの微粒な土砂である。理解力を奪うのは取るにも足りない些細な出来事なのか。

(心のデボーション5749)

心のデボーション5750

「妻を得るものは美物を得るなり 且ヱホバより恩寵をあたへらる」 箴言18:22  明治元訳聖書

「妻を見つける人は大きな幸いを見つけ、主の恵みを受ける。」 フランシスコ会訳聖書

 「よい妻」

箴言18:22のLXXは、「ὃς εὗρεν γυναῖκα ἀγαθήν εὗρεν χάριτας ἔλαβεν δὲ παρὰ θεοῦ ἱλαρότητα ὃς ἐκβάλλει γυναῖκα ἀγαθήν ἐκβάλλει τὰ ἀγαθά ὁ δὲ κατέχων μοιχαλίδα ἄφρων καὶ ἀσεβής良い妻を得る者は神の恵みを得、神の好意を受ける。良い妻を離婚する者は良いものを離婚する。姦淫する女を持つ者は愚かで不信心である。」とある。

「良い妻」と結婚した者は「良いもの」と結婚し、「良い妻」と離婚する者は「良いもの」と離婚する。「良い妻」というのがあるのではなく、妻に見出す「良い妻」である。「良い妻と離婚する者」とはそれに失敗し、まだ見いだせていない夫」である。

(心のデボーション5750)

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