心のデボーション5721
「斯てその翌日モーセ律法の幕屋にいりて視るにレビの家のために出せるアロンの杖芽をふき蕾をなし花咲て巴旦杏の果を結べり」 民数17:8
「その翌日、モーセが、あかしの幕屋にはいって見ると、レビの家のために出したアロンのつえは芽をふき、つぼみを出し、花が咲いて、あめんどうの実を結んでいた。」 口語訳聖書
「アロンの杖」
会見の幕屋に置かれた12の杖とアロンの杖のうち、アロンの杖が「芽をふき、つぼみを出し、花が咲いて、あめんどうの実を結んでいた」。(民数17:8) 神の選びの器は、必ずいのちを持ち、芽をだし、花を咲かせ、実を結ぶ。選ばれなかった杖は枯れていのちのない杖である。
(心のデボーション5721)
心のデボーション5722
「太初より有りし所のもの、我等が聞きしところ、目にて見し所、つらつら視て手觸りし所のもの、即ち生命の言につきて、」 Ⅰヨハネ1:1 大正文語訳聖書
「初めからあったもの、わたしたちが聞いたもの、目で見たもの、よく見て手でさわったもの、すなわち、いのちの言について――」 口語訳聖書
「幻想のコミュニケーション」
電話で知り合った相手が、直接会ってみると、そのイメージの違いに驚く。相手に直接ふれることもなくつくられる幻想のコミュニケーションである。これをあてにして相手を選んだり、判断するのは少し危険だ。ヨハネは、真実は自分で「聞き」、「目で見」、さらに「じっと見」(考え見る)、そして「手でさわる」べきだという。
(心のデボーション5722)
心のデボーション5723
「われわが義をちかづかしむ可ればその來ること遠からず わが救おそからず 我すくひをシオンにあたへ わが榮光をイスラエルにあたへん」 イザヤ46:13 明治元訳聖書
「わたしはわが救を近づかせるゆえ、その来ることは遠くない。わが救はおそくない。わたしは救をシオンに与え、わが栄光をイスラエルに与える。」 口語訳聖書
「救済の約束」
「あの夜のことは、わたしたちの先祖たちみ前もって知らされていた。それは、彼らが寄り頼む誓約を固く信じ、勇気をもつためであった。」(旧約聖書外典知恵の書18:6 フランシスコ会訳聖書)
神の救済はあらかじめ「前もって知らされていた」事柄で、「勇気をもって、約束に寄り頼む者」に実現する。「待ち望む力」もまた神からのものである。「わたしはわが救を近づかせるゆえ、その来ることは遠くない。わが救はおそくない。わたしは救をシオンに与え、わが栄光をイスラエルに与える」イザヤ46:13
(心のデボーション5723)
心のデボーション5724
「來れわれらヱホバにかへるべし ヱホバわれらを抓劈たまひたれどもまた醫すことをなし我儕をうち給ひたれどもまたその傷をつつむことを爲したまふ可ればなり」 ホセア6:1 明治元訳聖書
「さあ、わたしたちは主に帰ろう。主はわたしたちをかき裂かれたが、またいやし、わたしたちを打たれたが、また包んでくださるからだ。」 口語訳聖書
「期待しない」
相手がいつかは立ち直ってくれると期待し続けたい。しかし、幾度も裏切られると、期待感そのものが現実からの逃避になることもある。相手がもう変化しないことを、どこか受け入れた上で、なおも、期待を寄せることをやめないのである。もう変化しないことを認めて、期待するのをやめるのも愛ではないか。変化はそこからはじまる。いやしに先立って、「引き裂かれる」必要があるのかもしれない。
(心のデボーション5724)
心のデボーション5725
「されば主に在りて囚人たる我なんぢらに勸む。汝ら召されたる召に適ひて歩み、」 エペソ4:1 大正文語訳聖書
「さて、主にある囚人であるわたしは、あなたがたに勧める。あなたがたが召されたその召しにふさわしく歩き、」 口語訳聖書
「召された者の歩み」
「あなたがたが召されたその召しにふさわしく歩き」、(エペソ4:1) 「召しにふさわしくἀξίως」は、「召しを軸にした歩み」であり、「キリストの福音にふさわしく(ἀξίως)生活」することである。(ピリピ1:27)
(心のデボーション5725)
心のデボーション5726
「その名にふさはしき榮光をヱホバにささげ奉れ きよき衣をつけてヱホバを拝みまつれ」 詩篇29:2 大正文語訳聖書
「み名の栄光を主に帰せよ、聖なる装いをもって主を拝め。」口語訳聖書
「神の御名の栄光にふさわしき褒歌」
主の御名にふさわしい栄光を神に帰す者よ、「聖なる装いをもって主を拝め」。「聖なる装いהֲדָרָה」は「聖なる飾り物」の意。「彼はまた民と相談して人々を任命し、聖なる飾りを着けて軍勢の前に進ませ、主に向かって歌をうたい、かつさんびさせ、「主に感謝せよ、そのいつくしみはとこしえに絶えることがない」と言わせた」。 (Ⅱ歴代20:21) 「聖なる装束」を身に纏い、「耀き」をもて神の栄光にふさわしき褒歌を神に歌え。
(心のデボーション5726)
心のデボーション5727
「われ汝の行爲を知る、視よ、我なんぢの前に開けたる門を置く、これを閉ぢ得る者なし。汝すこしの力ありて、我が言を守り、我が名を否まざりき。」 黙示3:8 大正文語訳聖書
「わたしは、あなたのわざを知っている。見よ、わたしは、あなたの前に、だれも閉じることのできない門を開いておいた。なぜなら、あなたには少ししか力がなかったにもかかわらず、わたしの言葉を守り、わたしの名を否まなかったからである。」 口語訳聖書
「開かれた門」
キリストは「ダビデのかぎを持っている方」と呼ばれる。旧約時代、王が即位するとき「大きな鍵」が新王に渡された。その鍵は王宮のすべての戸を開くことができた。生と死の秘密について、ある「門」は開かれ、ある「門」は今も閉ざされている。しかし、神の国には「閉ざされた門」をたたくのではなく、「開かれた門」から入れがよい。「開かれた門」はいつも私たちの前にある。
(心のデボーション5727)
心のデボーション5728
「神よなんぢの寳座はいやとほ永くなんぢの國のつゑは公平のつゑなり」 詩篇45:6 大正文語訳聖書
「神から賜わったあなたの位は永遠にかぎりなく続き、あなたの王のつえは公平のつえである」 口語訳聖書
「神の杖」
祭司職は王位とともに「永遠にかぎりなく続く」「神から賜る位」である。主イエスは神の選ばれた「王」、「祭司」として、「私」を治め、贖いとなられる「神の杖」であり、その業は永遠である。「たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、わざわいを恐れません。あなたがわたしと共におられるからです。あなたのむちと、あなたのつえはわたしを慰めます」。(詩篇23:4)
「主はあなたの力あるつえをシオンから出される。あなたはもろもろの敵のなかで治めよ。」 詩篇110:2
(心のデボーション5728)
心のデボーション5729
「身の燈火は目なり。この故に汝の目ただしくば、全身あかるからん」 マタイ6:22 大正文語訳聖書
「目はからだのあかりである。だから、あなたの目が澄んでおれば、全身も明るいだろう。」 口語訳聖書
「明(あかり)」
永井直治訳聖書は「全身あかるからん」を「汝の體は全く明(あかり)たらん」と訳す。目(視点)が健全であれば、体そのものが「明(あかり)」である。この「明(あかり)」は世界を照らす。
(心のデボーション5729)
心のデボーション5730
「それ神の賜物と召とは變ることなし」 ロマ11:29 大正文語訳聖書
「神の賜物と召しとは、変えられることがない。」 口語訳聖書
「召しと賜物」
神は「召された者」に「召されたその召しにふさわしい歩み」を与えられる。(エペソ4:1)その「賜物と召しとは、変えられることがない」。(ロマ11:29)「かえられることがないἀμεταμέλητος」は「取り消し得ない、後悔しない」の意。神は私を召されたことを決して後悔されない。神は「あなたがたを召しにかなう者となし、善に対するあらゆる願いと信仰の働きとを力強く満たして下さる」。(エペソ4:1)
(心のデボーション5730)
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