心のデボーション567

デボーション1
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心のデボーション5661

「王のくちびるには神のさばきあり 審判するときその口あやまる可らず」 箴言16:10  明治元訳聖書

「王のくちびるには神の決定がある、さばきをするとき、その口に誤りがない。」 口語訳聖書

 「君子不器」

論語に「子曰、君子不器(君子は器ならず)」という。(『論語』為政篇) 「君子は特定の用途に限定された器のような存在ではない。むしろ、広い視野と柔軟な思考を持つ人のことだ」との意味である。君主は「不器用」では務まらない。むしろ、さまざまな「器」を正しく用いるのが「名君」であろう。

(心のデボーション5661)

心のデボーション5662

「柔和なる答は憤恨をとどめ厲しき言は怒を激す」 箴言15:1 明治元訳聖書

「柔らかい答は憤りをとどめ、激しい言葉は怒りをひきおこす」 口語訳聖書

 「柔らかい答」

その人は相談を受けたら真剣に答え、あとは忘れるという。次に会う時は、そんなことはなかったかのように、さらっと会うのだそうである。わかっていながら、黙っていてくれる、そのやさしさに心も安らぐ。その静かさの中に、私の問題は収まるところを見つける。心に「戦い」があると、ことばが「油よりも柔らかくても」、「抜き身の剣」のように相手を切りつける。(詩篇54:21) それは困難な「戦い」である。

(心のデボーション5662)

心のデボーション5663

「ヱホバいひたまふその日その時イスラエルの子孫かへり來らん彼らと偕にユダの子孫かへり來るべし彼らは哭きつつ行てその神ヱホバに請求むべし」 エレミヤ50:4  明治元訳聖書

「主は言われる、その日その時、イスラエルの民とユダの民は共に帰ってくる。彼らは嘆きながら帰ってくる。そしてその神、主を求める。」 口語訳聖書

 「主を求める」

AIが神を語り始めている。AIに人格はなく、ただ人のデータから学習しているのだが、問題はAIが、あたかも優れた牧師のごとく人々に語り始めたことである。やがてAIが一つの宗教になるのではあるまいか。しかし、信仰は「神」のデータを集めることではなく、神との生きた交わりである。われらは「泣きながら歩み、その神、主を、尋ね求める」者であることを忘れてはならない。

(心のデボーション5663)

心のデボーション5664

「兄弟の愛をもて互に愛しみ、禮儀をもて相讓り、」 ロマ12:10  大正文語訳聖書

「兄弟の愛をもって互にいつくしみ、進んで互に尊敬し合いなさい。」 口語訳聖書

 「美しい人」

容姿が醜いと悩む人は意外に美しい人だ。そのままで十分に美しいのに、どこか一点を醜いときめつけ、それで友人も自分から去っていくと悩む。友人が離れていくのは容姿の醜さの故ではなく、美しさへのこだわりの強さについていけないからではないか。まず、人を愛し、人の美しさに感動する心を取り戻すことだ。「相手を優れた者と思う」とは、相手の美しさに気づくことである。

(心のデボーション5664)

心のデボーション5665

「われ聲をあげてヱホバによばはればその聖山より我にこたへたまふセラ」 詩篇3:4  明治元訳聖書

「わたしが声をあげて主を呼ばわると、主は聖なる山からわたしに答えられる。〔セラ〕 口語訳聖書

 「声をあげて」

「声をあげて主を呼ばわる」。(詩篇3:4) 「声קרא」は「声、音、雷」で、「雷のような激しい声」を意味する。祈りは、たとえ静かに祈るときにも「神への激しい叫び」である。神は「聖なる山からわたしに〔雷のごとくに〕答えられる」。

(心のデボーション5665)

心のデボーション5666

「ヱホバを畏るるは知識の本なり 愚なる者は智慧と訓誨とを軽んず」 箴言1:7  明治元訳聖書

「主を恐れることは知識のはじめである、愚かな者は知恵と教訓を軽んじる。」 口語訳聖書

 「主を畏れる者」

「主を畏れる者は、終わりを全うし、臨終の時には、祝福を受けるであろう。」(旧約聖書外典ベン=シラの知恵1:13  フランシスコ会訳聖書)「主を畏れる者τῷ φοβουμένῳ τὸν κύριον」の「畏れる」は中受動態現在分詞・与格

で、一時的な畏れではなく、日々絶え間なく、神との生きた交わりから生じる、自発的で持続的な「畏れ」である。

(心のデボーション5666)

心のデボーション5667

「是は之を得るものの生命にしてまたその全體の良薬なり」 箴言4:22  明治元訳聖書

「それは、これを得る者の命であり、またその全身を健やかにするからである。」 口語訳聖書

 「経験に学ぶ」

健康は失ってはじめて、その大切さがわかる。歩く、つかむ、しゃがむ、飲む、食べる。このなんでもないことのありがたさである。普通であることは、何と特別なことか。しかし、人は健康を回復するとすぐそれを忘れる。経験に学ぶことをしないことが最も不健康なのかもしれない。経験に学ぶ人は、なんでもないことのなかに、神のことばを「聞き、それを保ち、見いだす」。

(心のデボーション5667)

心のデボーション5668

「我らの爲に祈れ、我らは善き良心ありて凡てのこと正しく行はんと欲するを信ずるなり。」 へブル13:18  大正文語訳聖書

「わたしたちのために、祈ってほしい。わたしたちは明らかな良心を持っていると信じており、何事についても、正しく行動しようと願っている。」 口語訳聖書

 「方向転換」

フィールズ賞を受賞した広中平祐さんは、「自分とは違ったさまざまな世界の人間と関係し、互いに作用し合うことは、一つの行動である。このように、何かの行動を自ら起こし、その中で自己を発見していく。これが大切だ」と書いている。(広中平祐 「学問の発見」佼成出版社1992) 「行動」を意味する聖書のギリシャ語は「ἀναστροφή」で、この語には「方向転換」の意味がある。「自己を発見する」には、それまでの生き方から「方向転換」の「行動」を起こす必要がある。

(心のデボーション5668)

心のデボーション5669

「なんぢら己がために財寶を天に積め、かしこは蟲と錆とが損はず、盜人うがちて盜まぬなり」 マタイ6:20 大正文語訳聖書

「むしろ自分のため、虫も食わず、さびもつかず、また、盗人らが押し入って盗み出すこともない天に、宝をたくわえなさい。」 口語訳聖書

 「財宝」

「財宝を何処に積むべきかを見わける目は大事です」 (藤井武 『信仰生活』) それが何処かは、財宝自身が場所を知っている。

(心のデボーション5669)

心のデボーション5670

「ベニヤミンについては言ふヱホバの愛する者安然にヱホバとともにあり日々にその庇護をかうむりてその肩の間に居ん」 申命33:12  明治元訳聖書

「ベニヤミンについては言った、/「主に愛される者、/彼は安らかに主のそばにおり、/主は終日、彼を守り、/その肩の間にすまいを営まれるであろう」。口語訳聖書

 「休息」

自分の居場所が見出せないという人は、自分の心の中の「居場所」を見失っているからかもしれない。「心の中の居場所」とは「神のそば」にある「休息場」である。

(心のデボーション5670)

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