心のデボーション564

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心のデボーション5631

「われ山にむかひて目をあぐ わが扶助はいづこよりきたるや」 詩篇121:1  明治元訳聖書

「わたしは山にむかって目をあげる。わが助けは、どこから来るであろうか。」 口語訳聖書

 「老い」

老いたら、ひたすら自己に没頭し、日々に向かい合う自分を充実させる新しいカリキュラムを作成するとよいという。詩人は「山にむかって目をあげ」「わが助けは、どこから来るであろうか」という。「老い」は人を「征服し難い、大きく、高い山」に向かって目をあぐ」ことを促す。

(心のデボーション5631)

心のデボーション5632

「有りし時は汝の物なり、賣りて後も汝の權の内にあるに非ずや、何とて斯ることを心に企てし。なんぢ人に對してにあらず、神に對して詐りしなり」 使徒5:4  大正文語訳聖書

「売らずに残しておけば、あなたのものであり、売ってしまっても、あなたの自由になったはずではないか。どうして、こんなことをする気になったのか。あなたは人を欺いたのではなくて、神を欺いたのだ」 口語訳聖書

 「欺き」

「アナニヤ」という名前は「主は恵み深い」という意味で、妻の「サッピラ」は「美しい」という意味の名前であった。しかし、この夫婦は恵み深くも、美しくもなかった。彼らは夫婦で共謀してささげ物をごまかしたのである。彼らのしたことは「恵み深さ」を演じ、「美しさ」を取り繕うことだった。わからなければという思いが人を大胆にする。人を欺くよりも神を欺く方が簡単だと、とんでもない錯覚をするのである。

(心のデボーション5632)

心のデボーション5633

「磐間にをり 斷崖の匿處にをるわが鴿よ われに汝の面を見させよ なんぢの聲をきかしめよ なんぢの聲は愛らしく なんぢの面はうるはし」 雅歌2:14  明治元訳聖書

「岩の裂け目、がけの隠れ場におるわがはとよ、あなたの顔を見せなさい。あなたの声を聞かせなさい。あなたの声は愛らしく、あなたの顔は美しい。」 口語訳聖書

 「赤ん坊の顔」

「赤ん坊の真似は千両役者でも出来ぬ」と言われる。「赤ん坊の顔」は無意識から生じるもので、レヴィナスの「顔」の倫理を思わせ、見る者に応答を求める。人には自己を引き出されるような「顔」との出会いがある。「赤ん坊の顔」はその第一のものかもしれない。大人には決して真似のできない「顔」であり、人はまず、「その顔」から人生をはじめたのである。

(心のデボーション5633)

心のデボーション5634

「常にこれを汝の心にむす び之をなんぢの頸に佩よ」 箴言6:21  明治元訳聖書

「つねに、これをあなたの心に結び、あなたの首のまわりにつけよ。」 口語訳聖書

 「ことばを心に結ぶ」

心にいつも自分に語りかける父や母のことばがある。大切なことは、ことばを自分の心に結びつける作業である。それはやがて、ことばの奥にあるものと結びつく。思い出すのが叱責のことばばかりだとしても、さからわずに聞くことだ。歩きはじめた人には、それが道をてらす灯火であり、「いのちの道」に導くのがわかる。ことばは愛なのである。

(心のデボーション5634)

心のデボーション5635

「人の道はおのれの目に正しとみゆ されどヱホバは人の心をはかりたまふ」 箴言21:2  明治元訳聖書

「人の道は自分の目には正しく見える、しかし主は人の心をはかられる。」 口語訳聖書

 「耳栓」

「ピーナッツ1950-1952」で、チャーリー・ブラウンが太鼓を叩いて一人で行進しているとペパーミント・パティが「太鼓の音がうるさいの、わかってる?!」とたしなめる。「そうかもね」と答えたチャーリー・ブラウンは自分で耳栓をして、これでいいだろうと太鼓の行進を続ける。チャーリーにとっては、耳栓が太鼓の音を静かにしてくれるし、何よりも小うるさいパティの声を聞かないで、思い切り太鼓が叩ける。名案に思えるチャーリーの問題解決法は「うるさければ、あなたも耳栓したら?」と言いかねず、何一つ解決しない。

(心のデボーション5635)

心のデボーション5636

「ねがはくは泥のなかより我をたすけいだして沈ざらしめたまへ 我をにくむものより深水よりたすけいだしたまへ」 詩篇69:12  明治元訳聖書

「あなたのまことの救により、わたしを泥の中に沈まぬよう助け出してください。わたしを憎む者から、また深い水からわたしを助け出してください。」 口語訳聖書

 「泥の中から」

「泥‎ טִיט」は「粘土、泥」で、そこにはまれば抜け出せない「泥沼」である。「抜け出す手がかりのない泥沼に沈む私を助け出してください」と祈る。神は「泥沼」からの祈りにお答えになる。神の「恵みはまことに深く」、その「憐れみは豊か」である。(詩篇69:16)

(心のデボーション5636)

心のデボーション5637

「アブラハム、ベエルシバに柳を植ゑ永遠に在す神ヱホバの名を彼處に龥り」 創世21:33  明治元訳聖書

「アブラハムはベエルシバに一本のぎょりゅうの木を植え、その所で永遠の神、主の名を呼んだ。」 口語訳聖書

 「一本の柳の木」

アブラハムはよく木を植える人だった。ベエル・シェバの井戸を掘り、そこで礼拝をするために木を植えた。木はまだ苗木で小さく、黙想のための木陰をつくってはくれない。苗木が育つころは、もう生きてもいないかもしれない。それでも、アブラハムは木を植える。井戸の脇に植えられた細い苗木のもとに座り、永遠を想うのである。人はどこに「一本の柳の木」を植え、永遠を想うのだろうか?

(心のデボーション5637)

心のデボーション5638

「愛を追ひ求めよ、また靈の賜物、ことに預言する能力を慕へ」 Ⅰコリント14:1 大正文語訳聖書

「愛を追い求めなさい。また、霊の賜物を、ことに預言することを、熱心に求めなさい」 口語訳聖書

 「自分とは違った人たち」

「自分とは違ったさまざまな世界の人間と関係し、互いに作用し合うことは、一つの行動である。このように、何かの行動を自ら起こし、その中で自己を発見していく。これが大切だ。」(広中平祐 「学問の発見」佼成出版社1992より) 高度に情報化された社会の中で、「自分とは違ったさまざまな世界の人間と関係し、互いに作用し合う時代」になった。それにむけての「行動」とはなにか?

(心のデボーション5638)

心のデボーション5639

「なんぢら己がために財寶を地に積むな、ここは蟲と錆とが損ひ、盜人うがちて盜むなり」 マタイ6:19 大正文語訳聖書

「あなたがたは自分のために、虫が食い、さびがつき、また、盗人らが押し入って盗み出すような地上に、宝をたくわえてはならない。」

 「神の代理人」

あなたの信じる「天」が、盗人が秘かに穴をあけて「私」という宝をかすめ取るようであれば、そこは決して「天」ではなく、「地」である。そのような「天」はいくらでも存在する。偽の「神の代理人」が登場し、活躍するのは、たいていが紛い物としての「天」である。「天」は神とあなただけが出会うところで、「私」をむしばむ虫も錆も盗人もいない。人にとって真に「宝」として貯えるに足りるものは、唯一「私」というものである。

(心のデボーション5639)

心のデボーション5640

「御意のままにイエス・キリストに由り愛をもて己が子となさんことを定め給へり。」 エペソ1:5  大正文語訳聖書

「わたしたちに、イエス・キリストによって神の子たる身分を授けるようにと、御旨のよしとするところに従い、愛のうちにあらかじめ定めて下さったのである。」 口語訳聖書

 「信仰の祈り」

「御旨のままに」は祈りによく使われる言葉である。「御旨のままにεὐδοκία」は「〔御旨の〕喜びとするところ、よしと思うところに従って」の意である。「神の喜びとするところに従って願う」のが信仰の祈りである。

(心のデボーション5640)

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