心のデボーション5611
「愛を追ひ求めよ、また靈の賜物、ことに預言する能力を慕へ」 Ⅰコリント14:1 大正文語訳聖書
「愛を追い求めなさい。また、霊の賜物を、ことに預言することを、熱心に求めなさい。」 口語訳聖書
「愛を追ひ求めよ」
「主を畏れることは主の恵みである。これは人を愛の道に導く」。(旧約聖書外典ベン=シラの知恵1:12 フランシスコ会訳聖書) 新共同訳聖書は「主を畏れることは、主からの賜物それによって愛の道を歩むことができる」と訳す。「愛の道を歩む」は「主からの賜物」である。「愛の道」を求めたければ「神を追い求める」がよい。ギリシャ語「追い求めるδιώκω」は「迫害する」の意もある。迫害者が獲物を追いかけるように「激しく追及する」の意味である。
(心のデボーション5611)
心のデボーション5612
「なんぢら眞理に從ふによりて靈魂をきよめ、僞りなく兄弟を愛するに至りたれば、心より熱く相愛せよ。」 Ⅰペテロ1:22 大正文語訳聖書
「あなたがたは、真理に従うことによって、たましいをきよめ、偽りのない兄弟愛をいだくに至ったのであるから、互に心から熱く愛し合いなさい。」 口語訳聖書
「愛の適温」
愛情には「適温」があるという。熱すぎるのも冷たすぎるのもよくない。しかし、熱すぎるといってうすめたり、冷たいからと熱を加えることが自在にできるものでもない。ただ、知っておくとよいと思われるのは、熱は距離と関係するということである。熱すぎるようなら少し離れ、冷たいのなら接近すればよい。それも又、「適温にかわりなく、心から熱く愛する」ことではないだろうか。「こころから熱く愛しなさい」の「熱くἐκτενῶς」は「熱心に根気よく、全力を注いで」の意味である。愛の適温は熱心に根気よく、全力を注がねば得られない。
(心のデボーション5612)
心のデボーション5613
「わが腹は口を啓かざる酒のごとし 新しき皮嚢のごとく今にも裂んとす」 ヨブ32:19 明治元訳聖書
「見よ、わたしの心は口を開かないぶどう酒のように、新しいぶどう酒の皮袋のように、今にも張りさけようとしている。」 口語訳聖書
「説明のつかない疲労」
「説明のつかない疲労」に襲われることがある。「説明のつかない疲労」を感じたときは、立ち止まって休むことだ。「理由」は症状のなかに隠されている。心が「口を開かなない新しい葡萄酒の革袋」のようで、内側で発酵して、今にも破裂しそうなのかもしれない。
(心のデボーション5613)
心のデボーション5614
「然るに取税人は遙に立ちて、目を天に向くる事だにせず、胸を打ちて言ふ「神よ、罪人なる我を憫みたまへ」 ルカ18:13 大正文語訳聖書
「ところが、取税人は遠く離れて立ち、目を天にむけようともしないで、胸を打ちながら言った、『神様、罪人のわたしをおゆるしください』と。」 口語訳聖書
「アルコール依存」
アルコール依存症者はアルコールがやめられない人ではない。その気になればいつでもアルコールをやめられると考えている人である。彼のいうのは本当で、簡単にやめて見せるが、いつでもやめられる自分を確認して安心して、また飲む。アルコール依存から抜け出すのは、自分は「アルコールを止められない弱い人間だ」と告白できる人である。「アルコールはやめられない。しかし、この一杯は我慢しよう。」その繰り返しで自分を変えるのである。
(心のデボーション5614)
心のデボーション5615
「忍耐は練達を生じ、練達は希望を生ずと知ればなり。」 ロマ5:4 大正文語訳聖書
「忍耐は錬達を生み出し、錬達は希望を生み出すことを、知っているからである。」 口語訳聖書
「三肱折」
「医者はなんども患者の肱を折って治療し、はじめて一人前になる」ということを「三肱折(みたびひじをおる)」という。江戸時代には、骨折の治療は難しく、名医といわれた人でも、一度で骨がつながらず、うまくゆかないと骨を折ってやり直し、骨接ぎの技術を習得したという。失敗をっ繰り返しながら一人前になるのは医師だけのことではない。患者の腕も痛いが、医師の心も同様に痛い。
(心のデボーション5615)
心のデボーション5616
「困苦にあひたりしは我によきことなり 此によりて我なんぢの律法をまなびえたり」 詩篇119:71 明治元訳聖書
「苦しみにあったことは、わたしに良い事です。これによってわたしはあなたのおきてを/学ぶことができました。」 口語訳聖書
「さげすみ」
フランシスコ会訳は「苦しみ」を「さげすみ」と訳す。「さげすみにあったことは、私にとってしあわせだった」と詩人はいう。さげすみに耐えられる人こそが、本当に強い人かもしれない。さげすみにあったら、つらくても、それと自分がどうつながっているかを見つめることだ。つながりをたどっていくと、主とお会いする。それで「しあわせ」と作者は言うのであろう。
(心のデボーション5616)
心のデボーション5617
「これに別れて過ゆき間もなくわが心の愛する者の遇たれば 之をひきとめて放さず 遂にわが母の家にともなひゆき 我を產し者の室にいりぬ」 雅歌3:4 明治元訳聖書
「わたしが彼らと別れて行くとすぐ、わが魂の愛する者に出会った。わたしは彼を引き留めて行かせず、ついにわが母の家につれて行き、わたしを産んだ者のへやにはいった。」 口語訳聖書
「あなた」
彼女は「私の愛している人」を探して、夜の町を行き巡る。夜回りに「私の愛している人を、あなたがたはお見かけになりませんでしたか」と声をかける。そして、ついに「私の愛している人」を見つける。彼女がそれほどに捜しつづけたのは、「あなた」を見つけることができなければ、「私」を見つけることができないからである。「いのち」を探しているのである。
(心のデボーション5617)
心のデボーション5618
「六十歳以下の寡婦は寡婦の籍に記すべからず、記すべきは一人の夫の妻たりし者にして、」 Ⅰテモテ5:9 大正文語訳聖書
「やもめとして登録さるべき者は、六十歳以下のものではなくて、ひとりの夫の妻であった者、」 口語訳聖書
「善い行いをする老いたやもめの名簿」
初代教会には「善い行いをする老いたやもめの名簿」があった。(Ⅰテモテ5:9-10) この名簿に記されるのは「六十歳以下のものではなくて、ひとりの夫の妻であった者、
また子女をよく養育し、旅人をもてなし、聖徒の足を洗い、困っている人を助け、種々の善行に努めるなど、そのよいわざでひろく認められている者」であった。名簿の目的は教会が、「真にたよりのないやもめの世話をするため」であった。(Ⅰテモテ5:16) 「善い行いをする老いたやもめの名簿」をもつ教会は幸いである。
(心のデボーション5618)
心のデボーション5619
「是断食する者と人に見えずして、隠れたるに在す汝の父に見えん為なり、然らば隠れたるに見給ふ汝の父は汝に報い給ふべし」 マタイ6:18 大正文語訳聖書
「それは断食をしていることが人に知れないで、隠れた所においでになるあなたの父に知られるためである。すると、隠れた事を見ておられるあなたの父は、報いて下さるであろう。」 口語訳聖書
「あなた」
「あなたσός(ソス)」はすべて単数である。隠れたとこらおられる「あなた」の父に見ていただきなさい、隠れたことを見ておられる「あなた」の父が、「あなた」に報いてくださる。神は私の神であり、私を見ておられ、私に報い給う。あなたは「〔単数の〕あなた」をあなたの父なる神に見せよ。隠れたことを見ておられるあなたの神は「〔単数の〕あなた」に報いてくださる。
(心のデボーション5619)
心のデボーション5620
「なんぢらの年老るまで我はかはらず白髮となるまで我なんぢらを負ん 我つくりたれば擡(もた)ぐべし我また負ひかつ救はん」 イザヤ45:4 明治元訳聖書
「わたしはあなたがたの年老いるまで変らず、白髪となるまで、あなたがたを持ち運ぶ。わたしは造ったゆえ、必ず負い、持ち運び、かつ救う。」 口語訳聖書
「白髪となるまで」
神はあなたが「年老いて、白髪となるまで、変わらず」、あなたを背負って「持ち運ぶ」。「わたしは〔あなたを〕造ったゆえ、必ず負い、持ち運び、かつ救う」と約束される。(イザヤ45:4)老いた日々は神に背負われて運ばれる歩みである。
(心のデボーション5620)
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