心のデボーション5501
「我は汝らが斯くも速かにキリストの恩惠をもて召し給ひし者より離れて、異なる福音に移りゆくを怪しむ。」ガラテヤ1:6 大正文語訳聖書
「あなたがたがこんなにも早く、あなたがたをキリストの恵みの内へお招きになったかたから離れて、違った福音に落ちていくことが、わたしには不思議でならない。」 口語訳聖書
「異なる福音」
ガラテヤの諸教会には、異邦人が救われるためには神の選民であるユダヤ人のようにならなければならないと説くユダヤ主義的教師たちがいた。彼らの教えは「異なる福音」であったが、それに従う信徒もおり、教会は混乱した。「異なる福音」は内部から教会を「かき乱すταράσσω(水をかき乱す、騒がせる、波立たせる、恐れ惑わす)」教えである。「福音」を標榜する者がすべて福音ではない。注意ふかく真の福音を見分けるべきである。
(心のデボーション5501)
心のデボーション5502
「汝等その行ひし諸の罪を棄去り新しき心と新しき靈魂を起すべしイスラエルの家よ汝らなんぞ死べけんや」 エセキエル18:31 明治元訳聖書
「あなたがたがわたしに対しておこなったすべてのとがを捨て去り、新しい心と、新しい霊とを得よ。イスラエルの家よ、あなたがたはどうして死んでよかろうか。」 口語訳聖書
「新しい心と新しい霊」
あるバイオリン演奏家は、その都度、曲を最初から分解し、組立をしなければステージに上がらないそうである。それが守れなければ、すべてをやめるという形をもっている人は幸せかもしれない。分解組立をしながら、たえず「新しい心と新しい霊」に導かれる。それは自分自身を「分解組立」する作業かもしれない。神への祈りに似た作業である。
(心のデボーション5502)
心のデボーション5503
「御意のままにイエス・キリストに由り愛をもて己が子となさんことを定め給へり。」 エペソ1:5 大正文語訳聖書
「わたしたちに、イエス・キリストによって神の子たる身分を授けるようにと、御旨のよしとするところに従い、愛のうちにあらかじめ定めて下さったのである。」 口語訳聖書
「神との養子縁組」
神は「イエス・キリストによって神の子たる身分を授けるように」、「愛のうちにあらかじめ定めて下さった」。(エペソ1:5) 「神の子たる身分を授けるυἱοθεσία」は「養子とされることによる子たる身分」の意で、信じる者は、イエス・キリスを仲立ちとして神と養子縁組を結び、「神の子たる身分を授けられた」のである。
(心のデボーション5503)
心のデボーション5504
「幸福なるかな、心の清き者。その人は神を見ん。」 マタイ5:8 大正文語訳聖書
「心の清い人たちは、さいわいである、彼らは神を見るであろう。」 口語訳聖書
「心のきよい人」
「心のきよい人καθαρός」というのは、女性が結婚相手に選びたくなる条件の一つではないか? しかし、いざ結婚してみると、潔癖な人からはお金の問題が出てきたりして、みにくい争いに巻き込まれたりする。「心がきよい」というのは、「汚いこと」をすべて他人に押しつけることではない。「二心のない人」という意味である。「汚いこと」にも誠実に向き合えるのが本当の「清さ」ではないか。
(心のデボーション5504)
心のデボーション5505
「わが斯くも汝ら衆を思ふは當然の事なり、我が縲絏にある時にも、福音を辯明して之を堅うする時にも、汝らは皆われと共に恩惠に與るによりて、我が心にあればなり。」 ピリピ1:7 大正文語訳聖書
「わたしが、あなたがた一同のために、そう考えるのは当然である。それは、わたしが獄に捕われている時にも、福音を弁明し立証する時にも、あなたがたをみな、共に恵みにあずかる者として、わたしの心に深く留めているからである。」 口語訳聖書
「恵みにあずかった者」
「わたしが獄に捕われている時にも、福音を弁明し立証する時にも、あなたがたをみな、共に恵みにあずかる者として、わたしの心に深く留めている」。(ピリピ1:7) 道が開かれている時も、閉ざされたと思える時も、共に「神の恵み」の内にいるのである。「恵みが引き上げられた」のではない、心が乱されて、そこにある恵みが見えないだけである。あなたは「恵みにあずかった者συγκοινωνός(共に分け前にあずかる、共同参与者、仲間)」である。
(心のデボーション5505)
心のデボーション5506
「ヱホバの祝福は人を富す 人の勞苦はこれに加ふるところなし」 箴言10:22 明治元訳聖書
「主の祝福は人を富ませる、主はこれになんの悲しみをも加えない。」 口語訳聖書
「主の祝福」
人を富ませるのは「主の祝福」である。「人の労苦」は、それに何も加えない。むしろ、主の福福によって富む人は、喜んで「労苦」をなし、祝福に祝福を加えるのである。
(心のデボーション5506)
心のデボーション5507
「故にエリ、サムエルにいひけるはゆきて寝よ彼若し汝をよばば僕聽くヱホバ語りたまへといへとサムエルゆきて其室にいねしに 」 Ⅰサムエル3:9 明治元訳聖書
「そしてエリはサムエルに言った、「行って寝なさい。もしあなたを呼ばれたら、『しもべは聞きます。主よ、お話しください』と言いなさい」。サムエルは行って自分の所で寝た。」 口語訳聖書
「バランスのくずれ」
立っている彫刻は倒してみるとよくわかる。それで二つに折れそうな像なら、どこかバランスがとれていないのである。バランスのくずれは、それを見る人の心もくずす、それでバランスのとれていないことがわかる。心のバランスがくずれるのは、近くにそのような人を見ているのかもしれない。バランスの回復の為に、私たちは神の近くにひざまずき、静まってサムエルのように祈るのである。
(心のデボーション5507)
心のデボーション5508
「ヱホバもし人の途を喜ばば その人の敵をも之と和がしむべし」 箴言16:7 明治元訳聖書
「人の道が主を喜ばせる時、主はその人の敵をもその人と和らがせられる。」 口語訳聖書
「七縦七擒」
諸葛孔明は敵将孟獲を七度逃がしてやり、七度捕らえたという故事から、相手を自分のおもいどおりにすることを「七縦七擒」という。孟獲は逃されるごとに逞しく孔明に敵し、孔明は孟獲に新たな敵を見出して工夫し、両者は良きライバルであったのではないか?
(心のデボーション5508)
心のデボーション5509
「なんぢら斷食するとき、僞善者のごとく、悲しき面容をすな。彼らは斷食することを人に顯さんとて、その顏色を害ふなり。誠に汝らに告ぐ、彼らは既にその報を得たり」 マタイ6:16 大正文語訳聖書
「また断食をする時には、偽善者がするように、陰気な顔つきをするな。彼らは断食をしていることを人に見せようとして、自分の顔を見苦しくするのである。よく言っておくが、彼らはその報いを受けてしまっている。」 口語訳聖書
「心の痛み」
箴言15:13「心に痛みがあれば霊は沈みこむ」(新共同訳)
イザヤ61:3「シオンのゆえに嘆いている人々に、灰に交えて冠をかぶらせ、嘆きに代えて賛美の衣をまとわせるために。彼らは主が輝きを現すために植えられた正義の樫の木と呼ばれる」(新共同訳)
「心に痛みがあれば霊は沈みこむ」、嘆かずにいられようか。だが、「灰に交えて冠をかぶらせ、嘆きに代えて賛美の衣をまとえ」、「シオンのゆえの嘆き」は「主が輝きを現すために植えられた正義の樫の木」なのだ。
(心のデボーション5509)
心のデボーション5510
「それ神の怒は、不義をもて眞理を阻む人の、もろもろの不虔と不義とに對ひて天より顯る。」 ロマ1:18 大正文語訳聖書
「神の怒りは、不義をもって真理をはばもうとする人間のあらゆる不信心と不義とに対して、天から啓示される。」 口語訳聖書
「真理をはばむ」
「真理をはばむκατέχω」は「真理を閉じ込め、阻止し、引き止める」の意。(ロマ1:18)「不義」は「真理」を閉じこめ、虜にする。「不信仰」は真理を隠蔽し、その働きから目をそむける。「彼らは神の真理を変えて虚偽とし、創造者の代りに被造物を拝み、これに仕えたのである」。(ロマ1:25)
(心のデボーション5510)
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