心のデボーション5471
「われ汝らを憶ふごとに、我が神に感謝し、」 ピリピ1:3 大正文語訳聖書
「わたしはあなたがたを思うたびごとに、わたしの神に感謝し、」 口語訳聖書
「わたしの神」
パウロはピリピの教会の信徒を思うたびごとに、「わたしの神に感謝」する。(ピリピ1:3) パウロは自身が信じる「わたしの神τῶ θεῶ μου」と、ピリピの信徒が「わたしの神τῶ θεῶ μου」として信じる神が完全に一致していることを喜ぶのである。神は常に「わたしの神τῶ θεῶ μου」である。それは人の信じた神と一つであることを確認するごとに、両者におとずれる「深い喜び」によって証しされる。
(心のデボーション5471)
心のデボーション5472
「荒野とうるほひなき地とはたのしみ 沙漠はよろこびて番紅の花のごとくに咲かがやかん」 イザヤ35:1 明治元訳聖書
「荒野と、かわいた地とは楽しみ、さばくは喜びて花咲き、さふらんのように、」 口語訳聖書
「コルチカム」
コルチカムという名前の花がある。春先に葉が出るが、夏までには枯れてしまう。そして、秋になると何もない地面からいきなり花を咲かせる。薄紫のクロッカスに似た花で、終わればそれまでである。地を押しのけて咲き、何も残さずに消える。花にもいろいろな咲き方がある。人生の咲かせる花もいろいろあって、面白い。
(心のデボーション5472)
心のデボーション5473
「汝の鄰なんぢの傍に安らかに居らば之にむかひて惡を謀ること勿れ」 箴言3:29 明治元訳聖書
「あなたの隣り人がかたわらに安らかに住んでいる時、これに向かって、悪を計ってはならない。」 口語訳聖書
「悪を計るな」
「かたわらに安らかに住んでいる隣り人」に「悪を計ってはならない」。(箴言3:29) 「悪をたくらむחרשׁ(H2790)」には「刻む、切り込む、耕す」と「たくらむ」の意があり、新共同訳聖書は「友に対して悪意を耕すな」と訳す。LXXは「τεκταίνω(大工が木工でなにかを造る、企む)。「安らかに住む人」の心に鍬を入れて悪を掘り起こすな。
(心のデボーション5473)
心のデボーション5474
「愛には虚僞あらざれ、惡はにくみ、善はしたしみ」 ロマ12:9 大正文語訳聖
「愛には偽りがあってはならない。悪は憎み退け、善には親しみ結び、」 口語訳聖書
「偽善」
子どもにものわかりの良い親を演じることほど危険なことはない。子どもはすぐに親の偽善を見抜き、それを嫌悪しながらも、いつしか自分も偽善ὑποκριτήςに生きるようになるからである。偽善者とは「芝居をする人」という意味。子どもに向かうには、親が自分の在り方を変えるくらいの覚悟が必要である。ものわかりの良い親として愛を演じているうちは子どもの転落を止められない。
(心のデボーション5474)
心のデボーション5475
「人、全世界を贏くとも、己が生命を損せば、何の益あらん、又その生命の代に何を與へんや。」 マタイ16:26 大正文語訳聖書
「たとい人が全世界をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になろうか。また、人はどんな代価を払って、その命を買いもどすことができようか。」 口語訳聖書
「自分の命を損したら」
「たとい人が全世界をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になろうか」。(マタイ16:26) 本節の「命」はギリシャ語「ψυχήいのち、息、魂」で、「感情・意志・知性の根源としての精神、自我、自己」であり、「全体としての人間」を意味する。思わぬ豊作に倉を作り直し「たましい(ψυχή)よ、おまえには長年分の食糧がたくさんたくわえてある。さあ安心せよ、食え、飲め、楽しめ」と言った金持ちは「愚かな者よ、あなたの魂(ψυχή)は今夜のうちにも取り去られるであろう」という声を聞いた。(ルカ12:19-20)
(心のデボーション5475)
心のデボーション5476
「かくてパウロより金を與へられんことを望みて、尚しばしば彼を呼びよせては語れり。」 使徒24:26 大正文語訳聖書
「彼は、それと同時に、パウロから金をもらいたい下ごころがあったので、たびたびパウロを呼び出しては語り合った。」 口語訳聖書
「下心」
イソップの狐がある時、羊の群れに入りこみ、子羊を抱き上げて可愛がるそぶりをした。それを見た犬が、なんでそんなことをするのかと言うと、狐は「わたしは乳を飲ませて、これと遊んでいるのだ」と答える。(「イソップ寓話集」 山本光雄訳33 岩波書店1942/2)
下心のある者はことさらな親切をするが、むしろ、それが本心を暴く。
(心のデボーション5476)
心のデボーション5477
「然はあれど晝はヱホバその憐憫をほどこしたまふ 夜はその歌われとともにあり 此うたはわがいのちの神にささぐる祈なり」 詩篇42:8 明治元訳聖書
「昼には、主はそのいつくしみをほどこし、夜には、その歌すなわちわがいのちの神にささげる/祈がわたしと共にある。」 口語訳聖書
「神への祈り」
作者は周囲を敵にかこまれ、「おまえの神はどこにいるのか」とあざけられる。絶望し、神の前に立っても思いが乱れる。 しかし、骨が打ち砕かれるほどのそしりの声を聞きながら、作者は祈る。そして「昼には、主が恵みを施し、夜には、その歌が私とともにあります」と告白する。絶望しながら待ち望み、嘆きながらほめたたえる。 昼も夜も敵のしいたげにあえぎ歩く、それが恵みだと。
(心のデボーション5477)
心のデボーション5478
「そは敬虔ならずして我らの神の恩惠を好色に易へ、唯一の主なる我らの主イエス・キリストを否むものども潜り入りたればなり。彼らが此の審判を受くべきことは昔より預じめ録されたり」 ユダ1:4 大正文語訳聖書
「そのわけは、不信仰な人々がしのび込んできて、わたしたちの神の恵みを放縦な生活に変え、唯一の君であり、わたしたちの主であるイエス・キリストを否定しているからである。彼らは、このようなさばきを受けることに、昔から予告されているのである」 口語訳聖書
「こっそりと潜り込む」
「不信仰な人々がしのび込んできて」。(ユダ1:4) 「忍び込むπαρεισδύω」は「こっそりと潜り込む」の意。「不信仰」は正面から堂々とこない。いつの間にか「こっそりと潜り込む」ものである。
(心のデボーション5478)
心のデボーション5479
「もし人を免さずば、汝らの父も汝らの過失を免し給はじ」 マタイ6:15 大正文語訳聖書
「もし人をゆるさないならば、あなたがたの父も、あなたがたのあやまちをゆるして下さらないであろう。」 口語訳聖書
「思い違い」
「思い違い」から生じた過失を赦されたいなら、相手の「思い違い」を赦さなければならない。自分の「思い違い」に気づくことは出来ても、同じことが相手にも起きていることは認め難い。
(心のデボーション5479)
心のデボーション5480
「おのれの田地を耕す者は糧にあき 放蕩なる者に從ふものは貧乏に飽く」 箴言28:19 明治元訳聖書
「自分の田地を耕す者は食糧に飽き、無益な事に従う者は貧乏に飽きる。」 口語訳聖書
「自分の土地を耕す人」
「自分の土地を耕す人はパンに飽き足りる」。(新共同訳聖書) 本節は「自分の土地」を「自分自身」と拡大して読むことも許されよう。自己を耕す者は、魂の糧に満ちたりる。パレスチナの土地は石塊が混じり、畑にするには、まず、石を除かねばならならず、それは辛い仕事であった。人は涙とともに「自己を耕す」のである。
「耕す者は望みをもって耕し、穀物をこなす者は、その分け前をもらう望みをもってこなすのである」。(Ⅰコリント9:10)
(心のデボーション5480)
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