心のデボーション547

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心のデボーション5461

「愚なる者はその怒をことごとく露はし 智慧ある者は之を心に蔵む」 箴言29:11  明治元訳聖書

「愚かな者は怒りをことごとく表わし、知恵ある者は静かにこれをおさえる。」 口語訳聖書

 「一朝之忿」

「一朝之忿」は朝にあっても夕にはおさまる程度の怒りであろう。しかし、それもまた「怒り」である。「一朝之忿」の原因を探れば、意外と深い理由があることもある。一時的な軽い怒りとしてしまわぬことだ。「怒り」はなんであれ「静かにこれをおさえる」のがよい。

(心のデボーション5461)

心のデボーション5462

「されど我を信ずる此の小き者の一人を躓かする者は、寧ろ大なる碾臼を頸に懸けられ、海の深處に沈められんかた益なり。」 マタイ18:6  大正文語訳聖書

「しかし、わたしを信ずるこれらの小さい者のひとりをつまずかせる者は、大きなひきうすを首にかけられて海の深みに沈められる方が、その人の益になる。」 口語訳聖書

 「大きな石臼」

子どもにつまずきを与える者は大きな石臼を首につけられて、湖の深みに沈められ、おぼれ死んだほうがましだ。この「石臼」はオリーブをひくための玄武岩でできた大きな石である。これを首にかけて海に沈めば、まず助からない。子どもを虐待しながら「自分の子どもに何をしようと親の自由」と叫ぶ母親の首には、すでに石臼がかけられている。子どもを虐待する自由など、どこにもない。

(心のデボーション5462)

心のデボーション5463

「父その榮光の富にしたがひて、御靈により力をもて汝らの内なる人を強くし、」 エペソ3:16 大正文語訳聖書

「どうか父が、その栄光の富にしたがい、御霊により、力をもってあなたがたの内なる人を強くして下さるように、」 口語訳聖書

 「内なる人」

アインシュタインは「The secret of creativity is knowing how to hide your sources創造力の秘密は、その源を誰にも見せないことである」と言った。「創造力」は内面に深くにあり、それ自体の静かな働きが何ものにも、自身によってさえも、妨げられることなく保たれることが重要だと指摘したものではないか。

「内なる人τὸν ἔσω ἄνθρωπον」は日々「御霊により、力をもって、強められる」。(エペソ3:16)

(心のデボーション5463)

心のデボーション5464

「然り、我はわが主キリスト・イエスを知ることの優れたるために、凡ての物を損なりと思ひ、彼のために既に凡ての物を損せしが、之を塵芥のごとく思ふ」 ピリピ3:8 大正文語訳聖書

「わたしは、更に進んで、わたしの主キリスト・イエスを知る知識の絶大な価値のゆえに、いっさいのものを損と思っている。キリストのゆえに、わたしはすべてを失ったが、それらのものを、ふん土のように思っている。それは、わたしがキリストを得るためであり、」 口語訳聖書

 「捨てる」

「ものを持っている人は、そうでない人に比べて心が満たされにくい」というのは本当かもしれない。パウロも「キリストのためにすべてのものを捨て」る。では、ものを捨てさえすれば心が満たされるかといえば、そうともいえない。何かを捨てることは、何かを残すことである。捨てたのに心が満たされないようなら、ゴミ箱を探してみることだ。捨ててはいけないものを捨てた可能性がある。

(心のデボーション5464)

心のデボーション5465

「もろもろの島よ我にきけ 遠きところのもろもろの民よ耳をかたむけよ 我うまれいづるよりヱホバ我を召し われ母の胎をいづるよりヱホバわが名をかたりつげたまへり」 イザヤ49:1  明治元訳聖書

「海沿いの国々よ、わたしに聞け。遠いところのもろもろの民よ、耳を傾けよ。主はわたしを生れ出た時から召し、母の胎を出た時からわが名を語り告げられた。」 口語訳聖書

 「成し遂げたいこと」

人には、この世に生きた証しとして成し遂げたいと思うものがある。それをやり遂げることが出来た時、これで死ねると思うに違いない。それが見つからないので苦労しているというべきではない。成し遂げるべきものは、最初からその人の内にあって、「わたし」という存在を形成しているのである。

(心のデボーション5465)

心のデボーション5466

「生命を得る者はこれを失ひ、我がために生命を失ふ者はこれを得べし。」 マタイ10:39  大正文語訳聖書

「自分の命を得ている者はそれを失い、わたしのために自分の命を失っている者は、それを得るであろう。」 口語訳聖書

 「一得一失」

人生は「一得一失(一つを得、一つを失う)」である。得たものに十分に仕事をさせれば、失うことは悲しみではない。失うことを恐れて蔵に収めれば、いずれ腐ってしまうか、しまったことすら忘れてしまう。失う前になすべきことがあるということか。

(心のデボーション5466)

心のデボーション5467

「わが時はすべてなんぢの手にあり ねがはくはわれを仇の手よりたすけ われに追迫るものより助けいだしたまへ」 詩篇31:15 明治元訳聖書

「わたしの時はあなたのみ手にあります。わたしをわたしの敵の手と、わたしを責め立てる者から救い出してください。」 口語訳聖書

 「不活発」

人生で最も悲惨なのは、時が止まることである。その人生はもはや変化を起こすこともなく、あらゆる活動を停止する。しかし、時は本当に止まってしまったのだろうか? 詩人は「私の時は、御手の中にあります」と告白する。時は神の御手の中にあって、ゆっくりと熟し、やがて「私の時」として出現する。                     「時」を神の御手にゆだねる人は、不活発を恐れない。

(心のデボーション5467)

心のデボーション5468

「愚なるものは心のうちに神なしといへり かれらは腐れたり かれらは憎むべき事をなせり 善をおこなふ者なし」 詩篇14:1  明治元訳聖書

「愚かな者は心のうちに「神はない」と言う。彼らは腐れはて、憎むべき事をなし、善を行う者はない。」 口語訳聖書

 「神はいない」

「愚か者‎ נָב‏ָל(H5036)」は無神論者の意ではない。神は悪人を裁かれず、悪人から善人を守る神はいないと、「憎むべき事をなし、善を行う者」の事である。彼らは「思慮のないことを好み、あざけりを楽しみ、知識を憎む」。(箴言1:22)

(心のデボーション5468)

心のデボーション5469

「もし人を免さずば、汝らの父も汝らの過失を免し給はじ」 マタイ6:15 大正文語訳聖書

「もし人をゆるさないならば、あなたがたの父も、あなたがたのあやまちをゆるして下さらないであろう」 口語訳聖書

 「過ち」

もし、私が「人」を赦さないなら、神は私の「過ち」を赦されない。人の「過ち」を赦せないのは、その「過ち」ではなく、その「人」が赦せないのである。まず、「人」を赦せ。そうすればその「過ち」を赦すことができる。

そして、神は「人を赦せない」という私の最大の「過ちπαράπτωμα」を赦してくださる。「人」を赦せない人は自分を赦すことができていない。

(心のデボーション5469)

心のデボーション5470

「さとき訓と公義と公平と正直とをえしめ」 箴言1:3  明治元訳聖書

「賢い行いと、正義と公正と/公平の教訓をうけさせ」 口語訳聖書

 「箴言」

本節をリビングバイブル(いのちのことば社)は「人々がどんな時にも物事を正しく判断し、だれもえこひいきしないようにと考えたからです」と訳す。箴言はいかなる時にも「物事を正しく判断し」、「だれをも偏り見ることのない」為に与えられた知恵である。

(心のデボーション5470)

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