心のデボーション5431
「人を畏るれば罟におちいる ヱホバをたのむ者は護られん」 箴言29:25 明治元訳聖書
「人を恐れると、わなに陥る、主に信頼する者は安らかである。」 口語訳聖書
「恐るべきものと恐るべからざるもの」
プラトンは著書『ラケス』に、ソクラテスによる「勇気」の考察を紹介して、勇気とは、「恐るべきものと恐るべからざるものとを識別することなり」と教えた。恐るべきものを恐れない者は、恐るべからざるものを恐れる。
どうすれば、恐るべきものと恐るべからざるものを区別することができるのだろうか?
(心のデボーション5431)
心のデボーション5432
「善き業をもて飾とせんことを。これ神を敬はんと公言する女に適へる事なり」 Ⅰテモテ2:10 大正文語訳聖書
「むしろ、良いわざをもって飾りとすることが、信仰を言いあらわしている女に似つかわしい。」 口語訳聖書
「ダイエット」
女性がダイエットに夢中になる気持ちがわからないではない。しかし、お昼は少量のサラダだけという、ニワトリのエサのような食事で美しさが保てるのだろうか? ダイエットしても、すぐにもとに戻ってしまうのはやせることが目的ではなく、人を愛することで受ける心の傷から逃げようとしているからかもしれない。自分が愛されないのは太っているからという理由にしがみついて、現実の声に耳を閉ざすのである。逃げていては愛に出会えない。
(心のデボーション5432)
心のデボーション5433
「斯(かく)てエホバ彼を外に携出して言い給ひけるは天を望みて星を數へ得るかを見よと又彼に言い給ひけるは汝の子孫は是のごとくなるべしと」 創世15:5 明治元訳聖書
「そして主は彼を外に連れ出して言われた、「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみなさい」。また彼に言われた、「あなたの子孫はあのようになるでしょう」 口語訳聖書
「数えることのできないもの」
「誰が、海の砂、雨の滴、永遠の日々を数えることができようか」 (旧約聖書外典ベン=シラの知恵1:2 フランシスコ会訳聖書) 人の前には、どのような時にも、「数えることのできないもの」が置かれている。その一つを知ることの喜びによっても人は生きることができる。
(心のデボーション5433)
心のデボーション5434
「互に仁慈と憐憫とあれ、キリストに在りて神の汝らを赦し給ひしごとく、汝らも互に赦せ。」 エペソ4:32 大正文語訳聖書
「互に情深く、あわれみ深い者となり、神がキリストにあってあなたがたをゆるして下さったように、あなたがたも互にゆるし合いなさい。」 口語訳聖書
「心の優しい人たち」
ある老人が粗大ゴミの日に、まだ使えそうなものを自転車にのせて教会に運んできた。教会なら、捨てられたものでも生かしてくれると思ったからである。しかし、その教会は粗大ゴミの置き場になり、困った牧師は夜、そっとゴミ置き場に捨てに行かなければなならなかった。すると翌日、老人がそれを又、教会に運んでくるのである。私はものをいかしたい老人も、それを断わらないでそっと捨てにいく牧師も、同じくらいに好きである。
(心のデボーション5434)
心のデボーション5435
「かれらは年老てなほ果をむすび豊かにうるほひ緑の色みちみちて」 詩篇92:14 明治元訳聖書
「彼らは年老いてなお実を結び、いつも生気に満ち、青々として、」 口語訳聖書
「新しい孤独」
「老いるということは、新たな孤独を抱え込んでいくことでもある。友達も死ぬし、家族も死ぬ。毎日毎日新しい孤独を抱え込んでいく。それは若い時の孤独感とはまた違うものだ」。(水上勉 「仰臥と青空」河出書房出版社2000/12) 「新たな孤独」は「自分になってゆく」ことと知れば、寂しいというよりも慰めに満ちてもいる。
(心のデボーション5435)
心のデボーション5436
「願ふところは、汝の信仰の交際の活動により、人々われらの中なる凡ての善き業を知りて、榮光をキリストに歸するに至らんことなり。」 ピレモン1:6 大正文語訳聖書
「どうか、あなたの信仰の交わりが強められて、わたしたちの間でキリストのためになされているすべての良いことが、知られて来るようになってほしい。」 口語訳聖書
「信仰の交わり」
「信仰の交わりἡ κοινωνία τῆς πίστεώς」により「キリストのためになされているすべての良いこと」が生き生きと共有される。「良きことἀγαθός」は「善い、正しい、善良な、役にたつ、心地よい、幸福な」などをあらわす。すべての神の恩寵についてのことがらである。
(心のデボーション5436)
心のデボーション5437
「婢を邪なる女となすなかれ我はわが憂と悲みの多きよりして今までかたれり」 Ⅰサムエル1:16 明治元訳聖書
「はしためを、悪い女と思わないでください。積る憂いと悩みのゆえに、わたしは今まで物を言っていたのです」 口語訳聖書
「内なるベニンナ」
ハンナはイライラしていた。夫エルカナのもう一人の妻ベニンナの存在がひどく気になっていたのである。ベニンナの態度が悪かったというよりも、ハンナの思いこみがベニンナのちょっとしたしぐさをがまんできないものに感じさせたのではないか? ベニンナはハンナ自身の心にいたのである。イライラするときは、できるだけ大きな声で賛美歌を歌うとよい。内なるベニンナはすぐに姿を消す。
(心のデボーション5437)
心のデボーション5438
「いつはるものの豫兆をむなしくし卜者をくるはせ智者をうしろに退けてその知識をおろかならしむ」 イザヤ44:25 明治元訳聖書
「偽る物のしるしをむなしくし、占う者を狂わせ、賢い者をうしろに退けて、その知識を愚かにする。」 口語訳聖書
「わたしは自慢する者らのしるしを破り、占い師を狂わせ、知恵ある者を退けて、その知識を愚かにする。」 新改訳聖書
「自慢する者たち」
神は万物を造られ、「自ら天を延べ、独り地を踏み広げ」られ 、「自慢する者らのしるしを破り、占い師を狂わせ、知恵ある者を退けて、その知識を愚かにする」。(イザヤ44:23-25) 歴史の狭間に立つ者は彼らの末期を見るだろう。
(心のデボーション5438)
心のデボーション5439
「汝等もし人の過失を免さば、汝らの天の父も汝らを免し給はん」 マタイ6:14 大正文語訳聖書
「もしも、あなたがたが、人々のあやまちをゆるすならば、あなたがたの天の父も、あなたがたをゆるして下さるであろう。」 口語訳聖書
「過ち」
「過ちπαράπτωμα」は「παραπίπτω思い違いする」からくる言葉。「真理からはずれる、脱線、罪過、罪、過失、過ち、違反」の多くは「思い違い」から発生する。すなわち「脱線」である。それは「過失」であって意図的なものではないかもしれない。しかし、放置してよいものではない。「思い違い」を放置すると、「罪過、罪、過失、過ち、違反、曲事」が生まれてくる。
(心のデボーション5439)
心のデボーション5440
「そは汝らの信仰の驗は、忍耐を生ずるを知ればなり。」 ヤコブ1:3 大正文語訳聖書
「あなたがたの知っているとおり、信仰がためされることによって、忍耐が生み出されるからである。」 口語訳聖書
「信仰の試し」
「信仰のためしτὸ δοκίμιον ὑμῶν τῆς πίστεως」、「ためしδοκίμιον」は「本物であるかどうかを試験すること」の意。「信仰の試し」から「忍耐」が生まれる。「忍耐」は「希望」である。
(心のデボーション5440)
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