心のデボーション538

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心のデボーション5371

「御使、處女の許にきたりて言ふ『めでたし、惠まるる者よ、主なんぢと偕に在せり』」 ルカ1:28  大正文語訳聖書

「御使がマリヤのところにきて言った、「恵まれた女よ、おめでとう、主があなたと共におられます」」 口語訳聖書

 「恵まれた女よ、おめでとう」

御使いガブリエルはイエスを宿したマリヤを「恵まれた女よ、おめでとう、主があなたと共におられます」と祝福した。日本語で「目出度い」は「愛でる」に「甚だしい」の意味の「いたし」がついたもので、「ほめたたえられることが甚だしい、申し分なくすばらしい」と喜び祝うに値することばで、「愛でたし」である。「おめでとう」を意味するギリシャ語χαίρωは「大いに喜ぶ」で、「主があなたと共におられる」ことが「何よりもめでたい」のである。

(心のデボーション5371)

心のデボーション5372

「幸福ある日には樂め 禍患ある日には考へよ 神はこの二者をあひ交錯て降したまふ 是は人をしてその後の事を知ることなからしめんためなり」 伝道7:14  明治元訳聖書

「順境の日には楽しめ、逆境の日には考えよ。神は人に将来どういう事があるかを、知らせないために、彼とこれとを等しく造られたのである。」 口語訳聖書

 「反省と決定」

反省も決定も短い時間でしたほうがいいという考えがある。時間をかけると反省は反省でなくなるし、慎重な決定からは何もおこらないという。たしかに「逆境の日」の反省は、出来るだけ短く、決定は出来るだけ軽いほうがよい。私はグズグズ考えるのが好きだが、この説に異義はない。グズグズ考えていても、反省と決定は、やはり瞬時のものである。

(心のデボーション5372)

心のデボーション5373

「我も凡ての事を最初より詳細に推し尋ねたれば、」 ルカ1:3  大正文語訳聖書

「テオピロ閣下よ、わたしもすべての事を初めから詳しく調べていますので、ここに、それを順序正しく書きつづって、閣下に献じることにしました。」 口語訳聖書

 「順序正しく」

ルカは主イエス・キリストの福音について「すべての事を初めから詳しく調べ、「それを順序正しく書きつづった」。(ルカ1:3)「順序正しくκαθεξῆς」は「時間的、空間的、論理的に順序正しく」の意である。福音は「時間的、空間的、論理的」に正しく理解されるべきものである。

(心のデボーション5373)

心のデボーション5374

「彼また我に言たまひけるは人の子よ氣息に預言せよ人の子よ預言して氣息に言へ主ヱホバかく言たまふ氣息よ汝四方の風より來り此殺されし者等の上に呼吸きて是を生しめよ」 エゼキエル37:9  明治元訳聖書

「時に彼はわたしに言われた、「人の子よ、息に預言せよ、息に預言して言え。主なる神はこう言われる、息よ、四方から吹いて来て、この殺された者たちの上に吹き、彼らを生かせ」 口語訳聖書

 「歩き方を忘れる」

母親は子どもにあわせて、ゆっくり歩く。わが子のあやうい歩みを見守る、それだけで母親の心は満たされる。しかし、やがて、子どもは成長し、もう母親の後を追うこともなくなる。さあ、これからは自分のしたいことをしようと思うとき、母親は自分が「歩き方を忘れてしまっている」ことに気づく。歩みのあやうさに添ってくれる人が必要になったのだ。子どものように手を延ばせばよい。

(心のデボーション5374)

心のデボーション5375

「われヱホバを尋ねたればヱホバわれにこたへ我をもろもろの畏懼よりたすけいだしたまへり」 詩篇34:4  明治元訳聖書

「わたしが主に求めたとき、主はわたしに答え、すべての恐れからわたしを助け出された。」 口語訳聖書

 「パーンの恐怖」

これといった理由もないのに、突然襲いかかる恐怖を「パーンの恐怖」という。「パーン」はギリシャ神話にでてくる「牧神pan」で、突然出現して人を狼狽させることからきている。「パニックpanic(ドイツ語Panik)」の」語源。突然の恐怖には、「パーンが、また大声をだしたな」と、驚いて走りだしたりしなければ、大事にはならないかもしれない。「パーンの恐怖」は「知らないものへの恐れ」にすぎない。パーンは昼寝が好きで、昼寝を邪魔すると機嫌が悪くなるのだ。

(心のデボーション5375)

心のデボーション5376

「また彼等とともに集りゐて命じたまふ『エルサレムを離れずして、我より聞きし父の約束を待て。』」 使徒1:4  大正文語訳聖書

「そして食事を共にしているとき、彼らにお命じになった、「エルサレムから離れないで、かねてわたしから聞いていた父の約束を待っているがよい。」 口語

 「父の約束を待て」

復活されたイエスは弟子たちに「エルサレムから離れないで、かねてわたしから聞いていた父の約束を待っているがよい」と言われた。(使徒1:4) 「待てπεριμένω」は「待ち構えよ」の意。「父の約束」はただ待つのではなく、「構えて待つ」ことが肝要である。「待ち設けよ」とも訳される。

(心のデボーション5376)

心のデボーション5377

「又なにゆゑ衣のことを思ひ煩ふや。野の百合は如何にして育つかを思へ、勞せず、紡がざるなり。」 マタイ6:28  大正文語訳聖書

「また、なぜ、着物のことで思いわずらうのか。野の花がどうして育っているか、考えて見るがよい。働きもせず、紡ぎもしない。」 口語訳聖書

 「野のゆり」

周囲に気をつかいすぎて自分を見失うということがある。本人は気をつかうことで状況に適応しているつもりだが、現実との間に微妙なズレが生じ、ひとりで浮き上がっている。過剰な適応も一種の不適応である。適応とは、それによって自分というものが生かされること。自分を殺してまで適応すべきではない。己の場所で己という花を咲かせるから、野の花は美しい。そこには適応の努力すらない。

(心のデボーション5377)

心のデボーション5378

「懶惰は人を酣寐せしむ 懈怠人は饑べし」 箴言19:15  明治元訳聖書

「怠りは人を熟睡させる、なまけ者は飢える。」 口語訳聖書

 「怠惰の眠り」

「怠惰」がもたらす「眠り」を警戒せよ。心地よく眠っている間に、魂は飢えて瘦せ細る。時を失わないために、日々なすべきものを持つ者は幸いである。「怠惰」を追い払えば、すぐに「なすべきこと」は見つかる。

(心のデボーション5378)

心のデボーション5379

「我らに負債(おひめ)ある者を我らの免したる如く、我らの負債(おひめ)をも免し給へ」 マタイ6:12 大正文語訳聖書

「わたしたちに負債のある者をゆるしましたように、わたしたちの負債をもおゆるしください。」 口語訳聖書

 「記憶が蘇る毎に」

物の負い目なら放棄もできようが、心の負い目はどう赦したものか。経験したものは忘れようとしても身体が記憶しているのだ。記憶が蘇る毎に赦せ。そして、その度に「我らの負債(おひめ)をも免し給へ」と祈れ。

(心のデボーション5379)

心のデボーション5380

「汝等イスラエルの子孫の全會衆の惣數をその宗族に依り其父祖の家に循ひて核べその諸の男丁の名の數と頭數とを得よ」 民数1:2  明治元訳聖書

「あなたがたは、イスラエルの人々の全会衆を、その氏族により、その父祖の家によって調査し、そのすべての男子の名の数を、ひとりびとり数えて、その総数を得なさい。」 口語訳聖書

 「人口調査」

イスラエルのカナン入国にあたり、神はモーセに「人口調査」を命じられた。「すべて戦争に出ることのできる二十歳以上の者を、その部隊にしたがって数える」ためである。(民数1:3) 「人口調査」は戦争に備えるために欠かすことのできない行為である。しかし、イエス・キリストにより神の国は来たり、「律法」は成就し、廃棄され、再び、地上に戦争のための人口調査が行わることはなくなった。現代、「宗教的対立」から戦争が起こることは、いかなる信仰的理由があろうと、それは信仰の敗北を意味するものでしかない。「神の国」は戦争によって実現するものでは決してない。

(心のデボーション5380)

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