心のデボーション537

デボーション1
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心のデボーション5361

「わが兄弟はわが望を充さざること溪川のごとく 溪川の流のごとくに過さる」 ヨブ6:15  明治元訳聖書

「わが兄弟たちは谷川のように、/過ぎ去る出水のように欺く。」 口語訳聖書

 「ヨブの友人」

ポルトガルに「下るときには、すべての聖人が助ける」という諺があるという。坂道を下るときには手を引いてくれる人がいても、きつい上り坂で手を貸してくれるのが友である。ヨブの友人は上り坂でみな手をひっこめた。

「過ぎ去る出水のように欺く」。新改訳聖書は「私の兄弟たちは川のように裏切った」と訳す。

(心のデボーション5361)

心のデボーション5362

「(伶長エドトンにうたはしめたるダビデのうた) われ曩にいへり われ舌をもて罪ををかさざらんために我すべての途をつつしみ惡者のわがまへに在るあひだはわが口に衝をかけん」 詩篇39:1  明治元訳聖書

「わたしは言った、「舌をもって罪を犯さないために、わたしの道を慎み、悪しき者のわたしの前にある間は/わたしの口にくつわをかけよう」と。」 口語訳聖書

 「愚痴」

愚痴をいう人は自分がどうすることもできないことで不満を感じている。そして、相手がその間違いを直そうとしない、だからそれを指摘するのは正しいと思っている。愚痴は何も生み出そうとしない人の泣き言である。不満を口にしながら、それを解決するために指一本動かさない。口輪をはめたいのは、愚痴をこぼす口で。そうしないと、やがて自分のいった愚痴で自分を滅ぼすことになる。「愚痴」を意味するギリシャ語ἀφροσύνηは「愚かさ」を表す語である。

(心のデボーション5362)

心のデボーション5363

「げに信仰と希望と愛と此の三つの者は限りなく存らん、而して其のうち最も大なるは愛なり。」 Ⅰコリント13:13  大正文語訳聖書

「このように、いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。このうちで最も大いなるものは、愛である。」 口語訳聖書

 「タイタニックのバイオリン」

1912年に沈没する豪華客船タイタニックに残り、船上で最後まで演奏を続けた楽団があった。メンバーは8人で、このとき、演奏されていた楽団長ウォレス・ハートリー氏(Hartley, Mr Wallace Henry)のバイオリンが見つかり2013年90万ポンド(約1億4千万円)で落札された。このバイオリンは ウォレス氏の婚約者マリア・ロビンソンさんが事故の2年前に、婚約記念にプレゼントしたもので、ウォレス氏は最後の演奏が終えると、バイオリンを皮のケースにおさめ、体に結びつけたまま海にのまれて亡くなったのである。後に発見されたウォレス氏の遺体とともに見つけられ、婚約者に渡されたものであった。船上で演奏されたのは賛美歌「主よ御許に近づかん」(Nearer, My God, to Thee)であったとの証言もあるが、他の曲だったとの証言もある。

死を覚悟したウォレス氏はバイオリンを身にかたく縛りつけて、「婚約者マリア・ロビンソンさん」と共に主の御許に召されたのであろう。

(心のデボーション5363)

心のデボーション5364

「わが體いまだ全からざるに なんぢの目ははやくより之をみ 日々かたちづくられしわが百體の一だにあらざりし時に ことごとくなんぢの冊にしるされたり」 詩篇139:16  明治元訳聖書

「あなたの目は、まだできあがらないわたしのからだを見られた。わたしのためにつくられたわがよわいの日の/まだ一日もなかったとき、その日はことごとくあなたの書にしるされた。」 口語訳聖書

 「神のはからい」

天は私のために「今ここ」という時を作る。「今ここ」に含まれる「神のはからい」は砂の数よりも多く、その深さにとどくことはできない。しかし、そのひとつでも知ることができれば、どんな「今ここ」にも生きることができるだろう。目覚めるとき、まず読みたいのは、この一日という頁に書き込まれた恵みのはからいである。神のはからいを味わいたい。

(心のデボーション5364)

心のデボーション5365

「父われを敎へていへらく我が言を汝の心にとどめ わが誡命をまもれ 然らば生べし」 箴言4:4  明治元訳聖書

「父はわたしを教えて言った、「わたしの言葉を、心に留め、わたしの戒めを守って、命を得よ。」 口語訳聖書

 「やっと何かが判りはじめた」

晩年のルノアールは重いリューマチに侵され、歩くことも、絵筆を持つこともできなかった。それでも絵筆を包帯で手首に縛りつけて絵を描き続けた。1919年12月3日、苦痛を忘れてルノアールは数時間をかけて「アネモネ」を描き、描き終えると「わたしはやっと何かが判りはじめたような気がする」とかすかにつぶやき、そのまま呼吸困難におちいり、その夜のうちに息をひきとった。

(心のデボーション5365)

心のデボーション5366

「これ神の人の全くなりて諸般の善き業に備を全うせん爲なり。」 Ⅱテモテ3:17  大正文語訳聖書

「それによって、神の人が、あらゆる良いわざに対して十分な準備ができて、完全にととのえられた者になるのである。」 口語訳聖書

 「十分な準備」

「あらゆる良いわざ」に対して「十分な準備ἐξαρτίζω」が必要である。しかし、準備ばかりして、一向に始まらないことがある。「十分な準備」は」何もしなことではなく、そこにも「初めの一歩」があり、それが「十分な準備」をうながす。

(心のデボーション5366)

心のデボーション5367

「弟子の一人にてシモン・ペテロの兄弟なるアンデレ言ふ」 ヨハネ6:8  大正文語訳聖書

「弟子のひとり、シモン・ペテロの兄弟アンデレがイエスに言った、」 口語訳聖書

 「男らしさ」

大麦のパン五つと小さな魚二匹を持った少年をイエスのところに連れてきたのはアンデレだった。「男らしさ」を意味するダンディという言葉は、「アンデレ(男らしく振る舞う)」からきている。アンデレは隠れた小さな人を探し出してイエスの前に立たせ、自分はその陰にいるというタイプの人だった。真の男らしさとはそういうものなのだろう。

(心のデボーション5367)

心のデボーション5368

「惡を離るるは直き人の路なり おのれの道を守るは霊魂を守るなり」 箴言16:17  明治元訳聖書

「悪を離れることは正しい人の道である、自分の道を守る者はその魂を守る。」 口語訳聖書

 「小さな強敵」

ポルトガルの諺に「ピラニアのいる川では、鰐は背泳ぎする」というのがある。鰐はピラニアにはやわらかい腹をかばって堅い背の面を向けて身を守るというのである。鰐といえども、攻撃の相手を知って備える。「大きい」だけが敵ではない。「小さな強敵」というものがいる。

(心のデボーション5368)

心のデボーション5369

「我らに負債(おひめ)ある者を我らの免したる如く、我らの負債(おひめ)をも免し給へ」 マタイ6:12 大正文語訳聖書

「わたしたちに負債のある者をゆるしましたように、わたしたちの負債をもおゆるしください。」 口語訳聖書

 「負債(おひめ)ある者を許せ」

「負債(おひめ)ある者を免す」のは、「負債(おひめ)」を「自分の内から送り出す」こと、「遠くに投げやる」こと、要するに「うっちゃっておくこと」である。

「ヱホバをおそるるものにヱホバの賜ふそのあはれみは大にして 天の地よりも高きがごとし   そのわれらより愆(とが)をとほざけたまふことは東の西より遠きがごとし」 詩篇103:11-12 明治元訳聖書

われらが「負債(おひめ)ある者を許せ」と言われる理由は、神が私の「負債(おひめ)」を「遠くに投げやり」その距離は「東の西より遠きがごとし」である。

(心のデボーション5369)

心のデボーション5370

「荒野に呼はる者の聲す、「主の道を備へ、その路すぢを直くせよ」』 と録されたる如く、」 マルコ1:3  大正文語訳聖書

「荒野で呼ばわる者の声がする、『主の道を備えよ、その道筋をまっすぐにせよ』」と書いてあるように、」 口語訳聖

 「荒野で呼ばわる者の声」

「荒野で呼ばわる者の声」。(マルコ1:3) 「呼ばわるβοάω」は「激しい感情からあふれる大声の叫び」である。荒野で「身体の内からの激しい声」で「人のいない荒野に呼びかける」。神が叫ばれているのである。

(心のデボーション5370)

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