心のデボーション535

デボーション1
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心のデボーション5341

「はかりごとなければ民たふれ 議士多ければ平安なり」 箴言11:14  明治元訳聖書

「指導者がなければ民は倒れ、助言者が多ければ安全である。」 口語訳聖書

 「相談相手」

「挨拶を交わす者は増やせ。しかし、相談相手は、千人に一人とせよ」。(旧約聖書外典ベン=シラの知恵6:6新共同訳聖書) 挨拶を交わす人が大勢いることはよい。しかし、「相談相手(「助言を求める人」フランシスコ会訳聖書)は千人に一人である。だから、彼を見出すためには千里を行くのである。

(心のデボーション5341)

心のデボーション5342

「凡て勞する者・重荷を負ふ者、われに來れ、われ汝らを休ません」 マタイ11:28 大正文語訳聖書

「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。」 口語訳聖書

 「負うべき重荷」

重荷を負う人は一刻も早く問題を解決し、重荷を下ろしたいと焦る。しかし、問題が一挙に解決するような妙案はない。イエスは「重荷をとってあげよう」とはいわれずに、「わたしのところで休め」といわれる。休んだ後、人は再び重荷を負うことになる。重荷は負い抜こうと覚悟すると軽くなり、どこかに下ろしたいと捨て場を探しはじめるとより重くなる。人にはそれぞれ負いぬくべき重荷がある。

(心のデボーション5342)

心のデボーション5343

「わが兄弟よ、なんぢら各樣の試錬に遭ふとき、只管これを歡喜とせよ。」 ヤコブ1:2  大正文語訳聖書

「わたしの兄弟たちよ。あなたがたが、いろいろな試錬に会った場合、それをむしろ非常に喜ばしいことと思いなさい。」 口語訳聖書

 「喜び」

「あなたがたが、いろいろな試錬に会った場合」、「それをむしろ非常に喜ばしいことと思いなさい」。(ヤコブ1:2) 「むしろ非常に喜ばしいことと思いなさいπᾶσαν χαρὰν ἡγήσασθε」は直訳「〔出会う試練は〕どんなことであっても、みな喜びとせよ」。試練が喜ばしいのではなく、試練を主と共に担うことが「喜び」であり、主が成し遂げる力となり給うことが「喜び」だからである。

(心のデボーション5343)

心のデボーション5344

「わが肉は蟲と土塊とを衣服となし 我皮は愈てまた腐る」 ヨブ7:5  明治元訳聖書

「わたしの肉はうじと土くれとをまとい、/わたしの皮は固まっては、またくずれる。」 口語訳聖書

 「痛みの中で」

ヨブのくずれた体に何十匹ものウジが群がり、重なり合って、音をたてて膿を吸った。ウジが傷口を開いて膿を吸う、それは耐えがたい痛みであった。ウジによって膿が吸いつくされれば、傷口はきれいにふさがり、ウジは離れる。しかし、ヨブの体は、またくずれ、それを目がけてウジが群がったのである。この終わりのない苦しみの中で、ヨブは意味を見いだそうとしていた。意味の全てを知ることはできなくてもよかった。しかし、その一つが見つからずヨブは苦しんだ。

(心のデボーション5344)

心のデボーション5345

「讃むべきかな、我らの主イエス・キリストの父なる神、その大なる憐憫に隨ひ、イエス・キリストの死人の中より甦へり給へることに由り、我らを新に生れしめて生ける望を懷かせ、」 Ⅰペテロ1:3  大正文語訳聖書

「ほむべきかな、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神。神は、その豊かなあわれみにより、イエス・キリストを死人の中からよみがえらせ、それにより、わたしたちを新たに生れさせて生ける望みをいだかせ、」 口語訳聖書

 「ほむべきかな主」

「ほむべきかな…、主イエス・キリストの父なる神」。(Ⅰペテロ1:3) 「ほめよεὐλογέω」は「感謝をもって賛美する」の意。この賛美から、主は私たちを「新たに生れさせ」、「生ける望みをいだかせ」給う。賛美のない信仰にはいのちがない。

(心のデボーション5345)

心のデボーション5346 

「ますます我らの主なる救主イエス・キリストの恩寵と主を知る知識とに進め。願はくは今および永遠の日までも榮光かれに在らんことを」。 Ⅱペテロ3:18  大正文語訳聖書

「そして、わたしたちの主また救主イエス・キリストの恵みと知識とにおいて、ますます豊かになりなさい。栄光が、今も、また永遠の日に至るまでも、主にあるように、アァメン。」 口語訳聖書

 「信仰の成長」 

「ますます豊かになりなさい」。(Ⅱペテロ3:18) 「豊かになるαὐξάνω」は「成長する、増し加わる、大きくなる」意。「豊かな信仰」とは「救主イエス・キリストの恵みと知識」が「増大する、豊かに成長する」ことである。信仰の成長は止むことがない。

(心のデボーション5346)

心のデボーション5347

「ヱホバよわれを憐みたまへ われ萎みおとろふなり ヱホバよ我を醫したまへ わが骨わななきふるふ」 詩篇6:2  明治元訳聖書

「主よ、わたしをあわれんでください。わたしは弱り衰えています。主よ、わたしをいやしてください。わたしの骨は悩み苦しんでいます。」 口語訳聖書

 「痛みを抱きしめる」

一日中、野外で動き回って寝袋に入ったところでハチに刺された。寝袋に潜り込んでいたハチにさわってしまったのだ。頭を突き抜けるような痛み、しかし、寝袋から出て手当てするのもおっくうな程に疲れていた。痛みを抱えて、じっとしているうちに寝てしまった。不快なことでも、心の痛みでも、それを丸ごと抱きしめていると、いつの間にか消えていくもだ。神はそのようにして、私をいやして下さることがある。

(心のデボーション5347)

心のデボーション5348

「この生命すでに顯れ、われら之を見て證をなし、その曾て父と偕に在して、今われらに顯れ給へる永遠の生命を汝らに告ぐ」 Ⅰヨハネ1:2 大正文語訳聖書

「このいのちが現れたので、この永遠のいのちをわたしたちは見て、そのあかしをし、かつ、あなたがたに告げ知らせるのである。この永遠のいのちは、父と共にいましたが、今やわたしたちに現れたものである――」 口語訳聖書

 「永遠のいのちを生きる」

イエス・キリストと出会った者は「永遠のいのち」に出会い、イエス・キリストを見た者は「永遠のいのち」を見たのである。「永遠のいのいを見た者」は「永遠のいのち」を生きる。

(心のデボーション5348)

心のデボ 「ーション5349

「我らの日用の糧を今日も与え給え」 マタイ6:11 大正文語訳聖書

「わたしたちの日ごとの食物を、きょうもお与えください。」 口語訳聖書

 「無くてならぬ物」

永井訳聖書は「日用の糧」を「我等のパン、無くてならぬ物」と訳す。「日用の糧」への祈りは「無くてならぬ」すべての物は神からのものであることを告白する祈りである。

三度の食卓に着く毎に、魂の糧のために祈れ。

(心のデボーション5349)

心のデボーション5350

「ヱホバの親愛はヱホバをおそるる者とともにあり ヱホバはその契約をかれらに示したまはん」 詩篇25:14  明治元訳聖書

「主の親しみは主をおそれる者のためにあり、主はその契約を彼らに知らせられる。」 口語訳聖書

 「内々の集い」

「主はご自身を恐れる者と親しくされ」。(詩篇25:14新改訳聖書) 「恐れるיָרֵא(H3372)」は「恐れ、畏敬する、恐れて立つ」の意。「親しくされるסוֹד(H5475)」は「内々に集まる」の意。「主」と「神を畏れる者」は「内々の集まり」、「主はその契約を彼らに知らせられる」。(詩篇25:14)

(心のデボーション5350)

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