心のデボーション5311
「我らの書き贈ることは、汝らの讀むところ知る所の他ならず。」 Ⅱコリント1:13 大正文語訳聖書
「わたしたちが書いていることは、あなたがたが読んで理解できないことではない。それを完全に理解してくれるように、わたしは希望する。」 口語訳聖書
「習わざるを伝うるか」
曾子(そうし)は日に三度、「人の為に謀りて忠ならざるか、朋友と交わりて信ならざるか、習わざるを伝うるか」をわが身に問う。(「論語」4 金谷治訳 岩波書店1963/7)「習」の会意は「羽+白(自)」で鳥が何度も羽を動かすことをする。自らに繰り返し学ぶことなしに、人に伝えることをしていないかを自問する。
ギリシャ語で「完全な理解ἐπιγινώσκω」は「終りまで知りつくす、最後まで目撃する、完全に見分ける」、すなわち「体験する」の意である。
(心のデボーション5311)
心のデボーション5312
「モーセはその人と爲(なり)温柔(おんじう)なること世の中の諸の人に勝れり」 民数12:3 明治元訳聖書
「モーセはその人となり柔和なこと、地上のすべての人にまさっていた。」 口語訳聖書
「謙遜な人」
モーセはミリアムとアロンに、嫉妬から非難された時、ひたすら沈黙を守った。それで神がモーセを弁明され、神の怒りがミリアムとアロンに向けられると、モーセは沈黙を破ってとりなしをする。いわれのない非難は放置するがよい。そうすれば、その非難はやがて彼らに向けられるようになる。ただ、沈黙している間にも、愛を失わないことである。
(心のデボーション5312)
心のデボーション5313
「凡てかかる事は、責めらるるとき光にて顯さる、顯さるる者はみな光となるなり。」 エペソ5:13 大正文語訳聖書
「しかし、光にさらされる時、すべてのものは、明らかになる。」 口語訳聖書
「疑い」
「信ずるは疑ふよりも良し、然れども疑はずして深く信ずる能わず」。(内村鑑三『内村鑑三随筆集』 岩波文庫832-833)主がすべての疑いを照らされるとき、「すべてのもの〔こと〕は、〔より強く〕明らかにされる」。真実が現れるとき、闇は退く。
(心のデボーション5313)
心のデボーション5314
「イサク乃ち彼處より遷りて他の井を鑿けるが彼等之をあらそはざりければ其名をレホボテ(廣塲)と名けて言けるは今ヱホバ我等の處所を廣くしたまへり我等此地を繁衍ん」 創世26:22 明治元訳聖書
「イサクはそこから移ってまた一つの井戸を掘ったが、彼らはこれを争わなかったので、その名をレホボテと名づけて言った、「いま主がわれわれの場所を広げられたから、われわれはこの地にふえるであろう」 口語訳聖書
「嫌がらせ」
ペリシテ人は、何をやってもうまくいくイサクをねたみ、井戸をつぶしてしまう。ねたみは実に手のこんだ嫌がらせを考えるものだ。イサクはペリシテ人と争うことをせず、別の井戸を掘る。その井戸も襲われるが、更に新しい井戸を掘る。嫌がらせが止んだのは、人々が、井戸のない砂漠地帯で、愚鈍なまでに井戸を掘り、井戸を掘りあてるイサクに神の祝福を感じたからである。嫌がらせに対しては「もう一つの井戸」を掘るのもひとつの方法である。
(心のデボーション5314)
心のデボーション5315
「神の爲したまふところは皆その時に適ひて美麗しかり 神はまた人の心に永遠をおもふの思念を賦けたまへり 然ば人は神のなしたまふ作爲を始より終まで知明むることを得ざるなり」 伝道3:11 明治元訳聖書
「神のなされることは皆その時にかなって美しい。神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。それでもなお、人は神のなされるわざを初めから終りまで見きわめることはできない。」 口語訳聖書
「永遠を思う思い」
「神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた」。(伝道3:11) 「神のなされることは皆その時にかなって〔みな〕美しい」、その中で最も美しいのは「人の心に永遠を思う思いが授けられた」ことである。しかし、「永遠を思う思い」をもってしても、「人は神のなされるわざを初めから終りまで見きわめることはできない」。「永遠を思う思い」が見るのは、「見極めがたい神の深み」である。
(心のデボーション5315)
心のデボーション5316
「泉は同じ穴より甘き水と苦き水とを出さんや。」 ヤコブ3:11 大正文語訳聖書
「泉が、甘い水と苦い水とを、同じ穴からふき出すことがあろうか。」 口語訳聖書
「二心」
「主を畏れる思いに逆らうな。二心を抱いて主に近づくな」。(旧約聖書外典ベン=シラの知恵1:28) 「二心を抱いて ἐν καρδίᾳ δισσῇ」、「δισσός」は「二重の、分かれた」の意。肯定と否定、信と不信など相反する思いで主に近づくな。「泉が、甘い水と苦い水とを、同じ穴からふき出すことがあろうか」。(ヤコブ3:11)
(心のデボーション5316)
心のデボーション5317
「なんぢ事を爲んと定めなばその事なんぢに成ん 汝の道には光照ん」 ヨブ22:28 明治元訳聖書
「あなたが事をなそうと定めるならば、/あなたはその事を成就し、/あなたの道には光が輝く。」 口語訳聖書
「下手なカウンセラー」
エリファズはヨブに「あなたが事を決めると、それは成り、あなたの道の上には光が輝く」と語る。ヨブがいつまでも悩んでいるのは、自分で解決しようとしないからだ、決断さえすればあなたの道に「光は輝く」というのだ。エリファズは下手なカウンセラーである。励ましのことばで相手を傷つける。励ましがいけないのではなく、エリファズがヨブの悩みの深さにとどかない自身の空しさと向きあうことをしないのが問題なのだ。
(心のデボーション5317)
心のデボーション5318
「かく聖徒を愛するは、汝らの爲に天に蓄へあるものを望むに因る。この望のことは汝らに及べる福音の眞の言によりて汝らが曾て聞きし所なり」 コロサイ1:5 大正文語訳聖書
「この愛は、あなたがたのために天にたくわえられている望みに基くものであり、その望みについては、あなたがたはすでに、あなたがたのところまで伝えられた福音の真理の言葉によって聞いている。」 口語訳聖書
「希望と愛」
「この愛は、あなたがたのために天にたくわえられている望みに基くものであり」。(コロサイ1:5) 「愛」は「希望」から来て、「愛」は「希望」を生む。希望を天にたくわえよ。さすれば、希望は損なわれることがなく、愛が失われることもない。
(心のデボーション5318)
心のデボーション5319
「我らの日用の糧を今日も与え給え」 マタイ6:11 大正文語訳聖書
「わたしたちの日ごとの食物を、きょうもお与えください。」 口語訳聖書
「その日を生きる」
この祈りをささげる者は「来ようとしている」のが、どういう日かを知っていなければならない。さらに、その日を生きるのに必要なものが、今この時、自分に欠けていることを知らなければならない。来ようとしている日のために、その日を生きる為に今日求めなければならないものがある。その日になってからでは間に合わない。祈りは問いかけである。真の問いかけはすべてを含む。問うことによって明日を知り、明日を知ることによって今日を知る。
(心のデボーション5319)
心のデボーション5320
「神に愛せらるる兄弟よ、また汝らの選ばれたることを知るに因りてなり。」 Ⅰテサロニケ1:4 大正文語訳聖書
「神に愛されている兄弟たちよ。わたしたちは、あなたがたが神に選ばれていることを知っている。」 口語訳聖書
「神に愛された兄弟」
パウロは迫害の中に生まれ、成長しているテサロニケ教会の信徒に「神に愛されている兄弟たちよ」と呼びかける。(Ⅰテサロニケ1:4) テサロニケ教会が「多くの患難の中で、聖霊による喜びをもって御言を受けいれ、わたしたちと主とにならう者となり、マケドニヤとアカヤとにいる信者全体の模範になった」のは、「神に愛されているからに他ない。 人はそのように呼ばれて、初めて自分は「神に愛されているのだ」と知るのかもしれない。
(心のデボーション5320)
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