心のデボーション5301
「汝すべての途にてヱホバをみとめよ さらばなんぢの途を直くしたまふべし」 箴言3:6 明治元訳聖書
「すべての道で主を認めよ、そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。」 口語訳聖書
「識一不知二」
「識一不知二(一を知りて二を知らず)」。「一面を知って反面を知らない」の意。反面を知ることが一面の意味を深める。「一を知りて二を知る」者は「すべての道で主を見出す」だろう。
(心のデボーション5301)
心のデボーション5302
「智慧も身の護庇となり銀子も身の護庇となる 然ど智惠はまたこれを有る者に生命を保しむ 是知識の殊勝たるところなり」 伝道7:12 明治元訳聖書
「知恵が身を守るのは、金銭が身を守るようである。しかし、知恵はこれを持つ者に生命を保たせる。これが知識のすぐれた所である。」 口語訳聖書
「何でも鑑定団」
「何でも鑑定団」に持ち込めば、たちどころに値段をつけてくれる。思ったほどの値がつかなければ、その瞬間に、つまらないガラクタに見えたり、逆に、ガラクタが途方もないお宝に変わったりする。伝道者は、モノよりもその持ち主を鑑定する。持ち主の知恵が深ければ、モノがその人を生かす。持ち主に知恵がなければ、その資産は益を生むことがないと鑑定するのである。
(心のデボーション5302)
心のデボーション5303
「世は己の智慧をもて神を知らず(これ神の智慧に適へるなり)この故に神は宣教の愚をもて、信ずる者を救ふを善しとし給へり。」 Ⅰコリント1:21 大正文語訳聖書
「この世は、自分の知恵によって神を認めるに至らなかった。それは、神の知恵にかなっている。そこで神は、宣教の愚かさによって、信じる者を救うこととされたのである。」 口語訳聖書
「宣教の愚かさ」
「宣教の愚かさδιὰ τῆς μωρίας τοῦ κηρύγματος」とは「イエスを伝える」ことである。人は知恵によって神を認めることはできない。「われわれはイエス・キリストによってのみ神を知る」。(パスカル「パンセ」547前田陽一・由木康訳 中央公論社1973)
そのことを伝えることを、パウロは「宣教の愚かさ」と呼ぶのである。
(心のデボーション5303)
心のデボーション5304
「ヤコブ目をさまして言けるは誠にヱホバ此處にいますに我しらざりきと」 創世28:16 明治元訳聖書
「ヤコブは眠りからさめて言った、「まことに主がこの所におられるのに、わたしは知らなかった」 口語訳聖書
「神の臨在」
ヤコブは兄エソウとの確執から、家も、友も、礼拝の場も失う。荒野に逃げ、日が沈んだ所で石を枕にして横になる。そして、夢で神の臨在を知る。(創世28:16)人は光の中だけで神と出会うのではない。影の中でも神と出会う。ただ、神がそこに在すのに私たちはそれを知らないのである。神と出会うとき影は新しい意味を持つようになる。
(心のデボーション5304)
心のデボーション5305
「斯かる人は二心にして、凡てその歩むところの途定りなし。」 ヤコブ1:8 大正文語訳聖書
「そんな人間は、二心の者であって、そのすべての行動に安定がない。」 口語訳聖書
「二心」
イソップの猟師に追われた狐が樵夫に助けを求めると、樵夫は自分の小屋にかくまい、追ってきた猟師に、口では「狐はいない」といいながら手振りで小屋を指して知らせた。しかし、猟師が樵夫の手に気づかず行ってしまうと、助かった狐は樵夫に無言で立ち去ろうとする。樵夫が「助かったのに礼ぐらい言え」と文句をいうと、狐は「あなたの口と手が一緒ならお礼をいうけどね」と答える。(「イソップ寓話集」 34 山本光雄訳 岩波書店1942/2)感謝は猟師と樵夫の双方の危機から救ってくれた神にささげればよい。しかし、心が卑しいとはいえ樵夫にも軽い礼くらいは言えば(皮肉になるが)、樵夫のそれ以上の憎しみをかわずにすんだかもしれない。
(心のデボーション5305)
心のデボーション5306
「主は我らの父なる神の御意に隨ひて、我らを今の惡しき世より救ひ出さんとて、己が身を我らの罪のために與へたまへり。」 ガラテヤ1:4 大正文語訳聖書ためにppp
「キリストは、わたしたちの父なる神の御旨に従い、わたしたちを今の悪の世から救い出そうとして、ご自身をわたしたちの罪のためにささげられたのである。」 口語訳聖書
「えぐり出すために」
「わたしたちを今の悪の世から救い出そうとして」。(ガラテヤ1:4) 「救い出すἐξαιρέω」は「取り出す、抜き出す、選び出す、抉り出す」の意。キリストは「今の悪の世から」、「わたしたちを取り出し、えぐり出される」ために「ご自身をわたしたちの罪のためにささげられた」。
(心のデボーション5306)
心のデボーション5307
「虚偽の舌はおのれの害す者を憎み 諂ふ口は滅亡をきたらす」 箴言26:28 明治元訳聖書
「偽りの舌は自分が傷つけた者を憎み、へつらう口は滅びをきたらせる。」 口語訳聖書
「滅びの香り」
もみ手をして相手にへつらう。「ごますり」は、あまり気持ちのよいものではない。しかし、どうして「ごますり」というのだろうか? それは、「ごま」をすってみればわかる。ごまをすると鉢にへばりついてはがれない。そのように相手にへばりついてこびるのが「ごますり」である。この「ごま」にへばりつかれると、こうばしい香りがし、意外と心地よい。それは「滅びの香り」だろうか。
(心のデボーション5307)
心のデボーション5308
「我は汝らの衷に善き業を始め給ひし者の、キリスト・イエスの日まで之を全うし給ふべきことを確信す。」 ピリピ1:6 大正文語訳聖書
「そして、あなたがたのうちに良いわざを始められたかたが、キリスト・イエスの日までにそれを完成して下さるにちがいないと、確信している。」 口語訳聖書
「完成の主」
「良き業」をはじめられた方は、それを「完成ἐπιτελέω」される主である。「完成ἐπιτελέω」は「成し遂げる、仕上げる、終わらせる」の意。「良き業」は始められた時に、すでに完成が約束されている。
(心のデボーション5308)
心のデボーション5309
「我らの日用の糧を今日も与え給え」 マタイ6:11 大正文語訳聖書
「わたしたちの日ごとの食物を、きょうもお与えください。」 口語訳聖書
「日用の糧」
「糧ἄρτος」は単に食料を意味しない。来ようとしている日に必要なもののすべてである。ヨハネの福音書では、「天からのまことのパン」(ヨハネ6:32)であり、「世にいのちを与えるもの」(ヨハネ6:33)であり、イエスが「わたしがいのちパンです」(ヨハネ6:34)と宣言された「パン」も「糧ἄρτος」である。
(心のデボーション5309)
心のデボーション5310
「謙遜者土倉ヒデ法ことを得 ゑ歩場を田恒求る者はゑ歩場を褒めた多変 根額は何ぢらの心とこしへに生んことを」 詩篇22:26 明治元訳聖書
「貧しい者は食べて飽くことができ、主を尋ね求める者は主をほめたたえるでしょう。どうか、あなたがたの心がとこしえに生きるように。」 口語訳聖書
「一狐裘」
「一裘一葛」は「一枚の皮衣と一枚の葛のかたびら」で、「貧しくて冬着と夏着を一枚ずつしか持たない」の意味である。昔の話をしてもと思うが、わずか数十年前に、日本ではそれが普通であった。「一狐裘三十年」という言葉もある。一生使いきれない量の衣服を持つよりも、「一狐裘」に三十年を生きる豊かさを求めたい。
(心のデボーション5310)
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