心のデボーション5291
「二人ながら神の前に正しくして、主の誡命と定規とを、みな缺なく行へり。」 ルカ1:6 大正文語訳聖書
「ふたりとも神のみまえに正しい人であって、主の戒めと定めとを、みな落度なく行っていた。」 口語訳聖書
「神のみまえに」
大祭司ザカリヤとエリサベツは「神のみまえに正しい人」であった。(ルカ1:6)「みまえにἐναντίον」は「の目で」の意。「の判断によれば」(玉川直重「新約聖書ギリシャ語辞典」)。彼らは、神に「正しい人と判断された人」であった。キリスト者は己の行いによらず、神に「正しい」と判断され、神の業を「落度なく行う者」とされるのである。
(心のデボーション5291)
心のデボーション5292
「凡そ事忍び、おほよそ事信じ、おほよそ事望み、おほよそ事耐ふるなり。」 Ⅰコリント13:7 大正文語訳聖書
「そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。」 口語訳聖書
「期待」
日本の中学・高校生は他の国の若者にくらべて、親をあまり尊敬しておらず、親から期待されていると感じてもいないというデーターがある。親の期待がないというよりも、なまじっか期待されるくらいなら、期待されない方がよいと考えるのかもしれない。「期待」は「愛」と置き換えることもできる。愛としての期待は、あらゆる状況の中で待ち続ける意志である。彼らはそれを期待しているのではないか。
(心のデボーション5292)
心のデボーション5293
「萬の物これに由りて成り、成りたる物に一つとして之によらで成りたるはなし。」 ヨハネ1:3 大正文語訳聖
「すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。」 口語訳聖書
「神の息によって」
「すべてのもの」は、「〔神の口から出たことば〕によってできた〔創造された〕」。(ヨハネ1:3) 「もろもろの天は主のみことばによって造られ、天の万軍は主の口の息によって造られた」。(詩篇33:6) 「主の口の息」のヘブル語「רוּחַ(H7307)」は「霊、風、息」の意である。人間も神の息「נְשָׁמָה(H5397)」を吹き込まれて「生きもの」となった。(創世2:7)
(心のデボーション5293)
心のデボーション5294
「彼は筋力と尊貴とを衣とし且のちの日を笑ふ」 箴言31:25 明治元訳聖書
「力と気品とは彼女の着物である、そして後の日を笑っている。」 口語訳聖書
「美しい窓」
美しい窓に出会うのは、外国を旅する楽しみのひとつである。ヨーロッパの婦人にとって、窓は自己表現の場所なのだと、ある本で読んだ。彼女たちが窓をみがき、花を工夫するのは、外を通る人のためである。通行人は、窓を見て、そこに住む人の幸せを想うのである。箴言の婦人は「力と気品を身につけ、ほほえみながら後の日を待つ」。この人は「美しい窓」が似合うに違いない。
(心のデボーション5294)
心のデボーション5295
「かれらが呼ざるさきにわれこたへ 彼らが語りをへざるに我きかん」 イザヤ65:24 明治元訳聖書
「彼らが呼ばないさきに、わたしは答え、彼らがなお語っているときに、わたしは聞く。」 口語訳聖書
「彼らが呼ばないさきに」
答えられた祈りのなかで、もっとも美しいのは「求めないのに答え」、「まだ私が祈り初め、すべてを申し上げ終わらないうちに、すでに聞かれた」祈りである。それらは主の不思議を知るだけでなく、何を求めればよいかをも教えてくれる。求めて答えられたことよりも、求める前に答えたら得たことのほうが、量質ともに美しい。だがそれが意識されることはとても少ない。
(心のデボーション5295)
心のデボーション5296
「イエスは苦難をうけしのち、多くの慥なる證をもて、己の活きたることを使徒たちに示し、四十日の間、しばしば彼らに現れて、神の國のことを語り」 使徒1:3 大正文語訳聖書
「イエスは苦難を受けたのち、自分の生きていることを数々の確かな証拠によって示し、四十日にわたってたびたび彼らに現れて、神の国のことを語られた。」 口語訳聖書
「数々の確かな証拠によって示し」
「イエスは苦難を受けたのち、自分の生きていることを数々の確かな証拠によって示された」。(使徒1:3) 「示しπαρίστημι」は「置く、側に立たせる、持ってくる、連れてくる、差し出す」の意。主は生きておられることを「私の心」に「持ってこられ」、「私の側に立たせ、置いて」くださる。
(心のデボーション5296)
心のデボーション5297
「御國の來らんことを。御意の天のごとく地にも行はれん事を」 マタイ6:10 大正文語訳聖書
「御国がきますように。みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように。」 口語訳聖書
「天に根ざす者」
スペインの詩人ブランコの言葉に「天に根ざす者は地に平和をもたらさない」というのがある。現代の戦争に「天に根ざす者」の確信がかかわっていることを誰も否定できない。イエスのお生まれになったとき、羊飼いたちは野で御使いが『いと高き處には榮光、神にあれ。 地には平和、主の悦び給ふ人にあれ』と歌うのを聞いた。(ルカ2:14 大正文語訳)「天に根ざす者」よ、再び野にて、御使いの歌を聞け。
(心のデボーション5297)
心のデボーション5298
「我等は其御名の為に、萬民を信仰に服從せしめんとて、恩寵と使徒職とを蒙りたるなり、」 ロマ1:5 大正文語訳聖書
「わたしたちは、その御名のために、すべての異邦人を信仰の従順に至らせるようにと、彼によって恵みと使徒の務とを受けたのであり、」 口語訳聖書
「信仰の従順」
「信仰の従順」。(ロマ1:5) 「従順ὑπακοη」は「聞いて従う」の意。信仰は「聞く」に始まる。それは「応答」を含む「聞くこと」である。聞くが応答のない信仰は「信仰の従順」ではない。
(心のデボーション5298)
心のデボーション5299
「御國の來らんことを。御意の天のごとく地にも行はれん事を。」 マタイ6:10 大正文語訳聖書
「御国がきますように。みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように。」 口語訳聖書
「日々の食卓」
「わたしたちの日ごとの食物を、きょうもお与えください」(マタイ6:11 口語訳聖書)と祈るとき、我が家の食卓のためだけでなく、祝福が全地に及ぶように祈るべきである。天に行われることが全地に及ぶことが神の御心だからである。
(心のデボーション5299)
心のデボーション5300
「願はくは我らの父なる神および主イエス・キリストより賜ふ恩惠と平安と汝らに在らんことを。」 Ⅱコリント1:2 大正文語訳聖書
「わたしたちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。」 口語訳聖書
「恵みと平安」
キリスト者の人格を特徴づけるものは「恵みと平安」であろう。キリスト者とは「恵みと平安」に生きる者だからである。彼は生きるよりも生かされており、ますます神の恵みに許され、生の深みに入ってゆく。
(心のデボーション5300)
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