心のデボーション5251
「その怒はただしばしにてその惠はいのちとともにながし 夜はよもすがら泣かなしむとも朝にはよろこびうたはん」 詩篇30:5 明治元訳聖書
「その怒りはただつかのまで、その恵みはいのちのかぎり長いからである。夜はよもすがら泣きかなしんでも、朝と共に喜びが来る。」 口語訳聖書
「一日難再晨」
「一日難再晨(いちじつ ふたたび あしたなりがたし)」。一日のうち朝は再びこない。朝を惜しむこと。朝を失えば、昼も夜も失うからだ。たとえ「夜はよもすがら泣きかなしむ」とも、喜びと共に朝を迎えよ。(詩篇30:5)
(心のデボーション5251)
心のデボーション5252
「そは地と之に滿つる物とは主の物なればなり。」 Ⅰコリント10:26 大正文語訳聖書
「地とそれに満ちている物とは、主のものだからである。」 口語訳聖書
「所有欲」
人は所有することでは幸せになれない。人より多くを持つ人は更に多くを所有する人を見て不満になり、自分より少なく所有する人には高ぶるのを抑えられない。所有欲は心の内にあって消えることはない。所有欲から解放されるには、すべては神のものと知ることであろう。貧しさも、感謝する心で受ければ、そこに含まれている豊かさがわかる。
(心のデボーション5252)
心のデボーション5253
「汝六日の間汝の業をなし七日に息むべし斯汝の牛および驢馬を息ませ汝の婢の子および他國の人をして息をつかしめよ」 出エジプト23:12 明治元訳聖書
「あなたは六日のあいだ、仕事をし、七日目には休まなければならない。これはあなたの牛および、ろばが休みを得、またあなたのはしための子および寄留の他国人を休ませるためである。」 口語訳聖書
「仕事」
ヒルティは仕事について、「仕事を求めるがよい。しかも、それを遠くに求めないで、君のごく手近な職業や、君の身辺の義務に、それを探すがよい」と助言する。(カール・ヒルティ「幸福論」(第二部)岩波文庫青638-4 1962/1)
本当に良い仕事というものは、身近な、自身の内にある。あまりにも近くにあるために、その価値に気づかないのだ。
(心のデボーション5253)
心のデボーション5254
「言ひたまふ『わが恩惠なんぢに足れり、わが能力は弱きうちに全うせらるればなり』さればキリストの能力の我を庇はんために、寧ろ大に喜びて我が微弱を誇らん。」 Ⅱコリント12:9 大正文語訳聖書
「ところが、主が言われた、「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」。それだから、キリストの力がわたしに宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう。」 口語訳聖書
「杭となわ」
心の悩みは、杭につながれたロバが、杭から遠ざかろうとあがいて、杭の周りをぐるぐる回るうちに杭にからめられ、身動きとれなくなるようなものである。杭に親しむことができれば、そこまで自分を追いつめなくてもすむ。心のどこかに、自分をつなぎ止める「杭」があるのが人間かもしれない。杭につながれていると意識するよりも、杭のそばに自分を憩わせる場所を見つけ出せればよい。
(心のデボーション5254)
心のデボーション5255
「汝ら貪れども得ず、殺すことをなし、妬むことを爲れども得ること能はず、汝らは爭ひまた戰す。汝らの得ざるは求めざるに因りてなり。」 ヤコブ4:2 大正文語訳聖書
「あなたがたは、むさぼるが得られない。そこで人殺しをする。熱望するが手に入れることができない。そこで争い戦う。あなたがたは、求めないから得られないのだ。」 口語訳聖書
「渇望」
「あなたがたは、むさぼるが得られない」、そこで「人殺しをする」。「熱望するが手に入れることができない」、「そこで争い戦う」。あなた方が「むさぼるが得られない」のは「〔神に〕求めないから得られない」のである。正しく求めれば、正しくかなう。「むさぼるἐπιθυμέω」は「熱望する、渇望する」の意である。
(心のデボーション5255)
心のデボーション5256
「惡きものの謀略にあゆまず つみびとの途にたたず 嘲るものの座にすわらぬ者はさいはひなり」 詩篇1:1 明治元訳聖書
「悪しき者のはかりごとに歩まず、罪びとの道に立たず、あざける者の座にすわらぬ人はさいわいである。」 口語訳聖書
「悪しき者のはかりごと」
「悪しき者のはかりごとに歩まず」。(詩篇1:1)「悪しき者(רְשָׁ֫עִ֥ים )H7563」は「神を否定し、神を恐れない者the ungodly」の意。「はかりごと(בַּעֲצַ֪ת )H6097」は「策略」の意。「歩む(הָלַךְ)H1980」は「歩く、歩き回る」、LXXπορεύομαιは「進む、旅する(travel)」で、「神を恐れない者の策略に同調しない者」の意。リビングバイブル日本語は「悪人の入れ知恵に耳をかさない」と訳す。神を恐れず策略をめぐらす者と共に旅をするな。
(心のデボーション5256)
心のデボーション5257
「ユダの家ののがれて遺れる者はふたたび下は根をはり上は果を結ぶべし」 イザヤ37:31 明治元訳聖書
「ユダの家の、のがれて残る者は再び下に根を張り、上に実を結ぶ。」 口語訳聖書
「切り株」
庭に樫の木の古い切り株があり、じゃまになったが、掘りおこすこともならず、たがねを打ち込んで割ろうと試みた。しかし、ボロボロに腐ってみえる切り株が、たがねを受けつけない。切り株は根が互いにねじれてからみ、一つになって、地中深くに根をはっている。それが鋼のたがねをビーンとはじく。ねじれを一つに束ねる力があって、木は生長し「上に実を結ぶ」。このねじれながら四方に深く張る根が「自分」というものなのかもしれない。たがねくらいでは打ち砕くことができない。
(心のデボーション5257)
心のデボーション5258
「汝等もし我に居り、わが言なんぢらに居らば、何にても望に隨ひて求めよ、さらば成らん」 ヨハネ15:7 大正文語訳聖書
「あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたにとどまっているならば、なんでも望むものを求めるがよい。そうすれば、与えられるであろう。」 口語訳聖書
「祈りが聞かれる条件」
祈りが聞かれる条件は「あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたにとどまっている」ことである。(ヨハネ15:7) 「つながる」「ととまる」は共に「μένω」で、「滞在する、とどまる、踏みとどまる、泊まる、居続ける、居る、居着く」の意。主イエスに「つながる(踏みとどまる)」者は、主の言葉に「つながる(踏みとどまる)」者である。その者は「なんでも望むものを求めるがよい。そうすれば、与えられる」。(ヨハネ15:7)
(心のデボーション5258)
心のデボーション5259
「この故に汝らは斯く祈れ。『天にいます我らの父よ、願はくは御名の崇められん事を』」 マタイ6:9 大正文語訳聖書
「だから、あなたがたはこう祈りなさい、天にいますわれらの父よ、御名があがめられますように。」 口語訳聖書
「最上のわざ」
「最上のわざ」 ヘルマン・ホイヴェルス>
この世の最上のわざは何?
楽しい心で年をとり
働きたいけれども休み
しゃべりたいけれども黙り
失望しそうな時に希望し
従順に、平静におのれの十字架をになう
若者が元気いっぱいで神の道をあゆむのを見つけても妬まず
人のために働くよりも、謙虚に人の世話になり、
弱って、もはや人のために役たたずとも
親切で柔和であること。
老いの重荷は神の賜物
古びた心に、これで最後の磨きをかける
まことの故郷へ行くために
おのれをこの世につなぐくさりを少しづつ
はずしていくのは、真にえらい仕事。
こうして何もできなくなれば
それを謙遜に承諾するのだ。
神は最後に一番よい仕事を残してくださる。
それは祈りだ。
手は何もできない。けれども最後まで合掌できる。
愛するすべての人の上に、神の恵みを求めるために。
すべてをなし終えたら、臨終の床に神の声をきくだろう。
「子よ、わが友よ、われ汝を見捨てじ」と。
(「最上のわざ」は上智大学学長を務めたヘルマン・ホイヴェルス神父(1890-1977)が、ドイツに帰国後、南ドイツの友人から贈られた詩。 『人生の秋に』春秋社、1969年 土居健郎、森田明 編、『ホイヴェルス神父 日本人への贈り物』、春秋社、1996年 に、この詩が載せられている)
(心のデボーション5259)
心のデボーション5260
「なんぢら早くおき遅くいねて辛苦の糧をくらふはむなしきなり 斯てヱホバその愛しみたまふものに寝をあたへたまふ」 詩篇127:2 明治元訳聖書
「あなたがたが早く起き、おそく休み、辛苦のかてを食べることは、むなしいことである。主はその愛する者に、眠っている時にも、なくてならぬものを与えられるからである。」 口語訳聖書
「主の与えたもう眠り」
「主はその愛する者に、眠っている時にも、なくてならぬものを与えられるからである。」のヘブル語本文は直訳では「主は愛する者に眠りを与えれらる」で、LXXはそれに従う。多くの翻訳は「主はその愛する者に、眠っている時にも、なくてならぬものを与えられる」の訳をとる。主は「愛する者に、眠っている時にも、なくてならぬものを与えられる」との確信が「主の与えられる眠り」につながる。
(心のデボーション5260)
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