心のデボーション525

デボーション1
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心のデボーション5241

「みことばの滋味はわが腭にあまきこといかばかりぞや 蜜のわが口に甘きにまされり」 詩篇119:103  明治元訳聖書

「あなたのみ言葉はいかにわがあごに/甘いことでしょう。蜜にまさってわが口に甘いのです。」 口語訳聖書

 「世界のたった一冊の本」

ウォルター・スコット卿(Sir Walter Scott)は死の少し前、友人に「本を持ってきて欲しい」と頼むので、「どの本か?」と尋ねると「世界にはたった一冊の本しかない」と答えた。作家であり、生涯にわたって読書にいそしみ、図書室に9000冊の蔵書を残したスコット卿が、死を前にして求めたのは「聖書βιβλος」であった。

(心のデボーション5241)

心のデボーション5242

「されど彼らを躓かせぬ爲に、海に往きて釣をたれ、初に上る魚をとれ、其の口をひらかば銀貨一つを得ん、それを取りて我と汝との爲に納めよ」 マタイ17:27  大正文語訳聖書

「しかし、彼らをつまずかせないために、海に行って、つり針をたれなさい。そして最初につれた魚をとって、その口をあけると、銀貨一枚が見つかるであろう。それをとり出して、わたしとあなたのために納めなさい」 口語訳聖書

 「ペテロの魚」

イエス・キリストは神の子でしたから、本来なら神の宮に税金を納める必要はない。しかし、できるだけ不必要なつまずきは与えない方がよいというのが、主イエスの考えであった。そこでペテロが湖で釣りをすると、魚が一枚の銀貨を口にくわえていたので、それを神の宮に納めたのである。権利はあっても、つまずきを与えないために支払う犠牲がある。ペテロの魚がその銀貨をくわえてくる。

(心のデボーション5242)

心のデボーション5243

「是なんぢら初の日より今に至るまで、福音を弘むることに與るが故なり。」 ピリピ1:5  大正文語訳聖書

「あなたがたが最初の日から今日に至るまで、福音にあずかっていることを感謝している。」 口語訳聖書

 「福音にあずかる」

「福音にあずかるἐπὶ τῇ κοινωνίᾳ ὑμῶν εἰς τὸ εὐαγγέλιον」(ピリピ1:5)は、「福音にκοινωνία(コイノーニア「親密な交わり、密接な接合」)する」ことで、「福音と一ついのちにつながる」の意である。福音にあずかる者は、福音を受けると共に、福音をつたえる業にあずかる者とされたのである。与えられた福音そのものが、福音の証である。「福音」をコイノーニア(分有、共同、分担)する者。

(心のデボーション5243)

心のデボーション5244

「罪を犯せる者をば衆の前にて責めよ、これ他の人をも懼れしめんためなり。」 Ⅰテモテ5:20  大正文語訳聖書

「罪を犯した者に対しては、ほかの人々も恐れをいだくに至るために、すべての人の前でその罪をとがむべきである。」 口語訳聖書

 「コヨーテの悲劇」

ある日、一匹のサソリが川にはまり、向こう岸に打ち上げられた。何としても元の岸に帰りたいサソリはコヨーテに、決して刺しはしないから背中に乗せて向こう岸に渡してくれと頼んだ。ところが川の真ん中でサソリはがまんできなくなって、コヨーテの首筋に毒針を突き立ててしまう。それがサソリの本能だった。コヨーテがサソリの相談にのるのはよいとしても、背中に乗せるのは間違いである。

(心のデボーション5244)

心のデボーション5245

「神光を晝と名け暗を夜と名けたまへり夕あり朝ありき是首の日なり」 創世1:5  明治元訳聖書

「神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた。夕となり、また朝となった。第一日である。」 口語訳聖書

  「夕となり、また朝となった」

「夕となり、また朝となった。第一日である」。(創世1:5) 「昼と夜ができて、一日目が終わりです」(リビングバイブル日本語訳) 昼は日の光、夜は月の光(日に照らされる光)があり、その入れ替わりがあって一日が終わる。「一日」は昼のみでなく、夜のみでない。昼と夜があって、日は完成する。

(心のデボーション5245)

心のデボーション5246

「兄弟よ、われら汝等につきて常に神に感謝せざるを得ず、これ當然の事なり。そは汝らの信仰おほいに加はり、各自みな互の愛を厚くしたればなり。」 Ⅱテサロニケ1:3  大正文語訳聖書

「兄弟たちよ。わたしたちは、いつもあなたがたのことを神に感謝せずにはおられない。またそうするのが当然である。それは、あなたがたの信仰が大いに成長し、あなたがたひとりびとりの愛が、お互の間に増し加わっているからである。」 口語訳聖書

 「信仰の成長」

「信仰が大いに成長し」。(Ⅱテサロニケ1:3) 新改訳聖書「信仰が目に見えて成長し」、フランシス超コ会訳聖書「信仰が非常に深まり」、リビングバイブル日本語「信仰がめざましく成長し」。「大いに成長するὑπεραυξάνω」は「ὑπέρ越えて+αὐξάνω成長する」から「信仰が非常に増加し、はなはだしく成長する」の意。信仰は御言葉の深まりとともに深化する。

(心のデボーション5246)

心のデボーション5247

「凡そわが弟子たる名の故に、この小き者の一人に冷かなる水一杯にても與ふる者は、まことに汝らに告ぐ、必ずその報を失はざるべし」 マタイ10:42  大正文語訳聖書

「わたしの弟子であるという名のゆえに、この小さい者のひとりに冷たい水一杯でも飲ませてくれる者は、よく言っておくが、決してその報いからもれることはない」 口語訳聖書

 「水一杯」

自分がつまらない人間だと感じるときがある。たいして役にも立たず、人に迷惑をかけることしかできないと考えている。そういうところからはい出るには、人という存在の面白さに気づけばよい。中途半端にではなく、真剣に面白がることである。自分がどんなに役に立たないと思えるときにも、「小さきもの」に差し出す「一杯の水」は残されている。それは、「小さき事」とはいえない。」は

(心のデボーション5247)

心のデボーション5248

「これ汝らが信仰のはたらき、愛の勞苦、主イエス・キリストに對する望の忍耐を、我らの父なる神の前に絶えず念ふに因りてなり。」 Ⅰテサロニケ1:3  大正文語訳聖書

「あなたがたの信仰の働きと、愛の労苦と、わたしたちの主イエス・キリストに対する望みの忍耐とを、わたしたちの父なる神のみまえに、絶えず思い起している。」 口語訳聖書

 「愛の労苦」

「愛の労苦τοῦ κόπου τῆς ἀγάπης」。(Ⅰテサロニケ1:3) 「労苦κόπος」は「苦労、骨折り、労働」の意。英語で「labor of love愛の労働」(ドイツ語Arbeit in der Liebe)と訳さ、「愛する者への情熱的な無償の労働」の意。愛は労苦を厭わない。

(心のデボーション5248)

心のデボーション5249

「この故に汝らは斯く祈れ。『天にいます我らの父よ、願はくは御名の崇められん事を』」 マタイ6:9 大正文語訳聖書

「だから、あなたがたはこう祈りなさい、天にいますわれらの父よ、御名があがめられますように。」 口語訳聖書

 「御名の崇められる」

「願はくは御名の崇められん事を」の「崇めるἁγιάζω」には「大きくする」の意味もある。「御名の崇められる」は、神の御名が自分のうちで「さらに大きくなる」ことである。

(心のデボーション5249)

心のデボーション5250

「かれらは力より力にすすみ遂におのおのシオンにいたりて神にまみゆ」 詩篇84:7  明治元訳聖書

「彼らは力から力に進み、シオンにおいて神々の神にまみえるでしょう。」 口語訳聖書

 「力から力へ」

「その力があなた〔神〕にあり、その心がシオンの大路にある人はさいわいです」、「彼らは力から力に進み、シオンにおいて神々の神にまみえる」。(詩篇84:5,7) 神を己が力とする者は、力から力へ、栄光から栄光へ進む。

「力(חַיִל )」は「強さ、有効な働き、富、財宝、軍勢」、ギリシャ語δύναμις「力、原動力、能力、才能、影響力、軍勢、価値、意味」である。「力」の意味する全分野において、前進あれ。

(心のデボーション5250)

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