心のデボーション523

デボーション1
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心のデボーション5221

「神よなんぢわれを幼少より敎へたまへり われ今にいたるまで汝のくすしき事跡をのべつたへたり」 詩篇71:17  明治元訳聖書

「神よ、あなたはわたしを若い時から教えられました。わたしはなお、あなたのくすしきみわざを宣べ伝えます。」 口語訳聖書

 「一字之師」

「一字之師」は「一字でも誤りを教えてくれた人は師である」の意。思わぬ指摘に赤面することもあるが、良き師に会ったと思えば、その思いも消える。大勢の「一字之師」を持つ人は幸せである。

(心のデボーション5221)

心のデボーション5222

「かれら淺く我民の女の傷を醫し平康からざる時に平康平康といへり」 エレミヤ6:14  明治元訳聖書

「彼らは、手軽にわたしの民の傷をいやし、平安がないのに『平安、平安』と言っている。」 口語訳聖書

 「手軽にいやす」

悩みを聞くとき大切なのは、問題を解決してあげることではなく、心の傷をそれ以上にひろげないことである。自分がいやしてあげようとして近づく、その「手軽さ」が弱い心をさらに傷つける。「心配ない」と気安めをいうのは、平安がないのに「平安だ、平安だ」というのと同じ。「何もしてあげられないけれど、私はここにいるよ」と伝えるところからいやしがはじまる。

(心のデボーション5221)

心のデボーション5223

「神光あれと言たまひければ光ありき」 創世1:3  明治元訳聖書

「神は「光あれ」と言われた。すると光があった。」 口語訳聖書

 「光をしてあらしめよ」

「光に命じて暗きより照りいでしめたる神、われらをして、イエス・キリストの面にある神の栄光を知るの光をあらわさしめんために、わららの心を照らしたまえり。…ゆえにまず第一に光をしてあらしめよ。しかり、光をしてあらしめよ」。(内村鑑三「内村鑑三聖書注解全集」第1巻 教文館 昭和35年8月)

光なきところに「光をして、光あらしめよ」。

(心のデボーション5223)

心のデボーション5224

「愛する者よ、われら互に相愛すべし。愛は神より出づ、おほよそ愛ある者は、神より生れ神を知るなり。」 Ⅰヨハネ4:7

「愛する者たちよ。わたしたちは互に愛し合おうではないか。愛は、神から出たものなのである。すべて愛する者は、神から生れた者であって、神を知っている。」 口語訳聖書

 「恋の不安」

「あなたなしには生きていけない」というような恋は人を不安にする。恋がやぶれることは「愛する人」を失うばかりでなく、「自分」を失うことにもなるからだ。その不安から相手にしがみつくので、その恋は一層こわれやすくなる。しかし、自分を見つけられるような恋なら、壊れる不安から相手にしがみつくようなことはしない。いずれにしても、絶対安全な恋、つまり不安のない恋などありえない。

(心のデボーション5224)

心のデボーション5225

「萬の物これに由りて成り、成りたる物に一つとして之によらで成りたるはなし。」 ヨハネ1:3  大正文語訳聖書

「すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。」 口語訳聖書

 「御言葉によって」

「万物は言によって成った」。(ヨハネ1:3) 「主が仰せられると、そのようになり」、「命じられると、堅く立つ」。「全地は主を恐れ、世に住むすべての者は主を恐れかしこめ」。(詩篇33:8-9)ものであれ、出来事であれ、すべては神の口から出る「ことば」によって「成り」、「ことば」によって「堅く立つ」。「なるγίνομαι」は「存在するようになる、存在するにいたる、存在を始める、生じる、現れる、おこる、始まる」の意。

(心のデボーション5225)

心のデボーション5226

「その選び給へる使徒たちに、聖靈によりて命じたるのち、擧げられ給ひし日に至るまでの事を記せり。」 使徒1:2  大正文語訳聖書

「お選びになった使徒たちに、聖霊によって命じたのち、天に上げられた日までのことを、ことごとくしるした。」 口語訳聖書

 「天にあげられる日までのことを」

ルカは主イエスが「行い、また教えはじめてから、天に上げられた日までのことを、ことごとくしるした」。(使徒1:1-2) これに従い、キリスト者は、主イエスがわが身になされた、すべての「行い、また教えから、天に上げられる日までのことを、ことごとくしるす」のである。

(心のデボーション5226)

心のデボーション5227

「これ汝の身に良薬となり汝の骨に滋潤とならん」 箴言3:8  明治元訳聖書

「そうすれば、あなたの身を健やかにし、あなたの骨に元気を与える。」 口語訳聖書

 「良薬」

「からだを健康にし」の「からだ」は直訳では「へそ」である。主への信頼は「へそを健康にする」。ヘブル思想では「へそ」は、「力の宿るところ」を意味する。神に拠り頼んでいるのに、「へそ」に力が入らないのは、ただ神にもたれかかっているだけだからかもしれない。文語訳聖書は、「これ汝の身に良薬となり」と訳す。神への信頼が何よりの「良薬」である。

(心のデボーション5227)

心のデボーション5228

「潔き靈によれば、死人の復活により大能をもて神の子と定められ給へり、即ち我らの主イエス・キリストなり。」 ロマ1:4  大正文語訳聖書

「聖なる霊によれば、死人からの復活により、御力をもって神の御子と定められた。これがわたしたちの主イエス・キリストである。」 口語訳聖書

 「告白」

主イエスキリストを「聖なる霊によれば、死人からの復活により、御力をもって神の御子と定められた」と告白する者は「神はその人のうちにいまし、その人は神のうちにいるのである」。(Ⅰヨハネ4:15) 神が内にいますことは、その「いのち」によって知られるのである。「御子を持つ者はいのちを持ち、神の御子を持たない者はいのちを持っていない」。(Ⅰヨハネ5:12)

(心のデボーション5228)

心のデボーション5229

「この故に汝らは斯く祈れ。『天にいます我らの父よ、願はくは御名の崇められん事を』」 マタイ6:9 大正文語訳聖書

「だから、あなたがたはこう祈りなさい、天にいますわれらの父よ、御名があがめられますように。」 口語訳聖書

 「アンジェラスの鐘」

長崎市の浦上天守堂には二つの望楼にそれぞれフランス製の鐘があったが、原爆で望楼は倒壊し、二つの鐘は壊れたと思われたが、片方の鐘だけはほぼ無傷で掘り起こされ、再建された浦上天守堂の右側の望楼で「アンジェラスの鐘」として鳴り続けている。天主堂のそばには倒壊した望楼がそのままの状態で保存されている。「アンジェラスの鐘」は直径1m、高さ85㎝、重量約600㎏で、側面には十字架のキリストが浮き彫りにされている。鐘は一日、朝5:30、昼12:00、夕6:00の三回鳴らされる。

「アンジェラス」は ラテン語Angelus Domini 「主の御使い」の意味で、「お告げの鐘」と呼ばれ、朝、昼、夕の祈りの時刻を告げるものである。「アンジェラスの鐘」は歌謡曲「長崎の鐘」のモデルになり、人類の平和への祈りのシンボルとなった。天使は「祈り」のために一日に三回時を告げるのである。

(教会の鐘は祈りの時を告げるだけでなく、葬儀を知らせる鐘としても鳴らされる。葬儀のミサの後、霊柩車が教会の玄関を離れるとき、死者との別れをおしんで小さく響く。ヘミングウェイの『誰がために鐘は鳴る』の「鐘」は葬儀を告げる教会の鐘である。)

(心のデボーション5229)

心のデボーション5230

「われ汝らがキリスト・イエスに在りて神より賜はりし恩惠に就きて、常に神に感謝す」 Ⅰコリント1:4 大正文語訳聖書

「わたしは、あなたがたがキリスト・イエスにあって与えられた神の恵みを思って、いつも神に感謝している」 口語訳聖書

 「主イエスの名によって」

主イエスは「何事でもわたしの名によって願うならば、わたしはそれをかなえてあげよう」と約束された。(ヨハネ14:14) 「キリスト・イエスにあって与えられる神の恵み」(Ⅰコリン1:4)は「主イエスの名によって願う」者に与えられる「神の恵み」である。 

(心のデボーション5230)

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