心のデボーション522

デボーション1
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心のデボーション5211

「その口ははなはだ甘く誠に彼には一つだにうつくしからぬ所なし ヱルサレムの女子等よ これぞわが愛する者 これぞわが伴侶なる」 雅歌5:16  明治元訳聖書

「その言葉は、はなはだ美しく、彼はことごとく麗しい。エルサレムの娘たちよ、これがわが愛する者、これがわが友なのです。」 口語訳聖書

 「一字千金」

「一字千金」は秦の呂不韋が「呂氏春秋」を著し、それを城門に置き、一字でも改めることができたら千金を与えると言ったという故事からきた言葉である。磨き抜かれたことばには、「一字千金」の重みがある。だが、それはふと心に浮かぶかたちで、どこからか降りてくるようでもある。

(心のデボーション5211)

心のデボーション5212

「それ律法の全體は『おのれの如くなんぢの隣を愛すべし』との一言にて全うせらるるなり。」 ガラテヤ5:14  大正文語訳聖書

「律法の全体は、「自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ」というこの一句に尽きるからである。」 口語訳聖書

 「隣人」

隣人(πλησίον)を愛するには、まず、自分の現実を愛することからはじめなければならない。自分の現実に不満な人は、結局、自分も人も愛してはいない。一人の人をとことん喜ぶことができるまで、現実を直視すると、その人によって自分が生かされていることがわかる。「隣人」は、近くにいて、しかも隣人であることすら忘れているような人のことである。

(心のデボーション5212)

心のデボーション5213

「これイエス・キリストの默示なり。即ち、かならず速かに起るべき事を、その僕どもに顯させんとて、神の彼に與へしものなるを、彼その使を僕ヨハネに遣して示し給へるなり。」 黙示1:1  大正文語訳聖書

「イエス・キリストの黙示。この黙示は、神が、すぐにも起るべきことをその僕たちに示すためキリストに与え、そして、キリストが、御使をつかわして、僕ヨハネに伝えられたものである。」 口語訳聖書

 「すぐに起こるべきこと」

「この黙示は、神が、すぐにも起るべきことをその僕たちに示す」ものである。(黙示1:1) 黙示録に記される終末の日は「すぐにも起るべきこと」、「かならず速かに起るべき事」(大正文語訳聖書)である。「すぐにも起るべきこと(ἐν τάχει)」は「突然、不意に」の意味である。「突然、不意に起こるべきこと」には常に備えなければならない。

(心のデボーション5213)

心のデボーション5214

「また人はみな食飮をなしその勞苦によりて逸樂を得べきなり 是すなはち神の賜物たり」 伝道3:13  明治元訳聖書

「またすべての人が食い飲みし、そのすべての労苦によって楽しみを得ることは神の賜物である。」 口語訳聖書

 「幸せという物語」

幸せになりたかったら、何も期待しないことを学ばなければならない。幸せをあまりに強く期待すると、幸せでないものはすべて拒んでしまうので、幸せが遠のくからである。不運であれ、つまずきであれ、拒まないこと。そうすれば幸せが近づいてくる。つまり、「何も期待しない」とは、「全てに期待すること」なのである。幸せという物語は、つまずきや不運によって組み立てられ、その意味を変えていく物語である。それは神からの賜物(δωρεάν)である。

(心のデボーション5214)

心のデボーション5215

「夫ヨセフは正しき人にして、之を公然(おおやけ)にするを好まず、私(ひそか)に離縁せんと思ふ。」 マタイ1:19  大正文語訳聖書

「夫ヨセフは正しい人であったので、彼女のことが公けになることを好まず、ひそかに離縁しようと決心した。」 口語訳聖書

 「正しい人」

マリヤの夫ヨセフは「正しい人δίκαιος(義人)」と呼ばれている。(マタイ1:19) 「義人」は、多くの英訳ではreighteaus manであるが、Bible in Basic Englishは「upright man(まっすぐに立つ、正しい、正直な、高潔な人」とし、Weymouth New Testament は「a kind-hearted man(思いやりのある、情け深い、親切な心をもつ人)」と訳す。ヨセフは「まっすぐな人」であるとともに「思いやりのある人」だった。しかし、そのヨセフの「正しさ」も完全ではなかった。ヨセフの正しさは、「彼女のこと〔妻マリヤの妊娠〕」が公けになることを好まず、ひそかに離縁しようと決心した」のである。ヨハネの「正しさ」は聖霊による解き明かしを経なければならなかった。しかし、ヨハネの正しさにおいてこそ、神は正しく導かれるのである。

(心のデボーション5215)

心のデボーション5216

「荒野に呼はる者の聲す、『主の道を備へ、その路すぢを直くせよ』 と録されたる如く」 マルコ1:3 大正文語訳聖書

「荒野で呼ばわる者の声がする、『主の道を備えよ、その道筋をまっすぐにせよ』」と書いてあるように、」 口語訳聖書

 「荒野で呼ばわる者の声」

「荒野で呼ばわる者の声がする」。(マルコ1:3) 「荒野ἔρημος」は「人のいない所、砂漠」を意味するが、比喩的に、人の心の中にある「〔神から離れた〕孤立、孤独」を意味することばである。求めても人に出会うことのない「孤立、孤独の荒野」にあるとき、人は「荒野で呼ばわる者の声」を聴く。「〔魂の〕道筋をまっすぐにする」神の声である。

(心のデボーション5216)

心のデボーション5217

「テオピロ閣下よ、汝の教へられたる事の慥なるを悟らせん爲に、これが序を正して書き贈るは善き事と思はるるなり。」 ルカ1:4  大正文語訳聖書

「すでにお聞きになっている事が確実であることを、これによって十分に知っていただきたいためであります。」 口語訳聖書

 「よくわかってほしい」

「十分に知っていただきたい」。(ルカ1:4) 「よくわかるἐπιγινώσκω」は「知り尽くす、理解する、しかと見届ける、はっきり知る、洞察する、悟る」で「体験として知る」ことである。ルカは読者がイエス・キリストの十字架と復活の福音を体験し、その目撃者となることを求める。

(心のデボーション5217)

心のデボーション5218

「心に喜樂あれば顔色よろこばし 心に憂苦あれば氣ふさぐ」 箴言15:13  明治元訳聖書

「心に楽しみがあれば顔色も喜ばしい、心に憂いがあれば気はふさぐ。」 口語訳聖書

 「虫のいい話」

古くから日本人は心の中に思いや感情をひきおこす「虫」がいると考えたようだ。何かがおこりそうだと「虫が知らせて」くれるが、「虫のいどころ」の悪いときだと「虫が取り上ぼせて」癇癪をおこしたり、「ふさぎの虫」にとりつかれたりする。「虫の好かないこと」は避けて通るのもひとつの方法だが、やりすぎても「虫気をわずらう」ことになる。「むし」するのが一番いいのだが、それは「虫のいい話」かもしれぬ。

(心のデボーション5218)

心のデボーション5219

「この故に汝らは斯く祈れ。『天にいます我らの父よ、願はくは御名の崇められん事を』」 マタイ6:9 大正文語訳聖書

「だから、あなたがたはこう祈りなさい、天にいますわれらの父よ、御名があがめられますように。」 口語訳聖書

 「パライゾ(天国)」

上田世昭氏によると、長崎県の五島列島の福江島の「かくれ切支丹」の調査から、聖母マリアの像が産土神(うぶすなのかみ)を祀る神社本殿に祀られていたことが確認されている。さらに、十七世紀の古文書には、オランショ(祈祷の言葉)が書きとめられ、「パライゾ(天国)にましますイカズチノカミ」と記されているという。「イカズチノカミ」は神道の神である。(上田世昭『日本人の心』)

日本人の信仰は、常にこの経験を経ることになる。そこを飛ばして「父なる神」にたどりつくことができない。

「天にいますわれらの父よ」という祈りは、繰り返し私の心を探るのである。

(心のデボーション5219)

心のデボーション5220

「實に然り、彼らは不信によりて折られ、汝は信仰によりて立てるなり、高ぶりたる思をもたず、反つて懼れよ。」 ロマ11:20 大正文語訳聖書

「まさに、そのとおりである。彼らは不信仰のゆえに切り去られ、あなたは信仰のゆえに立っているのである。高ぶった思いをいだかないで、むしろ恐れなさい。」 口語訳聖書

 「理性と信仰」

「疑わなければならないところで疑い、断定しなければならないところで断定し、従わなければならないところで従わなければならない」。(パスカル「パンセ」268  前田陽一・由木康訳 中央公論社1973) 理性のない信仰は、信仰のない理性とともに神を失う。

(心のデボーション5220)

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