心のデボーション519

デボーション1
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心のデボーション5181

「願はくは希望の神、信仰より出づる凡ての喜悦と平安とを汝らに滿たしめ、聖靈の能力によりて希望を豐ならしめ給はんことを。」 ロマ15:13  大正文語訳聖書

「どうか、望みの神が、信仰から来るあらゆる喜びと平安とを、あなたがたに満たし、聖霊の力によって、あなたがたを、望みにあふれさせて下さるように。」 口語訳聖書

 「望みの神」

神は「望みの神ὁ θεὸς τῆς ἐλπίδος」である。「望みἐλπίς」は「望み、希望、待望、期待」の意。「あらゆる喜びと平安とを、あなたがたに満たし」、「聖霊の力によって、あなたがたを、望みにあふれさせて下さる」。(ロマ15:13) この「望み」は「飲み食いの希望」ではなく、「義と、平和と、聖霊における喜びとである」。(ロマ14:17) この希望は失望に終わることがない。

「われら四方より患難を受くれども窮せず、爲ん方つくれども希望を失はず」(Ⅱコリント4:8)

(心のデボーション5181)

心のデボーション5182

「福祉をみんがために生命をしたひ存へんことをこのむ者はたれぞや」 詩篇34:12  大正文語訳聖書

「さいわいを見ようとして、いのちを慕い、ながらえることを好む人はだれか」 口語訳聖書

 「花のいのち」

庭でしおれていく花に、仲間の花が声をかけた。「美しく枯れましたね。私もあなたのようにしおれたい。何といっても花のいのちはしおれることですものね」別の花はいいました。「どうしたら、あなたのように美しくしおれることができるのかしら」。すると、しおれた花がうれしそうに答えました。「私の内にいのちが宿ったの、それでしおれることができたのよ」。

(心のデボーション5182)

心のデボーション5183

「神の御意により、キリスト・イエスにある生命の約束に循ひて、キリスト・イエスの使徒になれるパウロ」 Ⅱテモテ1:1  大正文語訳聖書

「神の御旨により、キリスト・イエスにあるいのちの約束によって立てられたキリスト・イエスの使徒パウロから」 口語訳聖書

 「いのちの約束」

福音は「キリスト・イエスにあるいのちの約束」である。(Ⅰテモテ1:1) 「罪が死によって支配するに至ったように」、今や「恵みが義によって支配し」、「主イエス・キリストにより、永遠のいのちを得させる」のである。(ロマ5:21) 「死の支配」にあった者が、イエス・キリストによる「〔恵みと義の〕いのちの支配」に入る。これが福音である。

(心のデボーション5183)

心のデボーション5184

「すべて此等の惡しき事は、内より出でて人を汚すなり」 マルコ7:23  大正文語訳聖書

「これらの悪はすべて内部から出てきて、人をけがすのである」 口語訳聖書

 「サービス」

嫌な客には、いやみなほどにていねいな物腰をして見せるという方法がある。親切この上ない姿勢をとりながら、視線を思いっきり冷たくする。見た目には文句のつけようのないサービスだが、どこか嫌味が感じられる。しかも、それがどこから来るのかわからなくて、よけいに不快感をつのらせる。嫌悪感は親切と結びつくと、姿を変えた怒りの表現となる。

(心のデボーション5184)

心のデボーション5185

「これヱホバの成たまへる事にしてわれらの目にあやしとする所なり」 詩篇118:23  明治元訳聖書

「これは主のなされた事で、われらの目には驚くべき事である。」 口語訳聖書

 「驚くべこと」

「主のなされた事」はすべて、「われらの目には驚くべき事(「不思議」新改訳聖書)である」。(詩篇118:23) 「驚くべき不思議」というものがあるのではない、神を信じるあなたの、今の存在そのものが「不思議」なのだ。しかして、そのあなたに起こることはすべて「不思議」である。

(心のデボーション5185)

心のデボーション5186

「また人はみな食飮をなしその勞苦によりて逸樂を得べきなり 是すなはち神の賜物たり」 伝道3:13  明治元訳聖書

「またすべての人が食い飲みし、そのすべての労苦によって楽しみを得ることは神の賜物である。」 口語訳聖書

 「時」

イソップの飢えた狐は葡萄棚から熟れた葡萄が下がっているのを見て、それを手に入れられなかったときに「あれはまだ熟れていない」とつぶやいて立ち去ります。(「イソップ寓話集」32 山本光雄訳 岩波書店1942/2)

その教訓は「物事をうまく運ぶことができないと、時期を口実にする人がいる」というものだが、そこにロバでも通れば、「背中に乗せてくれれば美味しい葡萄をとってあげるよ」くらいの悪知恵の働く狐のことを思えば、「葡萄」は熟したが、それをとる「狐の時」が熟していないともとれる。そうであれば、「時期」を口にするのは言い訳とは言えない。

(心のデボーション5186)

心のデボーション5187

「さらば彼らに效ふな、汝らの父は求めぬ前に、なんぢらの必要なる物を知りたまふ」 マタイ6:8 大正文語訳聖書

「だから、彼らのまねをするな。あなたがたの父なる神は、求めない先から、あなたがたに必要なものはご存じなのである。」 口語訳聖書

 「異邦人のまね」

「彼らのまねをするὁμοιόω」は「~のようにする(同類の)、似せる、同じにする」で「彼らと同質、同類のこと をするな」との意味。言葉の繰り返しがもたらす霊的恍惚は「異邦人のまね」であって、イエスの祈りではない。神は激しく祈れば答えられるお方ではない。すべての神からの答えは御心による。 

(心のデボーション5187)

心のデボーション5188

「キリスト・イエスの囚人たるパウロ及び兄弟テモテ、書を我らが愛する同勞者ピレモン」 ピレモン1:1  大正文語訳聖書

「キリスト・イエスの囚人パウロと兄弟テモテから、わたしたちの愛する同労者ピレモン、」 口語訳聖書

 「同労者」

「同労者ἀδελφός」は「兄弟姉妹(自分と同じ親を持つ者)」から「信仰を同じくする人、使命を同じくする者、同労者」の意である。「同労者」は「戦友」であり、友の「窮乏を補う者」のことである。(ピリピ2:25)「窮乏χρεία」は「必要、困窮」の意で、人の「必要、困窮」に気づく友のことである。

(心のデボーション5188)

心のデボーション5189

「また祈るとき、異邦人の如くいたづらに言を反復すな。彼らは言多きによりて聽かれんと思ふなり」 マタイ6:7 大正文語訳聖書

「また、祈る場合、異邦人のように、くどくどと祈るな。彼らは言葉かずが多ければ、聞きいれられるものと思っている。」 口語訳聖書

 「贅語(むだごと)」

「くどくど祈るβατταλογέω」は「アラム語btl空しい+ギリシャ語λογέω言う」で「繰り返し無駄事を言う」の意味。漢訳聖書は「勿用贅語」で、日本正教会訳では「贅語(むだごと)」と読む。明治元訳は「重複語(くりかへしごと)」と訳す。いわなくてもよいよけいな言葉である。私たちの祈りは「いわなくてもよい、よけいな言葉」が多すぎる。

(心のデボーション5189)

心のデボーション5190

「願はくは神および我らの主イエスを知るによりて、恩惠と平安と汝らに増さんことを」 Ⅱペテロ1:2  大正文語訳聖書

「神とわたしたちの主イエスとを知ることによって、恵みと平安とが、あなたがた に豊かに加わるように。」 口語訳聖書

 「御言葉の豊かさ」

「神と主イエスを知ること」は「恵みと平安が豊かに加えられる」ことである。(Ⅱペテロ1:2) 「神と主イエスを知る」とは「神と主イエスの恵みと知識とにおいて、ますます豊かになる」ことに他ならない。(Ⅱペテロ3:18) 「豊かになるαὐξάνω」は「増加する、盛んになる、前進する」で、御言葉の深みに進むこと。

(心のデボーション5190)

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