心のデボーション511

デボーション1
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心のデボーション5101

「祝すべき哉我主キリスト、イエズスの神及び父、慈悲の父、諸の慰の神。即ち」 Ⅱコリント1:3  大正文語訳聖書

「ほむべきかな、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神、あわれみ深き父、慰めに満ちたる神。」 口語訳聖書

 「神への賛美」

「ほむべきεὐλογητός」は「主イエス・キリストの父なる神、あわれみ深き父、慰めに満ちたる神」である。(Ⅱコリント1:3) 「憐れみ深く、慰めに満ちた神」を知る者は「主は生きておられる」と告白し、「わが岩はほむべきかな。わが救の神はあがむべきかな」と神を賛美する。(詩篇18:46)

(心のデボーション5101)

心のデボーション5102

「聰明汝をたもちてよき途に行ませ 義人の途を守らしめん」 箴言2:20  明治元訳聖書

「こうして、あなたは善良な人々の道に歩み、正しい人々の道を守ることができる。」 口語訳聖書

 「正常と異常」

正常と異常の境界線はあいまいなことが多い。正常から異常への移行も緩慢で、いつどのようになされるのかわからない。人の心は正常そのものでも、異常そのものでもなく、その中間にあって動いているのではないか。誰もがその境界線を超える危険性がある。すると、正常と異常の中間にあるグレーゾーンに、人の守るべき「正しい道」があることになる。異常そのものに接近するのは危険だが、正常そのものも危険である。

(心のデボーション5102)

心のデボーション5103

「人よりに非ず又人に由ずイエス・キリストと彼を死より甦らしし父なる神に由て立られたる使徒パウロ」 ガラテヤ1:1  大正文語訳聖書

「人々からでもなく、人によってでもなく、イエス・キリストと彼を死人の中からよみがえらせた父なる神とによって立てられた使徒パウロ、」 口語訳聖書

  「よみがえり」

「信仰の義」とは、「行為の義」ではなく、「わたしたちの主イエス」を、「わたしたちの罪過のために死に渡され」、「わたしたちが義とされるために」、「死人の中からよみがえらせた(ἐγείρω)かたを信じる」、その信仰が「義と認められる」のである。(ロマ4:24-25) この「信仰の義」が「行為の義の実」を結ぶのである。

(心のデボーション51013

心のデボーション5104

「穎悟者は空の光輝のごとくに耀かんまた衆多の人を義に導ける者は星のごとくなりて永遠にいたらん」 ダニエル12:3  明治元訳聖書

「賢い者は、大空の輝きのように輝き、また多くの人を義に導く者は、星のようになって永遠にいたるでしょう。」 口語訳聖書

 「顔つき」

長い間、外国に行っていた日本人が帰国したら、外人のような顔つきに変わっていて、知人が驚いたそうである。顔は良くも悪くも変化するというのは本当かもしれない。その生きた日々の積み重ねが、その人らしい顔にする。 良い顔になりたかったら鏡を見るよりも、相手の顔を見ることだ。相手が味わい深い顔に変わっていくのが見えたら、あなたも良い顔をしているに違いない。相手の顔は、あなたの顔の鏡なのだ。

(心のデボーション5104)

心のデボーション5105

「御前にて潔く瑕な種のからしめん爲に、世の創の前より我等をキリストの中に選び、」 エペソ1:4  大正文語訳聖書

「みまえにきよく傷のない者となるようにと、天地の造られる前から、キリストにあってわたしたちを選び、」 口語訳聖書

 「神の僕」

「天地の造られる前から、キリストにあってわたしたちを選び(ἐκλέγω)」。(エペソ1:4) すべてのキリスト者は「アブラハムの子孫」として「呼び出され」た「神の僕」である。「わたしは、あなたを地の果てから連れ出し、地のはるかな所からあなたを呼び出して言った。「あなたは、わたしのしもべ。わたしはあなたを選んで、捨てなかった。恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る」。(イザヤ41:9-10新改訳聖書)

(心のデボーション5105)

心のデボーション5106

「神の御意によりてキリスト・イエスの使徒となれるパウロ、書をエペソに居る聖徒、キリストに在りて忠實なる者に贈る。」 エペソ1:1  大正文語訳聖書

「神の御旨によるキリスト・イエスの使徒パウロから、エペソにいる、キリスト・イエスにあって忠実な聖徒たちへ。」 口語訳聖書

 「御旨により」

「御旨θέλημα」は「意思、決意、熱望」の意。漢字「旨」は「匕+甘(うまい)」の会意文字で「匕」は「さじ」の象形から「口」をあらわし、「さじで食物を口に運ぶ」、すなわち「うまいもの、優れたもの」をあらわす。神の「御旨(意思、決意、熱望)は「身に美味しい、良き食物」である。

(心のデボーション5106)

心のデボーション5107

「願ふところは、汝の信仰の交際の活動により、人々われらの中なる凡ての善き業を知りて、榮光をキリストに歸するに至らんことなり。」 ピレモン1:6 大正文語訳聖書

「どうか、あなたの信仰の交わりが強められて、わたしたちの間でキリストのためになされているすべての良いことが、知られて来るようになってほしい。」 口語訳聖書

 「交わり」

ネズミは卵を上手に引いていくそうである。そのやり方は、まず、一匹が足で卵を抱えて、仰向けになる。すると仲間が卵を抱えたネズミの尾を引っぱったり、体を押したりして巣に運ぶという。そうやって、ネズミは卵ばかりでなく正月の鏡餅も、なんなく引いていくそうである。聖書の「κοινωνίαコイノニア(交わり)」は、互いにパートナーになることを意味する。つまり、ネズミたちはコイノニアをしているのである。

(心のデボーション5107)

心のデボーション5108

「これキリスト・イエスを信ずる汝らの信仰と、凡ての聖徒に對する汝らの愛とにつきて聞きたればなり。」 コロサイ1:4 大正文語訳聖書

「これは、キリスト・イエスに対するあなたがたの信仰と、すべての聖徒に対していだいているあなたがたの愛とを、耳にしたからである。」 口語訳聖書

 「聖徒」

「聖徒ἅγιος」は「聖なる」から「聖者」とも訳される。聖書の「聖徒」は「特殊な修行を経て悟りを開いた聖者」ではない。「もし、麦粉の初穂がきよければ、そのかたまりもきよい。もし根がきよければ、その枝もきよい」。(ロマ11:16) 「初穂、根」はイエス・キリストであり、「根〔イエス・キリスト〕がきよければ、その枝〔キリスト者〕もきよい」。「聖徒ἅγιος」は「聖なるイエス・キリスト」にあって「聖徒、聖者」であり、すべての「キリスト者」は「罪許された聖徒」である。

(心のデボーション5108)

心のデボーション5109

「なんぢは祈るとき、己が部屋にいり、戸を閉ぢて隱れたるに在す汝の父に祈れ。さらば隱れたるに見給ふなんぢの父は報い給はん」 マタイ6:6 大正文語訳聖書

「あなたは祈る時、自分のへやにはいり、戸を閉じて、隠れた所においでになるあなたの父に祈りなさい。すると、隠れた事を見ておられるあなたの父は、報いてくださるであろう。」 口語訳聖書

 「静けさと安らかさ」

「お前たちは、立ち帰って、静かにしているならば救われる。安らかに信頼していることにこそ力がある」イザヤ30:15(「静かにして依り頼めば汝ら能力を得るであろう」 晴読雨読より) 

「奥まった自分の部屋」は「静けさ」と「安らかさ」の場所である。「信頼」を取り戻す場所である。それが「静かにして依り頼む人」の「力」である。

(心のデボーション5109)

心のデボーション5110

「これ汝らが信仰のはたらき、愛の勞苦、主イエス・キリストに對する望の忍耐を、我らの父なる神の前に絶えず念ふに因りてなり。」 Ⅰテサロニケ1:3  大正文語訳聖書

「あなたがたの信仰の働きと、愛の労苦と、わたしたちの主イエス・キリストに対する望みの忍耐とを、わたしたちの父なる神のみまえに、絶えず思い起している。」 口語訳聖書

 「信仰の働き」

「信仰の働きτοῦ ἔργου τῆς πίστεως」。(Ⅰテサロニケ1:3) 「信仰の働き」は「人間の手の業」ではない。神のことばの十全な働きであり、「神の言は、信じるあなたがたのうちに働いている」のである。(Ⅰテサロニケ2:13)

(心のデボーション5110)

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