心のデボーション509

デボーション1
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心のデボーション5081

「キリスト・イエスの囚人たるパウロ及び兄弟テモテ、書を我らが愛する同勞者ピレモン」 ピレモン1:1  大正文語訳聖書

「キリスト・イエスの囚人パウロと兄弟テモテから、わたしたちの愛する同労者ピレモン、」 口語訳聖書

 「キリスト・イエスの囚人パウロ」

「キリスト・イエスの囚人パウロπαῦλος δέσμιος χριστοῦ ἰησοῦ」。(ピレモン1:1,9)パウロはしばしば自身を「キリスト・イエスの囚人」と呼ぶ。「囚人δέσμιος」は「繋がれる、枷にかける」の意。パウロは「異邦人のためにキリスト・イエスの囚人となっているこのパウロ」というとき、実際に異邦人への宣教のために、捕らわれて縄目を受けていた(エペソ3:1)が、「つながれていても、語るべき時には大胆に語り」(エペソ6:20)、御言葉はつながれてはいなかった。(Ⅱテモテ2:8-9)パウロは「主の囚人」であった。(エペソ4:1)

(心のデボーション5081)

心のデボーション5082

「我また身をめぐらして日の下を觀るに 迅速者走ることに勝にあらず強者戰爭に勝にあらず 智慧者食物を獲にあらず 明哲人財貨を得にあらず 知識人恩顧を得にあらず 凡て人に臨むところの事は時ある者偶然なる者なり」 伝道9:11  明治元訳聖書

「わたしはまた日の下を見たが、必ずしも速い者が競走に勝つのではなく、強い者が戦いに勝つのでもない。また賢い者がパンを得るのでもなく、さとき者が富を得るのでもない。また知識ある者が恵みを得るのでもない。しかし時と災難はすべての人に臨む。」 口語訳聖書

 「遅い人」

徒歩競争で先頭を走ったことのない私には、「競争は足の早い人のものではない」という伝道者の言葉を、にわかに信じるわけにはいかない。しかし、思わぬことが起き、かなわぬチャンスを授けてくれるのも人生だとすれば、足が遅いからといって、必ずビリとは限らないと考え直したくなった。だからといって、遅い足が急に早くなるわけはなく、それなりに希望を失わずに走るしかない。伝道者はきっと「遅い人」だったと思う。

(心のデボーション5082)

心のデボーション5083

「神むかしは預言者等により、多くに分ち、多くの方法をもて先祖たちに語り給ひしが、」 ヘブル1:1  大正文語訳聖書

「神は、むかしは、預言者たちにより、いろいろな時に、いろいろな方法で、先祖たちに語られたが、」 口語訳聖書

 「以前からずっと」

「むかしπάλαι」は「とうの昔、以前から、ずっと」の意。「神は〔以前からずっと、今に至るまで〕、預言者たちにより、いろいろな時に、いろいろな方法で、先祖たちに語られ〔てこられた〕」。神は「先祖たちに対してなされた約束を」、「イエスをよみがえらせて、わたしたち子孫にこの約束を、お果しになった」のである。(使徒13:32-33)

(心のデボーション5083)

心のデボーション5084

「然のみならず患難をも喜ぶ、そは患難は忍耐を生じ、」 ロマ5:3  大正文語訳聖書

「それだけではなく、患難をも喜んでいる。なぜなら、患難は忍耐を生み出し、」 口語訳聖書

 「だれが本当の友か」

治療で髪が抜け落ちてしまった少女がいた。少女の髪は二度と生えてこなかった。彼女はウイッグをして学校に行った。しかし、心ない友人がウイッグをつかんでいじめた。少女は泣き、両親も学校に行かなくてもいいと告げた。しかし、少女は「もう一度行って、誰が本当の友達か確かめたい」と言い、ウイッグをとって歩き出した。胸を張って歩く少女をからかう子どもは一人もいなかった。

(心のデボーション5084)

心のデボーション5085

「神および主イエス・キリストの僕ヤコブ、散り居る十二の族の平安を祈る。」 ヤコブ1:1  大正文語訳聖書

「神と主イエス・キリストとの僕ヤコブから、離散している十二部族の人々へ、あいさつをおくる。」 口語訳聖書

 「神と主イエス・キリストとの僕」

「神と主イエス・キリストとの僕ヤコブἰάκωβος θεοῦ καὶ κυρίου ἰησοῦ χριστοῦ δοῦλος」。(ヤコブ1:1) 「主イエス・キリストの僕」は「神の僕」であり、「神の僕」は「主イエス・キリストの僕」である。この両者は離れがたく結びついている。「主イエス・キリストの僕」でない「神の僕」があり得ないように、「神の僕」でない「主イエス・キリストの僕」もあり得ない。

(心のデボーション5085)

心のデボーション5086

「イエス・キリストの使徒ペテロ、書をポント、ガラテヤ、カパドキヤ、アジヤ、ピテニヤに散りて宿れる者、」 Ⅰペテロ1:1  大正文語訳聖書

「イエス・キリストの使徒ペテロから、ポント、ガラテヤ、カパドキヤ、アジヤおよびビテニヤに離散し寄留している人たち、」 口語訳聖書

 「離散した人々」

ペテロは「ポント、ガラテヤ、カパドキヤ、アジヤおよびビテニヤ地方」に「離散し寄留している人たち〔ユダヤ人たち〕」に書簡を送る。「離散した民διασπορα」は国家の滅亡にともない、パレスチナ以外に離散し、寄留するユダヤ人をさす。「ポント、ガラテヤ、カパドキヤ、アジヤおよびビテニヤ地方」はアジアを除けばパウロの宣教地から外れた地域である。そこにもイエスの福音を信じるキリスト者がいた。ペテロはこれらの地域に行ったかどうかは定かではないが、ペテロはこの地域に住む人々を忘れなかった。

「わたしは、あなたがたのある者を生かしておく。あなたがたが、つるぎをのがれて国々の中におり、国々に散らされる時、 あなたがたのうちののがれた者は、その捕え移された国々の中でわたしを思い出す。これはわたしが、彼らのわたしを離れた姦淫の心と、偶像を慕って姦淫を行う目をくじくからである。そして彼らはそのもろもろの憎むべきことと、その犯した悪のために、みずからをいとうようになる」。(エゼキエル6:8-9)

(心のデボーション5086)

心のデボーション5087

「若き者よ、なんぢら長老たちに服へ、かつ皆たがひに謙遜をまとへ『神は高ぶる者を拒ぎ、へりくだる者に恩惠を與へ給ふ』」 Ⅰペテロ5:5  大正文語訳聖書

「同じように、若い人たちよ。長老たちに従いなさい。また、みな互に謙遜を身につけなさい。神は高ぶる者をしりぞけ、へりくだる者に恵みを賜うからである。」 口語訳聖書

 「卑しき者」

「どうして自分はだめなんだろう」と自分を責めるのが謙遜だろうか。責めにはゆがんだ感情がからみつくことが多いものだ。自分を責めながら、実は何かを恨んでいる。謙遜の本質は感謝である。聖書の謙遜「ταπεινοφροσύνη」は「低いもの、卑しいもの」を意味することばであり、卑しいほどに自分を喜び、他者を尊ぶ。

(心のデボーション5087)

心のデボーション5088

「イエス・キリストの僕また使徒なるシメオン・ペテロ、書を我らの神および救主イエス・キリストの義によりて、我らと同じ貴き信仰を受けたる者に贈る。」 Ⅱペテロ1:1  大正文語訳聖書

「イエス・キリストの僕また使徒であるシメオン・ペテロから、わたしたちの神と救主イエス・キリストとの義によって、わたしたちと同じ尊い信仰を授かった人々へ。」 口語訳聖書

 「信仰を授かる」

「尊い信仰を授かった人々へλαχοῦσιν πίστιν」。(Ⅱペテロ1:1)  「授かるλαγχάνω」は「くじを引く」で、「くじで得る、くじで当てる」こと。すなわち、「無償で得る」の意である。「信仰を得た人」は、全く無償で、思わぬ大儲けをしたのだ。この不思議を知らない信仰者は一人もいない。

(心のデボーション5088)

心のデボーション5089

「なんぢは祈るとき、己が部屋にいり、戸を閉ぢて隱れたるに在す汝の父に祈れ。さらば隱れたるに見給ふなんぢの父は報い給はん」 マタイ6:6 大正文語訳聖書

「あなたは祈る時、自分のへやにはいり、戸を閉じて、隠れた所においでになるあなたの父に祈りなさい。すると、隠れた事を見ておられるあなたの父は、報いてくださるであろう。」 口語訳聖書

 「奥まった自分の部屋」

祈りは見せるものではなく、見られてはならないものである。「奥まった自分の部屋ταμεῖον(納屋、倉、奥の間、密室)」に入り、その戸を「閉めκλείω(閉ざす、閉鎖)」して祈る。「奥まった自分の部屋」に入ったら、その「戸」もしっかり閉めること。密室に入って戸は開けたままということもあるからだ。

神は「隠れたところに在し、隠れたことを凝視される神」である。 

(心のデボーション5089)

心のデボーション5090

「太初より有りし所のもの、我等が聞きしところ、目にて見し所、つらつら視て手觸りし所のもの、即ち生命の言につきて、」 Ⅰヨハネ1:1 大正文語訳聖書

「初めからあったもの、わたしたちが聞いたもの、目で見たもの、よく見て手でさわったもの、すなわち、いのちの言について」 口語訳聖書

 「いのちの言」

「初めからあったもの…、すなわち、いのちの言」。(Ⅰヨハネ1:1) 「主なるわたしは初めであって、また終りと共にあり、わたしがそれだ」。(イザヤ41:4) 事の初めにある「いのちの言」は事の終りと共にあり、「完成と成就」を告げる。

(心のデボーション5090)

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