心のデボーション505

デボーション1
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心のデボーション5041

「神の子イエス・キリストの福音の始。」 マルコ1:1  大正文語訳聖書

「神の子イエス・キリストの福音のはじめ。」 口語訳聖書

 「神の子イエス・キリストの福音」

「福音」は「神の子イエス・キリストの福音᾽Ιησοῦ Χριστοῦ [υἱοῦ θεοῦ]」である。(マルコ1:1)聖書の重要な写本に「神の子υιου θεου」を欠くものがあり、Alexandrian はカッコの中に入れる。

「福音」は、「イエス・キリストの福音」であり、「神の子の福音」である。「福音」において、「イエス・キリスト」が「神の子、すなわち神御自身」であることが証しされて、始めて信じる者に「福音」が成る。人は「イエス・キリスト」において「神」を経験するまでは「救い」は現身のものとならない。

(心のデボーション5041)

心のデボーション5042

「なんぢの足を鄰の家にしげくするなかれ 恐くは彼なんぢを厭ひ惡まん」 箴言25:17  明治元訳聖書

「隣り人の家に足をしげくしてはならない、おそらくは彼は煩わしくなって、あなたを憎むようになろう。」 口語訳聖書

 「ちょっとした変化」

親しい友だからといって、足しげく通わない方がいいと箴言は忠告する。彼があなたに飽きてしまうかもしれないし、それもわからずにいれば、彼はあなたを憎むようになるかもしれないというのである。では、ほどほどに通えばよいかといえば、そういう問題ではないようだ。どんなによい関係でも、ずっと続けると、どこか耐えられないものが出てくる。ちょっと違ったことをしてみるとよいかもしれない。小さな変化でよい。

(心のデボーション5042)

心のデボーション5043

「アブラハムの子、ダビデの子、イエス・キリストの系圖(けいず)」 マタイ1:1 大正文語訳聖書

「アブラハムの子であるダビデの子、イエス・キリストの系図。」 口語訳聖書

 「無益な議論」

新約聖書はマタイとルカにイエス・キリストの系図を記録する。ユダヤ人はアブラハムの約束の子孫であることを忘れないために、それぞれの家系を記した「系図」を造り、子孫に伝えた。それらはイエス・キリストの系図をもって完結したのである。Ⅰテモテ1:4は「作り話やはてしのない系図などに気をとられることもないように、命じなさい。そのようなことは信仰による神の務を果すものではなく、むしろ論議を引き起させるだけのものである」、「愚かな議論と、系図と、争いと、律法についての論争とを、避けなさい」と。それらは無益かつ空虚なことである」と「はてしのない系図」に捕らわれることを「無益なこと」と教える。(テトス3:9)

(心のデボーション5043)

心のデボーション5044

「激しき爭論となりて遂に二人相別れ、バルナバはマルコを伴ひ、舟にてクプロに渡り、」 使徒15:39  大正文語訳聖書

「こうして激論が起り、その結果ふたりは互に別れ別れになり、バルナバはマルコを連れてクプロに渡って行き、」 口語訳聖書

 「パウロとバルナバ」

パウロは何でもできる人だった。それだけに、いざというときに役に立たない、優柔不断なマルコにがまんができなかった。バルナバは、そんなマルコを見離さず、パルロと別れ、自分の旅につれて行く。しばらくして、パウロは「マルコを伴っていっしょに来てください。彼は私の務めのために役に立つ」と書き送る。(Ⅱテモテ4:11)バルナバは弱い人に、自分は何でもできると思わせることのできる人であった。

(心のデボーション5044)

心のデボーション5045

「神の御子イエズス、キリストの福音の始。」 マルコ1:1  大正文語訳聖書

「神の子イエス・キリストの福音のはじめ。」 口語訳聖書

 「神の子」

イエス・キリストは「神の子」である。(詩篇2:7) イエスを「神の子」と認めるだけなら、サタンにもできる。(マタイ4:3) イエス・キリストを「神の子」と礼拝する者が「神の子」の祝福にあずかるのである。(マタイ14:33) 「わたしたちが神の子と呼ばれるためには、どんなに大きな愛を父から賜わったことか、よく考えてみなさい。わたしたちは、すでに神の子なのである。世がわたしたちを知らないのは、父を知らなかったからである。愛する者たちよ。わたしたちは今や神の子である。しかし、わたしたちがどうなるのか、まだ明らかではない。彼が現れる時、わたしたちは、自分たちが彼に似るものとなることを知っている。そのまことの御姿を見るからである」。(Ⅰヨハネ3:1-2) 

(心のデボーション5045)

心のデボーション5046

「我らの中に成りし事の物語につき、始よりの目撃者にして、」 ルカ1:1  大正文語訳聖書

「わたしたちの間に成就された出来事を、最初から親しく見た人々であって、」 口語訳聖書

 「御言葉の実」

ルカは「わたしたちの間に成就された〔イエス・キリストの〕出来事」を詳しく書き留めた。その目的はヨハネの「これらのことを書いたのは、あなたがたがイエスは神の子キリストであると信じるためであり、また、そう信じて、イエスの名によって命を得るためである」(ヨハネ20:31)と同じである。御言葉の目的は「イエスは神の子キリストであると信じて」、「イエスの名によって命を得るため」である。「イエスの名によるいのち(永遠のいのち)」を得るまでは御言葉の目的は達成されない。

(心のデボーション5046)

心のデボーション5047

「神の愛のうちに己をまもり、永遠の生命を得るまで我らの主イエス・キリストの憐憫を待て。」 ユダ1:21  大正文語訳聖書

「神の愛の中に自らを保ち、永遠のいのちを目あてとして、わたしたちの主イエス・キリストのあわれみを待ち望みなさい。」 口語訳聖書

 「あまりおこらないで」

おかあさん ありがとう いいこにするから
あまりおこらないでね        三歳

子どもが母親に「いいこにするから」を繰り返すのは要注意である。母親が怒るのは自分が「悪い子」だから、それで「いい子にするから」と母親の顔をうかがうのであろう。悪い子はお母さんの子じゃないという脅しに子どもは怯える。悪い子の時も、悪いことを教えた後で、あなたは私の大切な子と伝えたい。

(心のデボーション5047)

心のデボーション5048

「太初に言あり、言は神と偕にあり、言は神なりき。」 ヨハネ1:1  大正文語訳聖書

「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。」 口語訳聖書

 「事の初めてに」

「初めἀρχή」は神の臨在とともにある。「主が昔そのわざをなし始められるとき、そのわざの初めとして、わたしを造られた。いにしえ、地のなかった時、初めに、わたしは立てられた。まだ海もなく、また大いなる水の泉もなかった時、わたしはすでに生れ、山もまだ定められず、丘もまだなかった時、わたしはすでに生れた」。(箴言8:22-25) 神を、その初めに見る者は、ことの初めの前に、「わたしは立てられ、わたしはすでに生れた」ことを知るであろう。生まれるべくして生まれたのである。

(心のデボーション5048)

心のデボーション5049

「是はその施濟(ほどこし)の隱れん爲なり。さらば隱れたるに見たまふ汝の父は報い給はん」 マタイ6:4 大正文語訳聖書

「それは、あなたのする施しが隠れているためである。すると、隠れた事を見ておられるあなたの父は、報いてくださるであろう。」 口語訳聖書

 「神を見んと欲する」

「神を見んと欲する乎、然らば隠れたる善を為すべし。我らは密かなる所に於いてのみ神と相見るを得べし」。 (内村鑑三「聖書之研究」) 善をなしたが神が見えないという者は、善に報いをもとめ、すでに報われてしまったからであるに違いない。

(心のデボーション5049)

心のデボーション5050

「キリスト・イエスの僕、召されて使徒となり、神の福音のために選び別たれたるパウロ――」 ロマ1:1  大正文語訳聖書

「キリスト・イエスの僕、神の福音のために選び別たれ、召されて使徒となったパウロから――」 口語訳聖書

 「キリストの僕」

「キリストの僕」とは「キリストに従う者」のことである。(「もしわたしに仕えようとする人があれば、その人はわたし「イエス・キリスト」に従って来るがよい。そうすれば、わたしのおる所に、わたしに仕える者もまた、おるであろう。」)「もしわたし〔イエス・キリスト〕に仕えようとする人があれば、その人を父は重んじて下さるであろう」。(ヨハネ12:26) あなたがどこに居ようと、そこでイエス・キリスト仕えるなら、イエス・キリストはあなたと共におられ、神はそれを「重んじられるτιμάω」「評価する、値踏みする、値をつける」の意で、神はそれに「高い値をつけられる」。

(心のデボーション5050)

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