心のデボーション502

デボーション1
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心のデボーション5011

「神の子イエス、キリストの福音の始」 マルコ1:1 大正文語訳聖書

「神の子イエス・キリストの福音のはじめ。」 口語訳聖書

 「福音のはじめ」

「はじめἀρχή」は「最初、発端、源、起源、根源」の意であり、信仰は常に、「神の子イエス・キリストの福音」の「はじめ(最初、発端、源、起源、根源)」に立ち戻ることによって新しくされる。それは知り尽くし得ない神の奥義であり、創造的御業の根源である。

(心のデボーション5011)

心のデボーション5012

「大なる家の中には金銀の器あるのみならず、木また土の器もあり、貴きに用ふるものあり、また賤しきに用ふるものあり。」 Ⅱテモテ2:20  大正文語訳聖書

「大きな家には、金や銀の器ばかりではなく、木や土の器もあり、そして、あるものは尊いことに用いられ、あるものは卑しいことに用いられる。」 口語訳聖書

 「土の器」

「大きな家」には金や銀の器ばかりでなく、木や土の器もある。そのうちで、器として役にたつのは、木や土の器で、金や銀ではない。金のカップでは、熱いコーヒーを楽しむなどできるものではない。器として生まれるなら、だんぜん木や土の器(ὀστράκινος)である。それなのに、みんなが金や銀の器になりたがるのは不思議な話である。木や土の器として生きるには、もう少し扱いを丁寧になどと望まないことだ。

(心のデボーション5012)

心のデボーション5013

「我らの中に成りし事の物語につき、始よりの目撃者にして、」 ルカ1:1  大正文語訳聖書

「わたしたちの間に成就された出来事を、最初から親しく見た人々であって、」 口語訳聖書

 「成就された出来事」

ルカは「わたしたちの間(自分を含め、人々の間に)成就された出来事πληροφορέω(完全に果たされた出来事)」につい「綿密に調べて」書きとめる。人は自身の内に、どれほどの主の御言葉が成就したかを知れば、驚きに満たされるだろう。綿密に調べねばならない。

(心のデボーション5013)

心のデボーション5014

「ヱホバはすべてかれらの心をつくり その作ところをことごとく鑒みたまふ」 詩篇33:15  明治元訳聖書

「主はすべて彼らの心を造り、そのすべてのわざに心をとめられる。」 口語訳聖書

 「沈黙」

幸せは努力しなければつかめないものだろうか。変えようとせずに、自然の成り行きに任せる方が良い場合もある。必死になって現実を否定していることが、「努力」の動因である場合がそれである。愛は現実をありのままに受容する。人の心は様々だ。しかし、神はそれぞれの心の営みを造られ、そのわざを読み取り、導かれると知っているからである。神の御手が働かれる時には、人は沈黙のうちに神にお委ねするがよい。

(心のデボーション5014)

心のデボーション5015

「それ智慧は眞珠に愈れり 凡の寳も之に比ぶるに足らず」 箴言8:11  明治元訳聖書

「知恵は宝石にまさり、あなたがたの望むすべての物は、これと比べるにたりない。」 口語訳聖書

 「シェーマ」

「ある分野に関して十分に整えられ、構築された知識」をドイツ語でシェーマSchema(英語schema、フランス語schéma)という。シェーマを身に着けた人は、問題に直面しても、あれこれ判断に苦しむことが少ないという。Schemaは「型、図式、計画、基準」の意で、elektrisch schaltungは「電気の配線図」である。

(心のデボーション5015)

心のデボーション5016

「また誠に汝らに告ぐ、もし汝等のうち二人、何にても求むる事につき地にて心を一つにせば、天にいます我が父は之を成し給ふべし。」 マタイ18:19  大正文語訳聖書

「また、よく言っておく。もしあなたがたのうちのふたりが、どんな願い事についても地上で心を合わせるなら、天にいますわたしの父はそれをかなえて下さるであろう。」 口語訳聖書

 「馬が合う」

「馬が合う」とは馬の良し悪しをいうのではない。乗馬には乗り手と馬の息を合わせことが必要で、息の合った関係を言う言葉である。乗り手が馬の息に合わせると、馬も乗り手の息に合わせて走る。一方の息が乱れると、他方も乱れてうまくいかない。「馬が合う」は英語でHe and I get along well. というそうな。息の合った関係である。マタイ18:19「心を合わせるσυμφωνέω」は「心を一つにする、調和して響く」の意で、すなわち「息を合わせる」ことである。

(心のデボーション5016)

心のデボーション5017

「イスラエルよ汝は幸福なり誰か汝のごとくヱホバに救はれし民たらんヱホバは汝を護る楯汝の榮光の劍なり汝の敵は汝に諂ひ服せん汝はかれらの高處を踐ん」 申命33:29  明治元訳聖書

「イスラエルよ、あなたはしあわせである。だれがあなたのように、/主に救われた民があるであろうか。主はあなたを助ける盾、/あなたの威光のつるぎ、/あなたの敵はあなたにへつらい服し、/あなたは彼らの高き所を踏み進むであろう」 口語訳聖書

 「幸せの呼び水」

「不安」に、いつも理由があるわけではない。とにかく不安なのだ。ということは、「幸せ」も、いつも理由が必要とも限らない。心をときめかすことが何もなくても、とりあえず幸せな気分になれる。「不安」が「小さな呼び水」からはじまるように、「幸せ」も小さな呼び水でやすやすとはじまる。「だれが私のようであろう」と自分に呼びかけるところから、それははじまる。

(心のデボーション5017)

心のデボーション5018

「ヱホバはよろづの國にむかひて怒り そのよろづの軍にむかひて忿恚り かれらをことごとく滅し かれらを屠らしめたまふ」 イザヤ34:2  明治元訳聖書

「主はすべての国にむかって怒り、そのすべての軍勢にむかって憤り、彼らをことごとく滅ぼし、彼らをわたして、ほふらせられた。」 口語訳聖書

 「全世界の救い」

内村鑑三は「全世界の救はれんことを祈るべし、殊更に我国の救はれんことを祈るべからず」と言った。(内村鑑三『内村鑑三随筆集』 岩波文庫832-833)しかし、国と国がそれぞれの大義をかけて闘うとき、いかに祈れば全世界は救われるのであろうか。それでもキリスト者は一国のみならず、「全世界の救い」のために祈らずばなるまい。

(心のデボーション5018)

心のデボーション5019

「是はその施濟(ほどこし)の隱れん爲なり。さらば隱れたるに見たまふ汝の父は報い給はん」 マタイ6:4 大正文語訳聖書

「それは、あなたのする施しが隠れているためである。すると、隠れた事を見ておられるあなたの父は、報いてくださるであろう。」 口語訳聖書

 「人生かの支払い」

人生からすべての「支払い」を受け取ろうとするな。人生には若干の「貸し」をつくっておいたほうが生きやすい。そのつもりでいても、決算をしてみれば、人生からは大きな「借り」があるものだ。それにもかかわらず「神報い給う」のである。

(心のデボーション5019)

心のデボーション5020

「虚しき物に迷ひゆくなかれ是は虚しき物なれば汝らを助くることも救ふことも得ざるなり」 Ⅰサムエル12:21  明治元訳聖書

「むなしい物に迷って行ってはならない。それは、あなたがたを助けることも救うこともできないむなしいものだからである。」 口語訳聖書

 「溺れる狐」

イソップの「マイアンドロス河畔の狐たち」は、そこから水を飲もうとして、マイアンドロスの急流に怖気づいて誰も水に入れないでいるのを見た一匹の狐が仲間を嘲って仲間を嗤い、自分の勇気を見せようと流れに飛び込むが、流されると、岸の狐たちが「我々を見捨てないでくれ、どうしたら危険なしに水を飲めるのか教えてくれ」と叫ぶと、流されながら「河口のミレトスで待っているから、そこで教えてやろう」と叫ぶ。

泳げもしないのに勇気を見せつけようと急流に飛び込むのも愚かだが、溺れる狐に水の飲み方を教えてもらおうというのも愚かである。(「イソップ寓話集」29 山本光雄訳 岩波書店1942/2より)

(心のデボーション5020)

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