心のデボーション499

デボーション1
Generic selectors
完全一致
タイトルから
記事本文から
Post Type Selectors
Filter by Categories

心のデボーション4981

「その愆をゆるされその罪をおほはれしものは福ひなり」 詩篇32:1  明治元訳聖書

「そのとががゆるされ、その罪がおおい消される者はさいわいである。」 口語訳聖書「そのとががゆるされその

 「罪の記憶」

「罪がおおい消される者はさいわいである」。(詩篇32:1)「覆い消す‎כּסה」は「着せる、纏う」の意から「上着で蔽って隠す」の意。LXXἐπικαλύπτω「覆い隠す」。(ロマ4:7)神は「私の罪」に覆いをかけて隠され、記憶から「私の罪」を消される。

(心のデボーション4981)

心のデボーション4982

「かれらは年老てなほ果をむすび豊かにうるほひ緑の色みちみちて」 詩篇92:14  明治元訳聖書

「彼らは年老いてなお実を結び、いつも生気に満ち、青々として」 口語訳聖書

 「母親の嫉妬」

母親には娘の若々しい美しさがまぶしく感じられる時があるのだろうか。年と共に自分から失われていくものが、娘の中でこれから輝き出すのを感じて、母親はわが娘にも嫉妬する。年を重ねなければ、はじまらないいのちの輝きもある。自分という存在に深く根を下ろし、みずみずしいいのちをくみ上げる努力をはじめることが大切である。自分へのいら立ちを娘に向けないことだ。それが「主の家に植えられ」、「神の大庭で栄える」人ではないか。

(心のデボーション4982)

心のデボーション4983

「視よわれ新しき事をなさん頓ておこるべし なんぢら知ざるべけんや われ荒野に道をまうけ沙漠に河をつくらん」 イザヤ43:19 明治元訳聖書

「見よ、わたしは新しい事をなす。やがてそれは起る、あなたがたはそれを知らないのか。わたしは荒野に道を設け、さばくに川を流れさせる」 口語訳聖書

 「写真記憶」

「写真記憶」という特殊能力がある。(本物の事例は報告されいない) 見たことを永続的に記憶し、決して忘れない能力をいう。実際にそのような能力があればと思うが、「見たものをすべて忘れることができない(思い出す)」ことは、本人には非常に辛い経験であるという。人間は変化に対して同量を忘れることによって生きることができる。「忘却」は神が与えてくださった恵みである。

(心のデボーション4983)

心のデボーション4984

「願はくは忍耐と慰安との神、なんぢらをしてキリスト・イエスに效ひ、互に思を同じうせしめ給はん事を。」 ロマ15:5  大正文語訳聖書

「どうか、忍耐と慰めとの神が、あなたがたに、キリスト・イエスにならって互に同じ思いをいだかせ」 口語訳聖書

 「沈黙交易」

ことばが全く通じない相手とも商売をする方法があるという。ある場所に売りたいものを置いて身を隠す。すると、それを欲しいと思った人が、それにみあう品物を置いて、やはり身を隠す。それで、先の人が戻ってきて納得すれば商売成立である。これを「沈黙交易」というそうである。ことばが通じなくなったら、しばらく「沈黙交易」でやってみる手もある。

(心のデボーション4984)

心のデボーション4985

「神の大能の勢威の活動によりて信ずる我らに對する能力の極めて大なるとを知らしめ給はんことを願ふ」 エペソ1:19  大正文語訳聖書

「また、神の力強い活動によって働く力が、わたしたち信じる者にとっていかに絶大なものであるかを、あなたがたが知るに至るように、と祈っている。」 口語訳聖書

 「神の働きかけ」

私を真に動かすのは「神の力強い活動によって働く力τὸ ὑπερβάλλον μέγεθος τῆς δυνάμεως αὐτοῦ εἰς ἡμᾶς」である。フランシスコ会訳聖書「神の力強い威力ある働きかけ」。「力強いὑπερβάλλω」は「限度を超えてた、はるかに優る」の意。神は四六時中、信じる者に、「力強く〔限度をこえて〕働きかけ」ておられる。

(心のデボーション4985)

心のデボーション4986

「これは我が何事をも恥ぢずして、今も常のごとく聊かも臆することなく、生くるにも、死ぬるにも、我が身によりてキリストの崇められ給はんことを切に願ひ、また望むところに適へるなり。」 ピリピ1:20  大正文語訳聖書

「そこで、わたしが切実な思いで待ち望むことは、わたしが、どんなことがあっても恥じることなく、かえって、いつものように今も、大胆に語ることによって、生きるにも死ぬにも、わたしの身によってキリストがあがめられることである。」 口語訳聖書

 「大胆に」

「大胆に語るπαρρησία」は「大胆にすべてを語る」の意。「最も自由な発言<不屈の勇気>をもって」(祥訳聖書いのちのことば社)、「恥じることなく」神のことばを語る人は、「生きるにも死ぬにも、わたしの身によってキリストがあがめられる」ことを喜ぶ。

(心のデボーション4986)

心のデボーション4987

「智慧の汝の霊魂におけるも是の如しと知れ これを得ばかならず報いありて汝の望すたれじ」 箴言24:14  明治元訳聖書

「知恵もあなたの魂にはそのようであることを知れ。それを得るならば、かならず報いがあって、あなたの望みは、すたらない」 口語訳聖書

 「見切り」

見切り品のワゴンをのぞくのは面白い。見込みなしと見限って安く売られるのだが、けっこう掘り出し物がある。どうにも乗り越えられない壁に囲まれたら、見切るのもひとつの選択である。しかし、その場合、見切るとは最後まで見る、見終ることでなければならない。ワゴンに放り込んで、それで終わりにすることではない。望みを断たないために、見方を変えること。

(心のデボーション4987)

心のデボーション4988

「この故に我なんぢに告ぐ、この女の多くの罪は赦されたり。その愛すること大なればなり。赦さるる事の少き者は、その愛する事もまた少し」 ルカ7:47  大正文語訳聖書

「それであなたに言うが、この女は多く愛したから、その多くの罪はゆるされているのである。少しだけゆるされた者は、少しだけしか愛さない」 口語訳聖書

 「少しだけ」

「少しだけゆるされた者は、少しだけしか愛さないᾧ δὲ ὀλίγον ἀφίεται, ὀλίγον ἀγαπᾷ.」。「少しだけὀλίγος」は「少量の、わずかに、乏しく」の意。主を愛する自覚が少ない人とは、自分の罪をイエスに「少しだけ」しか渡そうとしない人である。彼は「多くの(大きな)罪」が許されるとは、信じることができないのである。

(心のデボーション4988)

心のデボーション4989

「汝は施濟をなすとき、右の手のなすことを左の手に知らすな」 マタイ6:3 大正文語訳聖書

「あなたは施しをする場合、右の手のしていることを左の手に知らせるな。」 口語訳聖書

 「両手のなかで汗をかかせる」

「あなたの施しは誰に与えたらよいかわかるまで、両手のうちに温存すべきである」 (「十二使徒の教え(ディダケー 第一章6」)「両手のうちに温存する」は「両手のなかで汗をかかせる、汗をかく ἱδρόω 」である(「十二使徒の教え(ディダケー 第一章6 注)

「施しἐλεημοσύνη」はそれを真に必要とする行先を見出すまで、両手のうちで汗ばむまで待つべきである。「施し」は両手で温められた贈り物である。

(心のデボーション4989)

心のデボーション4990

「その十字架の血によりて平和をなし、或は地にあるもの、或は天にあるもの、萬の物をして己と和がしむるを善しとし給ひたればなり」 コロサイ1:20  大正文語訳聖書

「そして、その十字架の血によって平和をつくり、万物、すなわち、地にあるもの、天にあるものを、ことごとく、彼によってご自分と和解させて下さったのである。」 口語訳聖書

 「地の平和」

神は「その十字架の血によって平和をつくり、万物、すなわち、地にあるもの、天にあるものを、ことごとく、彼〔イエス・キリスト〕によってご自分と和解させて下さったのである」。(コロサイ1:20) 「和解ἀποκαταλλάσσω」は「ἀπό完全に+καταλλάσσω和解する」からないり「完全に和解する」の意。「地との平和」は「天との和解」によって完全に実現する。

(心のデボーション4990)

コメント