心のデボーション4971
「汝らが遭ひし試煉は人の常ならぬはなし。神は眞實なれば、汝らを耐へ忍ぶこと能はぬほどの試煉に遭はせ給はず。汝らが試煉を耐へ忍ぶことを得んために之と共に遁るべき道を備へ給はん。」 Ⅰコリント10:13 大正文語訳聖書
「あなたがたの会った試錬で、世の常でないものはない。神は真実である。あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである。」 口語訳聖書
「成功体験」
マーティン・セーリグマンMartin E. P. Seligmanは犬をつかった実験によって、回避することのできない状況に長い期間おかれると「何をしても意味がない」と学習し、回避できる状況下でも苦痛を回避しなくなることを認め「学習性無力感Learned helplessness」と呼んだ。学習性無力感から回復するには、進んで環境に働きかけて「成功体験」を学習しなおすために、ある「強制」が必要とされる。
神の「試練」は「それに耐えられるように、のがれる道も備えられて」いる。「のがれる道」を知るのも、苦痛から有効に逃れる「成功体験」である。
(心のデボーション4971)
心のデボーション4972
「又いづれの女か銀貨十枚を有たんに、若しその一枚を失はば、燈火をともし、家を掃きて見出すまでは懇ろに尋ねざらんや。」 ルカ15:8 大正文語訳聖書
「また、ある女が銀貨十枚を持っていて、もしその一枚をなくしたとすれば、彼女はあかりをつけて家中を掃き、それを見つけるまでは注意深く捜さないであろうか。」 口語訳聖書
「失われた一枚の銀貨」
女性が結婚にもっていきたいものはいろいろあるに違いない。この女性が持っている「銀貨十枚」はその一部だった。「それを欠いては、他の九枚がそろっていても意味をなさない一枚」とは、「自己」という銀貨ではないか。「自己」を見失った女性は、無意識的に、まだ父親と精神的に結合したままで、良くも悪しくも父親の声だけに耳を傾けてしまう。結婚は男と女がふたりで「失われた一枚の銀貨」を捜し、それが十枚そろうのを何よりも喜びとするものではないか。「失われた一枚の銀貨」は「あかりをつけて家中を掃き、それを見つけるまでは注意深く捜さなければ」ならない。急いで出来ることではない。
(心のデボーション4972)
心のデボーション4973
「斯てわれなんぢの前にわが罪をあらはしわが不義をおほはざりき 我いへらくわが愆をヱホバにいひあらはさんと 斯るときしも汝わがつみの邪曲をゆるしたまへりセラ」 詩篇32:5 明治元訳聖書
「わたしは自分の罪をあなたに知らせ、自分の不義を隠さなかった。わたしは言った、「わたしのとがを主に告白しよう」と。その時あなたはわたしの犯した罪をゆるされた。〔セラ〕」 口語訳聖書
「綸言汗の如し」
「綸言汗の如し」。(孔子「礼記」緇衣篇)王の言葉はそれが「絲:細い糸)」であっても、「綸(太い糸)である。「汗のごとし」は「漢書」劉向伝からのもので、「綸言」は一度身から出たものは内へ引っ込むことがない、すなわち「変わらない」の意。「言葉に変わりのない人」は立派である。しかし、王といえども、「綸言」に過ちを認めた時は、直ちに改めるのが王であろう。
(心のデボーション4973)
心のデボーション4974
「そのわれらより愆をとほざけたまふことは東の西より遠きがごとし」 詩篇103:12 明治元訳聖書
「東が西から遠いように、主はわれらのとがをわれらから遠ざけられる。」 口語訳聖書
「過去」
過去を忘れるなどできない相談である。しかし、今を十分に生きることによって過去の意味を変えることはできる。今が充実していないと、過去の忌まわしい経験が現在の一部としてよみがえり、過去の傷としてうずく。忘れることのできない過去は、それを「遠くに置かれる」神に告白することだ。神は完全に忘れたかのように私を扱われる。今を満たされることによって、過去はその意味を変える。
(心のデボーション4974)
心のデボーション4975
「われ看てなんぢを寶とし尊きものとして亦なんぢを愛す」 イザヤ43:4 明治元訳聖書
「あなたはわが目に尊く、重んぜられるもの、わたしはあなたを愛する」 口語訳聖書
「一円玉」
ある方の計算によると、一円硬貨は一枚製造するのに約3円かかるそうである。5円は7円、10円は10円かかるという。水に浮くような一円玉だが、三倍の経費をかけて鋳造し、渡される貴重なものなのだ。こう考えると「私」という存在が、実際の価値以上の経費をかけて造られたことは間違いないと気づく。ただ、流通価値は低いが、原価を知れば(一人の人をつくる原価は、世界の富をもってもはかれない)、驚くとともに、大切にしたくなる。
(心のデボーション4975)
心のデボーション4976
「實に然り、彼らは不信によりて折られ、汝は信仰によりて立てるなり、高ぶりたる思をもたず、反つて懼れよ。」 ロマ11:20 大正文語訳聖書
「まさに、そのとおりである。彼らは不信仰のゆえに切り去られ、あなたは信仰のゆえに立っているのである。高ぶった思いをいだかないで、むしろ恐れなさい。」 口語訳聖書
「郭公」
「郭公Cuckoo」の語源はラテン語で、鳥のカッコウの他に「優男、馬鹿者」の意味がある。カッコウの雌はほかの鳥の巣に卵を産んで、他の鳥に育てさせる。その鳴き声がいかにも、知らずに他人の卵を孵化して育てる鳥を愚弄しているように聞こえるところから、「妻に不義を働かれる優男」の意味につかわれるようになった。ずるがしこい鳥の鳴き声は高慢な囀りに聞こえるのだ。
(心のデボーション4976)
心のデボーション4977
「汝らが遭ひし試煉は人の常ならぬはなし。神は眞實なれば、汝らを耐へ忍ぶこと能はぬほどの試煉に遭はせ給はず。汝らが試煉を耐へ忍ぶことを得んために之と共に遁るべき道を備へ給はん。」 Ⅰコリント10:13 大正文語訳聖書
「あなたがたの会った試錬で、世の常でないものはない。神は真実である。あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである。」 口語訳聖書
「脱出の道」
試練は「招かざる客」である。招きもしないのにやって来て、長居する。不意に来るので、こちらには備えもないので、出来ることなら、御遠慮願いたい。ところが、少しくらい嫌な顔をしても一向に重い腰を上げようとはしないのだ。神は耐えられないような試練は与えないばかりか、試練の中にもあらかじめ「脱出の道」を備えておられる。逃げることばかり考えていると、試練の中に備えられた「脱出の道」が見つからない。
(心のデボーション4977)
心のデボーション4978
「その後三年を歴て、ケパを尋ねんとエルサレムに上り、十五日の間かれと偕に留りしが、」 ガラテヤ1:18 大正文語訳聖書
「その後三年たってから、わたしはケパをたずねてエルサレムに上り、彼のもとに十五日間、滞在した。」 口語訳聖書
「パウロのダマスコ宣教」
パウロは回心の後、「先輩の使徒たちに会うためにエルサレムにも上らず」、アラビアのダマスコに行き、そこで3年間、異邦人にイエスの福音を伝えた。パウロの召命には働きの場も含まれていたのである。三年後、ダマスコでアレク王の代官がパウロを捕らえようと監視したので、パウロは城壁の窓からかごでつり降ろされて逃れなければならなかった。(Ⅱコリント11:32-33)
(心のデボーション4978)
心のデボーション4979
「汝は施濟をなすとき、右の手のなすことを左の手に知らすな」 マタイ6:3 大正文語訳聖書
「あなたは施しをする場合、右の手のしていることを左の手に知らせるな。」 口語訳聖書
「忠興の金」
細川ガラシヤの夫忠興は、大阪でガラシヤが密かに通った教会に少なからぬ金額の金を献金した。ところが、神父はその日のうちに、忠興の金を貧しい人々に配ってしまい、一文も残らなかったという。それを聞いて忠興は切支丹の信仰に心底驚いたという。
(心のデボーション4979)
心のデボーション4980
「汝らの心の眼を明かにし、神の召にかかはる望と、聖徒にある神の嗣業の榮光の富と、」 エペソ1:18 大正文語訳聖書
「あなたがたの心の目を明らかにして下さるように、そして、あなたがたが神に召されていだいている望みがどんなものであるか、聖徒たちがつぐべき神の国がいかに栄光に富んだものであるか、」 口語訳聖書
「心の目」
「心の目τοὺς ὀφθαλμοὺς τῆς καρδίας」を「明らかにして下さる」のは神である。「明らかにするφωτίζω」は「光を与える、照らす、明るみにだす、明らかにする」の意。「神の国の栄光」に照ららされて、「神の望み」を仰ぎ見える「目」である。
(心のデボーション4980)
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